第70話 サンホゼ カリフォルニア V
今回は、またもや、カリフォルニア州サンホゼに住んでいた間の話。サンフランシスコ湾をはんさんだ地域には、多くの日系米国人と日本人(移民一世)が住んでいた。サンホゼだけでなく、他の街にも日系のお盆祭りがあった。各街の日系人のグループとお寺などが協力して日にちが重ならないようにして、お盆祭りが行われていた。その年のスケジュールを見たら、七月と8月は毎週のように、別な街でお盆祭りがったっように見えた。その中でも、大きなのは、妻と息子が日本語学校に通っていたサンホゼ別院である祭りだった。祭りは、お寺の資金集めにもなっていたらしく、サンホゼ別院で活動しているグループはこのお盆祭りに協力するよう依頼されていた。これらのグループは、屋台を出したり、テキ屋的なことをやったりしていた。日本語学校も同様で、毎年、餃子を売っていた。餃子自体は、冷凍のを誰かが仕入れてくれて、私たちはそれを調理して売ればよかった。
祭り自体は土曜日だったのだが、その週日にも会場の設置などを手伝えというので、例の母親がハワイ生まれで広島育ちの日系人の友人と行ってみた。すると、お寺の大講堂にテーブルが50くらい並べられて、100人以上の人達が、手袋をして、肉を串に刺していた。串焼きが祭りの一番人気商品らしかった。もう一つのグループは黙々と巻き寿司を作っていた。一緒に行った友人は、子供の頃から、この串焼きの準備に参加していると言っていた。会場に行ってみると、屋台を組み立てている多くの男性日系人達が、大工のような格好をして、作業していた。米国に来て、アジア人がこれだけ多く集まっている光景を見たのは、チャイナタウン以外では、初めてだった(私はサンフランシスコとボストンのチャイナタウンに行ったことがる)。サンホゼとシカゴのコリアンタウンにも行ったことがあるが、アジア人密度はこっちの方が高かったと思う。それも、ブルーカラーな格好している日系人(アジア人)を米国ないで、これだけの数を見たのは最初で最後だった。きっと、この祭りの準備をしている人たちは、全部で数百人はいたと思うが、その中の95%以上は日系人だったように見えた。
私と例の東大博士の友人は、餃子を焼く担当になったので、その装置とかもチェックしておいた。初日の土曜に2時間くらい早く着き、餃子を実際に焼いて、試食したりしていたら、開始の時間となった。それから、二人で、8時間以上、餃子を焼いていた。そんなに人気とは思わなかったが、多くの人出で、他の人気商品も売り切れに近い状態だったらしく、餃子もよく売れた。カリフォルニアの夏は、湿度も低く、過ごしやすいと言っても、餃子を焼く装置の周りは暑くて、水蒸気のおかげで、その場は比較的湿度も高い。匂いが髪や服に染み付いているのもわかった。二日目が終わった頃には、二人とも、ヘトヘトになった(その頃は、私も若かった。今なら二日は無理だ。)。住職がやってきて大成功だったと労ってくれた。しかし、二人とも、餃子はしばらく食べる気にはならなかった。
そこで手伝っていたもう一組の家族とも仲良くなった。50代くらいの夫婦は、鹿児島出身で、旦那さんは、高校を卒業してから、60年代に農園での作業員として移民してきた一世だった。日雇いのような形で初めて、自分の土地を買い、私が、出会った頃には、大規模な花を育ている農家になっていた。子供達は米国生まれだが、皆剣道をしていた。日本語学校の後で、家族で帰って行っている姿を見たら、愛車はでかいBMWだった。
この祭りは今でも行われているようで、そのフェイスブックページに写真が載っている。
https://www.facebook.com/SanJoseObon/
サンホゼには大きな太鼓グループもあり、もちろん、サンホゼのお盆祭りでもメインのイベントとなっていた。このグループはお盆祭り以外のイベントでも大活躍している。
https://taiko.org/
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