第91話 家出した18歳女子を拾う。

この題目は、カクヨムで時々見る小説のタイトルに、「女子高を拾う、、、」的なのをみたことがあるので、使ってみた。ここに出て来る女子は、高校は卒業していて、実は、拾ったと言うよりも、転がり込んできたのだった。それは、今の私の妻だった。妻は、年の近い姉と兄がいて、早くから学校に行きたがっていたので、他の生徒よりもやや早く小学校を始めてしまった。キンダーガーテンという小学一年生になる前の準備をする様な学年があるのだが、彼女はそれを飛ばして一年生になったのだった。日本ではキンダーガーテンは幼稚園のように思われているかもしれないが、米国では小学校(ほぼ公立の)にあるクラスである。妻は、姉と兄のおかげで、アルファベットや数字など、キンダーガーテンで習う内容を既に習得していたので、一年生になっても、余り問題はなかった。ただし、これは8月生まれの息子も同じ目にあったが、妻は9月の終わりに生まれていたので、同級生よりも、最低でも4−5ヶ月は若かった。彼女のクラスに、妻ほど若い(幼い)同級生はいなかった。お陰で、体力でかなり遅れを取ってしまい、体育やスポーツでは、かなり引けを取る結果になった。息子も同学年の友人がリトルリーグの年齢制限を超えたのに、もう一年プレイができた。そういうハンディキャップもあったが、妻はフロリダ州のビーチで有名な街の一つで育った(フロリダには有名なビーチが沢山ある)。


ところが、妻の家族に大変なことが起こってしまった。妻が小学校を終える前(たいていの米国の小学校は6年制度だった)、母親が浮気をして、間男と駆け落ちしたのだった。その駆け落ちした先はノースカロライナ州の大山奥、アパラチア山脈の中にあった。最初に逃げ出した先は、母の実家のあったジョージア州アトランタの近辺だった。親戚に身を寄せながら、妻達姉妹・兄弟は学校へも通わしてもらえなかった。母は、浮気相手の子供を妊娠していたが、親族には伝えていなかった。間男が準備したノースカロライナの村へ引っ越した後でも、妻達はなかなか学校へ通えなかった。駆け落ちしてしまった母は、転校などに必要な書類を集めるのに時間がかかり、12歳だった妻は、勉強は遅れてしまった。この頃の妻は、自分と家族に何が起こったのかが良く理解できずにいたらしく、はっきりとしたこの時期の記憶がないと言っていた。2学年年上の姉は、母と間男(その頃には継父と言わされていた)に猛反発していた。その後、16歳になった姉は、学校のカウンセラーに家の事情を告白し、家を出て保護施設の様な所へ入ってしまった。そうすると、母と継父は、他の子供達全員の親権を奪われることを懸念して、夜逃げをしてしまった。姉は置いてきぼりを食らって、家族がどこへ行ったかを知らせられなかったからだ。大人の付き添いで、家に、荷物を取りに行ったら空き家で、誰もそこには住んでいなかった。


姉を置いて、家族が引っ越したのは、元住んでいた、フロリダの街の別の地域だった。母は、自分の兄弟を通して、夫である妻の父がこの街から引っ越していたことを知っていた。この街へ戻ってきた時も、学校へ通わせてもらうまで、2−3ヶ月かかり、またもや勉強は遅れてしまった。妻は14歳だった。その街にも2年も住まず、家族は、間男の出身地である北部のイリノイ州へ引っ越した。妻は15歳だった。引っ越し先は、私の通っていた大学のある街で、彼女は高校へ通い始めた。何度も転校したおかげで、大学へ進むような単位は取れていなかった上に、新しい職を見つけては、上司と問題を起こし、首になることを繰り返していた継父のおかげで、家は貧しかったた。そのおかげで、妻は金銭的にも大学へ行けるとは思ってもいなかった。彼女は、高校では、主に商業科的な科目を取り、高2と高3では、商業実習として、デパートで働いていた。今ではインターンとでも言うのかもしれないが、普通なら週20時間以上は働けないはずなのに、彼女は週30時間以上働いていた。兄も同じ様なコースで、別のデパートで働いていた。二人とも、まだ幼い3人の弟のために、稼いだ金の多くを家に入れる必要があった。ガスや電気が止められたりすることが何度もあり、いやでも、兄と彼女がそれを払っていた。


私は、大学時代のホストファミリー(これは高校時代にホームステイをしたホストファミリーとは異なる)として紹介された家族を時々訪れている間に、妻と出会った。このホストファミリーは、中年の夫婦の下に娘が4人いて、夫は牧師になるための勉強をしていた。妻はこの家の上の娘二人と友達になり、家族も時々面倒をみてもらったらしい。この一家は、教会関連で貧しい家族の援助をしていたのだと思う。出会ったのは、妻が高2なる直前だった。初めてのデートは、ローラースケートだった。私はまだ車を持っていなかったので、寮のルームメイトが送り迎えしてくれた。本格的なローラースケートはしたことがない私が、危なそうに見えたのか、妻は、私に捕まらない距離を保りながら滑っていた。私が転けた時に一緒に引き落とされそうだと言ったので。冷たい女だと思ったを覚えている(笑)。(痛みに関する感覚の違いが主な原因だとその後理解した。私は痛みに慣れていたし、転けても受け身ができた。妻は痛みに関して耐性もなかった。)


2年ほど付き合って、プラムダンスにも一緒に行き、妻は高校を卒業した。妻はそのまま、デパートで就職して、ガーデン関連の部門の副主任にされてしまった。そういうタイトルが付くと、週40時間以上働いても、管理職という言い訳で、超過勤務の時給が出ないためだった。かなりブラックな仕事環境だった。その頃には、一年先に卒業した兄は独立して、同じ町のアパート住んでいた。兄も似た様な職についていたが、底辺管理職として週60時間は働いていた。兄の店は、クリスマス前1ヶ月は24時間営業をしていたので、とんでもないことにあっていた。妻は高三の時、兄の古い車を譲り受けていたが、私も中古のアメ車を買ったていた。私が車を買ったのは、妻とデートに出かけるためだった。妻の仕事の後、帰宅する前に、よく二人で会っていた。妻の休憩の時間に合わせて、食事を一緒に取ったりにも行っていた。妻は、母にうるさく言われるので、私と頻繁に会っていることを家族には知られたくなかった。付き合っていることは知られていた。


妻は高校を卒業して、4ヶ月後に18歳になった。その誕生日に何をしたかも、今では覚えていないが、その頃の米国では18になるとほぼ大人とみなされていた。19歳や21歳にならないと不可能なこともあったし、各州や各市などでそれらが異なってもいた。たとえば、飲酒はこの州では、19歳だったが、私の通っていた大学は、二つの市にまたがって存在していたが、東側の市では、18歳で飲酒が可能だった(アルコール量が5%以下のビールとワインだけ)。もう一つ、皆がよく知っていたことは、親の許可なしに結婚できることだった。


妻と私は割と順調に交際していたが、ある日、妻が公衆電話から私の住んでいたアパートへ泣きながら電話してきた。母と継父と口論になり、家を飛び出してしまったらしく、まずは、アパートに来る様に伝えた。やってきた後、両親との喧嘩の話を少し聞いたが、内容は今はもう覚えていない。もっと家に金を入れろとか、仕事以外は外出を控えろとか言う様な内容だったと思う。もう、独り立ちができる年の子供にそんな事を強要しようとしている親達の考え方がわからなかった。兄のアパートに行ってもよかったのかもしれないが、兄は母との関係を懸念して、妻を追い返すかもしれないと恐れていた。兄のルームメイトに襲われるかもしれないとも少し思っていたらしい。私はルームメイトにも了解を取り、その夜は私のアパートに停めた。18歳になってまだ1ヶ月ほどしか経っていなかったが、もう18歳であった。親の許可もなしで、異性と同じ部屋にいても誰も何も言えない年齢だった(私が誘拐したと罪に問われることもない)。結局、妻は親がいない間に、家から自分の荷物を取り出して、私のアパートへの引っ越しを完了した。たいした持ち物もなかったが、父がくれた木製の収納になるベンチを持ってきた。私のルームメイトのマークは少し躊躇っていたが、了解してくれた。カトリックの彼は、未婚で同棲することはタブーだっただろうと思うが、許してくれた。そう言うわけで、18歳と1ヶ月の妻は、私のアパートへ転がり込んでしまった。私は22歳と2ヶ月だった。

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