第54話 命をかけすぎたと妻に叱られた事件、その1

米国に戻ってきて、今勤めている大学は、かなり治安の悪い場所に面している。以前は、学校が休みになると、高校生が、犯罪の出稼ぎに来ていた。監視カメラ等で予防して、警察のパトロールを強化したため、このような犯罪は減った。ところで、米国の大学は独自の警察組織を持っている。


もう10年くらい前の話になるが、ある日、妻と学外へ昼食に行った後、キャンパスに帰ってきて、駐車場から歩いて、私のオフィスへ戻っていたら、女子大生が、誰かに向かって大声で怒鳴っているのが聞こえた。私たちが歩いていた歩道に沿って小川が流れており、私たちは、ちょうどその川にかかる橋を渡っていた。声のする方へ目を向けると、それは歩道にいた学生が、小川沿いに逃げている若い女性と、それを追う若い男が目に入った。怒鳴っていたのは、歩道を歩いていた女子大生だった。彼女は、その男に向けて、女性を追うなと言っていたのだった。川沿いの二人は、橋の下を通って下流へと移動していった。そこで、私は妻に大学警察へ電話して、すぐに警官をここへ呼ぶようにと言い、彼女は付いて来るなと伝えると、その二人を追った。橋を渡り終えて、小川沿いの歩道を走り出すと、後ろで妻が、行くなと叫んだが、私は追跡をやめなかった。男に叫んでいた女子大生は私の先を行っていた。どうも陸上部の学生で、足は速かった。他に十人程度の学生はいたが、何人かは電話していただけで、後を追う者は私とこの女子大生の二人だけだった。もう一つの橋にさしかったとことで、追われていた女性が、歩道に上がってきた。男も後を追ってきて、ついにその女性を歯がいじめにした。駆けつけた女子大生は、その男の目の前で、彼女を離すように叫んでいた。彼女が男の注意を引いている間に、私は、気づかれないよに男の後ろに回り込んで、隙があれば、男に攻撃をかけるつもりでいた。近くまで行き、後ろから髪を掴んで、足を払って、体を歩道に倒すつもりだった。そこへ、救急灯を点滅さてパトカーが走り込んできた。降りてきた警官は銃を抜いた。未だ、男へ向けてはいなかったが、私は、急いで、その男の後ろへ回るのをやめて、警官と男に対して垂直になる位置に戻った。警官は女性を抱えた男に話しかけていたが、二台目のパトカーがやってきて、もう一人の警官が加わった。そして、男は、女性を離したので、警官二人が、男を地面へ倒した。もがく男に手錠をかけようとして、一人の警官は銃を男の頭の後ろへ突きつけていた。ここで、今度は女性が、警官たちの邪魔をし始めた。後でわかったのだが、二人は付き合っていて、一緒にドラッグをやっていたが、男がハイになって、女性に暴力を振るい始めたので、女性は逃げ出したのだった。男に手錠をした後、二人目の警官はこの女性にも手錠をしてしまった。やがて、手錠された男は、立ち上がらされて、パトカーへ誘導されて行った。女性の方も、二台目のパトカーで連れて行かれた。その前に、警官たちから、事情聴取に警察の建物まで来てきてくれないか聞かれたが、私は予約があったので、断って、もう一人の女子大生に説明を頼んだ。


後で、その女性大生に出逢い、逮捕された二人が麻薬を吸っていたことなどを教えてもらった。妻は、私の行動に、かなり怒っていて、この男が刃物や銃を持っていたら、私の命が危なかったと、かなり説教された。実は、警官が発砲していたら、流れ弾に当たる可能性はあったと思っていた。アスファルトに倒れた男の頭の後ろに突き付けられた銃から発射されたとしたら、その弾丸はアスファルトで跳ね返って、どんな方向に飛んでいったかはわからなかった。そして、この話を聞いた同僚も皆、妻と同じ意見で、見知らぬ若者のために命を落とす可能性がある行動ができるのは驚きだと言われた。それも、彼らは、麻薬の常習犯なのだったし。勇気がある行動だが馬鹿げていたとも何度も言われた。しかし、私は、あの場面で、もし彼女が死んでしまったりしていたら、私が見逃したことで自分自身を許せなくなっただろう。妻にそれを告げると、後に残された自分(妻)はどうなるんだと怒っていた。

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