第51話 再び、相まみえ

 シュガを抱え引きずって、背後に進み運んでゆくリウであったが、うっかり力がゆるんでしまい。その姿勢だとかシュガの重みもあって、よろめき、仰向けざまに倒れそうになり。仮に倒れてしまっても、自らが泥に背を打つだけのこと。そう慌てふためくことではなかったものの、やはり、あたうことならそういう事態は避けたく。のけ反りながらも何とか堪えようと、踏んばり、かつシュガのわきから腕を抜こうとする。諸ともに倒れてしまうことを、避けたく。さりとてシュガが意識をとり戻し自力で立てるようならなければ、結局シュガも崩れ落ちてしまうことにはかわらず。そうではあっても、まずは自分が地にあたった後の方が、幾分かはシュガのうける衝撃がすくなく済むのではないかとも思われ。

 倒れたとてさらに汚れるだけのこと。さらにまた、実際のところ、むしろ倒れこんでしまいたいという思いに傾きもしていて。常にないうごきをしたからか、そしてひとまず大きな危機といえるようなありさまから脱しほっと気のゆるむ部分があってのことか。還る、という感覚がどこかにほんのりとなくもなくて。

 シュガ抱え支えていた腕からふッと力を抜き、地に身をゆだねようとする。目を閉じ、身がまえ。落ちてゆく。首をあげておいた方がよいだろうか、という思慮がちらと頭をかすめる。いらざるさかしらだろうか。そうかもしれぬ。さかしら、いつもいつも吾のすることはそれしかないのかもしれぬ。かすかに苦笑しているなか、腰にあたるもの。えッ、と違和感をおぼえる。土にあたるにしては早く、感触も異なるような気がされて。腰と貝殻骨あたりに、ぐッと喰いこむ。そして、持ちあげられる。はじける、光。目を見開くと、シュガと視線が重なった。シュガの眸子に甦りし、宿る光と力。彼に支えられ起こされていたものだった。

「よかった・・・・」

 リウとシュガは同時に声をもらし。ことによるとそれは、声にはならないものであったのかもしれぬし、どちらか一人のものであったものかもしれぬ。さもあれ、重なりあってリウには聞きなされたのだ。おのれから自然吐露されたものが、相手をもおなじいもので、共鳴しあった、とでもいったように。詮索したり思案するいとまもなくて、リウはシュガの背にまわした腕に力をいれ、

「よかった」

 これは声になっていることを、はっきり自覚できていて。なにゆえか、今回は間に合ってよかったという思いがわいている。今回ということは前回があった、ということになるが、であれば前回とはいつの、いかなる出来事であるのか。そう訝ったり、思いおこそうとしたりするゆとりがやはりなく、ただむやみやたらに抱きしめて。

「・・・・すまんな、遅くなって。しかも、うまい具合にゆかなかったようだな」

 そんなことはない、と首を左右にふる。その動作は、シュガの言を肯定してしまうことになりはするものの、そこまで思いいたることができずにいて。

「なにがあった、のじゃ」

 語る途中で、がくッとシュガの膝からくずおれ、リウは慌てて抱きとめる。意識はもどったかもしれぬが、とはいえまだ調子をとり戻しきってはいないということか。さりながら、問題ない。こうして自分が支えればすむはなしであり。こうして、そばにいてくれるだけで充分。

「大丈夫、後で、ゆっくりはなすから、今は・・・・」

 さて、今はどうすべきだろう。なにができるだろう。リウは口にしてから思案する。味方とはいえぬ人らのなかにあって、この雨のなかで。さりとて、不安や恐れは微塵もなくて。谷間に湧きいずる清水。その、閑かにささやき冷たく澄んであふれ出でたるものが、渇きと熱とを和らげ潤し。あたかも陽光が射し込み、明るみひらいてゆくような。いや、それは単なる内面の比喩に留まることなく、外面である躰をも照らしはじめ。

 ぽつりぽつりと雨がまばらに、そしていきおいの落ち、雲居よりもれ出ずる陽のきらめき。雨粒は光をやどし、散らかしもする。みるみるうちに黒雲の裂け目が広大になりゆき、まばゆい波がふたりへ押しよせ、押しよせ、洗いながしてゆく。圧倒的なその流れのなかにあっては、憂いなど波うち際にできた線でしかない。傷が搔き消えるわけではない。 傷痕はありながらも、それは瘕としてではなく、それすらも美しい紋様のひとつとなせる。否、そも瘕などないのかもしれぬ。もしくは、おなじものを瘕とみるか模様とみるかだけの違いでしかなく。いかに深かったとしても、大きかったとしても、無辺な沃野にあっては眇たるものにすぎず。

 よかった。リウの内には歓びが満ち充ちてある。決して楽観視できうる状況ではなく、それを軽視したり安閑としているわけではなく、その状況をさえ美しく照らし出し彩りされるまでのかぐわしい歓び。こうして無事に--さて無事と言いきれるものかどうか、さもあれこうして会えて、こうして触れ合えて。深いところから湧きくるもので、それは遠い、意識の届かぬところから訪れるもののようでもあって。葉や幹や、草や、花べんがかがよう。虫の鳴き、小鳥のさえずり、風の踊り、きらきらしいしらべ。雨はやみ、どこから来たものか、花びらの舞いおりる。死壊した一帯にさえも。腐食したとはいえ、むしろ腐食したからこそ生まれるけざやかさがあり、生成され得るものがあるのではないか。わくら葉が、朽ち、とけて、土の一部と化しゆくように。

「帰ろう」

 シュガがそっとつぶやく。うなづき、何気なく見上げた空。黒雲はとけ去り、無垢なる白雲のたなびき。見ているうちに、白地に彩りの重なりがあらわれる。赤・だいだい・黃・みどり・青・あい ・紫。彩雲の間に、鳥だろうか、なにかの在るのが見える。四つのもの。朱、くろ、白、あお。鳥のようなもの、亀のようなもの、猫のようなもの、大蛇のようなもの。実際に存在してそこにあるものなのか、ただなにかの拍子で自分にだけ見える、いわば幻覚であるのかリウには判別できなかったが、判別する気も毛頭なく。ただ、喜んでいるようすに見え、それだけでかまわないと思う。地にあり、身近にあるものさえ知らぬものの方が多く、それで不便だとか不満などをことにもつことはなく、円滑な循環のなかにあれば、それは自然という美を織りなしているものだから。

 リウも、つぶやき返す。シュガの背にまわした、むらさき色に染まった指さきに力をこめ、声を抑えながらも思いをこめて、

「うん、かえろう」

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