第79話 縛る紐
さよう。差し迫った危険は去った、というようなことをサンキュウが言っていて。さりながら、確証のあることなのか口からでまかせかなのか怪しいところではあり、でまかせではないにしろ思い違いという蓋然性はうち消すことのかなわぬ。過たずそのとおりであったと仮定しても、その発言のあった状況限定であったのやもしれず。声をあげることのためらわれ、闇雲に進んでゆくのは無謀だと判断はついていて。キン、とまたぞろ脳髄あたりに痛みが馳せぬけ、こうべに両手をあて目を閉じる。ヒオウギの実を溶かしたようなぬめる闇の拡がり。・・・・
・・・のかみ、名は阿明、・・・のかみ、名は祝良。・・・のかみ、名は巨乗、・・・のかみ、名は禺強、四かいのおおかみ、・・・を退け・・・・・・すざく、玄武、びゃっこ、匂陣、なんと、北斗、三台、玉女、青龍・・・・・・・あめのをき、つちのをき、あめのひれ、つちのひれ、あめの・・・・、つちのめむすび、ひのめおのさきみたま、つきのおめのさきみたま・・・・・・・・・・・・ほのけ、みずのけ・・・・・・奇しき三津のひかりを・・・・・・しき光、天の火気、地の火気、振るべ・・・・と、ひとふたみよ
暗中、内部の様子は肉眼では見定め難く。灯りといえば、四方のあかりとりから滲み出る揺らめくものばかり。くわえて香の煙が立ちこめていて、伽羅だとか沈香、それとこれはケシの実だろうか。四隅それぞれに、なにか塊が配置してあるのがかろうじて判別できるのみ。それは布で覆われていて。布越しに誦する音の。その音が具現化して紐となり、四隅から中央へと馳せていて。具現化、ではなく実際に紡ぎ編み上げて作り成したものらしくはあったが、そこにこと葉が、こと葉をともない反応する雷光の如きものが内に満ちて走り。棒であるかの如く弛むところのなく張った紐は、幽かなあかりのなかでもチラチラと紫のいろに燦めき。一筋にはやはり、大きな籠があって、内に何ものかが捕らわれてあるらしい気配があって。そして四筋の紐が縛り上げてあるものとは。・・・・
見えなかった。動くこともかなわぬ。どうやら、縛り上げられてあるのはおのれであるらしく。何ゆえに。躰の到るところに巻きつけられたそれには脈打つような力が漲っていて、香や声も抑圧するためにあることがびしびしと打ちつけてくる勢いから理解され。はっと閃く。ここにある一切合切、おのが身を縛するためにある。なぜに。なぜに、捕らわなければならぬのか。
・・・・山つぼみがはらのさわらびの思ひを知らぬかわ・・・・
室を設け、ここまでしなければ抑えきれぬものであるのだろうか。・・・・いいや、こんなもので抑えられるとでも思っているのか。笑止。ただただ、睡りにつかされているだけではないか。目を醒まし、四肢に意思が充ちゆけば、この程度のものなど。まぶたを開き、手先をうごかそうとするも、重い扉を排するような抵抗感。暫時戸惑うものの、まわりに在るものがそうさせているのだと気のつき、扉を押す手に力をこめて。少しずつ少しずつ開きつつある手ごたえが伝わりくる。と、紐が波立ち。四方から動揺する気色があったかと思うと、籠のうちに光がはじけ、焰のあがり。やはり鳥の形をなしたる燄で、収まりきらぬ翼が籠の外に出でて。隅に坐する、それぞれ異なる色の布を被った者どもを浮かび上がらせる。青、朱、白、黒。 四人は起ちあがり、印を組み、誦する声を高めだしていて。青と朱は金切り声に近く、白と黒は落ちつこうと努める様子。ず、ず、と分厚い石の扉がわずかにわずかにうごきゆき。鳥は羽ばたき籠のゆれ。今の時点ではや、四人に乱れが生じていて。やはりものの数ではない、そう憐れんでいると、
「おォーむ」
鋭い女声が飛び来たり。あッと気がついたときには、身がまえる暇とてなくはじき飛ばされていて。飛ばされる刹那に、声の主を辿ると、かすかにその残像が見え。若い、幼いといってかまわぬほどの女人の影。どこかで会ったことのあるような、見覚えのあるような気のされて。また、あれより先にみた、これも夢想であったのか、宏壮な屋敷の御簾のうちからした声と似た、いや、同じ者のような気のされて。
まなこを開くと、はたせるかなクマザサの海のなかにいて、葉のさざなみ、鳥のさえずりのみしかなくて。キビタキ、いや、コジュケイだろうか。澄んだ明るい鳴き声。いつぞや見し夢が、どうして浮かんだものか。しかも生々しく。縛られていた紐の感触だとか、焚きこめられたケシの実の香がしみ込んですらいそうなほどに。それにしては、夢で見たものとは異なる部分があったような。糸であったものが、紐となり。今思案していることは、気を紛らわすためのことさら意味のないこと、現実逃避だと、自分がでに分かってはいて。分かってはいたが、現状に目をむけても、どうするのが最良なのか思いが及ばぬので。声を発して安全かどうかはともかくとして、胸のうちから訴えを発することはできるのでは。受け手がいれば成り立つもので、トリが無事であれぱ確実に受けとることのかなうであろうし、ハナやツキやカゼも可能ではないだろうか。うっすら懸念されるのは、他の者に捉えられることであり。先ほどの、映像は思い出したものでしかないのかもしれなかったが、その声の主の存在が気にかかってならず。発した呼びかけを、間違いなくその者であれば掴めるであろうと直感されてためらわれ。もとより空想のなかの人でしかなく、実在しないのかもしれぬが、どうも事実存在する人であるように思われてならぬので。しかも、かなりな力の持ち主で、この今いる場所まで特定するのは容易い技のように思われるほどで。
雲の加減だろうか、もう日の落つる刻限か、いつの間にやらあたりはうす暗く翳っていて。べつだん、吾一人いなくとも、なんの支障もきたさないだろう、と判ってはいる。一人放り出されることも、一人っきりでいることも初めてではないし、馴れている、はずで。確かにそうなのだ、よくよく分かっているはずであるのに、何ゆえに、どうしてこれほどまでに。・・・・膝から力が抜けてゆき、くずおれそうになり、このままうずくまってしまいたい誘惑にかられ。どうせ吾などいないならいないでも、と思いながらも、一方では、いやなんとかして誰かを見つけようと脚に力をこめ、顎をあげようと努めて。ものの数にせぬ人は数多いたが、吾一人を見てくれた人らもいたではないか。重く硬く感ぜられる肢体を無理矢理うごかすように、脚を前へ出そうとしたとき、
・・ひら・ひら・・ン・ひら・・・ナウ・ソワカ
「こりやッ」
突然鋭利な声があがり。ざかざか乱れざわめくクマザサの群。球の擦れる音がしたかと思うと、
「アビラウンケンッ」
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