第80話 火の鳥

 ぱしッ。青白き火花がちる如き、音と知覚できぬほどの幽かな音とともに、け色の濃度が切りかわり。潜っていた水から空中へ顔をあげたときのような、うたかたの弾けるような、それらを思わせる気配の淡くうすく溶いたようなかそけき、さりながらとみなる変化。突風が霧を消し散らすが如く。リウはこと葉もなく立ちつくす。

「こらまた、失礼したなァ」

 日の照るなか、翁は印をくみ、肅然たる面つきで宙を切る数珠の方向を凝視して。手より放たれしものは藪まで届かず、地面を叩き。叩くといえども落ち葉ふり積もり、下から徐々に腐葉土と化す上に、であったため、ふんわり受けとめられてはあったが。潜み狙い定めてきていたイノシシが気迫に圧されて逃走した、ということもなくネズミ一匹飛びだしてくることもなく。どうやらサンキュウの勘違いであったらしく、黒髪まじりの短い白髪頭をかき、照れ微苦笑しながら投げつけたものを取りにむかい。暫時足をとめられたシュガはなにを口にするでなく、表情をかえるでなくかまわずに歩みを再開し。リウはすぐに躰をうごかすことあたわず。サンキュウを待つかたちになっていて、老爺の先ほどの直感がそう誤りではなかったような気がされていることまで、既に体感していたと自覚し得ていて。どういうことなのだろうか、不自然なうごきをしていたクマザサの繁みの部分から目を離せないでいたので。そこに答えとなるものがあるとでも言うかのように。サンキュウと同じ時にそこに何かしらの気配を感じとった、わけではなく、そもそもそちらに注意をむけてすらいなかったはずだったが、数珠が宙を馳せゆきそこに目をむけたとき、なにか影のようなものが飛びすさったように見えた気のされ。鳥影よりも薄く素早く。見間違えであろうと言われたら、肯くほかないほど微かに視界を掠めただけのものではありつつも。そしてその残像は、先刻まで陥っていた幻ーーいや、夢だったのだろうか、立ったまま、瞬きをする間のーー、うつつとしか思えぬ景色へ感ぜられることと通じるような、少なくもあったと断言できるようなものでないこととは等しくて。

「・・・・待たせてもうて。モウロクするとあかんなぁ」

 サンキュウが目尻の皺を深くして来るのに対し、いえそんなことはないとかろうじて首をかるく左右に振ってみせ。そぞろにまだ見ていたい気のなくはなかったものの、何も怪しいものはなさそうではあるし、先刻までの出来事が理解できるわけでないことは分別がつき、そこを敢えて押して留まりたいとも言えず、それよりも皆の安否が気にかかることもあって目を離し。それらの他に、何はともあれほっと胸撫でおろしてもいた部分が大きくて。さりながら、いかに動いたらよいものか、もしくは動いてはならぬものか、いかに言ったらいいものか、いかぬものか。迂闊なことをしでかしてしまい、なにかを違えてしまうのではないか、最悪毀してしまうのではないかという恐れを、薄らぎながらも払拭することあたわずに自縄自縛。

「どないしたん。なんやァ、・・・・キツネにつままれたような面つきしよってからに」

 シワを寄せ、訝る顔色をむけられ、安堵がいくらか深まりゆき、ふっとゆるく息をはく。記憶では、カムユイとサンキュウが口火を切り、リウの母の血筋であるところの家系の話だとか、その先祖の二天との関わりを聞かされたものだったが。仮にこれから起こること、すなわち話すことだとして、吾の出自に気のつき、さらにカムユイの樹から天授という存在まで知っていたということになり。秘中の秘と言うことであれば、それを知り得る立場であったということになるが。モミジによると、天孫と密なつながりのあるらしい寺の大僧正であったらしく。さりとてあれもまた実際にあったこと、いた人らであったのか、心もとなくなってきてもいて。この今あるところもまた、はたして確として揺るぎなく存在するものなのだろうか。そも、かく言う吾自身は。・・・・

「ほんまに、どないしてん」

 案じ顔になったサンキュウの語尾が不自然に詰まり、目線の焦点がうしろへ外れ。熊だとかモノノケでも現れたのか。咄嗟にふり返る。身がまえながら。それにしては目の前の老爺に驚愕するいろも、怖じ恐れするいろもないことの引っかかりが意識を掠めはして。さりとて突発的なことに反応が追いつかないということはあり得ることと思え、また、ケモノ臭も嗅ぎとれずにいたものだったが、リウ自身冷静に気にとめられる余裕など微塵もなくて。

 火焔の鳥が、そこにいて。優美で気高く、それでいて猛禽類を思わせる獰猛さをも備え。赫々たる日輪が如きさまに照らされていて、あの鳥だとリウは思いあたり。夢かうつつか判らぬものの、何か月か前に一度、そして先刻も目にした暗い室内の籠に閉じ込められしもの。そぞろに解放してやりたいと思ったもので、かなわなかったが、抜け出すことができたものだろうか。いや、まだ囚われてあるのか。その威容を見なしたのはたまゆら、燃えさかるもののなく、巨大な鳥の姿からしてなく。

 これは、うつつなのだろうか、と目をみはり。焰を内に抱えたおのこがそこにいて。火の鳥がいることよりも揺さぶられるもののあり。

「・・・・もう、行ってしまったのかと」

 まっしぐらに行くシュガに、置いてゆかれたものとばかり思っていたが、

「置きざりになどするものか、そなたを」

 リウの言に秒の間もなく応えるシュガの気色には、いささかの虚も偽りもなく感ぜられ。そうだ、そんなことが今まで一度でもあったろうか。絶ゆることなく燃えさかりつづけるもの。相手の双眸のうちにそれが宿り、その熱によりて生かされてきたのではなかったか。その灯りに足もとを照らされてきたのではなかったか。どうして見失ってしまった、失念してしまっていたのだろうか。


 仏説阿呆陀羅経ぉー、そら阿呆陀羅経

 如是我聞んー、ならぬ尿意ガマン

 ガマンしすぎじゃもれるでな、そらもれるでな

 ・・・・・・

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る