第78話 藪のなか

 ごっちゃなわらす、玉もてではる


 ひんのわらすはくれえ玉


 すいのわらすはしれえ玉


 玉こばはこぶはおっがねぇ


 おっがねぇかみくだきもするニジの神


 はこぶはアメとツチとのゆうとこさ


 かっちゃのリルのふところさ


 ・・・・・・ってツチならす


 サッコラサー


 サッコラサー


 カミユイの木の実の汁で染められし糸。その糸で編みあげられた紐。それを父母のもとで目にした記憶はなく、いや、実際のところはあったのかもしれぬ、反物にし、着物にしてあったくらいであったものゆえ。遠く、あどけなきみぎりのこと、もう朧な彼方にあるものであって、吾ながら確かとは言い難いものではあったが、目にし、ふれ、それどころか結いあわせたことがあるような、その感触までもが指の腹に、たなごころにくきやかに残っていて。いつのことであろうか、それが全く思いあたらずにいて、うつつではまずないと判断できながらも、紛うかたなくあったことのような気のされてならず。文字通り気のせい、思いすごし、勘違いでしかないのかもしれぬものの、うつつの出来事ではなかったのかもしれぬ。夢も、ときおり昼間にぼんやりとして陥るとりとめのない思いも、現の実と違わぬ景色。いや、むしろ現の実よりけざやかに感ぜられするほどであって。なにを思うでなく、子守唄を口ずさんでいるときには、母の声やぬくもり、乳の匂いが、母の胸に抱かれてあったみぎりを思い出す、というよりその時に心身をひたしていたのものであって。ゆめは枯野をかけ廻る。枯野も、花野も、野辺も、見知らぬ場所も。さりながら浸りきれることなく、大声で呼ばれたり小突かれたりして途中で裂き破られて、屋敷の諸雑用を再開させられたものだったが。サッコラサー、サッコラサー。闇に張りめぐらされた糸の、紫の燦めき。・・・・

「(カムユイの末裔が)いずこにかまだいたはると思っておったがなぁ。こら、たまげた、たまげたァ」

 その割りにさまで愕いた様子もなく、駒の首に手をあてながら愉快そうに笑い声をあげるサンキュウ。この緊迫した状況で、声を潜めもせず言笑するとは。リウはさっと四方を見まわし、辺りの様子を窺いつつ、先をゆくシュガの背に目をあて。シュガの耳にもはいったはずだがふり返るでなく足を停めず、とくに気にする気色もなく。

「そないびくびくヨクヨクせんでも、もう大丈夫やがなァ」

 サンキュウはリウの肩をぽんぽん叩き受けあう。何かしら根拠があっての言か、適当に言っているのか判断がつかなかったものの、シュガのようすからだけでなしに、切迫した危険の気配はなさそうな気はされて。いくらかほっとすると、ゆるんだ隙から疑問がにじみ出でくる。淡いものではありながらも。サンキュウのさきほどの言から、伝授の血筋が絶えたというように聞こえたために。そのことを問うと、

「はえッ・・・・」

 と一瞬きょとんとした面つきで目をむけてくるも、すぐに破顔し、

「そやそやなぁ、知らんよなぁ、ベンマルかて」

 並んで歩む若駒に話しかけてから、リウの方へ面をむけ、

「さっきも言うたとおり、二天から追いだされたやんか。で、そのまま済ますやろか、言うことでなァ。追いだされたちゅうか、わしもつまびらかに知らんのやけど。これは、あくまでもわしが思うことやさかい、あてにならへんことやでぇ。まぁ、逃げ出したって方が実態に近いんやろうと思うわ。そやさかいなァ」

 と推察をすべて語らずに、今言ったことさえ忘れたかのように前をむき、鼻唄を唸りはじめ。リウも押して訊かず、引きとって胸におさめ。母が村ではその唯一の存在であったらしいこと、モミジやヨネからも珍しいというようなことを言われたことを等を併せてゆくと、筋がとおりそうではあって。

 と、ふっと閃光のように疑問が走り。そういえば、母は、そして父は、はたして自然死だったのだろうか、と。病だとか事故なのか。突然、ガンと顔面を強打される。そんな衝撃をうけ、立ちつくしそうになり。気持の上では立ち止まり、茫然自失の体。つゆさら思いあたる記憶がなくて。まだいとけない時分ではあったとて、三つ四つのものごころ付いていたころであって。なにより衝撃であったのは、そのことを思い出そうとしたことすら、一度たりともなかったことに思いあたったからで。なんでだろう。いや、それはいい。なにが元にふたりは亡くなったのだったか。思いを巡らせようとした刹那、キンと脳髄に針を刺されたような痛みが馳せて。弾かれたように飛びすさりながら、もとより胸中におけるそれであったが、またぞろ記された憶えに手をかけようとするとキンと耳鳴りがして疼く。幾度となくくり返し、途中で断念したが、幽かに感じとれたものはあって。諍いの声。諍い、とまではゆかぬものか。そう激しくなく、声を高めたり、荒げたりするでもないが、明らかにトゲをふくみ責める気勢の感ぜられるもの言い。母と父との間で、ではないらしい。母だけにか、父だけにか、夫婦揃ったところになのか、ともかくも若い夫婦に対しかけているらしいそれの主は、年配の者のようで。媼なのか、翁なのかまでは判然としなかったものの。静かに控えめに返す気配があり。それはもとより目上の相手への礼儀からがあろうけれど、がんぜない吾子が間近に寐ているために、が主なるものではなかろうか。

 木漏れ日のひろがる。木漏れ日をさらに濾した日のふりかかり。感触としては春の日の、おだやかに晴れた日の憶えであるような気のされて。根方に腰をおろす母の膝のうえにいるらしい。葉はまだ繁くなく、そしてまだ瑞々しい淡いいろで、根の本にも陽光が驟雨のように降りそそぎ。目映くてむずかったりしたのだろうか、母は華奢な手をあげ開き、目のあたりが影になるよう被ってくれていて。野良仕事や炊事で荒れていたのだろうけれど、それでも照らされた薄い手を透けて触れくるもののあり。それは言わずもがな天道の放つものであったが、はたしてそれだけであったものか。たなごころを通し伝わりしみ込む、あたたかさ、労り、慈しみ。それはそのときのみならず、育まれている間ずっと注ぎ込まれてきたように感ぜられ。今もかわらず。肉の身は消滅してしまいはしたものの。かわらずに包み込まれているように思われてならぬ。包まれ、身内に融けて一部となり。・・・・

 リウは、はたと足を止め。はっとしてこうべを左右し、こうべのみならず、躰全体をうごかし、前後左右に目の気色を見やる。クマザサの藪のなか、シュガの背中が見えなくなっていて。サンキュウの姿もない。つい今しがたまで話しを交わしたりしていて、話し終えてからも傍にいたため目にしていたし、鼻唄をうたったり物音を立てたりしていたわけだから見逃しようもないわけで。かつ、なんの断りもなく置いてきぼりにしたりするものだろうか。ベンマルも消え失せていて。いや、置いてきぼりにされたのではなくて、ぼんやり思いを巡らせていたわけだから、知らず識らずに皆とはべつの方向へふらふらとさまよい来てしまったのかもしれず。動くべきだろうか。声をあげて呼ぶべきか。サンキュウは差し迫った危険はない、というようなことを言っていたが、心もとなく。

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