第77話 天授

「こりゃッ」

 突然鋭い声をあげたサンキュウの、投げつけた数珠。重い珠のつらなりが、ざわめき動いていたクマザサの藪にむかい飛んでゆき。

「アビラウンケンッ」

 翁は印をくみ、肅然たる面つきで宙を切る数珠の方向を凝視していて。手より放たれしものは藪まで届かず、地面を叩く。叩くといえども落ち葉ふり積もり、下から徐々に腐葉土と化す上に、であったため、ふんわり受けとめられてはあったが。潜み狙い定めてきていたイノシシが気迫に圧されて逃走した、ということもなくネズミ一匹飛びだしてくることなく。

「こらまた、失礼したなァ」

 どうやらサンキュウの勘違いであったらしく、黒髪まじりの短い白髪頭をかき、照れて微苦笑しながら投げつけたものを取りにゆき。暫時足をとめられたシュガはなにを口にするでなく、表情をかえるでなくかまわずに歩みを再開し。リウはすぐに行くことはできずにいて。サンキュウを待って、というよりも、老爺の先ほどの直感がそう誤りではなかったような気がされて、不自然なうごきをしていたクマザサの繁みの部分から目を離せないでいたので。サンキュウと同じ時にそこに何かしらの気配を感じとった、わけではなく、そもそもそちらに注意をむけてすらいなかったのだったが、数珠が宙を馳せゆきそこに目をむけたとき、なにか影のようなものが飛びすさったように見えて。鳥影よりも薄く素早く。見間違えであろうと言われたら、肯くほかないほど微かに視界を掠めただけのものではあったが。

「・・・・待たせてもうて。モウロクするとあかんなぁ」

 サンキュウが目尻の皺を深くして来るのに対し、いえそんなことはないと首をかるく左右に振ってみせ。そぞろにまだ見ていたい気のなくはなかったものの、何も怪しいものはなさそうではあるし、そこを敢えて押して留まりたいとも言えず、それよりも皆の安否が気にかかることもあって、サンキュウとともにまたぞろ先を行くシュガの背を追いはじめて。

「・・・・かむゆい」

 サンキュウのつぶやき声。独りごちでいるだけだろう位に、リウは気にとめずにおると、

「一見、どこぞの稚児かと思うていたが、出自はカムユイの、らしいのぉ」

 話しかけられていたらしいことに気のつき。カムユイ。モミジは、カミユイと言っていたものだが。面をむけ、そうらしいですねと曖昧に応えると、

「ええて、ええて。やはり一子相伝、門外不出、不立文字。みだりに他人に言われへんことやさかい」

 サンキュウは白い無精ひげの生えた顎をしきりにさすりながら、大きく幾度も肯首して。その反応に違和感をもったリウは、どうやら思い違いをされているらしいと心あたり、モミジから聞かされたことなどを話しゆく。カミユイ、カムユイ、その一族の血統を継ぐ母親からは、ほとんど何も聞かされてはいない。まだ自分が幼いみぎりにその母が亡くなったためであろうか。ほどなくして父親も亡くなって。

「・・・・ナムサン。で、都へ来る、やないか、連れてこられるようなったんやなァ」

 そこまで聞いたところで、これまでリウの辿ってきたおおよそをくみ取れたらしいことが、黄ばんだ皺の間にある目や口腔から察することができて。地であるのかないのか平生惚けた言動、面つきばかりしている老爺とはうって変わって、慈しみに充ちた表情をしていてリウはいささか戸惑い。意外な一面を見せられ、という部分ももとよりあるが、そのような情をむけられるに価するのだろうか自信をもてず、それはされ慣れぬことであったかもしれぬ。

「それで、モミジはカムユイの一族をどないはなしてたんかなァ」

 なんでも、特定の木の実をつかい布を染め、機織りする技術者集団であって。元々は二天に仕えていたものの、二天が別れ(天礼が宮廷から離れ)、それに関わりがあるのかないのか、一族も離れることになったとか。リウは思い出し思い出し、ぽつりぽつりと語りゆき。

「ふん、ふん。・・・・まぁ、それくらいしか(モミジでは)知らんかもしれへんなぁ。詮ないかァ」

 シュガの背を追い、丈たかいクマザサの群生の内をゆく。サンキュウがかき分けるなか、どうやらリウに尖った葉の当たらぬようにしようとしてくれているらしいかったが、まばらな枝でもなく徒労にしかならず。自身もかき分けかき分けしつつ、繁る葉の連なりの立てる騒音、表情の見えぬ状況のなか、サンキュウの話そうとしていることに、必死に注意を向けていて。

「仕えていた、ということにしたい者もおるかもしれんが。カムユイ、モミジはカミユイと言うていたようやが、いずれにしても神さんと繋ぐ役割、力をもっていて、縛ることもできるとやっこさん(モミジ)は言うてたやんなァ。お宮にいたはる天なんとかさんらと祖神と繋げられるのも、天長さんと天礼さんと繋ぐのも、そのお二方と下々と繋ぐのも、そやねんなァ。そやさかい、染めの機織りの業師なんてもんやなくなぁ。そもそもが布を成すんやなく、ひもを織りなすねんでぇ」

 仕えていたわけではなく、神や神と縁のある方々と、それと庶民とも結びつける働きをし、その織りなすものはひも。あまりに話される内容が大きくなり、リウは受けとめながら困惑していると、

「カムユイは本来は、天授と呼ばれててなァ。二天とは別格で、仕えるというなら、二天が仕える立場でなァ。秘中の秘、宮中に関わるもんの他には知らんことでな。詳しいことは知らんけど、天授さんとそのご血統を追いだし、それでやろ、二天が割れてもうてなァ」

「ジュデ」

 リウは思わず口走り。母が一族のことを示し言っていたその名称は、天授に関係するのか、と閃いて。サンキュウに問われそれを説明すると、含み笑いをもらし、

「天授さんの授は、綬でもあってな、ひもって意味もある。大方追放やろから、ジュデとは、綬が出た、綬出ってことやないんかなァ。わかるもんには、わかるように残したはるもんやなァ」

 困惑が全くほどけたわけではなかったが、それでいながら腑に落ちてもいて。ハレの日に父母が身にまとったカムユイの木の実で染めた紫の布のけざやかにきらめく様。誇りかなふたりの立ち姿。そして母は神々しい微光を放っていたのではなかったか。日々村人の相談にのり、額づいて白き大蛇の神のこと葉を受け、伝えていた母。われらは何かを成そうとすることはいらない、あくまでも受け手、まっさらな受け手であればよい。天から受け、そして綬(ひも)づけてゆく。それがわれらの役目。母から聞かされた記憶のないこと葉まで、リウの胸のなかに紡がれてゆき。

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