第88話 暗夜。
ハアラ エライコッチャ エライコッチャ
ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ
あッ。リウは思わず叫び出しそうになり右手で口を抑え、チョウチンをもった左手を胸もとあてて。ふところには、油紙に包んである私信が収めてあり。暑さはゆるやかになりそよ風は心地よかったが、腋につッと汗の流れ。立ちすくんでしまう。
山には山のもののけがいて、海には海のもののけがいると言う。そして町には町のもののけ、もしくはアヤカシがいて。町における代表的なそれは、百鬼夜行と言われるものだろうか。単体ではなく、複数で出没するものらしい。ワラジだとかカモジだとか釜だとかひしゃくだとか、を想わせる形態をしているものが列を成し往来を練りあるくのだそうな。日常で利用し馴染みのある道具に宿る気、というのか霊というのか、それがそのように現れたものなのだそうで。使われなくなった物の、無念によるものなのか、恨みによるものなのか、はたまたそういう感情とは関わりない何かによるものであるのか、分明ではないらしく、そもその実体に思いを馳せるものは稀であったようだけれども。幽霊の正体見たり、枯れ尾花。見ようと思えば見えるものなのかもしれないが、まず見ようとしない者が大半を占めるということらしい。どのようなわけでそのようなモノになったものか、現に目撃しているリウにも分からなかったが、恨みやら無念やら未練やらのなくはないにしろ、楽しげに行進しているように見えてはいて。ミカから教えられた魔除けに効果のあるというお呪いの文句はうろ憶えでよく思い出せなかったが、唱えていなくともどうやら平気らしい。「かたしはや えか・・・・に くめるさけ てえひ・・・・ われえひにけり」というようなもので。
ハアラ エライコッチャ エライコッチャ
ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ
アホの殿さん 地の上さんの
今がそうだよ アホ踊り
アホはええんか 地の上さんの
お威勢いばりだ 底抜けだ
顔は見えねど おみすの越しに
見えたアホづら から踊り
ハアラ エライコッチャ エライコッチャ
ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ
踊るアホに見るアホ おなじアホなら
踊らにゃ損々
通りのまん真ん中を躍るように身体全体をうごかしゆく一行。唄うモノ、鉦をうつモノ、跳び上がるモノ。確かに、ワラジだったろうモノ、カモジだったろうモノ、ヒシャクだったろうモノ等々の一群で、チョウチンはもっていなかったが、それらがそれぞれぼんやり弱い光を放っていてしるくそのありさまが目にでき。目にした瞬間は度肝をぬかれ立ちすくんでしまったが、それらがこちらに気がついているのかいないのか、近づいてくるでも睨みつけてくるでもなく、賑やかに進みゆく。蔭から見ているわけでもなく往来の上にいるわけだから、気がつかぬわけがなく。楽しそうですらあると見てとることのできはじめて、固まっていた脚がようようとけだし、歩みを再開することができて。その一行の進む方向に、リウの目的地である黒雲神社となりがあるため、さすがに傍によってゆくまでは心もちとしてかなわなかったが、おなじ路の端をならんで歩いてゆく。脛のあたりに、時おりさわさわと柔らかい毛があたり。なにを思ってか思わぬでか、ニジがついて来てくれていて。ニジはモノノケ共に毛を逆立てるでもなく、平生の如く足音を立てずにわきに。散歩につきあっているといった風情であり、びくびくすることもないのかもしれないと、胸内が安らかになってゆく。厚い雲がかかっているため月が隠れていたが、百鬼夜行の明かりで、携えてきたチョウチンはなくてもかまわないような状況で。たづたづしはずである路面が照らされ、また、夜盗だとか兇刃をふるうような人間が出歩きもしなさそうではあり、むしろ安全かもしれない。それに、よくよく見てみると、さまで不気味なものでもなく、普段見慣れた道具が大きくなり、いくらか擬人化されただけであり、チョウチンの成りをしたものは中程が裂けたようになってそこが口となり、炎が舌となって、パクパク動かし舌を閃かせ唄っている姿など、愛嬌すらあるように感ぜられて。あまりにも未知なるモノに及び腰にすぎるのかもしれない。そして得手勝手に恐ろしいと決めこんで。そういうことは、よくあるものなのかもしれぬ、不特定多数の人ら、そのうちに含まれる吾もまた、もとより。
・・・・底抜けだ
顔は見えねど おみすの越しに
見えたアホづら から踊り
ハアラ エライコッチャ・・・・
突然、ぴたりと唄声が途切れ、鉦の音がやみ、群れのうごきがとまり。広大な御所を覆う、延々と続く塀がほの白く浮かぶなか、黒雲神社の鳥居が見えてきた辺りに差しかかっていたなかでのこと。足もとで物音がし、目をむけると毛を逆立てて、かすかにうなり声をあげるニジ。一体何に対して。並ぶモノノケ共にではやはりなさそうで、闇夜にきらめく双眸は上空へと向けられてあり。モノノケ共の注意もおなじ方に集まっていることを感じ。そびえる塀の方に。そう察して恐る恐る顔をむけている最中に、化生のモノ共はいっせいに散り散りに逃げて搔き消え。いずこか近くで、戸を開けたてしているのだろうか。古くなった戸の、蝶つがいが軋みたてるような音が立つ。顔をむける前に、リウはミカやコメジイから聞かされていたことを、今さらながらに思い出していた。ここ最近、この付近に、夜な夜なあるバケモノが出現するとまことしやかに語られていると。百鬼夜行とは異なり、単体で。あくまでも風聞でしかないが、その異形のモノの存在、その啼く声に天長は恐れおののき、煩悶されているのだとか。まさか、そんなことが、とリウは疑問を口にしたもので。天長とは天を統べる神の末裔で、地を治める役目を担う、現人神であり、そうであるのならアヤカシなどものの数ではなかろうし、祖神を祭祀しその威光を遍く世にはたらかせているという祭司長がいるのであるから、お宮に悪さなどできようはずもなかろうに。ミカとコメジイは、どないやろねェと言うふうに、意味深長ににちゃーッと笑い。二人共にリウのお上に対する常識的な見方は表向きのもので、実態はちがうと笑っていたわけだったが、彼らの認識も一致しているわけではなさそうで。天長は威信のため神話を創作しただけのただの人間でしかないし、祭司長は呪術師にすぎない。加えて、かつての祭司長を務めた一族には他の能力者らの追随を許さぬだけの力を有していたようだがそれも代を経るにつれ弱まっているのは公然の秘密であり、得体の知れないバケモノが御所の上に現れているのが論より証拠ではないか。はっきりとは言わなかったが、ミカはそのようなことを話し。大筋では間違いないが、真相はべつにあり、とコメジイが語るによると。天を統べる地を統べると言うが、それは天帝を追い出して奪い取ったものにすぎないから当然の成り行きで、最近出るというバケモノも真実の神(天帝)の仕組み、神芝居の一つ。なぜなら、ここに真実の神のひとり子たる地を治めるべき真の現人神がいるのだから、と言外に匂わせて。
ーーなに目あけて寝言いうてからにィ。そんな偉いんやったらぁ、この子についていってやるなり、届けの往き帰りに出ないようにバケモンに言いつけたらどないやのん。
ーーそれは関係あらへん。父なる神さんのしはることやァ、口出しすることやないがなァ。カンナガラタマチハエマセ。
ーーなにがハエマセじゃァ、頭にウジわいてハエたかってるんちゃうゥ。ホラふきのたわごとはどうでもええとして、なんやら恐ろしいやつらしいで、そのバケモン。なんやらいろんなケモノが混ざったような感じらしくてな・・・・・
ミカが聞いたというその化生のモノの姿の特徴を聞かされたものだったが、お宮の上空にいま、リウは現物を目撃していて。曇天の闇夜。百鬼夜行は消え失せ、灯りは片手にした小さなチョウチンのうす明かりばかり。塀の白さが助けになるほどで、辺りを照らし出せるだけのものでもなく。遠目でもあり。中空に静止するそれの細かな部分まで見えることなどあり得ないはずで。あり得ないはずなのだったが、くきやかによく見えて。確かに複合体のようで、今まで見たことも聞いたこともない風体。頭の表面には毛がすくなく老人のようにシワシワで、面長の赤ら顔。胴にはもっさり毛が生え、足には釜のような鋭利な爪があり、ぬらぬらと長く伸びうごめく尾には毛がなく。リウには認識できなかったが、頭がサル、胴体がタヌキ、脚がトラ、尻尾がヘビで構成され。ヌエ、というバケモノなのだそうな。
ヌエは塀の内側の上空で留まっていて。リウが見ていたのは、その側面の姿であり。こちらに気がついていないのだろうか。今のうちに、すぐ近くに迫った目的の場所へ文を投げいれて逃げたほうがよい、と理性で判断はできていて。怯えながらも、動きだせず、仰ぎ眺めつづけ。また、蝶つがいが軋むような音がして。それはヌエの口から出ている啼き声だとわかり。なにゆえ、そうしているのか。呆気にとられて、だとか、恐怖のあまり、だとかで動けなくなっていたのではなく、いずこかで見聞したことのあるような、触れたことのあるようなモノのような気のされてならず、ヌエを意識するともなく観察し、同時に自らの内を観察していたもので。およそ見覚えのないモノ。ましてやリウはトラを見たことがなかったし、そもそも複合体のそれを見慣れている者など皆無のはずではあるものの。さりながら、どこぞで遭遇したものかと、心づくといつの間にかそう思い巡らせていて、そんな自分に訝り戸惑いを覚えつつも。脳裏に閃き、よぎるもののあり。樹木の繁り、せせらぎの音。サワグルミ、クマシデ、ウラジロガシ、ヤナギ。砕ける土のかたまり。うごめく異様な容子のケモノの形をしたモノの群。この景色はなんだろうか。そして、今なぜ思いうかぶのだろうか。
ひュィー。ヌエがまたぞろ啼き、こちらに向ける首。朱で染めたような面にある眼に捉えられ。目が合いながら、リウは不思議と恐れを感じることのなく。サルの首と分かったからだろうか。凶暴そうには見えなくて。なにとなく、哀しんでいるように思われる。罠に捕らまえられたケモノ、そういう印象を受けて。なんとか解きはなってやることはできないだろうかと思っていると、突如、稲光の如き痺れが身内を走り。それはいず方からより放たれた声、力のようで、リウに向けられたものではなくヌエに送られたものらしく、化生のモノの目のいろが変わり。幕が降ろされたように、感情の波が感ぜられなくなり。正気失った(奪われた、か)、と直感す。リウの方へ体勢をむけ、目を見開き歯をむき出す。体全体から殺気が火花のように飛び散り。逃げなければ。いまにも飛びかかってきそうな気勢に後ずさるったとき、ウナォーッとうなり声がして、はっとして見ると、毛を逆立てたニジが前に出ていて。逆立てた上背を盛り上げた姿勢をしているためか、ヤマイヌの成犬ほどの大きさにも見え。が、そういう細かいことなどかかずらわっている余裕はなく、止めて、早く逃げてと言いながら抱えあげようとすると、黒い毛に触れる前にうなりながら走り出し。ほっとしたのもつかの間、ヌエはニジに首をむけていて、そちらの方へと飛びすさり。刹那の出来事。何があって、何をすべきか、それらを瞬時に決めることがかなわぬ状態で、ただただ茫然。冷やりと胸に痛みがすぎて。ニジが大変なことになる、とようよう気のつき、ニジの駆けていった方へ馳せてゆく。自分が行ったところで何ができるのか、と思わなくもなかったが、見捨てることなどあり得ないことで。どうしてすぐに抱き上げ、避難しなかったのだろうか、と悔やまれ。無事にいて、と同時に祈りつつ。
「ぐぎャーッ」
先の方で、奇妙な叫び声が破裂音のようにおこり。脚に力を込め、強くくり返し祈りつづけて。ニジ、ニジ、どうか、どうか無事でいて。
塀の角を曲がると、むかいにある山門だとか柳の木の他、うごく何の姿も見あたらず。リウは息をきらしながら辺りを見まわし。どこにでも徘徊している野良犬すら、いない。叫び声はここからしたと思ったのだったが、気のせいだったのか。ニジはうまく逃げのび、ヌエもいなくなったのかもしれぬ。そう思いはじめ、そう思いたかったからでもあるが、それでもチョウチンをむけて歩きまわって見て。雲が掃けはじめ、月あかりが辺りをしるく照らし出してきていて。
えッ。リウははじかれたようにふり返り。人の気配がした、というか、人の声が聞こえた感じがされて。当たり前といえば当たり前であったが、人っ子一人いず。ははは、とも、ふふふともつかぬ、含んだ笑いというのだろうか、とうとう見つけ出したと言うようなほくそ笑みのようでもあり。そしてそれは若い女人のもの。若いというより、稚いといった方が適切だろうか。いつであったか、いずこであったか、聞き覚えのある声のような気のされ。さりとて実際にたれもいないわけで、何時までも気にとめる用のあるものでもなく、こうべを前にもどし。柳の木にむかってゆく。特段意味などなく、そぞろに幹に触れてゆきたいと思ってのことだったが。見あたらず、いささか安堵し、むろん事実どうなったか分からないため不安はあるものの、とりあえず争ったようすや血痕などがなかったこともあって、戯れというのか気まぐれな思いつきで。根方になにかがあるのに、ふと目がとまり。飛びだし盛り上がった根の一部、ではないらしい。風にふかれて飛ばされてきたものか、誰かの落としていったものだろうか。近づくにつれ、鼓動が早まってゆく。そう大きくはなく、丸みをおび、やわらかそうな、黒いもの。艶やかな黒い毛並み。それが身動きひとつせずにそこにあり。リウは駈け寄り。ニジ、ニジ。・・・・・
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