第115話 サンキュウ

 ハアラ エライコッチャ エライコッチャ


 ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ


 アホの殿さん 地の上さんの


 今がそうだよ アホ踊り


 アホはええんか 地の上さんの


 お威勢いばりだ 底抜けだ


 顔は見えねど おみすの越しに


 見えたアホづら から踊り


 ハアラ エライコッチャ エライコッチャ


 ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ


 踊るアホに見るアホ おなじアホなら


 踊らにゃ損々


 路の通りのまん真ん中を、飛びはねたり躍ったり身体全体をうごかしゆく一行。唄うモノ、鉦をうつモノ、太鼓たたくモノ、笛吹くモノ、跳び上がるモノ。かつては、ワラジだったろうモノ、カモジだったろうモノ、ヒシャクだったろうモノ、ザルだったろうモノ等々の一群には、チョウチンだったろうモノもいたが、元はなんであったかに限らずに、それらおのおのがぼんやり鈍い光を放ち、暗夜をにぎやかに灯す。百鬼夜行というものらしいが、そのモノノケ連の練りあるきにリウは出くわしたことのあり。龍女という屋号をかかげた店の下働きをしていたとき、私信を届けるという名目で深更にゆかされたときに。さよう、それは名目、建て前であって、本音では売り子共の溜飲を下げるためにやらされたことであって。ぬれぎぬを着せられ、ぬれぎぬであることを主は察しつつも、また、察していたからこそやらせたことでもあったことだろう。そこまでの経緯はさまで気にとまらず記憶からはや薄れかけてきてすらいたくらいであったが、歌い踊りしてゆく一行の印象は鮮やかで。脅しにかかってきたり危害を加えようとするモノはなく、明朗で剽げてもいて恐ろしさだとか厭う心もちになることなく親しみすら感じたもので。ただしその後、ヌエというものが現れたものだったが、それは百鬼夜行の一員ではないらしく、剽げたモノノケ連はヌエが現れると途端に逃げ散ったもので。あのヌエとは一体。どうも自然発生的なモノノケとは異なるようであったが。気配として、どことなく不自然なところがあり、その不自然さなのか何なのか、いずこかで同種のものを見聞したことのあるような気がされもしたものだったが、いずこで、何と、であるのか掴めず、気のせいでしかないのかもしれぬ。その不可解に引っかかるものはともかくとして、あの夜の一行はリウにとってほの明るく豊かに思いおこされて。奇妙なことに、祭司長のとるにたりない手駒の一人であるらしいイルカという娘を見つけだそうと往来の人らに鵜の目鷹の目、焦燥感にかられ余裕がなくなってしまうほどの状態になっているにもかかわらずに不意にあらわれ出たもので。およそ繋がりなどなさそうではあるのだが。この辺りに立つものに、御所近辺を思わせるものがあったからだろうか。塀の白さだとか、柳の幹の肌あいだとか。行きかう人がモノノケ連で。そうはいっても町中はいずこもだいたい似たような風物であるし、人からモノノケを思わせる材料は少なく。見た目、というより、発するもの、醸しだすものが明らかに違っていて。モノノケの方が、たいていの人よりもずっと軽やかな感触があり。彷彿させるものなどこれと言ってなさそうではあったのだったが。訝る思いがうすく湧いてきたなか、

「・・・・ナンマイダー、ニーマイダー。ナンマイダー、サンマイダー。ナンマイダー、ヨンマイダー。ナンマイダー、ゴーマイダー。ナンマイダー、ロクマイダー。ナンマイダー、シチマイダー。ナンマイダー、ハチマイダー。ナンマイダー、キュウマイダー。ナンマイダー、キュウマイダー。ナンマイダー、イチマイダー・・・・」

 梢に吹き飛んだ布が絡みつくような具合に、ふっと歌声が意識に侵入してきて、とまり。固いものを叩く鈍い音で拍子をとって、ナンマイダー、ナンマイダーと念仏らしきものを唱えるしわがれた男声。

「イチマイたりないダー。イチマイたりないダー。ナンマイダー、イチマイダー。ナンマイダー、ニーマイダー・・・・」

 人声の繁くあるなかで、ひときわ目立ち、次第にしるく聞こえくる。その文句といい、声の調子といい、聞き覚えのあるものであり、見知っている者だと心づき、ふり返りセヒョを見やると先に気づいていたものだろうか、片頬をすこし歪め微苦笑していて。サンキュウさんだな、と肯いてみせられ。前方から、糞掃衣の文字どおり色あせすり切れた袈裟や、ごま塩頭が見えてきて。

「・・・・ナンマイダー、キュウマイダー。ナンマイダー、キュウマイダー。ナンマイダー、イチマイたりないダー」

 泣くが如く張り上げたとき、

「ジュウマイ」

 と張り上げられたかん高い女声、

「あら、うれしや」

 老爺は欣喜雀躍、声明るみて、


 ヒョウタンばかりが浮き物か


 わての心も浮いてきた


 浮いて踊るはアホ踊り


 一かけ二かけ三かけて


 四かけた踊りは止められぬ


 五かけ六かけ七かけて


 八っぱり踊りはやめられぬ


 九(ここ)の御方にお負けなや


 パーになるんは大嫌い


 パーちゃいまんねんアホでんねん


 踊るアホゥに見るアホゥ


 おなじアホなら踊らにゃそんそん


 ホンモノであるのか彫り物であるのか、サレコウベを握りの部分につけた杖を振りあげ振りあげ、拍子に合わせて地を踏みしめながら。人を間においてだが、カビを生やしたバレイショのような頭の老爺の姿が認められ。こちらが認められるということは、老眼等で衰えているだろうとはいえ、むこうも当然気がつくということになるはず。目が合いもして、こちらを認識したろうとリウは会釈して。こうべを上げ、ぽかんとキツネにつままれたような思いで眺め。キツネに瞞されたとか、化かされたとか聞いたことがあるばかりで、実際にあるものかどうか、あるとしてはたしてそれが野山だとかたまに里で見かけた黄褐色のほっそりしなやかな野性のケモノであるものかどうか小首を傾げる部分はあったが。目が合いながらもサンキュウは気がつかなかったのか、それとも合ったというのはこちらの感触でしかなかったのか、目線をリウやセヒョに留めることなくサレコウベと共に歌い踊り、他にも数人一緒になって手をふり足をあげしている者もいて。近寄り呼びかけようとしたリウは、セヒョに制されて。戸惑いながらも踊りゆく数人を見送り。


・・・・

 九(ここ)の御方にお負けなや


 パーになるんは大嫌い


 パーちゃいまんねんアホでんねん


 踊るアホゥに見るアホゥ


 おなじアホなら踊らにゃそんそん


「じいさん、あいかわらずやなぁ。ほな、いこか」

 いこかもどろか、も何も、いずこへ。リウは掴めず戸惑いつつも、セヒョの後についてゆき。セヒョは巨きく逞しい四肢をかがめ、あくまでも自分は身分が下のお付きとしている、といった具合に腰の低さを崩さずに。威圧感を消し、堂にいったものだったが、そう装おうさまにリウは気をとめることのなく。そのゆとりがなかった、とも言え。イルカを見つけようとそれだけに集中し目を走らせ続け張りつめていた気が、針で刺されて中のくうきが一気にぬけてしぼむようにぼんやり脱力してしまい。サンキュウの陽の気にあてられて。あまりにも力みすぎていた、先ほどまでの自身の状態に思いいたり。冷静になってみれば、そうそう簡単に見つかるものではないことは明白で、気を張りすぎていては持続せずに消耗するだけだろうと。落ちついて観察していった方が、賢明であろう。ようよう幾らか気をとり直し、何ゆえにこちらへ移動しにきたのか、とセヒョに問うと、

「へぇ。・・・・この辺りやと、すごしやすいかと思いまして」

 過ごしやすい、とは。リウは呑みこめないまま、セヒョに導かれるまま柳の木蔭にはいり。確かに人いきれから少し離れて、陽射しを避けられた分、涼しくはあるも。脇に川の流れ。日を返すせせらぎに、梶の葉が運ばれてゆく。ひと群のキキョウがあり、玉の弾けたようにくっきりした色の花が、木漏れ日のなかにゆれ。もの問う目をむけると、

「なんやらボケたように見えるし、なんならボケてもいるんかもしらんけど、あれでなかなか・・・・」

 そばに人がいなくなったからだろう、セヒョが面つきを幾分ゆるめ、こと葉遣いを崩すも、さりとて普段よりも声は低く抑えて。説明らしい説明のなく、言わでものことだからという雰囲気があり、はてさてと考えていると、

「ああ、しんど。くたぶれたわ、わしももう年かのう。やれやれ。直なるも歪める川も川は川、ほとけも下駄も同じ木のきれ」

 サンキュウが杖をつきつき息を切らしてあらわれ、ぼろ切れのような手ぬぐいで顔や首を擦りながらブツブツ独りごつと、ふたりの立つ柳の木のそばに坐りこみ。セヒョに目で促され、往来から幹の蔭となる側に彼と移動し、共に腰を落とすと、セヒョが、

「サンキュウさん、シラギ山でなんぞあったんか」

「ああ、それなぁ。あったっちゃあ、あったようやなぁ」

「なんやそれ。あったっちゃあ、とか、あっちゃっちゃあ、とか、あちちあち、もえてるんだろうかとか・・・・」

 サンキュウはとり合わず、フトコロから竹の水筒をとり出し喉を鳴らして流しこみ。呑みほすと、たらへんわ、と言ってセヒョに川から汲んでくるよう水筒を突きだし、

「なんでオレがせなあかんねん。自分でやりいや。てか、はよ話せや」

 と小声で悪態をつきつつも、受けとり川べりに屈みこみ、持ってきて渡し。おおきに、と受けとりふた口呑んだサンキュウはげっぷをひとつすると、

「あわてない、あわてない。ひと休み、ふた休み、み休み、やで。おぬしらこそふたりそろて、えらい小ぎれいなかっこうして、ええご身分やんか。こないなとこをふらりふらりどないしたん」

「ふらりふらりて」

 セヒョが絶句しているところへ、リウが説明をいれる。セヒョと共にシラギ山へゆき、都へおりてきて、用があって水戸やに向かうも体調を崩したことをきっかけに今もその水戸やと繋がりのあるところに世話になっていること。そして今は祭司長の手先として使われているらしいイルカという女人を探しにきていること。リョウヤとともに。それらを簡約して話し。老爺は細かな事情を問い質すでなく、ふんふんとかるく肯き聞いていて。いや、首をゆらして鼻唄をうなったり、鼻毛をぬいてふっと吹きちらししたりしながらで、はたしてしっかり耳を傾け理解しているものかはなはだ疑わしいさまではあったが。さりながら、つい先ほどまで苛立っていたセヒョは、意想外にそんな様子のサンキュウを咎めるでなく平静な顔をして。頓狂なようでいて牢とした芯をもつ人、とセヒョが先ほど評していた信頼があるからなのか。疑わしく見えなくもないが、元は国家鎮護をつかさどる寺院の大僧正であり、不祥事をおこし(嵌められたものらしい)放逐されたものらしい。そのため瘋癲、もしくはそれ気味になってしまったそうで。ツクツクボウシの鳴く音。かしましい程ではなく、どこか淋しげで。柳の葉がさらさらとなびき。せせらぎの傍でもあるからだろうか、かすかに清爽の気も感じられて。

「なるほどなぁ。ごくろうさんなこっちゃ。その、ノルカやったかソルカやったか、イチカ、バチカやったか。・・・・そやそや、イルカいうのな、見つけ出すんむつかしない思うんやけどな」

 難しくない、とは。二人から、発声をともなった問いが出されるまえに、

「そやんなぁ。にたび見たていうんは、レイさん担ごうってちょうちょうして人集めてるとこやったやんか。やみくもに歩きまわるより、そいつらを見つけるのがええんちゃうか。ま、たまたまでなんの関係もあらへんお人かもしらんけどなぁ」

 戯れ言を言うような、気のぬけたような口ぶりではあったが、確かに一理も二理もあるとリウは刮目させられて。サンキュウ自身が言うとおりたまたまであったかもしれぬが、だとしても浮かばなかった案であり、それはセヒョもそうであろうし、当てのつゆさらなく探しまわるよりも、何かしら目星をつけての方が当たる確率が増すように思われ、ためにサンキュウに対する見方も幾分かわり。なるほど、恍惚としはじめ、悪てんごうなようでいて、凛とした芯があり、というのか、もしかするとそう演じている部分があるのかもしれぬ。善は急げ、とばかりにリウが起ちあがろうとしたとき、

「まぁまぁ、そう、あわてない、あわてない。ひと休み、ふた休み、み休み」

 柳の木の根方の部分の幹を背に、サンキュウは通りにむかい腰をおろし、リウとセヒョは川側にむかい往来の人らからもサンキュウからもふたりは見えない位置につき。かつ、サンキュウは首をまわし見たわけでもなかったのに、どうして起ちあがろうとしたことを察したのだろうか。かけ声を発したわけでもないのだが。気配で、なのか。なぜ急いではならぬのか訊ねると、

「あかんてことはないねんけどな。ニンジンなはなしを聞いてないんやないかな、おもてな」

 ニンジンという高価な薬草があると聞いたことはあるが、お目にかかったことはない。そのニンジンがどうしたというのだろうか。「ニンジンの話」とは、そういうタメになる貴重な話という謂だろうか。リウは意味が掴めずに、あごに指をあてて思案していると、

「そら、カンジンな。・・・・ほうやな、あそこがどんなアンバイになってるか、聞くの忘れてたわ、て、そのまえにおっちゃんが話題かえたんやけどな」

「ナムナム。まぁ言うてまえば、チャラになったいうか、ご破算したいうかな。あそこに残ってるもんはもういないんちゃうか」

「・・・・な、なにがあったんですかッ」

 リウは血相を変え、サンキュウの方をむき。それでも坊主頭の前にまわりこんだり、大声をあげることは辛くも抑え。両手をぐっと組みあわせて。

「まあ、そう案じるようなことはなくてな。なんかが攻め込んできて皆殺しにされたとか、内乱がおきて殺しあいがおこり死傷者多数だとか、災害であらかたなくなったとか、そういうんやないからな」

「そやない、てのを並べたてんでええから、これや、ていうんを早ういうてな」

 セヒョが痺れをきらし、いささか声を高めて促すに、

「ほんま、そう早う早うて、せわしないやっちゃな。・・・はいはい、分かっとるがな。カシラにあたるのんが、解散いいだしてな。そやかていきなり解散いわれても困るわな、ケンケンゴウゴウ紛糾して、いがみ合いとか刃傷ざたもあったりしたみたいやけど、ホトケさんはでなかったみたいやし、なんとかうまくまるまった、まるめたらしいわ。ダンゴみたいに。カシラがな。ひとりびとり、住むとこ、なりわいとするものをアンバイしてやってな」

 それでは、ついこの間、訓練のなかで見聞した状況は事実であったということか。騒然とした最中か、その後であるのか、すくなくも内面的に波立つなかでトリは助けであるのかなにかを求め、想念を飛ばしてきた、ということだろうか。吾などなんの足しにならぬと分かってはいても、溺れるものはワラをも掴むで。そういえば、この間のあの場で、トリが歌っていたわらべ唄を捉えたものだったが。

「あの、ト、いえ、あそこには目の不自由なわらべが四人いて、ともに暮らす女わらべもいたんですが、どこにいったのかわかりますか?」

「都のどっかにおるんやないかな。カシラが手配したおもうで」

「さっきから、なんやらずいぶんあいまいな口吻やな。そこにおったんちゃうの」

「そらおったはおったけど、それをいうたら、おぬしらもおったやろがい」

「おったで。なんや、どういうリクツやねん」

 なにやら口争い、といった様相になってきたが、齟齬をきたしているだけではないかとリウは気づき、

「・・・・集まりをおわらせる、となったときにはいあわせて、最後まで見届けずにあの場からはなれた、ということなのはないですか」

 不毛ないい合いになりそうな間へ、すっと割ってはいり。

「そやそや。どっかのマドのタイボクとはえらいちがいや」

「マドて、ウドや。ウドのタイボク」

「ウドでもアマノでもなんでもええがな、こまかいやっちゃな。そや。なにも、争いに捲きこまれたないて、はやばや退散したわけやなくてな、むしろ諸行無常なさまを見とどけたかったんやけど、ナームー、よび出しかかってお迎えがきてな」

「お迎えて、ご臨終かいな」

「だれがボウレイや。臨終やなく、ややこしい連中がきて連れだされたんでな」

 ややこしい連中とは。なに用があって。そう強くはないものの疑問がさしてきたリウに、

「いつまでもこうしてアブラ売ってたら日くれるで。はよ探しにいかなな」

 とサンキュウが言うと、あくびをし。

「油売るて、おっちゃんがああでもないこうでもないてはなし伸ばしてただけやろうが」

 とセヒョ言いつつも、特段怒っているようすもなく、

「ほな、行きまひょか」

 腰をあげると、主に対する慇懃な態度にあらためて、リウに手を貸し起こし。ふたりが木陰から出るもサンキュウは坐りこんだままで、かるく手をあげふってみせたばかり。くたびれたのだろうか、元気そうに見えるものの。一緒にゆかないらしいことに、リウは一瞬異を覚えたものの、実際のところはどうだか分からないが、サンキュウが付いてきたらひと目につくからだろうと心づき。そう思って見ると、別れしなにふってみせた手も、虫を払っているだけのように見えもしたし、それまでの言行も傍から見て、ふたりと親しい繋がりがあるようには取れないようにという配慮が隅々までゆき届いていたようにも思いなされる。そして、無駄話が多いように思われたものだったが、老爺の狙いだとか、なんらかの力によるものであるのか、気も躰もかるくほぐされ、楽になったように感ぜられていて、表に出さないようにしながらも驚嘆していて。湿っぽく重い霧を、はらい除かれでもしたかの如く。

 サンキュウと川と柳とキキョウを背にして、リウは日に炙られながら、

「なかなかの、大したお方のようですね」

「さよで。なかなかの喰えないタヌキですわ」

 リウは自覚せぬまま、オオダナの子息らしい振るまいをしていて。そしてそれが態とらしくなく、板についていて。いでたちに依るものもあるにしろ、リウにとってこれが本来に近い姿であるのかもしれぬ。本然であるため、意識にのぼり務める必要のなく、ただ、天礼を祀り上げようとする弁者を探すことにのみ意識を澄ませ。


 ・・・・


 かねに恨みは数々ござる 


 初夜のかねをつく時は

 

 諸行無常と響くなり 


 後夜のかねを撞く時は 


 是生滅法と響くなり 


 晨鐘の響きは生滅滅己 


 入相は寂滅為楽と響くなり


 聞いて驚く人もなし


 我も五障のくも晴れて 


 真如の月を眺め明かさん


 きっちりした白装束を身にまとった男女の一対。見物人に取りまかれ。おのこは膝を立てて坐し、抱えた太鼓をうち鳴らし。おみなはセンスを手にし立っていて、センスを巧みに動かし情感豊に歌いあげており。おのこが時おり、チュイムセと合いの手を入れて。若き女人を主人公とした恋情をあつかったものらしく、集まっているものは、比較的おみなの多く見え。赤子を背負ったり、ハナをたらしたわらべと手をつなぎ聞いている者もちらほらと。女人の初々しい恋心が、初々しいだけに一本気に思いつめ燃え上がり、気がなくホラをふいて瞞して逃げだした相手を追いかけて、追うために荒れくるう河川に飛びこみ当然亡き者となり、亡き者となるも肉体がなくなっただけで執念はのこり、蛇と化して追いもとめ、とり殺すという筋のもの語りであるらしい。リウは聞こうともせず、セヒョとともに通りすぎただけであったが、その歌によるものであるのだろうか、オロチの映像がよぎり。どす黒い鱗の胴がヌメヌメとうごめき、ちいさな目をすがめ光らせ、巨大なくちから焱のように紅い舌をちらつかせ。いずこかで覚えのあるさまであり。とぐろを撒いた巨大な軀が、広大な屋敷を覆いつくしている情景。そこに近づいているような気のされて。さりながら、それは歌に対するようにさまで気にとめられることのなく、内側で感じられているばかり。探しているのは、歌や舞いではなく、弁舌であり、そこにいるかもしれない者であったのだから。それがオロチと関わりの深くあるものであるのかもしれなかったのだが。

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