第116話 空蝉の

 むかしむかし、あるところにかわいそうなわらしの兄じゃといもうとがおったと。なんでかわいそうかというとな、まだふたりが赤子のころにオットウ、オッカアからかどわかされてな。かどわかされていった先は、バケモノ屋敷だったと。バケモノどもはようさんおってな、おおきなりっぱな図体でうごけないようなものなどほとんどいなかったけれども、そろいもそろってナマケモノぞろいであったから、じぶんらで飯たきをしたりそうじをしたりをおっくうがってやらずにな、ひとの子をさらってきてはやらせていたんだと。逃げられないように目ん玉つぶしてな。兄じゃもいもうとも賢こくそだったのだけれども、兄じゃはカラダが弱くてよく病にかかりはたらけないことが多く、はたらけないもの、はたらけなくなったものはようしゃなくゴミとされ、ゴミはすてなければとバケモノはなげすてたもんだ。で、兄じゃもそうされることになったと。妹はじょうぶで、兄じゃよりかしこく機転がきいたものだけれど、兄おもいで、兄じゃがすてられると知ったとたんはたらくことをやめ、すてられるようにしむけたんだと。そしてふたりは山のなかにほおりなげられたんだ。ほおりだされたところが、どうやら同じところではなかったのか、ふたりはおたがいを見失うなったと。もしかしたらそう遠くではなかったのやもしれないけれど、それはそれ、ふたりとも目がみえなかった。兄じゃは声をだせないほど弱っているなか地面にたたきつけられるかっこうになったため、息もたえだえ、いもうとはいもうとで兄じゃがすてられると知ってからなにもたべなくなったからおなじくよろよろ。このままのたれ死にするか、ヤマイヌかイノシシかクマにくわれて死ぬかどちらかないかと思ったとき、いもうとはカラダがふいにうかびあがるのをかんじたと。意識がもうろうとしてかんがえることも、うごくこともできなくなっていたため、なんでだろうと疑うこともなく、しんだらどこかへゆくと聞いていたから、むかっているところなのかもしれないとぼんやりおもうばかりでな。

 気がつくとぬくいところにねかされておったと。そこにいたのはおばあさんでな、介抱されて、すこしずつすこしずつ元気をとりもどしていったと。つれのおじいさんをなくした気のどくなやさしいおばあさん、と思いきや、なんとまぁひとをとって喰うヤマンバだったと。女わらしをなぜたべなんだか。木のえだのようにがりがりやせほそっていたからすこしは太らせないとたべがいがないからだったが、おおきくなるにつれ、いかしておいた方が役にたつとおもうようになったからだと。というのは、よくはたらき、あらいもの、つくろいもの、料理もでき、えものをつかまえるよいエサにもなるためだ。山にはいってきたひとらは警戒心がつよく、はものをもっていたりもしたりしてなかなかつかまえるのに難儀したものだったけれど、女わらしがいて泣いていたりすると、かんたんにおびき寄せることができるというあんばい。ヤマンバは喰い気だけ、りようできてべんりだからとおもい、じぶんのおもいにつゆさら気がついていなかったけれど、女わらしをかわゆくおもいはじめていたこともあったんだ。女わらしは懸命にはたらき、ヤマンバからふしぎな術をおしえられて、かしこいからぐんぐんとおぼえていったと。そんなある日のことだ。女わらしがかわにせんたくにいっていてヤマンバひとりが小屋にいて、ねころがりニワトリのほねで歯と歯のあいだをせせっていたとき、とつじょドロにそまったようなオロチが室内にはいってきたと。たまげたヤマンバは飛びおきようとしたが、ときもうおそかったと。ふとい足にからみつかれ、どうにまきつかれ、なぐりつけたり引きはがそうとふる腕ごとまきこみしめつけられ、クビをしめあげられ、もがきくるしみながら、ヤマンバはとうとううごかなくなってしまったと。

 せんたくを干してもどってきた女わらしがよびかけたがヤマンバはなにもこたえなかっただ。ねむっているはずはなかった。ヤマンバのいびきはおおきく、かべをふるわせ外まできこえるくらいのものであったから。どこかへでかけたのだろうかとおもったけれど、部屋にいるような気配もあったと。とはいえ、みうごきするおと、すったりはいたりするおとひとつ聞こえはしなかったけれども。それとも息をひそめていないふりをし、おどろかせようとしているのか。以前されたことがあり、みゃくがとまりそうなくらいおどろいたことがあったからな。よびかけながら部屋にあがりながら、どうもいつもとようすがちがうとかんじていたと。なにかに足をひっかけて前のめりにたおれてしまった。どこになにかあるかすっかりわかるようになっていて、かるくぶつかるくらいはあるもののころげるまではなくなっていたものだのに。なにかおおきいものがころがっていたと。そしてその上にたおれこんだんだ。イシだとかマルタではないらしく、それらよりはやわらかく、ケモノのにおいがしたと。ヤマンバのにおいだとすぐにわかり、これがヤマンバだとわかった。ゆさぶりながら、どうしたのか、だいじょうぶかときくも、まったくうごかず声をださず。くちやハナのあたりに手をあてるとつめたくなっていて、息がとまっていることを知ったと。女わらしはふるえだした。ヤマンバのキモノをつかみかおをあげ、なき声をあげたと。いんや、それはわらい声だった。ようようやった。よろこびにふるえていたと。しんようされるように懸命にはたらき、術をおぼえ、その術によってきえたりあらわれたりするオロチをおこしてヤマンバをしとめたのだったんだ。つぎはバケモノどもをしとめようときめたと。兄じゃとじぶんのうらみをはらすために。兄じゃはもういきているはずがなかったからな。ずずぐろい、とほうもなくでかい影がたちあがる。クチナワ。ヤマンバをしとめ、バケモノどもをしとめるために女わらしがつかうもの。ぬるぬるぬめったウロコのどうたいが、めかくしのように視界をおおう。・・・・

「・・・・ちゃいますか。・・・・さま、あれ」

 背後から声がしていることは何となく分かってはいたものの、肩にふれられてようよう自身に呼びかけられているらしいことに気のつき。なだれ込んでくるように、照りつける日、土ぼこりまじりのぬるい風、ミンミンゼミの鳴くなかに、荷車をひく人やら手荷物をもち早足でゆく人やら話しながら歩く人、人、人の喧噪、が鮮明に意識のうちにあらわれてきて。たまゆらの間、洞穴の闇から外の日なたへ出たときのような、ただただまばゆく目をあけていられないくらいに認識できぬ戸惑いにおそわれるも、すぐに思いだす。イルカという女人を探しにセヒョと町中にきていて、サンキュウと邂逅し助言され、目安になるのではということで、天礼を称揚する弁者とその集まりを見つけようとしている最中であったことに。それにしても、今さっきまで見、聞きしていた映像は一体。おみなの温かい語り口であり、囲炉裏端にあたってでもいるような、寝床のうちでのような、やわらかい胸に抱かれてでもいるような、そして背をゆるやかな拍子でかるく手をあてながらぬくもりに包まれて語りかけられているような感触で、母が聞かせてくれたもの語りがふいに甦ってきたものだろうか。心あたりといえばそれくらしかなく、確かにそういう感じもしないこともなかったが、さりとて、どうもまたそれとも違う感じのされてならず。ゆめさら記憶にないもの語りでもあって、母からのものだったと確かに思うことはできなかったから。さりとて追及して思いめぐらすまでには気にかかるものではないし、いまはいまで目の前にやるべきことがあり、その不審は雲散してゆく。セヒョがそれとなく指ししめした方向に、人のひと群れがあって。近寄ってゆきながら、目の部分を布で被い杖をついた小柄な女人がいないか、ざっと見まわす。

「知ったはる人は知ったはるみたいやねんけど、あの方が床についたはるらしいやんか。そらアラヒトガミいうたかて、アラヒトたるからだがあるわけやから、ぶつかれば青たんできたりたんこぶできたりするし、切れば血ぃもでるやろけど、病はどないやろ。とくにアラヒトガミにおいてなぁ」

「さわりとかモノノケのしわざとかいうて、ああいうかたがたは祓ったりして治さはるんやろ。祭司長はんもいたはるし、ヒコウ山のサイカイさんも祈祷したはるやろし」

 弁者が、天長が病床についているらしいことを話題にしていて、聴衆のひとりが疑問を口にする。ヒコウ山とは、都の北東に位置するところにある山であり、そこには国家鎮護のための巨大な寺院があって、その大僧正であるのが天長から賜った冠位である伝法大師とも呼ばれる、サイカイであり。いかなる謂われがあるものなのか、ときに「十枚目」と呼ばれることもあるらしい。

「それやねんなぁ。そら、ほんまのことは自分らには分からへんけど、どうやら寝こんでいるらしいって風聞ながれてからずいぶんたつやんか。それでアラタマ祭もやれへんのやないか、ていうやんか。あまりにも長ないか、てことやねん」

「ヌエなんていうけったいなんもまだ出るんやろ」

「そやねん。それで気づいたんやけどな、もちろんたまたまかもしれへんけど、あの方が寝つくようになったん、ヌエが出るようになってからやないか、て」

 弁者が言うと一様にざわつき、いっせいに喋りだし、

「ヌエのしわざ、なんかな」

「いや、そうやなくてそれも、おなじ根なんやないか」

「ヌエが、てより、ヌエも、てことかいな」

「昔、タイラノミチザネいう怨霊がたたったいうけど、なんかのたたりなんか」

「それな」

「タタリにしてかて、祭司長さんだとかサイカイさんがついたはるわけやし」

「厳しいて」

「それで一向にようならへんのはどういうことやねん」

「それがぁちゃぁ、ほんまゴメンやで」

「ほんまほんま、わけわかめやなぁ」

 議論を交わすというのでもなく談笑するというのでもなく、和気あいあいとした雰囲気ではなく喧喧諤諤、どちらかと言えば殺伐としながらも一触即発にまではいたらないだろうという余裕のある気色。これはこれで、こういう楽しみなのだろうと、リウは見つつ、群れの外からイルカという女人がいないか目を走らせていて。それにしても「がぁちゃぁ」と言っている者がいたが、なんのことだろうかとうっすら考えたりしながら。セヒョは中にはいりこんでいる。イルカらしい姿は見あたらず。来ていないのか、もう去った後なのか、そもそもこの集まりにいるかどうかすら確かではないわけだったが。要らないときにはよく目につき、必要なときに見つからないということはよくあることで。そうそう都合よくはゆかぬ、ままならぬものがこの世のことわりか。焦り波だつ気持は凪いでいて、セヒョがもどってくるのを待っている。慌てるなんとかはもらいが少ない。待てば海路の日和あり。あわてない、あわてない、ひと休み、ふた休み、み休み、というサンキュウの言った文句がにじみ出してきていて。急がばまわれとも言うし。タマや、ハナ、カゼ、ツキ、トリたちは無事にいることだろう。なにゆえに解散しようとしたのか不明であったが、シュガもきっと無事であろうし、シュガが決めたことで、そうすることが良いと判断したことであれば確かにそうなのであろうし。そうしてくれて良かったと悦ぶ心もちがリウにはあり。

「あんなん、うすぼんやりしていて、あかんやんな」

 咎める声に叩かれて、リウははッと目を醒ましたように目をみはる。あまりにも気がゆるみすぎて、観察がおろそかになっていたため、𠮟られたのかと身を引き締め。さりながらそばにセヒョの姿はなく、見える範囲にもなく、いたとして窘めるにしろあんな大声を発しはしないだろうし、女声であったようだと思いかえしたとき、

「そや、そや。天礼さまにかわってもらわなな」

 と声のあがり、先ほどのものも仲間うちでの対話の一部であったと気のつき。さりとて、確かにうすぼんやりしに来たわけでもなし、じっと見てゆく。吾が内なるものがしっかり隠せているのかにも意識を配りつつ、改めて被い直しもして。集団を眺めていて、それにしても、と感心する。おもしろい演し物をしているわけでなく、弁者もそう語り口が巧みというわけでもないというのに、たいていの演し物よりも人を集めているさまに。よほどあの方々に対し忿懣がたまり昂じているということなのか、日々のままならなさをあの方々のせいだとはけ口にしているということなのか。度合いの違いでしかなく、いずれもおのおのに幾分かずつは必ずありそうであって。ゆえに数多引き寄せられる。灯りにガや羽虫がより集まるように。ときに火に入り、燃えてはじけ。ふと、イルカという女人に想いが連なり。いまはどうも居なさそうで、はたして現れるものかどうか不明ではあるが、もしこういうつどいが目当てよく来ているのだとしたら(それを、こちらは当てにしているわけだが)、なにが目的であるのだろうか。祭司長のささいな手駒のひとつであるらしいから、それを考慮すれば、情報を収集の一環ととらえるのが妥当な線だろう。さりながら、そうとらえたときに疑問はのこり。都人らしくなく婉曲どころか直截に天長と祭司長を非難し、退けて天礼こそ祭りあげるべしと声高に説く見まごうことなき不敬。なぜ検非違使が飛んできて引っ立ててゆかないのか。これらが引っ立てられたと聞いたことがなく、見せしめで厳しい刑を下せば、なくなりそうなものだったが。むやみと民草を刺激しないために控えているのか、それだけの統率力がなくなっているのか、もしくはそこにまで割く余裕がなくなっているのだろうか、何かうかがい知れない理由があって。なんらかの事情があって、ちょっとした探りをイルカにいれさせることしかかなわない、ということであるのかもしれなかったが、リウはまた別の可能性が思いうかびもしていて。別の可能性とは、イルカという女人が指示なく訪れていたのでは、ということであり。関心があり、そこには願いや望みがあるのかもしれない。布で隠してあるため分からないけれど、トリやハナやカゼやツキらと同じことをされたのだとしたら。そんな身で使いっ走りのような役割を担わされ。大元の主たる者らに不満なり憤りを覚えないほうが不可思議ではなかろうか。もう不満なり憤りは湿り鎮火し、諦めだとか絶望しかないのかもしれなかったが。そんななか、素晴らしいと喧伝される者が新たな主となるかもしれないと聞けば、惹かれるのが道理ではなかろうか。少なくとも今いる者らよりはましではないか、と期待したくなるものではなかろうか。一縷の望みを託す、というのか。ふと、途中にみた空蝉を思い出す。幾星霜土のなかにもぐり育ち、這いだしてきて登り、殻をわって繊細な羽根をのばし飛びだつ。胴を伸縮させて音を奏で。三日ほどでいのちが尽きるのだという。幾度となくたましいの脱け殻となったセミを地に見たことか。夕ぐれのなか、空蝉をつまんで見ていたことがあって。短い夏の地の、いとけないみぎりのこと。半透明のかさかさ軽いもの。カナカナの鳴くなか、カラスの遠のく啼き声。吹く風の涼しく。生まれたての残骸を眺めていて、そぞろに悲しくなって泣いているところへ母がきて。どうしたのか、と優しくツムリを撫でられ聞かれ。飛んだり鳴いたりするようになったら、間もなく死んでしまうのでしょう。ながいながい間ツチのなかにいて、やっと出られたと思ったら、あっという間に。なんでだろう、かわいそう。そうか、と母は肯き、たしかにそういう風にも思えるけれど、わたしはそんなにかわいそうとは思わなくてね。びっくりして母を見ると笑顔にむかえられ、たしかに自由に飛びまわったり歌ったりもたのしいと思うけど、もぐっているのも楽しかったりするんじゃないかな。楽しいというのか、それはそれでおもしろいというのかな、苦しかったりつらかったりしないのかもしれないよ。リウは眠ることは厭なのかな、つらかったりする、と聞かれ、首を左右にふり、う、ううん。夢をみたり、おはなし聞いたりして楽しいし、寒いときは出たくないし。セミさんもおなじかもしれないね、眠りがちょっと長くて、起きているのがちょっと短いだけで。長い短いも、セミさんにとっては精いっぱいの時間だろうし。わたしらニンゲンも長く生きるようで、カミさまから見たらすごく短くて、でもかわいそうと言われたら、ちがうと思うでしょう。うん、そうだね、かわいそうじゃないね。・・・・

 いず方よりか、かそけき風鈴の音がして。人声、車輪や足の地を搔く音、セミの音、イヌの鳴き声。騒がしさが繁くあるなかの、微細な間隙をくぐり抜けるようにしてきて届いたものか。盲亀浮木、ウドンゲの花、といった具合に耳した風鈴のささやくような音が、涼しげというより哀しげに聞きなされもして。胸のうちに淡く反響す。ほかにも天礼派の群れがあるかもしれず、そちらへ見にいった方がよいかもしれぬ。今まくし立てている弁者は、今までその主張を繰りひろげていたなかで見た三人目でありみな別人で、つまり弁者は少なくとも三人はいるということになるわけだから、ほかの場所に立ち集めている可能性もあるわけで。移動して探してみるようセヒョに提案してみようかと思い、人なみに分けいってゆこうと踏みだしたとき、おうど色の布がゆらりと視界をかすめて。風に吹き飛ばされ、もてあそばれて舞いきたったのかというようなあてどなきうごきの。さりながら、そうするだけの風のなく。そちらを向き、リウは息をのむ。そこにあったものはツクモ神のようになびき踊る布。などではなく、小柄な人で。目の辺りを被い隠し、杖をつき。・・・・イルカという女人に間違いない。カゲロウのように突如として現れてきたかのような気のされ驚きながらも、もとより人が空間から浮かびだしてくるはずもなく、そんなことがあれば誰かしら目撃して騒ぎがおこるであろうし。リウは呼吸を整え、思いきって近よってゆく。

「・・・・あの、イルカさんですよね」

 いきなり声をかけられたら晴眼者であったとしても身がまえたり怯えたりするものであろうし、ましてや相手は。ために声を抑え、そっとその肩にふれたのだったが、イルカはきやッとちいさく叫び声をあげ、びくッと震えてのけ反りそうになり。倒れそうでもあったため女人の両腕をつかみつつ、

「ごめんなさい。何度かお見かけしていて、知り合いがあなたを知っていると聞いたもので、声をおかけしました。できれば聞きたいことがあって」

 肉づきのうすい細い腕だったが、意外に力強さが感ぜられる。力強さというのだろうか、稲光をうちに収めているかのように痺れをおこし。眉をひそめ、口をきっと結んだようすには、圧するような気迫も見え。およそ今まで見てきたか弱げな女人に似つかわしくない迫力があったが、それが気のせいであったかのようにやんわりと力のぬけ、か細い腕の幼さののこる女人の姿を見せ、

「いえ、こちらこそ、いきなりやったもんやさかい、とり乱してもうて。えらいすんません。どちらさんでっしゃろ、声きいても覚えあらへんおひとやし」

 すこし震えをおびた声は、澄んで高く。リウは名を名乗り、できれば今から時間をもらえないかと問う。

「聞きたいこと、あらはるいわはったけど、なんのことですのん」

 あどけない口ぶり。もしほんとうに祭司長に使われているとしたら、そうそう簡単に口を割ることはなかろう。ましてや人の多い往来で。さりながらリウが思ったのは、彼女がとぼけているだろうという推察ではなく、わらべと言ってもおかしくない年端に見えるこの娘がもし使われているとしたら、あまりにも酷いことだということであり。何も分からずに、利用され、この先利用価値がなくなれば棄てられるだけだろうということで。然り、なにも知らないという可能性が高いのではないだろうか。だからこのまま解放する、ということではなく、当初の目的どおり問い質すというのでもなくーー念のために一応訊くとしてーー、助けてあげられないだろうか、と思い。そう重要な立場にもさせられていないだろうから、いなくなってもさまで怪しまれないのではなかろうか。いったん水戸やに引きとり、トリやハナやカゼやツキらと暮らすという手もあるのではなかろうか。年齢的におなじくらいであるようであるし。

「すこし待っていてもらっていいですか。連れがあるもので」

 リウはイルカに言い、返事を待たずに人らの群れなすあいだにはいってゆく。とげとげしい声と気がイバラのように張りめぐらされたなかを。困惑したように立っていたイルカの口もとが、にやりとうすく歪む。

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