第29話 アカンタレ

 ハナ、カゼ、ツキ。三人の女わらべとリウが初めて対面したのは、ここに到着しすぐのことだった。シュガに案内されて訪れ、タマやニジとともに。三人ともあきらかに刀傷と見られるものが目のあたりを覆っていて、眼球ごと視力を破損せられたありさまを呈してあった。どうやらもう一人、視覚を奪われたわらべがいるらしい。

 トリと称されるそのわらべは、病弱らしくほとんど戸のうちで過ごしているようで、リウはまだいっぺんも会ったことがなく、見たことすらなかった。三人の女わらべは、暗闇だとか障害物があっても対象物を知覚できる能力があるらしいが、もうひとりのわらべは三人より正確で、さらに上まわる能力をもっているそうな。

 馬酔木。先ほどみたそのつぶつぶに連なった花を、リウはなにとなく思いうかべている。脛に、さわさわとニジの毛がときおりふれる。気が凪いできていて、足もとからじわじわわき上がってくる感情がある。昂ぶっていたとはいえ、よくもまぁ他人に意見したものだと自分がでに思う。然り、昂ぶっていたのだと、己が状態に気づかされもする。居たたまれないような羞恥もなくはなけれども、よろこびといったようなものもまた、なくはない。もとよりそれは、やり負かしたという勝ちほこるそれでなく。そういうこころの働きが、花影にゆれていた。


 ・・・・、ひろお、豆ひろお

 鬼のこぬ間に豆ひろお

 やしき田んぼに光るもの

 なんじゃなんじゃろ

 虫か、ホタルか、ホタルの虫か

 ・・・・・・


 わらべ唄をうたう声が、いずかたからか聞こえる。リウは見回すも、それらしい人影は見あたらない。タマには聞こえているのかいないのか、気にするふうも見られない。訊くほどのことでもなかろうと思い、顎をあげて、あッと声がもれた。

「どないしたん」

「にじ、見た?」

「みたて、そこにおるやんなぁ」

「いや、そのニジでなく、天にかかるもののこと」

 あわ雪のごとき雲。そこにうっすりと刷かれた、彩り。うす紅、だいだい、黄、みどり、あお、藍、・・・・。内にひろがる光景に、照らされたように胸のなかが明るむ。

「出てたんや、見たかったわぁ。・・・・ッて、また、こらぁ」

 急にタマの荒げた声に突かれたように見やると、タマは前方左側にむかい、馳せだしていた。視線を走らせると、そこには四、五歳の男わらべがいて、すぐそばにはうずくまる女わらべがあった。リウは小走りに寄ってゆきながら、女わらべが身を震わせ泣いているらしいこと、どうやら男わらべが泣かせたらしいことが吞みこめてきた。男わらべは、きかん気な顔だちで眉じりや目じりをつり上げている。うす汚れ、鼻汁をたらし。

「なんぞされたん?」

 うずくまっていた三、四歳くらいだろうか、小柄な子にタマは声をかけながら肩にふれると、こうべが上がり、

「・・・・うちのな、うちのな、髪引っぱりよるねん。なんもしてへんのに」

「リョウヤ、なんでそんなんすんねん。なんぼなんでも、あかんわ。こななこまい子に」

 タマから叱責されるも、リョウヤは口をへの字にし、うで組みをしたまま何も応えようとしない。リウにとっては初めて会った子であり、状況がよくつかめもしなかったため、

「そう一方的にいわなくても」

 タマにそう言い、リョウヤの前に腰をおろし目の高さをあわせ、

「何があったのかわからないけど、髪の毛を引っぱったり、乱暴したらいけないよ」

 目線をあわせようとするも、そっぽを向かれる。何の気なしに、組まれた腕にふれた瞬間リョウヤの身にびくッと震えがはしり、腕がほどけて飛ぶ。どっと鈍い音が立つ。リウの手を払おうとしただけなのだろうが、脇を見ていたせいもあってのことだろう。飛ばした拳は、リウの頬をうつ。リウは呆然としながらも、こちらを見た男わらべの、自分のしてしまったことに驚いているらしい様子から、故意でないことを読みとる。そこに、こころなしか怯えの影がさした。ためにタマの期先を制し、

「全然大丈夫だからね。わざとじゃないもんね」

 とリョウヤに笑いかける。男わらべの顔色から怯えがきえたかと思うと、探るような目をむけられる。訝しがられているようだ。鼻汁を音を立ててすすり上げただけで、やはり首を縦や横にふるでもない。口を固く閉ざしているのみならず、両手を拳にし、力がはいった肩はやや上がりがちになっている。その姿には、なにとなく、リウには見覚えがあるような気がされる。

 都にきて下働きをしていた屋敷でのこと。ネズミが出ることがあり、見つけ次第駆除されていた。その現場を、一度だけではあるが目撃したことがあった。他の者は手が離せず、キユという娘と二人、木の棒をもたされ、追いつめていった。仔犬ほどもありそうな大きなドブネズミだった。決して可愛らしい姿かたちではなかったのだが、そんななかでもいたいけな、可憐なものをリウは感じてしまい、とても手を下せなかった。なにビビっとんねん、キユはそんなリウを呆れ、あざ笑うと、棒を突きだし突進してゆく。そのときのネズミの気色。最期の場面は顔をそむけ目にすることはなかったのだったが。もっとも生命の絶たれる際のもの音や鳴き声は当然しるく耳にはいりはしていた。かといって、窮鼠のさまが直にリョウヤを想起せられ、というわけでもない。駆除される獣。それに伴いおこった疼痛。胸に濁ったわだかまり。

 そのおりにおこったものは、ひとことで言えば己が身を投影した感覚、ではあったが、そのように単純に掴みうるものではなく、ためにわだかまりもするので。ゆえあって、もしくはゆえなくて、ともかくも人間の都合によって生死を決せられる生きもののたちの哀しさ、寂しさ、といったようなものを感じさせられたのだった。そしてそこには無論のこと、加害者であるところの人間というものが、自分であるという思いも確かにふくまれていて。そんなこともあって、リョウヤを簡易にアカンタレのガキとは思いなせなかったのだ。リョウヤから心のゆらぎを感ぜられていて、顔は土だのアカで汚れてはいたものの、目に濁りがなく、澄んでいたこともあって。

「なんにしろ、はたいたり引っぱったりしたのはほんまやろ。謝ったらどない。口あるんやからな」

 タマは自身の腰に手をあて、声を荒げず言っていたが、感情を抑えている分、余計突き刺すようなものいいになっている。

「そんなに言わなくても。・・・・すこしずつ、すこしずつでいいんだから。そのうちに、謝らないとな、ておもえるようになったら、そのときがんばればいいんだしね」

 リョウヤの目が泳いでいる。表情にためらいのさざめきが見えた。が、きゆっと眉をよせ、

「知らねぇ」

 と言い捨て、駆け去ってゆく。その背中を気づかわしげに眺めるリウ。ふん、と鼻を鳴らすタマ。

「ネコちゃんやぁ」

 ニジは女わらべにおとなしく抱かれ、あやしていた。

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