第40話 吾も偸盗

 屋根に打ちつづく音。屋根より漏れいでて室内に降り、床を、器のなかを打つ音。もとより、土や草木を打つ音。はじける、たまる、しみ込む。水の奏でのふりそそぎ、湧き立つなか、リウは崩れかけた部分もある土壁に目をむけている。髪からあふれだしたものが、頬や首すじをつたいゆく。ゆび先からもしたたる。呼吸が静かに整いゆくことを感じる。大丈夫だ、という根拠のない確信。なにゆえであるか、それがゆるぎなく起ち上がりゆく。

 足早に板を踏みしめる音が近づいてきて、

「そやんなぁ、おるやんなぁ」

 布類を抱えたセヒョが、あからさまに安堵のいろを見せている。リウが疑問をもつ前に、

「親分から、モミジさんな、なに一人にしとんねん。逃げられたらどないすんのやッ、ボケッ、てどやされてなぁ。すまんなぁ」

 舌を出さんばかりの具合に照れた顔色。どこを縛られもせず、錠のかかる戸でもなく、かつ開け放してゆき。脱走するならどうぞご自由にと言わんばかりのありさまに、ただしそれは、すみやかに見つけ出し、簡単につらまえてやる、という脅しみたいなものーー彼らにとっては自信があってのことだろうか、と思わなくもなかったものだが。モミジをはじめとする他の者らは知らぬが、ともかくもセヒョはつゆさらそれを想定していなかったらしいことを知る。さりながら、なぜ吾に謝るのかはとんと分からぬ。

「仮にそうなったとして、わてらが先に見つけられたらええけど。オオカミだのヤマイヌだの、クマだのおるからなぁ、ほんま」

 よかった、よかったと正面から両肩をてのひらでぽんぽん叩かれーー水を吸い肌に張りついているためピシャピシャと音をたてられてーー、リウは目をみはる。おそらく、女人の叱責とはことなる謂であろうと思え。逃げだすことを、ではなく、逃げだして危険にさらされることをこそ、この人は危惧していたらしいことに。そう信じられるだけの、繕いのない真っさらな、無防備ですらある笑みをむけられていて。どうしてこういう人が、偸盗(彼らがそれであるとは大方間違いなかろう)の一味徒党となっているのだろうか。およそ遠くに、この人ほど遠くにある人はなさそうなものだけれども。

「おら、ぼんやりしてないで、替えななぁ」

 躰に毒やでぇと言外に聞こえるような、いとけない子をたしなめるような、それでいてのんびりした口調でいたわるように、まず手ぬぐいをつき出してくる。受けとり手や顔にあてながらリウは、そうは言っても賊になるような人をさまで知っているわけではないことに思いあたる。知っているのはシュガのところにいた人らのみであるし、また、全員と面識があるわけでなく、あってもひとりびとりを深くは知らない。そも、立場であるとか肩書であるものが、その人となりに影響することはあるにしろ、ひとつの人格があってーーそれすら揺らぎのあるものだろうにーーそれによって立場なり肩書になるということは、そう多くはないだろう。そういう十把一絡げである分類は、だれかしらの都合によってなった結果であり、名称にすぎないものであろう。要するに、あくまでも先にあるのは人であり、型(分類)となるものが先にはないということ。ただひたすらそれだけの、素朴な真の実であるということに他ならぬ。そのようなことを漠然とではあったが思いめぐらし、自身を羞じらう。なんとなれば吾とて賊の一員、といえるのだ。およそ役立ちそうになく、まだ手を染めてはいないとはいえ。

「ぼけッとしとらんと、はよ替えな。寒くないけど、濡れっぱなしはあかんわ」

 素早く着かえたセヒョに、突然手ぬぐいを頭に被せられ髪や顔をわしわし力強く揉まれ。めまいがして朦朧としたなかで、肌にはりついた着物を剥ぎとられ、水気を拭き取られ、かわいた物を着せられる。素朴な木綿の茶がかった着物。頭から手ぬぐいをどかすまでの、あっという間の出来事。抗拒する暇もなく。もっとも、拒む気はなく、ただし、同性であっても脱がされることには抵抗感がありはしたものの。慣れているようだな、と感じる。問おうかと思ったとき、

「はなしがあるから来いて。親分がな」

 セヒョから言われる。言われた途端、太い腕がうなじや膝裏にのびてきたため、

「大丈夫、ひとりで歩けるから」

 と手で制するも、

「いやあかん。草履は替えもって来いへんから、床あぶないからなぁ」

 その手をつかまれ、引きよせられて、胸に抱くように抱えられる。それもそうなのかな、と受けいれる。くれぐれも怪我をさせるなと言いつけられているのかもしれぬわけだし。すこしは持ちやすくなるかと、セヒョの太い首に手をまわす。ふと下をみると、セヒョの足にもなにも履かれていず、

「・・・・はだし、なのに」

 セヒョという名も、あなた等代名詞もなにとなく口にしづらくに指摘すると、ああとかるく笑い、

「わては細いころからはだしで野山駆け回ってたし、焼けた炭の上あるかされたりもしたしなぁ」

「焼けたスミて・・・・」

 リウは絶句し、セヒョはセヒョでくわしくは語らず、ただ木板の床を踏みしめ踏みしめ進んでいた。頭を相手の肩にあずけ、目を閉じる。こうして抱っこされるなんて何年ぶりだろうか。ふた親、抱かれる幼かった自身を思いおこさるる。なにがあってか、なくてか、むずかって泣いていたおりに、こうしてゆらしてくれたものだった。そういえば、とふっと思いだし、きゅッと胸が絞められたように疼く。その後も、比較的つい最近、抱えあげられたことがあり、そのおりには父親と錯覚していたものであったが。

 ナンマイダー、ナンマイダーとくり返し唱える声が聞こえてくる。しわがれた、さりながら音程の高い老爺の発するもの。その声の主がいるらしい戸の前にたち、

「つれて、戻りました」

 セヒョは声をかけると、リウを抱えたまま、リウを戸に押しあてる格好にし、戸に手をかける。

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