第39話 ぼろ寺

 ダンゴムシの姿はいつの間にか消えていた。さりともダンゴムシによって点されたいとちいさき望み、願いは湿った胸のうちで滅することなく灯っている。すこしずつすこしずつ、じんわりあたためゆき、乾かしゆく。

 然り。引き離されたからといって、滅せられたわけでなし、なくなったわけでなし。生きながらえ、会いにゆけばよいだけのこと。何とかして、なんとしても。

 揺れの具合がかわってきた。幾分ゆるやかになってきたように感ぜられる。それは気のせいではなく、車輪の立てる音もおだやかになってゆき、そして停まった。

「へんな真似するんじゃないよ。こっちも手荒なまねして傷をつけたりしたくないからねぇ」

 重くなった藁をのけられ、男に躰を縛った繩をほどかれるなか、女人に言われる。御堂のみえる境内。手荒なまねしたくない、なんてどの面さげてそんな戯けたことを。呆れ見やるも、笠の下でおがめない。まだ降りやまずにいて、いくらか乾きはじめていたリウの髪や被服の水気がまたぞろまし、許容量をこえてしたたりだす。逃げたり抵抗したりしないと判断されたのか、縛られることなく歩かされる。もっとも、逃げたり抵抗したりしたところで、しごく簡単に取り押さえられるだろうことは火を見るより明らか。

 大きな造りではあったが、屋根には苔があったりぺんぺん草が飛びだしていたり、壁には朽ちて破れた箇所のある荒れ寺。住職なきあと、廃れたところに棲みついたイタチだとか狐狸のたぐいだろうか、とリウは四人に目をむけずにたわいもないことを考えたりする。人であることは間違いないようではあったが。

 寺の前にくると、ひとりが板木を木槌で打つ。明らかに僧職にないようすの者らが数人、姿をあらわす。頬に切り傷がある者、のぞく腕や胸に彫りものがある者。どうやら、このものらも賊であるらしい。

「へ?!子わっぱひとりやないですか」

 とりわけガタイの大きい、さりながらヒゲのない男が頓狂な声をあげる。出迎えた男らはそう露わに声に出したり色にみせたりはせぬものの、一様に驚きや戸惑いがほの見える。自分という存在は、外見がなのか、想定外であったようだが、だとすれば、いかなる人物像を思い描いていたものだろうか。そも、持ち帰りきたるものが、人であるとも思わなかったのかもしれぬ、とリウはうつむきながらぼんやり考えていると、

「そうだよ。これが例の掌中の珠さね。ぐずぐず言ってないでさっさと連れてきな」

 へいと返事をするその大柄な男に、リウは押しやられる。みな土足であがりこんでゆく。リウはすでに草履をなくしていたため、はだしで、まさに土足という状態。決して綺麗な場所ではなかったが、泥のついた足で階を踏むのはためらわれたが、ゆかないわけにはゆかず。気がひけてそろそろ歩いていると、ふうッと躰が浮く。男に抱えられていたのだった。

「ああ、言い忘れたけどくれぐれも乱暴にあつかうんじゃないよ。わかってるね、セヒョ」

「分かってまさぁ。あても命が惜しいだす」

 セヒョはすこしおどけて言い、まわりの笑いを誘う。

「そうだね、お前は臆病者だからちょうどいいかもね。世話を頼むよ」

 女はかるく笑うと、野郎共をすべてともない、リウを抱えたセヒョとはべつの方向へゆく。リウは唖然とし、笑いがおきたことで些少ながら緊張がほどけたこともあって、

「大丈夫?」

 と思わず疑問が口をついて出てしまう。

「大丈夫て、なにが?」

 小声であったが目睫の間で密着もしていて、聞き逃される道理もなく、かたちとしては親しい間柄に対する問いになってしまってもいて、しまったと悔やんでも後の祭。先ほどからの言動、まわりからの反応から彼は下ッ端で、思いのほか若いらしく、愛嬌があり、いまのもの言いに底意がなくのんびりしたものが感ぜられところから、素直で人がよさそうな部分が多分にあるひとのように思われもして、ええままよと、

「ひとりで歩けるし・・・・、ではなく、濡れてしまうから」

 思いきって口をひらいたものの、さりとて本当のところはさすがに言えずに、辻褄のあうような合わないようなことをつぶやきで返す。

「それに、重くて大変だろうし」

 糊塗するために言を重ねる。そう言ってから、相手の立場だとか自分のおかれた立場はどうであれ、確かに必要もなく濡れさせたり、重い思いをさせるのは申し訳ないことだと心づく。後ろめたさもある。事実だと心づいたということ、それはつまり誤魔化そうと偽るつもりであったということに。人がよさそうな朗らかな者であればなおのこと。

「ふははッ。おもろい子やなぁ。濡れることは濡れるし。けど、ちっとも重いことあらへん」

 確かに軽々と運んでいるようすではあったが、床が盛大にがたぴし鳴っている。踏み破れないだろうかと案じられもするほどに。

「ほんま、なんちゅうか。こないな目にあわされたっちゅうに、気づかうんやなぁ」

 呆れたように笑いながら、そんななかにもからかうような調子はない。力強く、あたたかい。ふっと気がゆるみ、目のふちが熱くなり、はっと気がつき、ぐっと呑みこむ。理由は知らぬがかどわかされた身なのだぞ、と自身に言い聞かせ。

「なんも心配することないで。モミジさんは悪いひとやないからな。・・・・こんなふうにされて、そうはおもわれへんやろけどなぁ」

 リウはかるく肯いてみせる。それより応えようがない、ということもなくはなかったが、セヒョのことは、信用できるような気がされて。

 セヒョはリウを抱えたまま、戸の前にたち、戸の端に足の指をかけ、引き開ける。立て付けもすべりもよくないらしく、軋みをあげながら。

「ぼろ寺やからあれやけど、外よりは幾分なぁ」

 坊内は賑やかだった。したたりの立てる音。あたるものにより、とりどりに鳴る音色。雨もりがあちこちにしていて、うける器がなくはなかったが、あきらかに足りてなかった。ために床のおおきく水に浸食され、朽ちてある部分もあったが、中央のあたりは比較的浸食からまぬかれているようだった。

「(着)替えとか手ぬぐい持ってくるからちょっとまっててな。わいも替えなあかんしなぁ」

 幼子を下におくように、そっと板におろされたリウは内心驚き、セヒョの肩に手をかけたまま目をみつめてしまう。日に焼けてか、顎のはった顔はこげ茶いろで、頬やひたいにすり傷があり、その対比もあってか、けざやかな目の白さ。邪気の見てとれぬ瞳をしていた。

「案ずるな、すぐもどるから」

 リウの様子を心細さと勘違いしたものか、かるく背をたたき、笑いかける。目じりに皺ができる。

 いや、案じるなて、ひとりにして逃げだすだろうとは思わないのだろうかと立ち去る男の背をみていた。確かに脱出するつもりは、リウにはなかったわけだが。すくなくも、場所も現状もつかめぬ今の状態では、無謀でしかないと判断できていたため。そしてこれはリウ自身、意識できぬ域ではあって、もし気がついたらそれこそ驚き消しにかかったことだろうが、もう少しここにいたいと望む思いがわいてもいたのだった。この坊内に親しみを覚えたわけでは無論なく、あの無邪気なひとのそばにもう少しいてもよいかという思い。関心をもった、というかたちであれば、リウ自身不承不承ながらも納得したかもしれぬ。なにはともあれ、いささか混乱してはいたものの、セヒョがいてくれれば平気なような、そんな気がされている。

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