第23話 モリゾウ

 光がはぜる。はなだいろの閃光が堕ち、跳ねあがる、そのさいにはじき出た粒子。ひと粒ひと粒に日を宿し。閃光には新たに、躍動するきらめきと彩りが加わっている。とりどりのみどりのなかで。

 リウは岩場に腰をかけ、清流に足をひたしている。木洩れ日のなか、さえずりを聞き、あごをあげるとヒバリが羽ばたいていた。

 傍らにはたらいが置かれてある。洗い、絞ったものが積まれてあった。ひと仕事終え、憩うなかで、カワセミが川面を刺し、踊るアユをくわえ飛び去る一瞬間を目撃したのだった。

 両腕をあげ、伸びをしてみどりの気を胸いっぱい吸いこみ身内のすみずみまで沁みわたらせ、はき出す。都にくることになってから、いや、ふた親が矢継ぎ早に亡くなってからか、こんなにまでおだやかな清しいときをもてることになろうとは、リウは夢にもおもわなかった。ましてや、賊のなかにいて。


 ・・・・・・

 六枚屏風をたてつめて

 すっぽりかっぽり 泣きしゃんす

 なにが不足で泣きしゃんす

 なんの不足もなけれども

 わしのおととの先松が


 数回耳にしたわらべ唄を口ずさむ。こちらへ初めてきたときに聞いた唄。雑多なひとびとの棲むここには、わらべが十数人ほどいて鞠つきをする子らもいたが、子らがその唄をうたっているところを一度も見聞したことがない。耳にした数回は、なべてひとりの発するもの。

 発していた者はわらべではなかった。歌うというよりぼそぼそ唱えるようにうなっていた者は、大きな傷痕を負い、左目と左耳を欠損した老人だった。もしかすると齢としては壮年であったのかもしれぬが、老いさらばえ、老人にしかみえぬ姿をしていた。およそわらべ唄とは縁のなさそうなようすではあったが、ぼそぼそ擦れたしわがれ声の持ち主はその男のものでしかなかった。

 男は、モリゾウと呼ばれていた。シュガの親だとか親族ではなさそうだったが、師匠格にあたる者であったようで、特別なあつかいを受けている。三度三度の食事が運ばれ、願いがあればーーもっとも常時願っていたようだがーーナナカマド酒が運ばれる。この辺りではガマズミ酒がよく吞まれていたようだったが、モリゾウはナナカマド酒が好みらしい。いずれも紅い実に染まった液体で、酒をのまないし吞みたいとも思わぬリウには見わけがつかなかったが、ナナカマドの方は酸味や苦みがあるらしく他に積極的に吞みたがるものはいないのだそうな。

 モリゾウは素面であれば寡黙で、粗暴な真似をしたりせぬもの静かな男だったが、酒をなめはじめると気分の乱高下がはじまる。ふだんから食が細くなっているようだったが、そうなると一切手をつけなくなり、つけたとしてもそれは口にするためにあらず、払いとばすことが、日常茶飯事にあった。

 そんなモリゾウであったが、ひとりになるとときおり、つぶやくように歌うのだった。モリゾウにとってどういう意味のある唄であるのかリウは気にはなっていたものの、そばに誰かいるときには決してうたわず、誰にも知られぬようこっそりやっているつもりらしい気配があるため、問うことができずにいた。だれもその意味を知らないようすだった。まず、関心をもつ者がいないようだった。頻繁に接するようになっていて、そのうち機会があれば聞いてみようと思っている。聞いてみたいことは、他にもあった。

 そろそろ行かねば、と水から足を引き上げる。たらいの中身は、もちろん自分のものもあったが、モリゾウのものが主にあった。

 こちらに初めてきた日、シュガに連れられモリゾウに紹介された。それは特段理由だとか目的があってのことではなさそうだった。そしてモリゾウのと同じような、ちいさいながら、茅葺きの一軒家をあてがわれた。タマは女わらべらとともに寝起きする運びとなり、ニジもそちらにいるようだった。とはいえ拘束されているわけでもなく、リウのところに泊まりにくることもあるし、ニジはニジで居を定めずあちこち行動しているらしい。タマの見聞きすることを聞かされ、ここにあるあれこれを教えられつつあった。

 イノシシ女がおハツといい、その旦那がゲンタということや、トカゲ女がミワアキだということなど。ミワアキは独り身で、壮年以上の男子であればだれかれかまわず秋波を送るのだそうで、おハツとのいさかいを見たものだったが、似たような騒ぎをよくおこしていて珍しくもないとのこと。

 あのとき、おハツは猛々しいさまをみせていたが、情にあつく面倒見のよい女なそうで、子が三人いたが、タマなど身よりのないわらべらの世話も主だってしているのだそうな。リウも、もうわらべという年齢ではなかったが、気にかけてもらっていてよく声をかけてもらったり、作りすぎたからと菜をもってきてくれたりしていた。また、夫からでも聞いたのか、

ーーうちのアホンダラが怖い目にあわせたみたいやけど、堪忍な。根は気のええやつやから。だらしないとこあるけどなぁ

 と腹をゆらし笑い、請けあう。いまは仲間になったのだから、心配するな、と。

 かつて自分を殺めようとした男も気にかかってはいたが、それ以上に気にかかっていることがあった。ハナ、カゼ、ツキ、もうひとりいるらしいが、その子らの目の損傷。ひとの手による意図的になされた所業であることは明白な痕であったが、それがここのひとらでないこと、ことにシュガのしたことではないことを希っていて。幸い、といってよいものか、よそでやられたことであり、シュガが拾いあげたのこと。

ーーけったいなとこあるおっちゃんやけど、わりかし懐ひろめやし、生ぬるいことせんとおもうわぁ

 けだし、シュガがやるとなれば視力を奪うだけで留まらぬだろう。そしてそれだけのことを、あの幼い子らがしたのだろうか。もし仮にすべてあったこととして、それで引きとったりするものだろうか。確証のない、いわばタマの感じ想うものでしかない言ではあるものの、同感し、羞じらう。タマのような稚いわらべのゆれずいるなか、疑いの念をおこしてしまう自分に対して。ただ、それは信じたいという希い、期待があるがゆえのことではあった。そういう働きを自覚できていなかったための羞じらいではあったが、自分がでにそういう働きをなにかしら感じての羞じらいでもありそうだった。

ーーそれより、えらいもん押しつけられたみたいな。どんくさいからなぁ。

 会うたび、毎回タマからいわれる。リウを貶すような文句で、ちょっと憤りもみせるが、その主はリウに向けられたものではない。その気色がわかるからこそリウは逆になだめにかかる。

ーー大丈夫だよ。押しつけられたわけでもなく、なんとなくだけど、自分でやろうおもったことだし。このごろは接しやすくなってきたしね。

 強いられたことであれば、苦痛であったのかもしれないが、自主的に手をあげたことだった。そして屋敷での奉公に比して、労力としても全然らくではあった。

ーーほんまなん?

 うん、と微笑んでうなづいてみせる。そのおなじ応答が、次第に自然なふうにできるようなってきていた。

 モリゾウの身のまわりの世話を、リウが担当することになっていたのだった。

 よし、そろそろ行こうと再度自らに声をかけ、たらいを手にしようとして、たらいの縁にウスバカゲロウがとまっているのを目にした。

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