第22話 洞穴のまえの男
・・・・・・梅の木に
雀が三羽とォまって
なかの雀のゆうことにゃ
ゆうべござった花嫁御
六枚屏風をたてつめて
すっぽりかっぽり ・・・・・・
どこからともなく、かろうじて聞きとれるほどの幽けき音の量で、わらべ唄が流れくる。その声はいとけないものではなく、しわがれた男声。か細く、途切れがちな。
かすかな唄声は、漏れいでていたちいさな家屋の戸のまえにシュガが立つと、気配を察したものか、栓をしたようにぴたりと止む。シュガはリウと眸子をかさね、ここにはいるぞとかるく笑みうなづいてみせる。
「われじゃ。はいるぞ」
シュガはそう言いはなつと、返事を待たずに戸をひき、足を踏みいれる。灯りひとつない暗がりに、リウはおそるおそる敷居をまたぐ。ツンとすえた臭いが鼻をつく。体臭のみならず、なにかの腐った臭い。
「もう寝てたのか。失礼するぞ」
「なにが失礼だぁ、勝手にはえってきて。なんの用だぁ」
その声は、唄声と一致する。擦れ干からび、のびがない。ただし、芯にしたたかなものを感じさせる。残滓といったらよいか、かなり強靱であった時代があり、その気色がまだ濃ゆく漂ってはいる。そういうさまとは別に、リウの意識がとらえようとする何かがある。見定め難く、しっぽさえ掴めずにいるが。
シュガはかるく笑って取りあわずに上がりこみ、木ッ端を囲炉裏のおきにつっこみ着火させ、燭台のうえに灯す。ちいさい火が暗がりを隅へと追いやる。
あッ、リウはすんでのところで声をあげそうになる。戸からもっとも離れた位置にある壁際にのべてある寝床。そして、そこに上半身をおこしていた者をうかび出す。突然の照明にまぶしかったためだろう、水でもかけられたかのように片手をあげ顔のまえにおき、面をしかめて目をしばたたかせている男。幾重にも傷痕の刻まれた手がおろされ、こうべが現れ出る。
獣の爪牙にでもかかったのか、顔面の右側の目にあたる部分から耳にあたる部分まで肉がごっそり欠け落ち、聴覚はどうだかわからぬがそちら側の眼は完全に失っている。損傷を免れた部分には、年月のもたらす老いが刻まれ、肉の厚みも減じている。着衣の上からでも、肩や胸のうすさがみてとれる。リウは唖然とし、うろたえるもなんとかそういう自分を抑制しようと試みる。だいぶ萎びてはいたが、夢で目撃した人物。土や垢にまみれたわらべに、洞穴のなかにはいるよう指示した。その声色が年経ていまの状態になったというのにも、違和感はない。
あれが単なる夢ではなく、現をうつしたものであったとして。あれは幾とせ前のことであったのだろうか。あのわらべはどうなったのか。あのわらべはやはり・・・・・・。リウが動揺しながら巡らせる思いを老人に断ち切られる。
「誰だ、そえつはぁ」
シュガに問う声の調子にも、シュガに問いつつもリウを睨めつけるように見据える独眼にも、猜疑心が満ちている。
「また食べてないようじゃな。いくら頑丈でも、酒ばかりではな」
ちらっと辺りを見まわし、もう若くもないのだし、とまでは言わずにおく。囲炉裏には鍋の類もなにもかかっていない。はね飛ばしたのだろう、椀や箸が部屋の隅にころがっていて、その中身であったものは当然飛び散っている。近くにあるのは、徳利だけだった。
「なにをッ生意気な」
老いたる男はリウから目線を外し、シュガを睨む。小刻みに震える手をこぶしにして持ちあげる。
「はははっ。退散じゃ、退散じゃ」
シュガは頭頂を両手でおおい、殴られまいとするしぐさをし、リウのそばに降りてくる。
「いまさっき着いたものでな。ご機嫌うかがい方々、紹介しようとおもうて」
そう話すと、リウの背に手をあてる。あまり近づきたくなかったが、シュガに背をおされリウは数歩まえに進みでる。寝床のおとことリウと、ほの灯りのなかにおいてだが、お互いにそれなりに知覚できる距離にはいる。見覚えがあることに対する驚きはあったが、恐ろしげにみえるさまに対しては、見覚えがあるからなのか、ことさら愕きだとか恐れはなく、嫌悪するおもいも湧かない。自分が招かれざる訪問者らしいことに、気がひけるばかり。もっとも、このひとが待ち望んだり歓待するような者はまずいないらしいことは、このありさまから明白であるように見受けられはしたが。
自己紹介といっても、名を名のることしかなく、出生地のことや、都に出てくる経緯だとか出てきてからのことも話すべきだろうか。興味をもたなそうであるからーー自分がでに興味をもてるおもしろいはなしでもないと思いもし、黙って片目の凝視をうけていた。ここで笑顔をつくったほうが、あらまほしだろうけれど、そこまでの度胸も余裕もリウにはもてず。ただ、目を逸らすまい、とだけは心がけ た。目を外したり顔を背けたり、それは失礼にあたると思いなされ。
鋭い切ッ先を突きつけるがごとき視線。もっとも効果的に息の根をとめられる急所をさぐる動き。それでいて、リウは気持が静まってゆくのを感じる。追いつめられ、もうこれまでだと観念した、というのとも違う。猛禽類が生きるため、命をつなぐために狩るのに等しい、生一本な情熱を見いだせるような気がされて。シュガにも通じるものがある、とおもわれもして。
ふっと視線がゆるむ。表情もゆるみ、心なしか笑みのようなものがうかんだようにみえた。
「わかったけん、もう去ね」
損傷のため引き攣れた唇の右はしをふるわせぶっきら棒な口調で、しっしっと言わんばかりに手を振ってみせたが、不快そうなようすにはみえなかった。
ふたりが出てゆこうとしたとき、男はぼそりと独りごつ。リウやシュガの耳に届いたものかどうかは、わからない。
「・・・・・・おもしろい子だ。珍しゅう」
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