第31話 青びょうたん

「あアッ」

 リウがタマの方へ首を傾けたとき、とみにタマは声を張り、右手を持ちあげる。

「なんやぁ、どないしたん」

 えッ、どないしたんて、なにが。聞こえてくるわらべ唄について問おうとしていたときだったため、そのことに関連したものかと刹那おもい当惑するものの、すぐに違うと察する。タマには声にならない声を読みとる能力はないはずであり、なによりその目線がむけられているのが自分ではなかったのであるからして。目線をたどろうとしたとき、いままでになく鮮明に耳に響きくる、唄声。


 ひろお、ひろお、豆ひろお

 鬼のこぬ間に豆ひろお


 このときになって、リウは不意に覚った。これは耳朶にふれ、鼓膜をふるわせて知覚したものではない、と。鳥の音、草や葉のそよぎ、タマや自分らうごくものの立てる声だとか物音。それら外部の事象、否、内部の動悸などともふれることなく交わることなく、畢竟なにものにも妨げられることなく、聞こえてくる。決しておおきな声ではない。さりながら、あたかも息づかいが感ぜられそうなほど近くにいて、聴かされているような風情。


 やしき田んぼに光るもの

 なんじゃなんじゃろ

 虫か、ホタルか、ホタルの虫か

 虫でないのじゃ、目のたまじゃ


 実際に、物質的距離としても、歌う主のいる場に近づきつつあり、ほど近いところまできている。そんな感覚がされてならぬ。

 向かう先、であり、タマが目をむけ声をあげた方向に、三人の女わらべ。ハナ、ツキ、カゼが家屋のひさしの下にたたずみ、こちらの方をみて笑みを浮かべている。リウらが間近に立ち、ここで何をしているのかとタマがまたぞろ問うと、

「そら、タマちゃんとかリウにいさん待っとんたんに決まってるやんなぁ」

 ハナがそう言い、ツキとカゼとともにくすくす笑いあう。

「ようわかったなぁ。いうてへんやんかぁ」

「ニジちゃんもいてるなぁ。聞かんでも、うちらにはお見通しやねんでぇ」

 ツキが得意げに言うと、

「ま、ほんまはトリちゃんがな、そろそろ来るいうてはったんやけどな」

 とカゼが説明した。

「そうなんやぁ。あんばいどないやろ、おもっとったんやけどなぉ」

「わりとええ方ちゃうんかなぁ。トリちゃんも会いたいいうてたしぃ」

 リウは、女わらべらにともなわれ、敷居をまたぐ。タマをふくめ、五人のわらべが寝起きしている住居なのだとタマからはなしだけは聞いていて、いま初めて足を踏みいれる。土間は掃かれていて、上がりがまちからから内も散らかりはなく清潔にされてある。食事等、大人の世話がはいるそうではあったが、床をのべたりしまったり、掃除など身のまわりのことはハナ、カゼ、ツキがなんの苦もなくやるのだそうな。掃き清めでは、ツキがよく意識をはらせていて、いい加減にやろうとしたタマを叱ったりしたこともあったのだという。塵いうんはすみにたまりよるねん、すみ念入りにせななぁ、などと。

 上がりがまちに腰をかけ、足もとをみたとき、リウは気がつく。ニジがそばにいない。目を走らせると、戸の外にすわっていて、まるい背をみせている。タマも気がつき、

「なんでこないんやろぉ」

 連れてこようとあゆみ出すのを、リウは引きとめる。いまから病身の子のもとへとゆく。なにが障りになるかわからぬため、連れてゆかない方が無難かもしれぬと思いなされ。タマは察したのかどうか、あらがうことはしなかった。

 室内にあがり、リウをはじめ五人が閉じられた戸のまえに立ったとき、招じる声。

「おはいりぃ」

 声を耳にしたリウは、かるく衝撃をうける。最近聞こえていて、つい先もしていたわらべ唄。いずこから、また、だれかなのかも見さだめられずいささか気になっていた声であったから。かるく衝撃をうけつつも、なにゆえか、さもありなんと肯くこころもちもされている。

 トリというわらべは、床の上で上半身をおこしていた。青白く、痩せこけた男わらべひとり。ハナ、カゼ、ツキとおなじく目にあたる部分に、刀で欠損せられた痕がある。さりながら、顔のむきはしっかりとリウにむけられていて、リウ自身、認識されていることを自覚している。視線、といったようなものを感じていて、戸からはいる前、家屋にはいる前、訪れようとしていたとき・・・・・・いや、もっと前からだろうか、それがあったような気もされている。もしかすると、時おりあのわらべ唄が聞こえてきたときに、視られていたのかもしれなかった。

「ようよう会えたなぁ。ニジちゃんは外なんやなぁ。ええて、ツキちゃん、よばんでも。ひとりだけでも、えらい強いもん出してはるから、ニジちゃんまでいてたら、わての身がもたへんわぁ」

 動きにともないおこるもの音だとか空気のゆれを鋭敏にとらえている部分もあるのだろうけれど、目を通さずに脳裏または胸中に鮮明に像が映し出されてあるのだろう。当たり前のように、注意をむける対象に顔をむける。それがすこぶる自然なしぐさなのだった。

 トリはリウとかるく挨拶を交わしあい、暫時面をむけていた。こころもち緊張しているらしいことが、対しているリウに伝わってくる。同時に、隅々くまなく、外見だけでなく内面をも凝視せられ探られているらしいことをリウは感じている。と、視線がふっとゆるみ、トリの表情がやわらぐ。といって、そう目立つほどこわばった顔色をしていたわけでもなく、微細な、あるかなきかの変化ではありながらも。

「こら、間近やとよけいわかるなぁ。えらい大きくて強いもんもったはる。お頭さんくらいのひとはいてへん思ててんけど、お頭さんくらいのひとがいてるんやなぁ。ことによると、お頭さんより。・・・・いまんかんじやとぉ、ひょっとするかもなぁ」

 ちいさくなめらかな顎に手をやり、小首をかしげとつおいつ思いめぐらす気色。賢しげではあったが、無邪気なこどもらしいしぐさ。リウはなにとなくほっとして、口のあたりがかるくなる。

「妹さんがいるのかな」

 リウは閃いたまま、思わず口に出す。出してしまってから、なにを言い出しているのかと我ことながら驚き呆れ。駟も舌に及ばず。羞じらいがわきあがりつつあるとき、

「こらまた。・・・・」

 とトリはひと笑いし、ぱんッとかろく両手をうちあわせる。ハナ、カゼ、ツキは愉しそうにきゃっきゃ笑いあう。タマは真剣な面つきでやりとりを見守っているてい。何事かとリウはその反応に戸惑うと、

「そやったら、唄も聞こえてはったやろ」

「唄て。・・・・ひろお、ひろお、豆ひろお?」

 トリの口が結ばれ、身体の動きがとまる。あれ、違ったのだろうかと、当たることを期待していたわけでも自信をもっていたわけでもなかったが、リウは案じて病身の、青ざめたちいさな男わらべを見つめる。

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