第73話 ヒヨドリの鳴き声

 何を訴えようとしているのだろう。こちらを呼びとめ、注意を引こうとしているような気のされて。そも誰が。いずこにか身を隠していてのものだろうか。少なくも今はもう危険は去ったようではあったが、怯えきって出られぬのであろうか。もしくは我々が気づかぬだけでまだ剣呑な状況であり、それをそっと知らせようとしてくれているのだろうか。必死に、声をひそめて。聞きおぼえのある、わらべの声色のようだったが。爛漫と咲きみだれるツツジの藪のほうへ足早に進むシュガの後を、取りのこされまいとつき随いながらもリウはまわりに耳を澄まして、目を走らせ。ふと、鼓膜を震わせるものではないのかもしれぬと心づき。現象としての声であれば、老齢のサンキュウはともかくもシュガが聞き逃すはずはなかろうし。リウはふっと閃いたことのあり。

「なんやなんや、忙しないなァ。走ればこける。山にこけずして垤にこける、やでぇ、気ぃつけなぁなァ」

 糞掃衣の袖を揺らし揺らし、息を切らしてサンキュウが馳せ追いかけてきて。片手になぜか数珠をもち、じゃらじゃらと音を立てながら。

「わが思う人はありやなしやと、問う鳥どころかネズミ一匹いないがなァ」

 ああ、そういえば、とサンキュウのその言に、遅ればせながらリウは初めて心づく。砦の内に踏みこんですぐになにかの鳴き声なのか、奇妙な音がいずこからひとたびしたものの、平生聞こえる物音ひとつだにしてなく。ニワトリだのスズメだのヤマバトだのの影のかけらなくて、煮炊きする煙も皆無。さりとてやはり、打ち毀された家屋は見られずに、小動物の死骸一匹すら見あたらない。そこにあったはずの人とケモノが、どういうわけか忽然と消え失せてしまっていて。天狗のしわざだとか、神隠しにしては、そういうことがあるとしても、あまりにも大規模にすぎるだろう。塀の状態が尋常ではなかっただけでなく、内に籠もる空気が、そう、まず籠もっていて、流れが鈍って感ぜられるので。澱んだそれには諍いの名残、殺傷の気配、さらに微妙な、隠微である力の存在があるような気のされてならず。リウは、閃いたことを行い、

ーーだれか分からないけれど、無事でいるの。なにがあったの。

 思いを胸中に送って寄こされたのではと解し、問いを返し送ってみたので。シュガはサンキュウに軽く咎めるように言われたせいか、それとは関わりなくかは分からぬものの、歩み(ほぼ走りに近いもの)をゆるめて止まり。微かに笑いかけるのを返事としていて。そんな二人の様子を目にしていながら、リウは内側に意識を集中し、受け損なうまいと。何を訴えようとしているのだろう。こちらを呼びとめ、注意を引こうとしているような気のされて。いや、そもそういう気のされただけのことで、トリとの心と心との対話を想起されもした、気のせいでしかないのかもしれぬが。幾度か呼びかけてみるも反応のないため、半ば諦めかけたとき、とみに手をとられはっと目を開く。シュガにもサンキュウにも触れられていず、虫がとまったわけでもなくて。肉体の手、ではなく、心にある手にあたるところを摑まれたような感覚で。かそけき音を捉える。内に直に届けられるそれに、鮮明に聴きとろうとさらに識域に潜り込んでゆき、問いを重ね、

ーーだれ?トリかな。

 感触として、そうだと応えられている気のされ。こちらが相手を確信できぬように、相手もまた当方を確認できぬのであろう、ここの現状もまた然りと思いあたり、

ーー吾はリウ。シュガとサンキュウとがいる。

 そう発信しながら、そばにいる青年と老人をゆっくりと見、そして周りの景色を目に映してゆき。こと葉のみならず、映像も送れるものであれば、受けとれるものであれば、有効だろうから、と。深々と肺を満たし、吐きだしてゆく如き具合に、思いを放ちゆく。受信者を感ぜられる方へむけて真っすぐに。

 ツツジの葉の緑に、花弁の朱や白に、肉眼では感知しえないほどの微細なふるえが走り。沈み澱んでいた空気のなか、切れ目がはいったかのように、そして清水のそそがれた如きそよ風がおきて。またもや、胸中に手応えを覚え。これははっきりとしたもので、語りかけられることはなかったが、応答であることは確かで、了解したしばし待てと指で示すが如き意を受けとり。歩みはじめようとしていたシュガの袖をとらえ、引きとめて。シュガは一瞬淡く訝るような目をむけてきたものの、何かしら理解したものかどうか何も言わずに留まり。サンキュウも何事か感じてか騒ぐでなく、黒髪まじりのねぎ坊主のような白髪頭を搔いたりして口をつぐみ温和しくしていて。

 ぴー、ぴよぴよ。ヒヨドリのものだろうか、鳴き声がおき。いや、鳥の音のようではあるが、擬せられ人の意思によるものだとリウが察したとき、シュガが唇に指をあて、ちゃッちゃッちゃッとこれまたヒヨドリの鳴き声を擬して口笛をふき。その後、応えるようにひと声ぴよとあっただけであったが、それだけで交信が済んだらしく、

「行くぞ」

 とリウとサンキュウに声をかけ、踵を返して戸外へと出て。ベンマルはいずこに行くでなしに、ヒノキの木蔭で膝をおり休んでいたが、三人を目にすると立ち上がり。シュガは駒の首にふれ、つぶらな瞳を見つつ語りかけ、

「モミジのところへ行くのもよし、いずこへ行くのもよし。ただしヤマイヌが出るから気をつけねばならぬがな。ついて来るのもよし、好きなものを択んだらよい」

 ベンマルは返事となる声や仕草ひとつするでなかったが、シュガを先頭とする三人の後について脚を進めはじめ。リウがふり返るとと、澄んだ目で見返され。なにとなく嬉しく、ありがとうとつぶやく。

「ナンマイダー、シューマイダー。ナンマイダー、ゼンマイダー・・・・・・」

 サンキュウが声を張りあげ唱えはじめて。三人と一頭は、クヌギの樹の間をはいってゆく。他は、みな無事であったろうか。無事であって欲しいと、リウは手を握りあわせる。

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