第74話 降りつもる

「ひらひら、ひら」

 キツツキの幹を穿つかわいた音。コナラやクヌギの樹木の間を歩んでいて。どれくらいの者が無事であったのか分からぬものの、逃げ込める場所がこちらの方にあるということか。リウはシュガの背中を見つめ。積もり重なりした落ち葉。地を覆うそれらは、地に近いところから腐食して土に馴染もうとしていて。やわらかな感触のそれを、三人と一頭は踏みしめ踏みしめ、かわいた軽い音を立ててゆき。ヤマバトの啼き声が、うたかたのかつ消えかつ浮かぶさまの如くゆるやかに響き。

 シュガとリウが口を開かず黙々と歩んでいるなか、サンキュウはひとり、数珠をつまぐり、ひらひらと口ずさんでいて。相変わらず暢気に、とリウは呆れつつもさまで気にもかけずに。元大僧正の翁の突拍子もない言行に慣れて来ていたこともあったが、そう高くも大きくもないため耳に障らず、唄うような調子で鼻唄に近いくらいでもあり、うららかな花野に飛ぶハチの音を聞くような、微睡みを誘うようなやわらかな旋律ですらあって。

「・・ひら・ひら・・ン・ひら・・・ナウ・ソワカ」

 ひらひら、とくり返し唱えられる文句が、雪片だとか羽だとか花びらが舞い降りてくるさまを想起させられもして。淡く、かすかな、あえかなものが音もなく舞い降り、それは間断なくつづいて、気のつかぬ間に積もりゆき。ひと足ごとに沈みゆく落ち葉の大地。雲と葉で陽光が薄らいで、大気はおだやかで。シュガの後頭部を見、すぐそばにサンキュウだとかベンマルの声や息、気配を感じ、辺りの気色をしっかり身に受けとっていながらも、リウは自分が奈辺にいて、いずこへ向かっているのか分からなくなってきてもいて。ひらひらと何かしらが降りつもり、埋もれゆくように、視界だとか思考がうすらいでゆくような。

「・・ひら・ひら・・ン・ひら・・・なう・・ぉわかァ」

 かさりかさりと音を立てて足を受けいれるやわらかな地面は、いつの間にか音もなく、いや、音を吸い、足を吸うものに化していて。さりながら泥濘のように捉えて離さぬ粘着力はなくて、ゆるやかに苦もなく進んではゆけて。ふと、雪の感触を連想し。その雪も、まだ初雪くらいの未踏のかるく淡いもので。根雪とちがい、踏みしめても音を立てることなく、そして白い結晶は音を内に引きとるもの。寒さは感じないものの、降りしきる花びらのような綿雪に包まれて歩いてゆく心地。吹雪いて、なにも見えず、なにも聞こえず。指先、つまさきが冷えて痛くなってくることのなく。いや、既にその段階は気のつかぬうちに過ぎてしまっていたのだろうか、冷えきって感覚が麻痺してなくなってしまったのか。

 奉公先の屋敷で、冬から春先にかけて井戸水は外気よりはあたたかく湯気をあげていたものだったが、さりとてやはり湯といえるほど温かいわけのなく、洗いものは楽と言うのは難かったもので。下働きのなかで年齢としても年季としても浅い方であり、おべっかを使うこともできぬ性であったためだろう、男のクセに力仕事も出来ないんだからと道理のとおらぬ理屈で洗いものをよく押しつけられして。痛いだけならまだしも、固められたように動かなくなってゆくのには難儀した。いまは綺麗に完治していたが、その頃の手は常時アカギレだのシモヤケですり切れ穴のあいたずだ袋状態で。ただ、染め糸の工程では、全く苦にならず。ささやかなものではあったが、喜びしかなく。糸の白に、紫の果汁の次第次第に染みてゆくさまに、なにか伸びやかに開き、広がってゆくような、着実に積みかさなってゆく手応えがあって。色止めを終え、水気のぬけた糸束の、紫いろのきらめき。自分の手によるもの、人の手による為業とは到底思えぬできばえに、毎回こと新しく目を見はり。確かになべてあるもの、与えられしものに、過程のほんの一部に関わったのみで。その吾さえも賜りものであり、母から伝えられたものは、吾々のなすべきこと(でき得ること)は、ただひたすらに与えられしものを如何に素直にありのままに受けて出してゆけるかでしかない、と。リウはジュデの木の実と認識していた、カミユイの木とは、屋敷から出ることになってからは他に相まみえることのなくいて、染め糸をする機会もなくなっていたわけだったが、母のこと葉がより深いところで理解できてきたように思われ。時おり思いおこすだけで思案するでもなかったが、池の底に植物や動物が沈み分解され養分となりつみ重なってゆくように、徐々に熟し形成されていった結果のようで。すこしずつ、すこしずつ、気のつかぬほど幽かに、さりながら着実に、着実にというか容赦なくとも言えそうだが、ひっそりと重なり変容をもたらし。もたらすまでゆかずとも、その兆しとなり。塵もつもれば。

 ・・・・ひら、ひら。

 ふっくり瑞々しく濡れる苔のうえを歩み、何かに誘われているような心地。濃霧に包まれているのか何も見えず、なにも聞こえぬものの、なんの不安もなく。どうやら下り坂のようで。日に照らされ湯気をたてる土のかおり。土のなかへ、迎えられているのだろうか。あたたかく、懐かしい、安らぎの場所。

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