第110話 狙いしもの

 燦爛たる彩光の半円は、蒼穹のなかに溶けて。トビかなにかが落下したのだろうか。空から落ちる影にはっとしてリウが目をむけると、そこには桐の木がたっていて、一葉はなれ落ちたもので。日あたりながら、たいらかに。桐の葉が落つるとともに、ふっと空気のいろが変わったように感ぜられて。町中からはずれまばらになった通りゆく人にも、しきりにハナをすすり鼻や目のあたりをこすっているリョウヤにも、この変化に気のついているような気色は見えず。後方を守るようにゆっくり歩んでいるセヒョのようすは見えぬため確認できず。もっとも、表にださぬだけであるのかもしれぬのだが。目に映る景色の濃淡がかわったとか、肌にふれる大気がかわったとかいう五感(眼、耳、鼻、舌、身)でとらえ得るものとは異なり、六根でいう意にあたるもので感じとったものらしい。いわば感覚的なものであったから、ふたりに聞こうにも何と表現したら相応しいのかこと葉が見つけられずにいて、断念し杖と足をうごかしつづけて。見えるのだが、網膜には映っていない感じ。あるのだが、掴めぬ感じ。今ここにはない、というもの。いまだ来たらぬもの。そこまでは何となく把握できたものの、裏を返せばそこまででゆき止まりとなったということで、理解をすすめることのかなわず。それをあえて言語化したとすれば、視界にある風物が、というちいさなものではなく、代(時代)がかわる兆しを感じとった、と言い得るだろうか。日輪の射す光の移りかわりより、季節のうつろいゆくよりも微妙な、かそけき、とらえ難いカゲロウのようなものであったが。


 かごめかごめ


 かごのなかの鳥は


 いつもかつもお鳴きゃぁ


 ようかの晩に


 ツルとカメがすべったとさ


 ひと山ふた山み山越えて


 ヤイトをすえてやれ熱つ や


 いずかたかより、わらべ唄のして。チン、チン、チンとカネタタキの澄んだ音色。ハタハタが緑いろの繊細な羽を鳴らし、風をけり飛びゆき。葛の葉のなびき、しろい葉裏を見せて。すこし吹くとも葛の葉のうらみがおにはみへじともおもう。雨雲がはけてきていて、射す日のつよさ。洗われて、くうきの明度があがっているためもあってであろう。笠で防がれてとりあえず眩しくはなく暑さもまだ感じることのなくいて。照らし出されてゆく光景に、胸のなかの暗がりにも射し込んできたように、心もちの明るみ霽れてゆき。細かく拘泥していたものも離れてゆくようで。然り、分かりようのないことをいちいち抱えこんでも詮ないことであるし。地のそばに、紅いろの羽根をひろげたちいさき鳥の幾羽もとまり。そのようにも見える花房のホウセンカで、散りばめられた水滴の輝き。爪を彩るのにつかわれることがあるのだと聞いたことのある。そのため、爪くれないとも呼ばれるのだとか。そういえば、おトモは爪を染めずおしろいをはたくこともないようであったが、くちびるにうっすり紅をさしていたことをふと思いうかべ。くちを彩るものはスエツム花の花びらから作りなされる。くれないの末咲く花の道深くうつるばかりも摘み知らせばや。母もハレの場、時では紅をさし、それは自らの手で作りしもので。なにとなしに眺め、聞いたりしていた過程がよみがえり、あらわれてきて。朝まだき露にぬれ棘のやわらかなときに花びらだけを摘み。黄いろに咲き、橙いろにまで紅味のましたところのものを。摘んだ花びらを幾たびももみしだき、洗いながしして、黄いろの抜けきるまでつづけ、水をふくませ寝かせ。そして天日で干して、ようようできあがる。手間ひまかけた末、わずかな量のものが。もっとも、自分ひとりのためのものでありそうそう使うものでもなかったため、少量でもかまわなかったろう。くちびるに色をのせるだけのことで、何ゆえにわざわざそんな手間のかかることをするのか幼いながら不思議であって、それ以前になぜ染めるのかも分からず。聞いたことのあり、母はなんとこたえたものか、笑ってとりあわなかったものかリウの記憶にはなかったものの、女人にはクスリにもなる、と言っていたように憶えていて。チの道によいのだとか。チの道というのも、いまだによく分からないものの、そういえばチというものも紅のいろで、イノチのいろであるから、爪だとかくちびるにつけて活力を得るだとかの効果を狙ってのことのあってのことだろうかと思ったりして。それを言えば、ではおのこはなぜしないのかという疑問もわくものの。ただし、カジュだとか龍女にいるようなおみなのなりをする者がつけるわけだし、雲上人はときにするらしいのだけれども。草むらにおかれた石の道祖神。ひとつの石のうちに描かれた二体が、ほほ笑みながら手をつなぎ。上部にトンボがとまっていて。

 流れ、めぐる生命というもの。それは紅き液体の流るるものどもにのみならず、一見留まりしもの、死せしもの、生きておらぬものとされているものどもをも貫いて。いや、それが内にあるのではない。やわらかきものも、かたきものも、うごくものも、うごかぬものも、見えるものも、見えぬものも、ありとあらゆるものが、森羅万象ことごとくがそのとりどりに脈うつ循環のなかにあり、一部であり。肥沃で大いなる循環のひと泡、ひと泡であるそなたら人というもの。・・・・

「もう、大丈夫だからね」

 肩がときおり大きく上下するリョウヤの手をつかみ。男わらべから肯いてみせられ。手をつないで歩くには杖に縋ってでは不自由であり、しゃんと腰を立て姿勢を正し。杖はもっているだけでかまわないくらいにまで恢復していて、支えてやろうと手を差しのべたことで気がついたものであろうか。支えようとしたことが活力となったのか。いずれもあり得そうなことであり、いずれも幾分かありそうではあって。情けは人のためならず、ということか。ツユクサの鮮やかな青が点々と現れいでてきて、コヅキの屋敷の古雅な塀と門が見えだしてくる。転がる石ころの表面がかわきはじめていて。湧きだしはじめた、つくつく法師の声。

「はいろう」

 逡巡しているのだろう。門の直前でつなぐリョウヤの手にこわばりがおこり、足がとまりしたため、リウはかるく手を引き促して。初めての場所に足を踏みこむでさえ、どんな場所であろうともふんぎりがいるもので、ましてや未知なるところであり、今後の道ゆきの足がかりとなるところであり、受けいれてもらえるものか分明ではなくあればなおさら。突っぱねられたらどうしたらよいものか、それくらいであれば逃げだした方がましではないのか。逃げだして何かあてがあるわけでなし、せいぜい女親にいいように使われるだけ。雑魚寝の宿で寝しなに聞こえたところによると、いずこかへ売られる算段になっているらしい。快くはなかったものの、そうなることに驚きはさまでなく、諦めて淡々とかわいた気持でいたもので。売られる先が、女親よりよくしてくれる環境であることなどゆめさら期待していない。利用されるだけ利用され、使いものにならなければ別のところに払い下げられるか、棄てられるだけのことだろう。裏をかき、出しぬき、け落とす技、というのか磨耗した神経の図太さを得られなければ。さぁ、それを得られたと言えるものなのか、何かしら清いものを捨てさったという方が正確かもしれぬのだが。それが良いことなのかそうでないのかは問題ではなく、濁り腐りしなければ、ただただ嚙みしゃぶられ吐きだされ、踏みにじられてのたれ死ぬしか他にないのだから。そういう者どもを、幾人も見聞してきて。自分が甲斐性のないバカだからずら、と女親はせせら笑い、あんたもああならないようにな、と。結局おなじ道を辿ることになるのだとしたら、甘い期待をして落胆し、というのは辛さがいや増すばかりであろう。それであれば、いっそのこと手を振りほどいて。然り、怖かったのだ。それでいて、きびすを返すことのかなわず。リウから手を離すことができず、いや、はなしたくなくて。あたたかく優しく、他意なく握られたことは、すくなくも最近、どころか今まで記憶にはないものだったから。

「大丈夫だからね」

 リウはリョウヤの手をかるく引き、いざない。相手の詳細な事情だとか、こまかな心情の内実は分からぬものの、このまま戻らせてはならぬこと、恐れ怯んでいることは察せられ、感じとれはしていて。決して離してはならないと思い、握る手に力をこめ、杖をもつ手で笠をとり、目線をあわせ。この屋敷か、水戸やのいずこかに必ず引き受けさせるつもりでいて、多分受けいれてもらえるだろうと思ってはいる。もし仮に断られたら、自分も出ようと心を決めて。先々のことを想定したり、また、持ちあげておいて叩きおとすような真似はできない、ということも無論あったが、何よりそういう選択(悲惨な未来を待つと分かっているわらべを見捨てるような真似)をするようなところに厄介になってなどいたくなかった、関わっていたくなどなかったからであり。困窮しているのならともかく、わらべのひとりやふたり増えたところで何の痛痒もなさそうな裕福なところであり、なおかつ天授の末裔であると自覚している人たちがそんなことをするようでは。人を人と思うぬようなものが、どうしてツチの声など聞かれようか。そこまでリウは考えたわけでなく、思うでもなく、小川のながれのゆくように当たり前に結論したもので、それを目でも訴えかけ。文句は短くすくなかったものの決意がつたわったものか、リョウヤが俯くようにツムリを縦にふり、かたまりがほどけ、門のうちへと足を踏みいれて。瞬間、くうきの感触がかわり。見えない膜をとおりぬけでもしたように。

「お帰りやす。つつがなくお過ごしにならはったようで」

 敷地にはいって間もなく、呼びかけもしないうちにキライががに股で現れ、うすい笑いのなかで、三人にさり気なく目を走らせて。刹那リウは冷やっとしたが、キライの顔のいろのさまで変わることのなく、リョウヤを見とがめるでなくことさら目を向けるでもなかったため、幾分ほっと胸をなで下ろし。ともに屋内へむかいながら、さりとて世話をかけるわけであるわけであるし、説明のいることをリウは失念したわけでもなく。触れてはこないが、礼儀として、こちらから話すのを待ってくれているのだろうから。あくまでも形態がそうなってある、というだけのことで、リウ自身は得心も自覚も、ましてや自惚れなどあろうはずもなく、戸惑いしかなかったものの、リウは天授直系の末裔であり、望めば(もしくは望まれているわけで、承諾さえすれば)次期天授の首座につくことのかなう立場であったため。その家に仕えるものから問いただすことなどできようはずもないのが道理であり。リウ自身、下働きをしたりしてきたからこそ身をもって分かることではあったが、また同時に、それゆえにもどかしさというのだろうか、もやもやとした曇りをそこに感じもして。吾はそんなに偉かったり立派だったりするものではない、という思い。立場上慇懃に対されてはいるけれども、この壮年の抜け目なさそうな眼にはいかように映り、いかように思われているのだろうかと羞じらいや怯む思いもあって。下働きをした先でのともがらである奴隷らは両班である主の陰口をよくたたいていたものであったし。そしてそういう芳しくない経験による卑小な思いにとらわれて認識し得なかったが、それはあくまでも表層にすぎず、うちにはさらに濃く熱く湧きたっていたものがあって。偉いとか賎しいとか、上とか下とか、それは便宜上人が作ったものでしかないではないか、バカバカしいと。

「この子は知り合いで、立ちゆく先を、なんとかしたいとおもって・・・・」

 そう、考え考え切りだすと、ふんふんと肯かれ、

「いったんこっちに寄こしてもろた方がええかもしれまへんなぁ」

 身なりから同等には扱えないということなのか、それとなくお払い箱にしようとしてか、と一瞬毛が逆立つような思いで身がまえたとき、

「濡れてはるままやと、からだにさわるかもしれへんし、丈のあいそうな替えありますさかいなぁ。それはセヒョさんもやし」

 穏やか、というより、のらりくらりしたもの言いという方が近いか、相手の応対にリウは肩すかしを喰らい羞じて、挑むようにむけた眼をそらし、お願いしますと言い。すいません、と謝るべきだろうか。そも態度に出ていたろうか。そして出ていたとして気どられたのだろうか。気どられていたとしたら謝すべきだろうし、とそっと窺うと、目を細めた顔にはなんの変化も見られず。わけもわからぬことで詫びられても困らせるだけではあろうし、とためらっているうちに、そのキライはセヒョに、おもてはどないでしたと問うたりしていて機会を逃しもして、敷居にまで着いて。たたきで笠と蓑、手ぬぐいなど脱いでいるなか、中年女性にリョウヤは連れてゆかれ。心配そうな目をのこす彼に、大丈夫だと目で請けあい、見送ったものだったが、実際安心できるものか確信はもとよりなくて。年増の感じにも厭なところがなく、後はもう信頼するよりほかにない。それはまた、信頼してもよいのではないか、と思いはじめていた、ということでもあって。

「ええ塩梅のときもどらはったかもしれまへんなぁ。お客さん見えはっていて、つい先、帰らはったとこで。行きちがいでミチですれちがわはったんかもしれんし」

 それらしい人は見かけず、セヒョに確認するとセヒョも同意し、そう応えると、

「さよですかぁ。・・・・コヅキさまがおはなししたいいうことですから、着替えてもろて。具合がええようなら、ということでしたわ」

 セヒョと別れ、室内にはいると、出たときと等しく寝床がしつらえてあって、着替えも用意されてあり。出たときと等しく、といってもその位置や形状のことであって、いったん畳まれ退かれて掃かれた床、被いを代えて敷かれた形跡のある、整えら皺ひとつない清潔な蒲団。もしかすると、蒲団ごと新しいものに代えてあるのかもしれぬ清浄さのただよい。香炉からたちのぼる薫香とあいまって。白地の薄ものに袖をとおし帯をしめたとき、キライがあらわれ、体調のよいことをつたえると案内されてゆく。わたり廊下の床、ならびゆく柱の磨きこまれ奥ゆきのある照りつや。チリひとつなく、念入りに手をかけられてきたことの知れる蓄積された清浄な気のみなぎり。それは廊下に限らず、室内も、門からはいった敷居に充ち満ちてあるもので。昨日からいて気のつかずにいるほうが不可思議ではあって、実際感じてはいたはずであり、はじめて意識したといったところがふさわしいのか。それだけ心身が恢復してきて余裕がうまれてきて認識できるようになった、ということでもあるらしい。外へ出て異なる空気にふれてきたことや、昨日からいて初めてこの屋内を自分の足であるく、ということもあろうし。そして感じるのは、下働きの人らの熱心な清掃への打ちこみようによるものだけでなしに、何らかの力で祓いきよめられて来つづけているらしいことをすずろに感じとれていて。その祓いきよめに加え、守りのわざも施されてあるらしく。おトモがなぜ、無理のある道理で満足に歩けもしない吾をしゃにむにといった具合にここまで移動させたのか腑に落ちなかったものだったが、ここがより安全なところであったから、ということなのかもしれぬ。清掃で自然かなうものでなく、誰かがつねに執りおこなっているものによる護りの充実したところであるため。誰かとは、むろんひとりしかいないだろう。

「おつかれやろに来てもろてなぁ。なんぼか気分をかえられたんやろか、かおいろがええように見えるけどぉ」

 卓の前に坐したコヅキがかるく腰を浮かせて出迎え。起ちあがるそぶりだけで立つまでは当然なく。顔色どころか、足どりも違うだろう。なにかに縋ったり、支えにせずとも歩めるようになっているわけでもあり。ありがとうございます、と会釈しながらキライの後からはいり。セヒョとリョウヤも白藍の薄ものに替えていて、控えていて。男わらべは肩に力のはいって窮屈そうに畏まり。

「それで、おもてではなにかおもろいことでもあったんかなぁ」

 水をむけてくる小柄な翁の卓上には紙が広げられ、そこには内容は分からぬものの、文字や数字、模様が記されてある。手招きされてリウはその前に腰をおろし、

「うたい踊っている人たちだとか、この頃よくいるという、天礼さまをもち上げる人らをまた見かけましたけど・・・・」

 他はさして気にとまるようなことはなかったはずだが、と思い巡らしているうちに、ふと浮かびあがってきたのはひとりの女人で。女人というより女わらべといって良いくらいの齢だと思うのだが、目が不自由ななか、どこかで使われているらしく。誰もかれもが知り合いであるふる里の田舎とちがい、人が星屑を撒いたがごとく数多いる都の往来でふたたび認められたことは非常に稀なことであろう。声をかけようとして、なぜだかリョウヤは怯え、妨げられた格好となってしまったが。そのリョウヤと再開できたこともまた、稀であり有り難きことであり。暫時その女人の影を思うも、あえて言うことでもあるまいと判断し。そも、コヅキは何かあったのかさして興味をはたらかせ訊いたのでもなかろうし。とはいい条、相手が興味があるかどうかはともかく、リウが気になったことはあり、

「その天礼さまを上げる人たちがいうには、天長さまが床に伏しているのだとかなんとか」

 コヅキは面つきを変えるでなく、

「そうらしいなぁ。えらいこっちゃ」

 何でもないことのように言い。巷の連中が言う分には信憑性に欠けることであったが、では事実ということなのだろうか。

「ゆくたては分からへんけどなぁ、どうやらほんまらしいわ。わての卦でもそう出とる。決しておもてざたにできることやないんやけどなぁ。どっから漏れだしたんか。だれの、なんの仕業なんか。それはふたつの別もんやなく、ひとつかもしれへんしぃ」

 翁がうっすり皮肉にくちの片端を歪め。当たりがついているのだろうか。正直、リウにとっては誰が彼がという詮索はどうでも良いことではあり、さしあたりの懸案事項は、

「吾が厄介になっていて、ずうずうしいとはおもいますが、この子も、リョウヤ言いますが、なんとか入れてくれませんか。ここでなくとも、水戸やさんなりにでもいいとおもうので」

 と低頭すると、

「そんなんかたくならんでも。かまへんで。つゆさら問題ないわぁ」

 笑い声で言われ、思わずほっとため息をもらしつつ顔をあげると、

「こっちもお願いというんか、提案があるんやけどなぁ。これはなにも取引交換というわけやないで。こん子の見うけとはべつでなぁ。あんさん、しばらくここおった方がええと思うで」

 え、と思わず声をもらし、問いかえそうとする前に、

「なにも縛りつけて、ここにずっとおれとか、・・・・の当主を継げいうてるわけやなくなぁ。なにをするにせよ、もうすこし英気を養わな、あかんやろしぃ、どうもあちこち騒がしゅう、きな臭くなってるし。とまぁ、それもあるはあるけどなぁ、はっきり言われたほうが決めやすいやろ。あんさん、狙われたはるわ。なにものか、気づいたもんが、あてらのほかにあるみたいやねぇ。寝こんでいたんも、そいつらの、まぁ呪術やろねぇ。で、それでも出てゆくいうなら、それはそれで止めへんわ。その気になったら、あんさんを止められる人などおらんやろ。そやけどな、狙われてるんはあんさんひとりやとして、まわりのもんも巻き添えになることになるからなぁ。それでもかまへんいうなら、そうしはったらええわ」

 口角や目じりの皺を深め、微笑したコヅキにおだやかに諭され、リウはこうべを垂れ。龍女の売り子らが好ましくないにしろ、自分のせいで傷を負わされたり殺められたりすることはあまりに理不尽であり、コメジイはそれなりに、ミカはミカなりに思いやってくれたわけであるから尚更。そう思案していて、あッと息を呑み。もしかすると、シラギ山の砦が襲われたのは、吾がためであったのか。それ以前に、かつていた両班の屋敷が焼き討ちされたのも、乗っていた牛車にいた者が皆殺しにされたのも。つけ狙う存在の意図が絡んでいるかどうかはともかくとして、あくまでも起きたことだけを冷静に考察してみれば、思いあたったこと全てがそうだととらえる方が無理がある解釈ではあったが、リウはそう思いこみ。さりながら一方それは短絡的な思いこみではなく、直感がはたらいたということであったともいえるのかもしれぬ。いずれにせよ、リウのなかで答えは決まっていて。

「ここやったら、わての目がゆき届くから、いやしいネズミ一匹いれさせん。こんひと、セヒョいうおひとも、すけてくれるいうしなぁ」

 リウが目を上げ、セヒョを見ると、

「オレは寄る辺ない身になったしな。そんなん聞いて知らんぷりできひんし。だれがオレのいたネジロを壊滅させたんか、なんのためか知りたいって探ってる最中やったけど、それもここにいてれば分かりそうやからな」

 拒む理由など、微塵もなく、リウはよろしくお願いしますと手をつき。

「あたま上げてな。本来ならでかい顔してかまへん立場なんやしなぁ」

 コヅキの言うのを聞きながら、紙に描かれた図を見つめるともなく眺めていて。よくよく見ると樹であるように見える。幹らしきものがあり、両端に、枝らしきもの、根らしきもの。辺りに散りばめられた文字や数字たち。それはその樹の葉であり花であり、実を表しているのだろうか。もしくは音色を表す音符でもあるのか。あらゆるものが、各々、おのおの固有の音を奏でているもので。そしてこの樹にリウは馴染みがあるような気のされていて。今は根も枝も刈られ、生命なきものとされて建て据えおかれ。それだけに留まらずに縛りつけられてあるもの。いずこで見たのだろうか、いずこで触れたのだろうか。どうしても思い出すことのかなわぬなか、躰に、いや心にだろうか、刻みこまれ一部であるかのごとく、覚えのあるものという揺るがぬ確信はあって。それが根をはり、枝を張り巡らせて葉を繁らせ、花々の爛漫と咲き誇って。それは樹でありながら、ほかの樹とは異なったもので。これ以上にツチと繋がり、アメと共鳴し、森羅万象の生々流転に豊かに関わるものはなく。もとよりその樹とて生々流転の一環であるのだが、どの移りゆくものよりも永くあり、その紫の花びらは、万象がそれぞれ円滑に環のながれにあるようにうながす。ツチなる神の思いの、最も深く濃く放出かする媒体。花びらの舞いおち、紫の吹雪のなかにつつまれ、埋もれゆく。

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