第42話 受手

「アタシらはカミユイって呼んでるが、ちがう呼び名があるのかもしれないねぇ」

「ナンマイダー、キュウマイダー、ナンマイダー、ドンマイダー」

 雨漏りが床に、器に打ちつける。坊主の成りをしたものが、サレコウベのかたちをしたものを木魚として鳴らし、声高らかに念仏らしきものを誦す。そんななかにあって、モミジの声は高くもなく大きくもなく、調子も淡々としたものだったが、不思議とリウの耳にはすんなりとはいり、そのありようを思い、見ることのかなう。カミユイの木はそう丈が高くなることもなく、木立のなかにあれば紛れ見分けのつかぬ、幹や枝ぶりにこれといって特徴らしいものはない木。夏場をのぞき、つねに花を咲かせているのは特殊ではあったが、その紫いろの花はちいさくて目に立ちにくい。さらに花の時期は短く、花弁がおち結実する。つねに花を咲かせている、と先に述べたが、それよりもつねに実がなっていると言ったほうが相応しいかもしれぬ。ナンテンやナナカマドに似てなくもないが、その実のいろがよく見かけるそれらのように目を惹く朱などけざやかなものでないことも、目に立たぬ理由にあるのかもしれない。黒に近い紫紺の実。知る人ぞ知るではあったが、それは染めものに珍重されてある。実を磨りつぶし煮出した汁は、晦冥にちかい紫いろ。その汁に幾度もくぐらせ、つけ込みした糸束は、しののめの空のごとく明るく、それでいて深々とした紫のいろをあらわす。その糸や、織りなした布は、民草の目にふれることはごく稀であった。カミユイの木、そして実、と知る者がほとんどなく、ましてやその実が染めにつかわれるものであること知る者がないのはなおのこと。有用と見做されず意識から外されていることもあってか、カミユイの木はいずこにでも生えて在るものではなく、また、仮に染めようとしてもだれにでも、鮮明ないろをさやかに映しだせるものでもなかった。それは技倆ではなく、染め手の心ばえに左右されるのだという。心ばえ、稟質といったほうがよいのか。それの匠たる染め師の血筋がかつてはあり、二天(天長、天礼)に仕えていたのだという。それが何があってのことなのか、二天のもとから去ることになった。外つ国から簡易にだれにでも似たような色を染め上げられる技を有した集団を雇い入れたから、という話がある。そもそも仕える立場ではなかったから、という話もある。二天の下に置かれるような立場ではない、と。真偽はいずこにあるのか定かではないけれど、ともかくもカミユイの染め師の一族が二天のもとから消えたのは事実であり、それによってカミユイの染めものも絶えた。それと関わりがあるのかないのか、一族が去った時期に、本来ひとつとしてあるべき二天が別れ、いまの天長がまつりごとを行い、祭司長が神事をおこなうというかたちになったのだという。

「ジュデの木・・・・」

 と、思わず、口をついてでる。大きなものではなかったが、その自身の発したつぶやきにリウは我がでにちょっと驚くも、モミジの顔に聞きとがめたりする色はなく、得心がゆくと言ったような微かな笑いをうかべいて。

「ナンマイダー、サンマイダー、ナンマイダー、ヨンマイダー、ナンマイダー、ゴーマイダー」

「そうそう、たしかそんなふうに称ばれていたらしいねぇ、一族は。ジュテとか、ジュデってね」

 そのとき、ふっとあらわれ、はらはら舞いおりてくることの葉。母から語りかけられたものが甦る。染めにふれて、のものだろう。

--こうしてやろうとか、どうしてやろうとか、そういう自分のちいさい望みなんて濁りだとかムラしか生まない。すでに全きものがある。それをいかに素直に受けとめてゆけるか、それだけ。それが吾らの務め、うううん、しようとすること、代々受け継がれたこころざし。受け手、ジュデの血の誇り。あなたはまだちいさいから分からないだろうし、いま言ったことを忘れてしまうだろうけれど、あなたのなかにも脈々と受け継がれている。それは、染めにおいて、だけでなく、ね。

 母は、リウが生まれ育った北国の訛った話し方をしていたものだった。郷には入れば郷に従えということだろう。であるからして、その時点でも訛りに被われていたことは疑いえなかったが、リウが訛りをふる里の訛りを失念しはじめていて、記憶が改変もしくは精選されたものだろうか。もしくは、口から発し耳にいれる語りではなく、内に直に語りかけられたものだろうか。耳からにしろ、いとけない時分に伝えられたことが、気のつかぬ間に内に蔵されてあって、不意に鮮明に立ちあらわれてくる。

 ジュデ、もしくはジュテ。それは受け手である受手。木の名前ではなく、自分や母や、染め手のことを指していたものだった。そのことが、今になって見いだせた。

「ナンマイダー、ロクマイダー、ナンマイダー、シシマイダー、ナンマイダー、ハチマイダー」

「カミユイ染めがなぜ、ある種のやつらから珍重されるか分かるかい?それはそれは綺羅綺羅しいものらいが、なにも綺羅綺羅しいから、じゃあない。カミユイとは神を結うでな、神と結びもし、ときに神を縛りつけもするらしいよ。ともかく、神託をおろすなり祈願するなり、神ごとをする上でこれほどたしかなモノはないらしい。そういったものであれば、国を統べるやつであれば独占したいものだろうねぇ」

 モミジは皮肉っぽく唇をゆがめると、煙管をくわえ、鼻穴から煙を漏らし、

「そうは言っても、染め師たちはいなくなったじゃないか。ホンモノのカミユイ染め、といえるものは絶えていたらしいけれど、なぜかそれが近ごろ極上品が現れるようになったってうわさがあってねぇ。もちろん巷に出回りはしないさ。仮に出回ったところでその価値は知れないだろうし。で、その出所がある両班の家から、てはなしだよ」

「ナンマイダー、キュウマイダー、イチマイダー」

 ふくみ笑いをしたモミジから、膝のまえにおいた指さきを露骨に見つめられる。後ろめたいことなどなにもないはずなのに、近ごろあらわれるようになったホンモノの染め手が自分であるらしいと感ぜられ、思いあたり、それがどうやらやんごとなき方々と関わりのあるらしいことを知り、そういう内面のさざめきを見透かされようすに、決まりがわるくもあって、リウは指さきを隠すように握りしめる。決まりがわるいというか、後ろめたさというか。

「祭司長にやっていたらしい。そりゃそうだね、両班の親分は天長、祭司長だからね。もちろん暗々にね。それはどちらの思惑か知らないが、その両班としてはおいしいだろうよ。暗々の方が見入りがいいからねぇ。ただね、欲の皮がつっぱりすぎて破裂してしまったのかねぇ。秘かに、天礼にも通じて、そっちにもやっていたらしいよ。それが祭司長にばれた、らしい。さりとて、暗々裏にしていたことさね。表立ってさばくことはできないじゃないか。それで・・・・・・」

 と意味深長に区切る。これ以上言わずもがな、分かっただろうという口吻。いや、まさかとリウは信じることができぬ。

「ナンマイダー、イチマイダー、ナンマイダー、イチマイダー、ナンマイダー、イチマイダー」

 モミジはリウの表情から、不審--それは縋りつきたい願いでもあるが--を読みとってのものだろう、

「やったのはシラギ山のに間違いないからね。それから祭司長に呼ばれた娘共がのこらず殺したのもね。祭司長にとって都合がいいからねぇ」

「都合がいい?」

「ああ、知らないんだね。祭司長が両班の娘共を招集したわけを。もっとも、両班でも知らないようだがなぁ。アタシらとて、知ってる、といえるほどかどうか。耳にはいっただけだからねぇ、ただし、わりかし信用できるかと思う筋からだがね」

「ナンマイダー、キュウマイダー、ナンマイダー、キュウマイダー、ナンマイダー、キュウマイダー」

 老爺の声が高くなり、悲痛な響きすらおびてきたことが、いささか気にならなくもなかったが、そこに意識をとめる余裕が、リウにはなく。五感の一切をモミジの語りに傾けている。

 語りのなかで、また唐突に未知のものが出現する。祭司長のもとに「ゾウボクシ」というものが仕えていると。シは師と見当がついたため、なにか彫ったり削ったりして造形する担い手かと問い、笑われる。たしかに彫ったり削ったりといったような行為はするがそれは木や石など静物にではないし、表面ですませられることでもなく、またそれは手段として使うだけのものでしかない。ゾウボクシとは漢字をあてれば、臓卜師となる。文字通り、動物の臓器をつかい卜する師ということだった。その臓卜師の卜したなかで、上(天長、祭司長)を害する存在があるという卦が出たのだそうな。その条件に当てはまるのが呼びあつめられたのが良家の娘共というわけだった。もとよりそれは表向きにはされず、かといってこれといって当たり障りのない建前も示されていなかったようだが。そう言われてみると、リウにも心あたりがあった。奴婢という立場の自分が知らない、知らされないのは当然として、話したのはひとりしかなく、かつそれは奉公している者ではあったが奴婢ではなさそうであり。その女も呼び出しを受けたわけを知らないらしく、他にも身代わりとしていた者が幾人かいたようだったが、いずれも、少なくもこれから尋問されるだとか、ましてや殺められるだろうというような予測を立てている者は、どうも皆無であったように思われる。また、実際見聞したところで、リウ自身ふくめ、ほとんどの家が実際に娘を出すのではなく、身代わりを立てていた。それを聞くとモミジは、なにを当たり前のことをという表情で、

「やつをバカにしてるのは庶民もおなじでな。化けの皮がはがれたというか、メッキがはがれてきたというか。庶民のほうが敏感かもしれんな。そういうものを感じとりもしていて、やつが血迷っている部分もあるのだろうが、かといって、だから詮ないとは、アタシは思えない。やつのしたこと、させたことを、アタシは諒することはできないね、断じて」

 口調を荒げるでもなく、怒気を表すでもないものの、間近で真正面から双眸をのぞき込むようにして話してくる相手に、リウはたじろぐ。責めが祭司長のみならず、シュガにも及んでいることが分かっていればなおのこと。ここまで聴いても、祭司長とシュガとの繋がりは分明になったとは思われなかった。さりながら確かに、祭司長の望むようなうごきを、シュガがしていたことは否定できかねる。

「ナンマイダー、キュウマイダー、ナンマイダー、キュウマイダー、イチマイダー、イチマイダー、足りないのはイチマイダー」

 僧侶もどきの老体、サンキュウは絶叫するように唱えると、がばっと前方に腕とともに黒髪まじりの白髪頭を投げだし、嗚咽をはじめた。えッとぼう然として目をやるリウに、

「あの爺さんも、祭司長の犠牲者でね。もとは優秀な坊さんだったらしいよ。優秀で、人望も厚くてね。目障りだったんだろうね、天長から賜った皿十枚、そのうちの一枚を紛失し、それを咎められ僧職を剥奪されたのさ。名のある大本山の頭であったらしいがな。紛失もはたして本人の過失であったのか、それとも・・・・なぁ」

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