第83話 ほっかむり。
刃がぬかれ、皮膚にあてがわれ、無造作に突き立て、引きぬき。抑えつけていた身の、切り口から血があふれ流れ落ち、抵抗も次第に弱まりかすみ。容赦なく、というよりもいっそ頓着なくといった具合で、切り刻みゆき、手慣れたようすで素早く原形をとどめぬかたちに細かく分けられてゆく。あたたかな血の通いうごいていた生きものであり、その玉の緒を裁ちきってただの物にしてしまったことになど、つゆさら意識に上らせることのなく。さもありなんと、そうあるのが世の習いであることはリウにも理解できなくもなくて。気にかかる者であったとて、手にかけずに済む立場でなければともかく、そうでなければ日常茶飯事であり、なんとも思わなくなるものであろうし、そうでなければ神経がもつまい。そもそもが何も感じずにやれるものが大方らしく、勢いよく暴れ抵抗するものに哀れやためらいを覚えるどころか、むしろ喜んで屠る者が少なくないのであって。都に来ることになり、奉公先の厨房で切りきざむ行為を初めて目撃することになり衝撃を受けたもので、幸いそれをやらされることはなく済んできたものだったが、何時までたっても平然と受けながすことができずにいて。生きたまま腹を割かれ、内臓を取り出され、鱗をはがされ、首をおとされ。渦中、ぱくぱく開閉される口。人の鼓膜では捉え得ぬ絶叫と、断末魔をあげる動き。
・・・・万劫年経る亀殺し 又鵜の頸を結い・・・・
「なにいつまでネギ刻んどんねん、とろくさい、明日になってまうでぇ。やっとくさかい、膳だの椀だの出して用意してなぁ」
頭を手ぬぐいで巻いた痩せぎすの中年女、ミカが鯉をさばき、目をむけずに手早く切り身にしながら指示を出し。常人(庶民)の厨であれば広めではあるが、客商売をするところのそれとしては手狭で、三人もいれば往き来が容易でなくなるくらいの。実際のところ、ミカとリウの二人だけであったし、二人とも余分な肉がなかったため全く窮屈さは感じられなかったのだったが。さりながらこの家には、二人を除き四人寝起きする者がいて、その食事の他に、来客の分の、これは主に肴ではあったが、それらを二人で、リウはほとんど戦力にならないため実質ミカ一人で煮炊きしている状態で。もっとも、リウは、薬味を用意したり火を熾したり、煮込みの番をしたりと補助的なことをする(できる)だけではあったが、風呂を焚いたり家屋の内外の掃除をしたり洗濯をしたりといった諸雑用を任されていたこともあって、調理に全般的に関わることが物理的にできない状態でもあって。さりながら、それで良かったのかもしれぬとリウには思われもして。ここに長年勤めているというこの中年女性を見ていて。
「肴と熱燗まだなん。はよ、してんかぁ。お客さんいてはるんやでぇ」
紅で光らせた唇を尖らせ、白粉を塗りたくった男子が顔を覗かして言い。結いあげた髪にクシを挿し、濃い赤の、透けてみえるくらい薄い布の着物をまとい、シナを作りながら。
「ほんまにすまんこってぇ。どんくさいのがいるさかいに、うちも難儀してかなわんでなぁ」
汗で光った面に苦笑するいろを見せ、男にむけて。男は袖を口にあてて、ほほほと含み笑いをし、
「そやんなぁ、ネエさんも、しんどいなぁ。しょうもないやつばっかりで、まぁ他にもおるけどなぁ」
「そら、マツさんはやり手やし気つく人やから、気になってしゃあないやろ。ほんまなら看板にせなおかしいやんなぁ」
「ふん、そんなことも・・・・なぁ。じゃあ、頼んだでぇ。使えないもん、うまくつこてなぁ」
「お互いにな。おきばりやすぅ」
マツと呼ばれる小肥りの男は機嫌よく笑いながら、しゃなりしゃなりと脚をくねらせるようにして行く。背を見せた途端ミカは笑顔を消して、まないたに向かうと猛然と包丁をうごかし、
「使えないもん、てお前のことじゃ。しょうもな。・・・・何遍も言うてるけど、気にせんといてな。ああいい手合いはああでも言うとかな面倒やからなぁ。確かにしんどいはしんどいんやけどぉ、人手が足らんのはうちらのせいやないしぃ、いたらいたでぎゃくに邪魔くさくなったりするしなぁ。まぁ、ええんちゃうゥ」
ええんちゃうと言うのは、補助する者がリウであることを指すものであって、リウは目を向けられてはいないものの、肯いて見せ。リウが入る前日までいたのが若いおなごであったらしいのだが、折り合いが悪かったらしくよくその話を聞かされていたもので。さまざま聞かされ、纏めるとどうやらガサツで口応えをするから、ということであるらしかったが、言動がどうこうというより合わなかった、もしくはその女子が合わせることを怠ったのだろうというのが、リウの推察で。ミカは底意地の悪い人ではないものの、自分のやり方が厳格に定まっていて、そこから外れたり歪んだりするのをこめかみに筋を立てるほど極度に厭う性分であったものだから。リウは器用に合わせられるわけでもないながら、逆らうことは決してなく従順に言うことを聞き、そして性別がちがうということもあるのかもしれぬ、比較的当たられることなくきていて、優しい面を見せられたりもしていて。
「まぁ、あれやわ。くやしいて、イケズしたいだけやしな、あん人ら」
配膳していたリウは、なんとも応えづらく、ああともええともつかぬ声を出す。意味がとれなかった、というわけではなく。あん人らとは、四人の売り子の連中のことで、彼らは自分らの容姿がリウに比して遥かに劣ることを僻み、妬み、もしくは脅威に感じているのだと、ミカからよく聞かされていたもので。それを面白がり、いや、不憫に思い、それによって親切にしてくれている気味もあるようではあり。リウは困惑するしかない話ではあったが。自身が彼らに比して優れているとは思えずにいたし、彼らのような真似(出で立ちのみならず行為)はとてもできないことであったゆえ、比べようにも比べようにあるまいと思う部分もなくはなくて。草木と鳥獣を並べて勝り劣りを言いたてる人などいないはずであり、もしいるとすればその人の尺度がかなり特異というだけの話で。
「これ。また忘れてはるでぇ」
膳を抱えてなかに運んでゆこうとしたそのとき、呼び止められ。箸かつまようじ、もしくは薬味でも忘れたろうかと盆の上に目を走らせて。マツとその常連である客ーー「富や」と言う大だなの次男坊に供するものであったが、つけ忘れはないように思われ。売り子それぞれ、また、その客それぞれの嗜好があるために、幾度となく叱責を浴びせられたもので、一月もたち、だいたい把握できていたように思われるが、さりとて完璧とは自信のなく、何か足らないものでもあるのだろうか見当がつかず、中年女に目をむけると、口のまわりに手を引いてみせる素振りをされ、
「ほっかむり、ほっかむりィ。また、どやされんでぇ」
ああ、とリウはようよう気のつき、慌てて膳を置いて、ふところから手拭いを出して顔を覆い。それは客に食を供するときの決まり、では決してない。今までなかったことらしい。立て混んでいるときはミカも運ぶことがあったが、ほっかむりをせずに、また、それで何か言われることもない。それもあって、リウが妬み嫉みの対象にされているのだとミカは合点しているようであったが、実際のところはリウが自発的にそうさせてもらい、主である者から承諾を得られてしていたことなわけだったが。もっとも、承諾したということはリカの見立てがそう見当外れでもないという証左にもなろうけれど、そこまではリウのあずかり知らぬところであり、関心のないことであり。手拭いをうなじにきゅっと結び、指が目立たぬよう袖にしまう。
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