第123話 ゼンザイゼンザイ

「ごめんやすぅ」

 またぞろとぶらう声のして、戸に手を当てる音のして。どうも先にした声色と異なるような気がリウにはされ、ふたりほど戸の外にいるらしく感じ。荒々しい調子でなく、殺伐とした雰囲気もなさそうではあったが、リウは戸の内側に立って寸刻ためらう。年老いたものが多分ふたり、危険のある人らではないと思われるが、もとより確証などなく。ためらいは恐れから生じていて。万が一、彼を害するような人らであったら、という。そして、その折りにはいかに逃がしたらよかろうとの思案もはたらいていて。

「ごめんくさぁい」

「あッ、こりゃまたくさぁい」

「へへへ、くさくさしててもへはにおう」

 眉雪ふたりがかけ合いを始め、リウの気が抜け、ゆるみ、はいと応えながら戸に手をかけて引く。引きながら、そういえば支え棒をしていなかったと今さら気がつき青くなり、いらえもなくて開けようとしないわけだから信用できるものらではないかと判断できもし。老体ふたりの後ろには、屈強そうな男や女がうごめきどよめき、手に手に刃物や鈍器をもって待ちかまえていて。殺気立ったなかに、片腕のゲンタやその妻おハツのすがたも見え。・・・・刹那、最も望まないその図を想起するもやはり異なり、さりながら異なりすぎてぼう然として見つめ。雨あがり、日のしたに照りかがやくアセビだとかセンニチコウを背後にして、そこにあったのは、大きな二体の木彫りの像。媼と翁の。来たときには確実になかったものであり、頭頂がリウの口もとあたりまでの丈のある特大なもので、運ぶにしてもひとりでは無理そうであり、さりとて運んできたろう人らの姿は見えず。濡れていないようであるため、つい先に置かれたばかりと思われるが。人声がしたわけであるし。なんの目的でここに配置したのか。もしかするとここに納めようとしていて、人の気配を感じとり入れずにいて、先ほど聞こえたのはその声かけであったろうか。それにしてはやっぱりそれらしい姿のなく。自分ではそう永く待たせたつもりはなかったものの、その人らにとっては短くはなかったということだろうか。気が短くて。それにしても、みずから歩きここまで来て、話したり動いたりしていたと言われても異とは感じぬほど精巧なつくりでまじまじと眺めていると、気のせいか目の玉がうごいたように見え凝望していると、

「あんちゃん、どないしたん。えらいジロジロみてきてからに」

 眸子がうごいたように見えたどころでなく、顔面全体のび縮みして話しかけられのけ反りそうになり。気持のうえだけで、後ずさりもしなかった(できなかった)のだったが。木彫りのはずなのに、やわらかく瞬きし、口を開閉し、頬を上げ下げし。いや、木製品に見えるだけでちがうのか、と思いはじめたとき、

「おったまげてはるんやろ。わてらみたいなんは、はじめてなんかなぁ」

 クスノキの木肌の如き皮膚と、合わせたかのような風合いのキモノ。目も髪も。今までお目にかかったことのない様相のものらで、ただそれだけに過ぎないと思いあたり、あたかも異形のものどもと対したかのように無言で凝視していたことを謝してから、

「なにかご用ですか」

 と訊きながら、ご用もなにも、もしかするとここの住人、もしくは持ち主かもしれぬ可能性に気がつき、はっとして、そうでないとしてシュガの知人で会いにきたのかもしれぬのだし。なんのご用で、そもどなたさまと問われるのはこちら側であるのかもしれない。シュガに訊いてみないと分からないことではあったが、引きかえしてから、というのは失礼を重ねることになる恐れのあり名のったりしておこうとし、その前にまず中へ通すことかと心づき、戸の脇へと身を寄せて道をあけ。

「おじゃましますぅ」

「じゃますんなら帰ってぇ」

「おやかまっさんどしたぁ、て、なんでやのん」

 木像のような見た目の媼と翁は三和土に踏みこんできながら賑やかにかけ合いをしていて、リウが話す機を見つけられぬでいるなかへ、

「いかがした」

 とシュガが顔をだし、訪ってきたふたりを見。彼が老体を見る目にも、老体が彼を見る目にも、異なるものに対する驚きだとか訝るいろのなく。さりとて知り合いだとか、ましてや親しい間柄という雰囲気でもなさそうで。ともかくも、危害をくわえるような気配の微塵もなくリウは不安なくいられたが、ふと、気配といえば風貌のみならず常人とはたがうものの感ぜられて、これはケモノのいずれかでもなく、そう、草だとか木に近いような。

「さればよ、おふたりおそれいなんやなぁ」

「めでたし、めでたし」

「あなた方は・・・・」

 心あたりがあるのだろうか、シュガは言いかけ、口を閉じ、なかへ招きいれ。媼と翁は完爾とおもてを皺だらけにして顔を見あわせ。いずれの声もしわがれていて年輪を感じさせはするものの、尺八の如き腹に響く快さのあり。賑やかなしゃべりで気がつかないでいたが、歩くというより滑るようして跫音ひとつ立てず、上がり框へも膝をまげす、片足ずつあげるでなくーーゾウリをぬがず、そもはだしでーー跳びあがるでなく浮くようになめらかにのってゆき。さりながらさまで異様にも思わずリウもつづいて入り。そぞろに、夢のうちにいるのだろうかと思われて、であれば奇狂でもなんでもなく。奇狂というのなら、シュガと思いを重ねあわせ交じりあわせたことからして、うつつの出来事ではないような気のされ。シュガという人が在るということ、吾というものが在るということ、そして巡り会えたということ、思いあえるということ、それらひとつびとつの有り難き偶然の積み重ね、一糸でも乱れたら有り得ぬ不可思議。いや、偶然ではないのかもしれない、宿世であるのか。ずっと求めていたという思い、満たされる思いは、とてもうつし世だけでの出会いからのものとは信じられぬほどの深さと、つよさと、染みいる痛みに似た悦びで。

「なんかようか、ここのかとうか、やろな」

「そんなん急にいうたら、おどろき、もものき、さんしょのき、やがな」

 ならんで坐りこんだ媼と翁は低い声でひとくさり笑いあう。シュガとリウは、勧められたように眉雪らと向きあうように腰をおろし。リウはシュガのとなりに坐ろうとして、口にはされずさらぬていではあったが、後ろにいるよう手で制せられ。シュガは色に出さぬようにし平然たる面もちで、かた膝を立てゆったりとした姿勢で坐していたが、警戒の態勢をとっているのだとリウは察し。察しているのは向かい側のふたりも、ではないだろうか。もしかすると、天礼の手のものなのか。天礼だとか、なにかに使われているもののようには感ぜられはしないものの、自身の感覚に絶対の信頼もおけず。なにか芳しくない展開になったらば庇い逃がそうとしてくれるのだろうが、もしそうなったとすれば、一方的に護られるのではなく、守ってあげたい。ひとりで無傷であったり生きのびて、何になるというのだろう。傷をおうのであればともに負いたいし、身まかるのであればともに。彼の玉の緒が絶えるとき、吾の内側のおおきい範囲も喪失するのだから。息をしながら、彼方者となってしまうのは疑いない。献身だとか自己犠牲などの健気な思いにあらず、すこぶる利己的だろうけれど、吾が失いたくないから、吾のために守りたいので。利己的とリウはおのれを責めながらも、あえて呑みこみ意を決したわけだったが、それはシュガもおなじであるのかもしれず。親子愛にしろ夫婦愛にしろ地域愛、愛国にしろ、それはなべて繋がり、馴染みをもって生じるものであり、畢竟、博愛のものとは、あらゆるもののことを吾がこととして慈しめるものであり、君子といえるのであり。ために、君子の交わりは淡き水の如しと言い、最善は水の如しと言い、おのおの異なる立場のものが異なる文脈で使いながらも相通ずる真理を著してもいて。利己がゆきわたったときに利他へとゆき着き、いや、そも依正不二であり、自他一如。リウの卑下による決めつけにかかわらず、それを利己的とするのは、間違いではないが、正しいとも言えぬわけで。

「・・・・なにかおはなししたいことでも、おありか」

 シュガが無造作に、さりながらぶしつけにならずに切りだし。

「はなしというかなぁ」

 媼は応え、笑顔で翁を見やり、

「はやしでもカレぇでもええんやけど、なんとのう見とうてなぁ」

 常時小刻みに震えている首のふりが大きくなり。老輩ふたりは肯きあっていて。

「ここまでのは、えらいしばらくぶりやなぁて。わてらが枝によう花つけてたぶりくらいになるんか」

「なんや、あたりが騒がしな、ておもってな。騒がしていうんか、かっぱつやなて」

「いや、幹が太うなってえらい枝ぶりになったときなんかな。まだまだあのカミさんのキもあったときやから」

「まぁなんやら、鵜の目鷹の目でさがしとるもんいるみたいやけどなぁ」

「こらまた、えらいでかい巳さんや」

「巳さんいうか、ジャやし、オロチいうんかなぁ」

「なんやったか、スナゴラなんたらいうたか」

「あの暴れんぼうのなぁ。ヤマをふたつみっつのみこんで」

「川だのイズウミだのけしたり、あたりの生きもん腐らせて岩場にしたりなぁ」

「あのしょうもないオロチ、寝てたはずやけどなぁ」

「起こしはったんやなぁ。なりはちいさい、光をうしなったもんがなぁ」

「もともとそういうチカラのたけたもんらしいけど、それより執念やろねぇ」

「あのオロチをおこすんは、おのれのミタマを捧げるくらいのことせんとかなわへんやろしぃ」

「こわや、こわや」

「さがしてるいうんは、そんひとがでなぁ」

「ねらってる、いうことやねぇ」

「オロチつこてえらいいろいろやらはってるみたいやねぇ」

「あんひと、オロチ起こして、つこて。もう逃れようとしてもあかんやろねぇ。そうするつもりもさらさらないやろけどもぉ」

「根づいてるやろからなぁ。そやかというて、そう恐れることもないねんでぇ」

「そやなぁ、こんひとは(と言ってシュガを見やり)タマシイの一部切りとられてるみたいやけども、そんでもなぁ」

 いらえになっているものかどうか、そもしようと思ってのものか、媼と翁がむき合いとりとめもなくひとしきり談ずると、シュガとリウに顔面をむけて、

「チョウだのカミキリムシだのコガネムシだのトリだのクサだのキだの、なんやかや、えらいにぎやかにはなししてはってなぁ」

「そんときも、そうそういなかったんやけど、この頃はめっきりいなくなったんよな」

「わてら、しょうことないから寝てたんやけど、それでおきてな」

「そやけど、あんときにも、ここまでのもんはおらんかったんやないか」

「てんが割れたような雨やったやんなぁ。あれもまぁ、クモもかっぱつになったいうことやろねぇ。ぐわらぐわらとカンダチもあってなぁ」

「なんや狙われてはったけど、どうすることもできひんわなぁ、人ふぜいには。こうして、まがりなりにもそろってはって」

「カンダチも、ほんまもんの神立やしな。雨いうより、あまつみず、やったしなぁ」

「それで見物かたがた、あいさつかたがたきたわけやぁ」

「わてらも、今度はいつお目にかかれるかわからへんし」

「それに、寒いなかでのたき火みたいなな。あったまるいうか、かっぱつになんねん」

「そやで。そやからひさかたぶりにうごいて、うごけてここまで来られたしなぁ」

「ほんまほんま、はるなつあきふゆ、何百回うつりゆくなか、だるくてうつらうつら舟こいでたからなぁ」

 媼と翁がかわるがわる陳ずることは、おたがいの文句を補いあうというのでなくてんでバラバラではあるものの、そんななかでもおたがいの声に被ることのなく聞きとりやすくはあり。ジグザグ行きつ戻りつしながらなため、いささか組み立てなおす必要はあったが、さりとてさまでいり組んでないために容易にひとつの線にできて。いまの世の人の親と子が生まれ死にする年月、もしかすると祖父母から孫にいたる三代が生まれ死にする年月を経て、いや、さらにかもしれぬ。永い永い過ぎし日から存在し、そのすくなからぬ時を微睡んでいて、あたりを活性化させるものが現れ彼らも活性化させられて訪れた、ということらしいことはリウにも掴め。もとよりシュガもであろう。掴めはしたものの、新たに疑問もわき。活性化させるものが吾やシュガというのは、いかなることなのか。彼らはやはり、人でないものか、尋常でない人ということか。

「とどのつまりは、めでたやめでたや、いうことやなぁ」

「とよほぎに、いえるかなぁ」

 木像のように見える人らであろうかと思おうとしてきたものだったが、木そのものであるものら。それはリウにはすんなりと呑みこめ。むしろただ人であると信じるほうに無理を覚え違和感があったため、つかえが取れてすっきり風がとおる気分ではあり。見た目やうごきのみならず、漂う体臭があきらかに肉から発するものでなく、体臭というほどの臭いもなかったが、気がつけばいつの間にか室内のうっすりあったカビ臭さが消えていて、雨上がりの樹間にながれるしめったかそけき芳香の如きものの感ぜられて。疑問をもちながらも拘泥することなく、そぞろに酔うような心地でリウはふたりを眺めていて、シュガはどうしたのかこと葉を発さずにいるなか、

やおら媼と翁は起ちあがり、謡い、踊りはじめて。


 とこに掛けもの アメツチの


 にわに松竹ツルとカメ


 これの座敷にマイメロクロミ


 ことほぎまつる ツルの声


 うたいそめには きゅう太郎


 銀のリュウの背にのって


 ボウヤよい子だ ねんねしな


 タマながらえとならいたし


 ナニャド ナサレテ ナニャドヤラ


 ナニャドヤレ ナサレデ ノーオ ナニャドヤレ


 ナニャドヤラヨー ナニャド ナサレテ サーエ ナニャド ヤラヨー


 ナニャド ナサレテ ナニャドヤラ ナニャド


 おおきく腕をふりあげ、脚をあげして。ゆったりとした動作ながら決しておとなしいうごきではなかったのだったが、息ぎれひとつするでなく、また宙を舞うように床を鳴らすこともなく。くうきを乱すこともなく、むしろ清涼な気がながれはじめ。


 ナニャド ナサレテ ナニャドヤラ


 ナニャドヤレ ナサレデ ノーオ ナニャドヤレ


 ナニャドヤラヨー ナニャド ナサレテ サーエ ナニャド ヤラヨー


 ナニャド ナサレテ ナニャドヤラ ナニャド


 うたまいしていたのは媼と翁ではなく。そびえ立つ樹の如きおみなとおのことなり、稚葉のようなおみなとおのことなり、若芽のような女わらべと男わらべとなり。放たれる雰囲気も声も瑞々しく若やいでゆくにしたがい、色もかわってゆき、デコボコしてはりずり色であったものがなめらかになり色うすれ、若芽いろになったとき、たかく清らな笑い声でさざめくと、

「ゼンザイゼンザイ」

「めおとゼンザイ、やなく」

「あまいアズキとモチの汁けのあるやつでもなくな」

「よきかな、やで」

「ゼンザイ、ゼンザイ」

 つやつやした若芽いろのおさなごたちは、イタズラするような笑顔をリウとシュガに見せて跳びあがり。着地することなく、風に舞う木の葉のように蔀戸へと飛びぬけてゆく。花やいだ笑い声と、こと葉をのこし。

「善哉、善哉」

 きらきらした笑う声、かそけき爽やかな樹の香、それらの余韻だけのただよい。ぼう然として見送ったリウはふたつの存在が坐していた場所へ確認するかのように目をむけ、シュガのうなじに当て。

「あの・・・・」

 ふたりは何だったのか、とリウは問おいとして、どうしたものか葉が詰まってしまう。やはりカネタタキの閑かな音がしていて、外からはモズやノスリの啼き声に、ツクツクボウシの音がそよ風とともにおとずれ。なにとまれ、欣喜雀躍としたさまを振りまいてくれて、助言だとかなにかをくれたらしいし、胸が和やかにあかるく霽れわたっていて。然り、なによりまず、言祝ぎに訪いきたってくれたようであるし、あの正体はなにかとかどうとか、どうでも良いことではないだろうか。そうリウは思いいたったとき、

「おそらく、このあたりにいる一対のめおとの神。古木にやどる神なのではないかな」

 シュガが顔だけむけて言う。ふとこちらへむかう途中であった、シノブの寄生したクスノキの大木が思いうかび。根方にあった祠に手をあわせたことも。ニワトリでもなく、タマゴでもなく、ヒヨコでもなく、そう、こっこという女わらべとともに。貧しい身なりでそこから推せる環境に住するものであろう、明るい先ゆきであればよいけれど。いささか気にかからなくもなく。それはかつてのタマを重ねているからであろうか、リウはそこまで自己を掘りさげてゆくことはなく、思いにふけっていると、

「ひとりでなく来て、話しを聞きたいなどいっていたとおもうが」

 躰全体をうごかし、正対したシュガに言われ、リウははっとして思いだし。川辺の木蔭で涼み、心身ともに快くほどけていることざまで、目的があって来たことは思いだせたものの瞬時に具体的に説明することのかなわず。まずは、セヒョとともに、と述べ、リョウヤはべつ行動をしているが、今ともにいることを続け。

「リョウヤ。ああ、あの・・・・」

 あの、の後は十中八九、女親のことであろうとリウは察し、そうかその説明も要るのかと気がつく。そして、遡って彼とシラギ山で別れたところからすべきだ、とも。まず謝して、もの問いたげなシュガに、別れ下山し、水戸やに返事をしにゆく最中、意識不明となりそれから水戸やに世話になり、龍女にはいないことを話し。そういうありさまであったから知らせることもかなわずいて。

「そんなこと、かまわぬわ。無事でいてくれれば、それで」

 やさしく笑いかけてきて、めてでひだり頬にあてられて。その手に触れて肯き、涙ぐみそうになりつつも続け。それからリョウヤと路で出会い、リョウヤも水戸やに引きとられたこと。イルカという、どうやら天礼の手であるらしい術師のこと。意識不明となったのはどうやら彼女の仕業らしく、コヅキが捕まえようとしたが逃げられ、その後コヅキの屋敷が焼かれたこと。イルカの話しになったとき、シュガはめてを下ろし、考えこむ表情となって、黒曜石の如き眸子を左側へなぞるようにうごかし。イルカか、とつぶやく。どうも心あたりのない気色で。ハナ、トリ、カゼ、ツキと同じように目を損傷させられているらしい。年齢としても四人に近いようであったし、まだ訊いてはいないが、ハナ、トリ、カゼ、ツキが知っていやしないかと思っているのだが。そう補足したとき、凛々しいおもざしにかすかなさざ波のような変化が見え、

「・・・・まさか、な」

 と独りごち、それでいて、いや、と応えてその中身を語ってくれることのなく、そしてリウも喰いさがりはせず。必要とあれば教えてくれるはずだと信じていたため不安や不満のきざすことのなく。

「みんな待っているとおもうので・・・・」

 何であれば水戸やまで往くほうが良いだろうかと思いうかべつつ、それを含めセヒョらと話してからと思い、そろそろ出立しようとうながしながら、赤面してしまう。何ゆえに待たせることになったのかを、ふっと回視されて。居たたまれなさもありながら、一方ここを去りがたく後ろ髪をひかれる思いを覚えながら。いっそこのまま、ふたりでいずこかへ落ちのびたら、という案がひらめき、自分がでに意表をつかれ慌ててもみ消そうとし、もみ消そうとしながらも、かくなる望み、願いを吾はもっているのかと気がつき、実行したり口にしたりはしないけれども、シュガが諾うかどうか分からないわけであるし、さりとて抹消しなければならぬものでもなかろうと、その思いをそっとてのひらに乗せて包みこみ。いまの自分のうちでは、もっとも貴いものであるような気のされてならず。振りきることのなく抱えながら起ちあがり、シュガに起つよう手をのばしたとき、小さく叫び声が出てしまい硬直し。不意にガツガツと激しい音が立ち、家屋がゆれて。ないふるだろうか。なす術もなく立ちすくんでいたリウは、気がつくと素早く立ったシュガに抱き包みこまれ、庇われていて。護られるばかりでなく守りたいと思った矢先だというのに。そんな自分にかすかに苦笑しつつも、自虐的になるでなく、酔うような心地で相手の胸もとに頬を、鼻をあてていて。恐怖心もゆめさらなく。むしろ、このまま一緒に彼岸にわたれたら、とすら思え。もろともにあわれと思え、アメのひと。

騒音のやみ。と、

「なに乱暴にしよるねん。ガタガタガタガタやかましいしよってからに」

 もの言いは荒いものの、声はわかい女人で。タマのものだ、とリウは聞きとり。

「おるかぁ。はいるでぇ」

 とりあわずに掛けてくるのは男声で、セヒョに間違いなく。声がしたかと思うと戸が勢いよくひかれ。

「打ちこわしやないねんから、そうガンガン叩かんでもええねんでぇ。このおっさんはぁ」

 開いたところで、まっ先にタマのつよめた語勢が飛びこんできて。三和土に踏みこんでくる音のして、リウはシュガの腕に手をかけてやんわり外してもらい。今にも乗りこんできそうなセヒョを迎えにゆこうとして、付いてこようとするシュガを手で制し、すこし待っているように低声で頼み。なにとなく、ひとりで先に顔を見せたほうが良さそうだと判断したからで。凍てつく明け方に、ぬくい寝床を後にするような心のこりを感じつつ。

「ああ、無事やったみたいやな」

 肩を怒らせ炯々と双眼を光らせていた丈高くいかついボウズ頭が、リウが見えた途端ゆるんで完爾と皓い歯を見せ。すずろに眩しくて目線をそらし。

「そやからいうたやんか。なに心配しとるねん」

「あいつはおるんか」

 声をひそめるでなく、むしろ聞こえよがしにし、黒目を素速くまわし。一点にとまったかと思うと、その視線の先にシュガが現れて、リウのとなりにならび。

「ああ、やっぱりいたんやな、われ」

 語気に凄みがあらわれ目つきも変わり。無理からぬことなのだろうかと分かるような気がしながらも、やはり戸惑い。祭司長の目にあまる愚かなまつりごとを正すため、天礼を支持していた賊のなかにいて。そして、ねぐらとしていていた住処を襲われ、頭目は深い傷を負い、それを指揮していたのは祭司長。そう思いきや、実はそう見せかけたらしく天礼の差し金であるらしいこと。シュガをはじめは祭司長の配下であると見做し敵視し、吐かせようとするも事実はちがい、天礼の血をうけたもので、天礼のために働かされていたもので。セヒョからしたら、シュガは真の敵の側にいるやつ、ということには変わらないわけだから。洗脳されるよう叩きこまれ、内側に魑魅魍魎を納めこまれして使われていたわけだったが。と、そこまで巡らしたとき、ふっと先刻の媼と翁のいった文句が思いうかび。

「こちらに来るとき、だれかと、なにかと、ゆき会わなかった」

 とセヒョとタマに訊ね。険悪な雰囲気ーーセヒョひとりが一方的につくり出しているものではあったがーーをやわらげたい狙いもあるものの、そのこと葉自体にはさまで意味のないもので。賑やかな掛けあいと、その後にあったことでしっかり捉えて吟味できていなかったが、眉雪らはいろいろと有益なかんがえる端緒をあたえてくれていたのだと改めて気がつかされて。たぐり寄せる行為として、訊ねたもので。

「さぁなぁ、人っこひとりいなかったけどなぁ。て、このおっさんがえらい勢いでいたから、だれかいたとしても逃げだしんたんかもしらんしなぁ」

「だれがイノシシやねん。これといって人も、人でないもんもみかけんかった気ぃするけど」

 どうしたんだ、ともの問いたげに見つめられ、曖昧に肯き、

「みなのところで話そうかな、て」

 と、こと葉をにごし。あの媼と翁によると、シュガのタマシイの一部が切りだされているという。そんなことをされて平気なものだろうか。そうされた人が隣に実在するわけではあるけれども。その切り離された部分があるとしたら、いずこにあるのだろうか。もどせるものであれば、もどすべきだろうし、そうしてあげたい。そう思ったときに、焰がひらめき見える。通常のかたちと異なり、ふたつツノのように伸びあがり。・・・・

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