第53話 ムロジへ

「いける、いける、心配あらへんがなぁ」

 先刻から、請けあう文句を口にし続けどおしの、サンキュウ。モミジからなんとか荷馬車を借りうけることがかなう向きとなったわけだが、そこで大きな問題となったのは、ふたつあり。ひとつは、行きはよいよい帰りは。返す手だてであった。やるならやってしまってもいいんだけどねぇ、と言いはしていたものの、荷車だけであればともかくも、駒という生きた存在はべつであろう。リウにはその血統だの質といったようなものを見分けることはできないながらも、大切にあつかわれていることは見てとれ。優しい目をしていて、おとなしい気性。モミジからは駒を慈しみ、駒からはモミジに懐く気配をなにとなく感ぜられ。

「いける、いけるがなぁ」

 荷台が大きくかしぎ、リウはシュガ投げだされぬよう抱えて、下に腰を据え揺さぶりに耐える。返す手だてを案じたというのは、モミジが貸すことには応じたものの、馭者となることを拒んだからだった。自身のみならず身内をも。セヒョの介抱でそんな余計なことに手はさけない、ということはあろうけれど、他にも理由は考えられる。送り届けた先での、報復等の可能性をみてのことだろう。であれば、行きさえ危ういことになる。リウはひとたびも手綱をさばいたことがなかったものだから。さりとてのんびり手をこまねいている暇などなくて。というのは、荷馬車を借りうけられると決まったとき、シュガが膝から崩れおち。意識を失ったいて。地に倒れこむ前に抱きとめることはできたものの、馭者を失うことになったわけで、またひとつここで問題が生じたので。より帰還する必要性が増したわけでもあるが、不可能性も高まって。留まり、休ませたほうがよかろうかという思いがよぎりもしたが、とはいえここに留めおくことにも不安がすくならず。おなじく懸念があるのであれば安定できる方向へゆこう。さりながら自分にはたして制御してゆけるものだろうか。シュガを抱え、そう逡巡しながらも、やるしかないとこころを決したとき、

「わしがやったる」

 老人が名のり出た。繰ったことあるのかいと賊頭に訝られると、いける、いけるがなと自身の胸を叩いてみせたものだった。すくなくも賊の一員ではない中立的な立場であり、行くことができるのであれば帰ることもできるわけであって、双方(モミジ側、シュガ側)いずれにとっても好都合な提案ではあった。モミジは押して疑問を呈することのなく。大丈夫だと判断したものかどうか、ただそこにかまけているわけにゆかなかっただけかもしれぬ。リウはほっと胸なでおろし安心してしまい、サンキュウに手伝ってもらいシュガを荷台に運びあげたものだったが。

「慌てない、慌てない。ひと休み、ひと休み」

 三人乗りこんだまではよいものの、馬の脚はなかなか動かなかった。どうしたのか問うと、ひと休み、ひと休みとうそぶく。いまさらながら、駒を御したことがあるのか訊くと、年少のころに二度、三度あるのみだという。しかもそれは従者がいて鞍をつけたところに乗ったのみで、馭者の経験は皆無なのだそうな。もっとも、そんなことは老爺の前身ーー僧侶でありましてや大僧正まで登りつめたひとであることを聞いていたわけだから、充分予測できそうなはずのことではあったのだが。しまった、とぼう然としている間に、馬の脚がうごきだす。気をよくしたのだろうか、サンキュウが機嫌よく唱える、

「有漏路より無漏路へかえるひと休み・・・・」

 無漏路へとゆくのか。戯れ言だろうとリウは理解しながらも、ほんとうにそうなってしまうかもしれぬ可能性の高いことに血の気がひいてゆく思い。止めさせるべきだろうか、かといって治療できるひとのいなさそうな、そも人家の見あたらぬこの辺りで降りてどうなるものでもないだろうし。思い迷っているうちにも、がたがた揺れながら進んでいる。

「南無三ッ」

 がごッ。木片か岩に乗りあげたのだろうか、車輪が鋭い音をたて、荷台がうき、激しくかしぐ。リウは必死になって荷台にしがみつきつつ、シュガを抱えこむ。なるたけ衝撃をあたえまいと、頭を胸に抱きながら。ことに彼を投げだされぬように、傷をおわせぬようにと懸命に気をはり、身をはりしながら、そぞろに思いおこされていたことがあって。幾とせか前のこと。村から都へとむかう途上。人買いに連れてゆかれる道のなかには川もあり。舟のひととなったことがあって、そのおりの体感がゆり起こされる。むしろ舟のほうが安定感があって乗っていること自体に危惧をいだかされることはなかったものの、行く先の不明と、見とおせぬがゆえの心もとなさは似ていて。これからどうなってゆくのだろうか、と。いまは、その折りと異なり、はたして向かうべき場所に向かえているのかどうかさえ覚束なかったが。さりながら今は、あの折りと異なり心細さはなかった。我が身を案じている余裕がない、ともいえようか。シュガをなんとしても無事送り届けねばとつよく思う。届けられぬまでも、その身が損なうことなきようしとげたい。いや、願いだの望みだのではなく、しとげるのだ。必ず。何があろうとも。

「いける、いける、心配あらへんがなぁ」

 サンキュウがまた暢気にひとりごつ。それは考えなしだとか、無鉄砲、もしくは恐れを抑えるため自身に言い聞かせているのでは。そうリウはつい先まで思っていたものだったが、そうではないのかもしれないと思いはじめてもいる。もしかするとそれらがなくもないのかもしれぬが、それだけではなくて。

 いずこに向かっているのか定かではないが、下るでなく山の奥にはいっていっていることは確かな気色。濃く交じりあう草木。緑と水と土の香。木漏れ日がおどり、虫や禽獣が音を奏で。啼き、木をうち、葉をはみ。茂り、擦れあう草、葉。地のうえにしずかにかすかに舞う、サギソウたちの可憐で清廉な白い花びら。荷馬車の立てるけたたましい音声は、それでいながら不協和をかもすでなく、調和す、とまではゆかぬにしろ、風景に違和感のない一点となりおおせる。言うならば、ゆく川の流れにある一片の布きれが如くに。見方を転ずれば、造作もなく吸いこみうかせるだけの、深々としたいのちの循環が息づいているということでもあろうか。ためにであるのか、リウは庇おうと必死になってかまえながらも、どこかで安らぎを覚えていて。虚勢だとか信念ではなく、大丈夫だとやわらかく確信をもてている。確信、それは信頼ということでもあり。生々流転する万象へと。それはすなわち、自らへともなり。静かに息をはき、シュガの背をなぜる。

 「雨降らば降れ、風吹かば拭け」

 サンキュウは愉しげに朗唱す。不意に、揺れ突きあげがとまる。

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