第52話 カタツムリのツノ

 鈴のふる音が聞こえる。金や銀やらの花粉の舞い、ふりかかるようなかそけき、涼やかなつらなり。身の内にも沁みわたり、共振している感覚。ひょっとするとそれは、内から起こりしもので、外と共鳴してあるのかもしれぬ。いや、内も外もなく、こまやかに響きわたってあり、そのなかに吾があるだけのことだろうか。響きが万物を成し、吾がある。リウはこころの耳を澄ませながら、あげは蝶の舞うさまを眺めていて。その翅をひらめかすさまは、自身のものでもあると感じる。胸のうちが歓びにふるえ踊りだすさまが、あたかも蝶の如くということではなく、吾もまた蝶であるーー蝶とおなじくこの世を織りなすひとひらであるという覚え。吐く息、吸う息に、かがよう光の粒子。花びらの流れ。光る土を踏みながら。

「行こう」

 シュガにそう言われ、やわらかく背をうたれ、うんと肯く。こころの求めるままでゆくのであれば、離れたくなかったのだったが、それでは歩けもしないことは考えるまでもなく理性では判断がつき。シュガから強引に引きはがされることのなく。待っていてくれている気色。リウの気もちの準備がととのうまでの間。リウはシュガから離れる。ひとつであるものが、ふたつに別れる。にわかにリウは冷静になり、ここはいずこであり、シラギ山の住み家からどれだけの距離があり、はたしてどうやって向かうのか、等いくつか問題点を思いつく。どうやらシュガは単身でーーそう、単身で、だ。たったひとりでーー、自分の脚のみで馬などつかわなかったようだから、比較的近くにあるのだろうか。荷台に括られ運ばれている際は長く感ぜられ、遠くまで来させられたように思ったものだが。もしかしたら、シラギ山のなかですらある、とか。リウが疑問を口にしようとしたそのとき、

「カチでは難儀ゆえ、荷馬車でゆこうか。もっとも、貸してくれるものかどうかな」

 貸してくれるものかどうかも何も、こちらから訪ねたわけでなし。いささかいらッとそう思いながらも、今おかれてある状況を思いおこす。決して友好的ではない連中のなかにいて。正確にいえば、シュガひとりに対するものであり。シュガを呼びつけるのが、眼目をはたす段階のひとつとしてあり、明らかにまだまだはたし終えてないようであるから。ために、すんなり貸しあたえ、送りだすと考えるほうが、向こうの立場であってみれば、あり得べからざることではあろうと。リウはようよう思いあたり、どうしたものかと思案し、シュガの双眸を見やる。シュガには憂いの翳りがひとしずくもなくて。むしろおもしろがっているようでもあり。

「カサぬとは、断れぬだろ、降りやまば」

 シュガは、語るというより、謡うといった調子で言い。え、とリウは小首をかしげる。戯れ言であるらしいと思ったとき、

「こら、うまいこと言うたな」

 いつの間にか側らにいた老爺が手を打ちあわせ、破顔一笑。

「一本とられたなぁ、お頭さんよ。カサぬとは、降りやんだからには断るまいと」

 サンキュウはふり返り、歩み寄ってくる盗魁に声をかける。モミジは片手で顎をさすりつつ、リウたちーーシュガ一択だろう、睨めつけるように凝視し、苛立だしげに、

「へん。イッポンもスッポンも首切りおとせば手も足も出なくなるのは同じさね。今は見逃してやるよ。祭司長との関わりをはっきりさせたかったんだけどね。真っ正直にこたえるとは思わないけど、ま、かるく訊いとくよ。なぁ、どうなんだい」

「かかわりか。・・・・なくはないが。で、貴様らも素直にはくとは思えぬが、だれをイヌとしたのじゃ」

「ふん、イヌなぁ。したのか、自らなったのか。イヌだけにそんなものイヌのかもしれないじゃないか」

「居ヌのカモか。トリちがいしてるのかもしれぬな、お互いに」

 表皮では皮肉を飛ばしながらの穏やかな対話ではあったが、ひと皮むけば腹のさぐり合い、白刃を抜くまえの間合いの詰め方にあい似たり。当人らや老爺はともかくも、リウは終始刃物をちらつかされているような居心地のわるさ、いや居たたまれなさを、あまたの針で肌を刺されるように感ずる。

「先に告げておく。二度目はない」

「はぁ、お偉いもんだ。アタシに命令するなんざ十年早いんじゃないかね」

「命令なんぞしていない。あらかじめ告げておるだけだ」

「脅しってわけだね。アンタが大人しく話に応じるてのなら、なにもこんなことはしないさね」

「こんなことをした、イヌではないかもしれぬ、手引きした者は誰じゃ」

「さぁねぇ、なんのことか。こんな話していても不毛じゃないかねぇ。アタシらはシナノに帰る。アンタらも帰ればいいじゃあないか、それだけさ」

「イイジャナイカ、ヨイジャナイカ、エイジャナイカ、エイジャーナカト」

 サンキュウは片手を交互にあげ、膝もあげ、くちびるを突きだし目をみひらいて、拍子をうって踊りだす。歌い、ひとしきり四肢を前へ後ろへ、上へ下へと移し動かす。目の玉をも、融通無碍に。さすがのシュガもモミジも気を吞まれ、呆気にとられ眺めていて。

「ぶわッはッはッ」

 老体は大口を開け、笑い声を立てる。張りつめやり合っていずにいて、傍観者となっていたリウは、思わずつられて噴きだす。噴きだしてから、しまったと口を抑え。シュガ、そしてモミジにそっと目を走らす。シュガの視線が反射的にむけられ、目があい。表には怒りも憎しみもなく、睨むかたちもなかったものの、強張っていて。ふたりのやり取りをおもしろがり、あざ笑いでもしているのかと見られたのでは、と。シュガの目はすぐやわらぐ。かすかに笑むシュガにリウは笑い返しながら、キンと胸に淡い疼みがよぎり。勘違いされることを案じた。それは、意識の表層にまでは表れぬ、いや、表れさせぬようしていたが、事実、内心そう思っていたからだった。蝸牛角上の争いではないか、と。

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