第57話 夢とのかさなり
「ナンマイダー、チェンマイダー。ナンマイダー、マイマイダー。ナンマイダー、サンパイダー。ナンマイダー、ナムサンダー・・・・・・」
読誦しだした老爺は懐からサレコウベとバチを取りいだし、叩いて拍子をとって。囲炉裏におこされた焰によってできた影が、拍子にあわせたようにゆらめき躍る。シュガの身は床にじかに横たえられてあり、せめてムシロでもないものかとリウは思うも、そうでなくとも異形ともいえる姿の巨体の老婆には声をかけ難く。ましてや、サンキュウが声高らかに読経のようなものを発しているなか、そのなかを押して、それはつまり声を張り上げる格好になるため、ためらわれもして。
「ナンマイダー、ゼンマイダー。ナンマイダー、シュウマイダー。ナンマイダー、ハクマイダー。ナンマイダー、コクマイダー。ナンマイダー、ピーマンダー。ナンマイダー、・・・・・・」
せめてこうべだけでも。シュガの肩のあたりからすこし浮かせ、その下に膝を差しこみ。腿のうえに頭を置かれた者は、静かに規則正しい寝息をたてていて。昏睡状態ではあったが、そう案ずることもないのかもしれない。老婆が言ったとおり、よく睡っているようにしか見えず。馳せてきたこと、諍いがあったこと。それらも無論あるとして、それ以前に、疲弊するなにかがあったのではなかろうか。朔の日、その前後一日は山奥にはいり、人を寄せつけぬという。その間、そこで何をしているのかは、知らぬ。知らぬものの、土や草木の粉だの汁だのをうっすりまとっていて。こころもち眼窩がくぼみ、鼻骨や頬骨が秀でてみえるようすから、その間眠らず食べずしていたのではと感じさせられ。そんななかで、何里であるのか駆けどおしに駆けてきて、争い、しかもその争いは肉体のみならず身内にあるものをも酷くあつかうものであり。なぜ居場所が知れたのだろうか、一瞬疑問がさすも、四人のわらべら、ことにトリであれば視え、示されたのだろうと思いあたる。それにしても、彼のうちから噴きだした黒煙を思わせる魑魅魍魎、あれは一体。うちに巣くい、消え去りはしたが、はたして消滅したものなのか。見えるところからなくなっただけではなくて。
「ナンマイダー、シシマイダー。ナンマイダー、ミコマイダー。ナンマイダー、キョウマイダー。ナンマイダー、・・・・・・」
シュガのまなこを閉じているさまを見ていて、リウはかるい驚きを覚える。疲憊の気味があるなかに、意外なものがかいま見えて。あどけないくらいの幼さ。そして、間違いないと確信めいたものをもてた。
それは日の暮れかけた山の端で。赤茶けた風景。さりながら晩陽のいろ、それに染められて、ではなく。辺り一面草木が枯れはて、赤茶けた土の内臓がむき出しになっていて。そのむき出しになった土は土で、自然ではないこの世ならざるものに侵されているかのように見えもする。爛れ崩れおち出来たかのような、ほら穴。何処にまでつづくのか、黒洞々たる闇を湛え。そばにあるふたつの人影。壮年の男と、童子。それがまことにうつつの世の、過ぎ去りしときにあったものかどうか、夢でみた光景。大きな傷痕をもつ壮年は若かりし時分のモリゾウであり、その側らにいて、洞窟の闇のなかに分け入ってゆく童子こそが、間違いなく。どうか、どうか、生きていて。いつか、必ず救い出してあげるから。そうつよくつよく、念じたものだった。禍々しい闇のなかに融けゆく幼きみぎりのシュガを、ただひたすら手をこまねいて眺めているほかなくて。
「ナンマイダー、イチマイダー。ナンマイダー、ニーマイダー。ナンマイダー、サンマイダー。ナンマイダー、ヨンマイダー。ナンマイダー、・・・・・・」
夢では触れることもかなわず、なにもしてあげられなかったものだったが、今はちがう。触れられていて、何かしら手をうつことのあたう。いや、うたぬ手などあり得ようか。こうして、願ったとおり、無事生きのびてくれていて。そして単身、ただただ吾ひとりを救うためだけに、おっとり刀で馳せてきてくれたので。
さりとて、なにができ得るであろうか。吾に。サンキュウは一心不乱に誦していて。老女は囲炉裏端で火にむかい。聞こえる心配はないだろうとリウは見てとり、シュガにこもり唄をささやく。なにとなく、そうしたくなり。意味のかけらもないことで、それが何かしらの足しになるとも自分がでに思わず、むしろ足しにならぬと自覚していたからこそ羞じらい辺りのようすに耳目をそばだてたわけで。
ごっちゃなわらす、玉もてではる
ひんのわらすはくれえ玉
すいのわらすはしれえ玉
玉こばはこぶはおっがねぇ
おっがねぇかみくだきもするニジの神
はこぶはアメとツチとのゆうとこさ
かっちゃのリルのふところさ
・・・・・・
「ナンマイダー、ロクマイダー。ナンマイダー、シチマイダー。ナンマイダー、ハチマイダー。ナンマイダー、キュウマイダー。ナンマイダー、イチマイダー。ナンマイダー、ニーマイダー。ナンマイダー、サンマイダー。ナンマイダー、・・・・・・」
草葉のそよぎ、水のしたたりにもまぎれ、搔き消え、してしまいそうなかそけき唄の声。ましてやサンキュウが大声で読経まがいのことをしている最中であって。間近にいてさえ、かろうじて、何ごとか声を発している、どうやら歌っているらしいと知れる程度のものであったはずだが。老婆の肩にぴくりと痙攣が走り。その反応をアブにでも刺されたかのような痛みに似た鋭く迫るものによって気がつき、婆の背に目線がむいて。まさか、と思う。が、刺された跡が腫れあがってゆくように、そのまさかだろうという思いが急速にふくらみゆき。しこうして、老婆がひとゆらぎし、ゆっくりと体をねじって頭をむけてきて。泥の仮面に亀裂がはいり。固まったような無表情に幽かな変化がみえ。皺に埋もれた小さい目が、獲物を狙う猛禽類の如く爛々とひかって。ねじった姿勢のまま手をつき、立ちあがり。眼をリウにあてながら、向かってくる。サンキュウは気づかないでか、それどころでなく絶叫するように誦していて、
「ナンマイダー、シチイダー。ナンマイダー、ハチマイダー。ナンマイダー、キュウマイダー。ナンマイダー、キュウマイダー。ナンマイダー、キュウマイダー。ナンマイダー、イチマイタリナイダー。ナンマイダー、イチマイタリナイダー。ナンマイダー、・・・・・・」
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