第91話 ヘチマの如く

「あいかわらず・・・・これ見よがしに派手やかだぁねェー」

 聞き覚えのあるしゃがれた女声。目をむけて、息をのむ。こってりと白粉を塗りたくり唇には紅をさし、櫛を何本も挿したカモジをつけた大年増。オウギをしきりにバタバタ音たてて動かし、ニタリニタリと作り笑いでいた様相にもぎょっとしなくもなかったものの、なかんずくそれがミワアキであってからで。白壁のヒビ割れの如き皺。着物も赤や黒の織りなす目立つ色あわせで、この一体は色街ではあったが、それでもこのような出で立ちで、ましてや昼ひなか戸外をうろつく者など稀であり、まわりから明らかに浮いていて。しきりに手をもみ合わせる様子からしても、貶そうだとか挑発しようとしてではなく、お世辞のつもりで言ったものらしいと察せられ。さりながら相手にどう思われているのかを、リウはさまで気にかけることのなく、

「ご無事だったんですね。よかった。ついさっき、偶然この子と出会って・・・・」

 となりにいる筈のリョウヤへ顔をむけるとそこには姿のなく、えッ、と戸惑い見まわすと、少し離れたところにいて、二人から目を逸らすように横をむき、俯き。地面のアリかなにかを睨んでいるのだろうか。頬や肩にこわばりが表れていて、両手をかたく握りしめていて。つい先まで開きはじめていた胸襟が、また強情に閉じてしまった気色。確かに場違いな格好をしている肉親は恥ずかしいものだろうけれども、どうやらそれだけではないらしく。なにゆえ、先ほど訊いたとき、母親も難を逃れ都にいると答えなかったのだろうかと引っかかってきて。もしかしたら、と一つの解が閃く。

「そうずらかァー。キグウなこともあるだァーねェー。カミさまのおミチビきかもしれねェーずら」

 泡喰って親子ともども必死こき、山をおり逃げのびてきたのだ。そう薄す笑いをうかべながら、それでいて抜け目なさそうな細い目を好色に光らせ舌舐めずりするように頭の先からつま先まで値踏みするように凝視してくる中年女の言を聞いていて、キグウでも偶然でも、カミさまのおミチビきでもないだろうと直感し。リョウヤが羞じているとすれば、それは母親に対してではなく、それが幾分かなくはないにしろ、なにより自分自身に対するものであろう。気にすることはない、気にすることはないと労ってやりたく。反発されるだけかもしれぬが。致し方ないことではないか、やらざるを得ない立場にあるというだけのことであり、なんの非もない。ミワアキに相づちを打ったりしながら話を聞く姿勢を見せつつも、そんなことをぼんやり思い、リョウヤの存在が意識の大半を占めていて。

「・・・・て、少し先にあるだァーよー。ちょっとでいいから」

 しっかり耳を傾けていなかったため、何やら誘われているらしいとまでは判断のついたものの、具体的な中身は聞きとれてなく。聞きかえそうとするも、な、な、と袖を引かれ。もともと否も応も返辞を待つつもりはなかったらしく、半ば強引に付いてくるよう促され。山椒を求めるようことづかり出てきた中途ではあったがそれは名目で、すこし羽根をのばしてきたらよいという計らいであったから暇があり、生存の危ぶまれていた者に会えて無碍には断り難く。襲撃によって被害の出た、その要因の、すくなくとも幾分かに自分の存在が関わっているのではないかという引け目もあり。付いてゆかなければリョウヤが叱責されるなり、辛い目にあわされる恐れが案じられもして。おそらく、ミワアキから連れてくるよう言いつけられてここまで来たのだろうから。

 アブラゼミの輪唱。丈高く、一等上まで咲かすタチアオイ。白地に黄のいろのはいった花びらのイトクリ草。濃くとりどりの色にたくましく咲く百日草。道の辺に咲きみだれる花々。蝶が舞い、ハチがとまり。必要な用事のないときに出あるくことはまずなく、朝ぼらけ、店のまわりを掃いたり水をうったりするおりもゆっくり辺りを眺めることなくきたため心づかなくきたものだったが、都にも草花が思いの他多くあって。セキレイが地面をつつき、ちちッと鳴いて飛びさり。僧形のものが鈴を鳴らしながら歩いてきたからだろう。忙しなくオウギをあおぎ、喋りかけてくるミワアキの話のほとんどが、いかに苦労して生活を営み、この子を育てているかだとか、町での流行り廃り、いざこざやうわさ話であって、答える要のないことばかりであったため、足どりがゆるやかであったこともあり、次第に気が逸れ、自然あたりへと眼がむいていっていたもので。周辺の草花を眺め見ていると、目の前を覆う鬱蒼とたれ重なる葉群を、かき分けてかき分けして行っているような思いのされてきて。濃い緑蔭をぬけ、視界が開けてゆくように、とりどりの緑の連なり、木漏れ日のゆれる沼のみなもが表れて出でてきて。ホタルブクロ、シャガの花、ジュウヤクの白き十字の花弁。蓮の浮葉の三つ四つ見える池に、コウホネの花の灯り。翠緑のなかにけざやかに灯る黄のいろの。セミの声はなく、カワズの涼やかな声のいずこからして。カワセミだとかカワズの飛びこむ音だろうか、水のたてるかそけき声のして。ささやき、なにかを語りかけてきているような。・・・・


 カンゼオン ナムブツ


 ヨブツウイン ヨブツウエン


 ブッポウソウエン ジョウラクガジョウ


 チョウネンカンゼオン ボネンカンゼオン


 ネンネンジュウシンキ ネンネンフリシン


「ここだァーよォー」

 歩みを不意に引き止められ、日の炙りとアブラゼミの合唱のただ中に引き戻されて。それと、土ぼこりと人声の舞いちる。一軒一軒門口にとまって鈴を鳴らし、唱えゆく坊主。日除けのためであるか宗派の決まりごとであるのか笠をかぶり、その色あせた笠も法衣に包まれた者は大柄で。唐突に引き止められたような具合がしたものだったが、聞いていなかっただけのことで、往く先だとかその目的を中途で説明していたものかもしれぬし、もうすぐだとか、その先にあるなどとも教えてくれていたのかもしれず。ああ、とリウはいかにも聞かされ知っていたかのように軽く肯いて見せようとするも、砂塵を吸いこんでしまったのか軽く咳きこんでしまい。口を手で被いそちらへ眼をあげると、そこは宿やで。この近辺では格式もそれなりにある老舗の、黒光りする柱の門構えであったが、場所柄、女もしくは男を連れこむことも可のところらしく。リウもここの話を耳にしたことがあったし、目にしたことだけはあり。まったく関わることのない場所だろうと、気にとめることのなくいたわけだったが。

 暖簾をくぐりなかに入り。宿やの者より心得顔でとおされ。きざはしを登り、二階の一室へと。リョウヤもしんがりになり付いてきていて。日が遮られただけ涼しく、喧騒もやわらいで感ぜられ、ほっとひと息つくことのでき。足裏に感じる床の感触であるのか何なのか、かつて父と母と暮らしたところが懐かしく思いおこされ。もとより、ここほど広くも立派な造りでもない粗末な家屋ではあったが。先ほど思いに現れてきた沼のあたりの風景はふる里にあったもので、母に連れてゆかれたように記憶されていて。そのおりの、うすぼんやりと残る母の話したこと葉。眼の色、声色だけはくきやかに思いおこすことのかない。耳を澄ませて、と言われたような気のされてきて。聞きとりやすい声や、もの音にではなくて、声にならぬ声に。日のしらべに。草や木のさざめきに。水のささやきに。われわれはそういうかそけきものを掬いあげ、人にわかるように形づくり伝えることをしてきたのが元来であり、本筋であるのだから。脈々とつづくその血、その意思(意志)、その願いとなるべき根幹をあなたは受け継いでいて、のみならずわれらの永年待ち続けていた存在。あなたは私とあの人(夫)の子であることは間違いなけれども・・・・

「いやァー、えれェーなげーこと待たせてしまっただなやァ」

 ミワアキの張りあげた声ーーおもねり、媚びをふくんだそれーーで思いを断ち切られ、現在の吾にかえり。たまゆら、数多の蛇体のからまり合う映像がよぎり。ミワアキに連れられ通された一室は、この宿やで一等上等なところらしい。向かって左手と正面に、スダレで覆った格子窓があって広く。スダレには水をうっているらしく、冷んやり水気をふくんだそよ風の往き来して。中央の、茣蓙を敷かれた上に坐する、三人のおのこら。たっぷりと養分を吸いあげたヘチマの如くでっぷり貫禄のある初老の一人と、明らかに配下らしい壮年の二人と。壮年の片方は、肥えたヘチマにオウギをもって風をおくっていて。ミワアキが声をあげると、ふくよかな面をゆっくりと鷹揚に上げ。ただでさえ薄い目を細め、にこやかに笑みながら、

「えらいご足労おかけしてしもてなァ。で、こちらの方がァ」

 リウに目線をとめ、年増に移して問いかけ、問いかけつつもあたふたと話しだそうとするミワアキを眼で制し、

「そやねェ。間違いないやろォ。おもざしが、・・・・よう似てはるわ」

 笑みながらも探るような鋭い目をむけてくるものを、リウは思い巡らしてゆくも、ゆめさらその痕跡のなく。もっとも、もの心つく前であれば仮に会ったことがあったとしても覚えがなくて自然なことで。似てあるというのは、人ちがいでなければ父か母かでしかなかろうし、そうなるとふた親の知人か親族という可能性が大きくなり。そうであったとして、奥の細道にあるふる里のなまりもないため、すくなくともその地に住する、もしくは住したものではないだろうことは見当がつき。もしかしたら。そちらの方々の具体的なはなしを、母からされた覚えの一切なく。記憶はないはずではあったのだが、いつぞや、いずこかで見たことのあるような不可解な思いにとらわれていて。リウは立ちつくし、相手を見つめていて。はたして、いつのどこで。そも、誰であるかも、判らぬのに。

「さぁさぁ、そう立ってないで。暑いなかしんどかったやろォ」

 ふくよかな初老の男は気づかう口吻で腰をすこし浮かせてみせるも、それはあくまでも素振りでしかない気色。オウギを持たない者がさっと素早く立ちあがり来て、どうぞ、とそばに坐するように手でも示し。大だなの旦那と、腹心の二人、といったふうに見え。表面はあたりのやわらかいにこやかなこの人に近寄ることに、リウはためらいの湧き。理由はつかめぬものの、うっすりトリハダの立っていて。

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