第120話 わらべたち

 こんなところで、終わるわけには行かない。終わりたくない、ではない。むしろ終わってしまったほうがよいとすらおもう。そう、自分ひとりのだけのことであれば。といって、助けてやらなければというものでもなく、たぶんもう・・・・であろうから。自分とちがいからだが弱く、こうなる前にはすでに床につき、泣き声すらまんぞくに出せなくなっていたわけで。だからイヌだとかカラスのはらにはいるのを待つように、投げ棄てられることとなり、あわよくば助けたい、背負うなりしてにげのびたいと、おなじく棄てられるようにしてまんまとうまくいったわけだけれども、うまいったのはそこまでで、やりすぎて自分のからだも弱らせすぎ損ない、からだをおこすことすら難儀な、考えたりおもったりかんじたりも、まるでつながりの糸がきれてしまったかのように、もしくは縛りあげられでもしたかのようにぼんやりくもってはっきりしなくなってしまい。自分じしん、生きているのかどうか、もしかしたらもう死んでいるのだろうかと思いかけてきたくらいで。石ころだとかタネにでも生まれかわったのか。たしか、いきが止まったらまず、からだから離れるはずで、であればかるくなって自在にゆききできるはずだから、いや、自在にゆききできないにしろいまのように鉛につつまれたように身うごきできなかったりはしないだろうから、やはりまだしぶとくちっぽけで痩せこけたからだに生がのこっていて留まっている、ということになるのだろうか。しぶとい、それは生命力ではなく、おもい、なのではないだろうか。このまま、ゆくわけにはゆかない。少なくともただでは。自分のために、ではない。自分のゆいいつの肉親をこんなあつかいにし、かんたんに棄てた、あやめたうらみをはらしてやる。この命にかえても。といっても、その命ももうじき絶えそうだし、この状態でなにができよう。なんの咒も知らぬのだし。生きて、は無理かもしれない、かもしれないではなく、まちがいなく無理。だが、死んでやすらかにどこかへゆくつもりはさらさらない。かならずとり殺してやる。じわじわくるしめて、その地位から引きずりおとしてから。はやく、この鼓動が、いきがとまればいい。はやく。はやく。このままで終わらせるわけにはいかんのじゃ。・・・・

ーー・・・・さま。・・・・カさま、どないしはんったんですか

 慇懃なもの言いの裏に、冷たい高慢さが如実に感じられる男声。かもす雰囲気、開いた戸からわずかにはいりこむ外気により受けとることのかなう体臭からして、メメに間違いなかろう。どうも信用ならぬところがあるがーーさりとてここで(この世で、というべきか)信用できる者、している者なぞなかったわけだがーー、ともかく利発で気がまわり、よく働くため重宝する存在ではあり。弟子だとか部下というのでもないが、付けてもらった(付けられた)直属の四人のひとりで、四人のうちでのとりまとめ役と言えようか。決して気を緩められぬ相手ではあったが、つい先もメメの機転により捕らわれそうになった場から逃れることができたわけではあるし。

ーー例のものを霊視していたのじゃ。して、邪魔立てまでして何用か。

ーーはぁ、申しわけありまへん。若さまがおよびなもんで。

 申しわけないとへりくだる調子で、過たつ態度もそうあわせ謝しているのだろうが、つゆさらそう思っていないだろうことは手にとるように分かる。それは「若さま」という絶対的に従わねばならぬ立場からのものの伝令ゆえに、ということも少なからずあるにせよ、平生からのことであり、苛立ったり不快になったりということはもうなく、むしろ奇妙に思っていたもので。能力としては比較的高いものをもっているようだったが、よほど察する(読みとる)力が欠けているのか。もっともそれは特殊な能力なり訓練なりによって得られるものではないわけだから、この者の性格というのか現状もつ精神状態、心のありようの問題によるものであるのかもしれぬ。四人のなかでの役割分担すら指示していないというのに、自ら当たり前の如くとりまとめ役を気どっているわけではあるし。そうはいっても、自分だとて他人のことはいえぬ。この者よりよほど深く、広く・・・・。

ーーどないしはりましたか。

 メメの怪しむ声。表には出さぬようにしているらしいが、怯えがおきたのをありありと感じとり。思わず笑みをうかべてしまったのを、見とがめられたのだろう。ふん、過信があるにせよ、実力差はきっちり自覚できているらしい。

ーーなにがじゃ。すぐゆく。そう申しつたえろ。

 ゆるゆると上に衣を羽織り、杖を手にしてむかう。

ーーどないした。えらい(呼びだしを受け、やってくるまでに時が)かかったのう。

ーーえらいすんまへん。例の・・・・を探していたものでして。

ーーそうか、で、居場所はつかめたのか。

 首を左右に静かにふってみせ、

ーーどうも気配を消すすべを会得したらしく、足どりはさっぱり。ただし、どういう筋におるかはわかったわけですし、なによりあの方の。・・・・

ーーあのかた?

ーー若さまのおとうとさんにあたる。

ーーあんなん、おとうとやないわなぁ。

ーーいや、それはそうお腹立ちめされずに。単に血におなじものがあるというだけのことで、おなじいに見るものなどおりまへんわ。その、血だけは若さまとおなじいものがはいっとるもんの居場所もつかめとりますから。

ーーそれがなんで当てになるのじゃ。

ーーご存知のとおり、アメとツチは引きあいますから、いずれ、そうですねぇ、おそくなく接触するでしょうから、いくらあれが気配を消せたとしても。

ーーどうしてあれらが会うのが間もなくだとわかるのじゃ。

ーーお忘れか、解散させたやありまへんか。そしてあのかたは無傷ではすまへんでしょう。身まかるまではよもやゆかへんとして。それをツチのもんが知ったら。・・・・

 身まかったなら身まかったでこの方は何の痛痒も感じぬことだろう。仮にも血をわけた肉親というのに。むしろ清々とされるのかもしれぬ。いや、晴れ晴れか。

ーー駆けつけるだろう、と見こしてか。

 へぇ、と笑んで肯いてみせ。苦笑の混じる息を呑む気配があり、

ーーそれが狙いやったんか。

ーーそれも狙いにあってのことです。

ーーそなたは、ほんまに。・・・・

ーースナザワさまによう仕込まれましたからなぁ。

ーースナザワなぁ。

ーー残念ながら先頭にたって指揮していただきとうところですけど、あないになってもうて、若輩ながらスナザワさまのご指導をいただきつつ、やらせてもろてます。

ーーいやな、なにも不足をかんじとるわけやなくてな。どないな塩梅になっとるもんか気にかかってのぅ。

ーー若さまの御心をわずらわせてしまっていたわけですね。若さまはまちがいなく次期天礼さまにおなりになる方。恐れながらそれも間もなくやと。そして、マツリゴトをつかさどる立場にもおつきにならはる。これは決まったことやとおもいます。

ーー決まった、こと。

ーーええ。オヤガミさまたるアメの神さまのご意思は天礼さまに、若さまについていらっしゃるでしょうから。見はなされた天長さまと祭司長さまのいまの体たらくをご覧になればひと目でわかることやありまへんか。ヒクウ山の、もこちら側につき、力をつくしてくれているようですし。

ーーヒクウ山の、なぁ。どうやら(天長らが)前大僧正をよびだしたらしいが。

ーーサンキュウいうおいぼれですな。はてさて今もはたしてなんかしら役にたつものかどうか。あのうつけ者は、町中を踊ってあるいているようですが。

 ひとしきり笑ってみせ、

ーー若さまは、よう気がまわらはる。そうなさる必要などさらさらなく、ただどっしりかまえてはれば、それでよろしいのですわ。足場をかためてゆくのは下々、うちらの役目ですわ。

ーー・・・・そやなぁ。信用しとるぞよ。

ーーへぇ、お任せください、ほな失礼します

 と頭を下げ、辞そうとす。これといって、呼びだされるほどの話題でもなく、こうしていても浪費にしかならないと見切りをつけて。

ーーイルカッ。

 呼びとめられ、へぇと返事をして向きなおると、

ーーほんまに信用してかまへんのじゃな。

 先ほど信用していると言ったのはどなたであるのか。もっとも、できていないからこそあえて口にしたのだろうことは察しがついてはいたが。あることないこと吹き込む者が幾人もいるのだろう。息をひそめ、気配を消そうと努めてはいるが、この室の内、外に刃物をもった者ら、呪をもった者らが控えているのは言われなくとも気がついている。それは幾人で、持ちものまですべて把握し。告げ口、足の引っぱり合い。それは奇妙なことでもなんでもなく、保身だとか昇進、栄達を願い、卑劣な行為であろうとそれでかなうのであればやってしまうのが人の常であろうし、ましてや国の頂点に返り咲こうという方についているのであれば、なおさら。のみならず、天長が病に伏し祭司長の力も弱まっているのは好機として、天礼を支える稀代の呪術師スナザワが奇しくも半身不随となり、本来であれば主軸となる天礼である父親も床に伏しているありさまとあっては。思いもかけず陣頭に立つはめとなったための不安も、少なからずあることだろう。少なからずどころか、ぐらぐらと揺れうごき落ちつかないことはなはだしく。付けいる隙だらけときては。だからこそ、どっしり構えていたらよろしいと話しているわけで、示し得る最大の厚意的な忠告ではあったが。もっとも彼の資質を見ぬき、できぬからこその忠告でもあったのだが。そもそも、その器ではないのかもしれぬ。異母弟にあたるシュガというものの方がよほど相応しいのだろう。よほどどころか、比較にならぬほど。歴代の天礼の血筋で、あれほどのタマシイをもった者などないのではないか。不幸なことに嫡男でなかったためにスナザワからさまざまな咒を施されることとなり、言いように使われることとなったわけだが。その咒もどうやらあらかたとかれたらしく、といたのはおそらくツチの神の力をつよく受けたものに違いない。リウというものによって。ほとんど自覚のない、自分が狙われているらしいと知りながら、きれいごとを言う甘ったれたボンみたいなやつではあったが。イルカは胸のうちで嘲りながら、表面では悲しげに口を歪めて見せて、目の部分にまいた布に手をあてて、

ーー若さまは、お忘れか。うちから光を奪ったものがだれであるかを。絶対にゆるさへん、このいのちにかえても。その一心だけでここまできました。うちにあるのは、それだけですわ。

ーーそ、そやな。もちろん承知しとるぞよ。引きつづきたのむ。

 イルカはまたぞろ頭をひと度たれて、あてがわれた室へと杖と足とをむける。ふん、相変わらずちっさい軽いやつやな。あつかい易くてええけどな。あの親父もスナザワも、ものの数ではないし。さて、あのツチの神のものの行方をつかもうといたそうか。


 ひろお、ひろお、豆ひろお


 鬼のこぬ間に豆ひろお


 やしき田んぼに光るもの


 なんじゃなんじゃろ


 虫か、ホタルか、ホタルの虫か


 虫でないのじゃ、目のたまじゃ


 唄声が聞こえ、リウは戸のまえで足をとめ。確認せずともそばにいるタマの声ではないこと、まわりにそれらしいわらべがいないこと、わらべどころかいるのは後ろから歩いてくるセヒョだけであるのは分かっていて。かつ、耳朶にふれ、鼓膜をふるわせて聞きとれたものでないことも。うちに直接響いてくるもの。なかにいるらしいトリしか思いあたるものはないものの、何ゆえにかトリという確信ももてず。仮にトリでないとして、そういうことのできる者、する者はそうそういないだろうし。しかも、この唄を知っているものとなるとだいぶ絞られてくるのだが。以前トリにこの唄について訊くと、知っている人のあまりないものだと答えていて。特段興味を惹かれ知りたいと思ったわけでもなくさらに踏みこむことなく、教えられることもなかったのだったが。それはトリが育ったいずかたかでのところでの限られたもの、という意味であったのか、トリ自身かトリと親しいものが創作したものであるのか。創作だとしたら、ずいぶんと独創性のたかい個性的な感性のわらべだろう。それを唄うわらべも、また。気にかかるおのれ自身に訝りもして。実際にだれかが(念にのせて)唄っていたかどうかからして定かではなく、今からトリらと会うという意識から、かつて聞いたものが記憶のなかからあらわれ出でたものであるのかもしれぬのだし。あたかも現今唄っていたと感じられるほどけざやかに。

「・・・・先にはいっていいものかな」

 立ちどまっていたリウは、もの問いたげな目をむけているタマに訊ねる。思いもかけぬ者がいきなり現れたら、衝撃がつよすぎるのではないか。カゼやツキやハナはともかくも、トリは病身であるわけだし。タマに話してもらってからにした方がよいだろうか、と。

「なにいうてるん。そらゲンタとかいうおっさんみたいな胸くそわるいやつやったら、何しにきたんやてびっくりぎょうてんするわ気分わるいわするやろけども。おハツとかいううるさいオバはんとか。そうやないやん」

 砦が襲撃されたときに片腕を失ったゲンタは、確かに感じが芳しいとはいえないものの、言うほど不快をあたえるものではなさそうだが。ましてやその妻であるおハツは世話好きで他人の面倒をみずから進んで引きうけ、かといって恩着せがましいところのないおおらかな人で、タマはもとよりトリ、ハナ、カゼ、ツキもすくなからず助けを受けていたわけでそうまで言うことなどなさそうであるため、いささか困惑しているところへ、

「それにな、こうしてここではなしてるやんな。はっきり声聞こえてへんとして、たそかれ来たはるくらいは分かったやろから、もうだれが来てるか見てるんやない」

 あ、と声を漏らしてしまい、赤面しそうになってしまう。何をためらっていたのか。然り、あのわらべたちは、見ようとすれば遠く離れたものも、障害物があったとしても見ることがかない、ときには見ようとしなくても見えたりもするらしい。晴眼者である吾などが見ようと意識せぬなか、白銀の鱗粉をまきながら流れる星を目撃したり、目路を花びらの舞うようにチョウが掠めたりするが如く。それだけ動転しているということだろう、とおのが状態に気づかされもして、息を整える。そうだ、まだ何があったのか分明になっていないなか、得手勝手にわるい予測をたててうろたえていて、一体なんになるというのか。まずは話を聞かねばならぬだろう。こぶしを当てるような具合にかるく戸を叩いてから手をかけて。屋根に近いところにへばりついているヤモリ。

「なぁ、リウにいさんやろぉ」

「ひさびさやわぁ」

「えらい元気そうで、なによりやんなぁ」

 開けると、あがり框に女わらべ三人が待ちかまえていて、口々にさんざめく。赤や黄のあざやかなユカタを身にまとい、鯉のあつまるに似て。一見したところでは、少なくとも見えるところには新たな怪我だとか欠損はなさそうで、やつれだとか病んでいる形跡もなく。色あざやかな鯉の群れのなかに迎えられながら、みんなも達者なようでよかったと応えながら、トリはどうなのかそれとなく問うと、いくらか静まり、

「あんなんあって、ここまで移ってきたやん。うちらかてしんどかったけど、トリちゃんやったらよけいやとおもうんやけど」

 ツキがいい、続けてカゼが、

「そのわりにはそんなん酷ないけどな」

「ええこともなぁ・・・・。まぁこんなとこではなししててもなぁ。あがって。トリちゃんもよろこぶやろし」

 うっかりしていた、と言わんばかりにハナは両手を打ちあわせて、うちに招じたときにぐらりと空気のゆらぎ。セヒョが木戸口に踏みこんできていたもので。タマをはじめ、ハナ、カゼ、ツキは覚えていたらしく怪しんだり咎めたりするでなく、

「なんや、ついてきとったかいな」

 とタマがひと言かけたばかりで。リウの護衛であることは直に察したものだろう。家はシラギ山のものよりはいささか手狭であるようではあったが、五人暮らすには充分なひろさはあるらしく。トリひとり、一室に横たわっていて。寝息を立てている。目にし、リウはかるくと胸を突かれ。うすい呼吸で、眼窩がくぼみ、さらに肉がおちたものらしい。生命力がさらに削れてきているように見うけられる。共にいて常時見ているからこそ分かる変化もあろうが、ために気づけぬ変化もあるのかもしれない。もっとも、あけすけに言わなかった(言えなかった)だけであるのかもしれぬが。本人に聞こえてしまうところであるわけであり。ハナ、カゼ、ツキが床のまわりに坐り、タマが枕もとへゆき、トリの肩をかるくゆすり声をかける。刹那、そのまま寝かせておくようにとリウは止めようとして、そんな自分をとどめて。既に起こしにかかってしまった後、ということもあるが、そうゆっくりもしていられないし、次はいつ会えるのか分からない。会えたとしてトリが話せる状態でいられるかどうか、そもいつまで存在できるのか危うく感ぜられてもきて。躰のいろ、というのだろうか、何となくにトリが透きとおって見えもして。シュガの身が案じられてならず気もそぞろでいたものだったが、そういう熱したところに清流を浴びたような、しんとした心もちとなり。

「トリちゃん。リウにいさん、来はったで」

 幾度か小声で呼びかけられ、男わらべがうっすりくちびるを開き、鼻梁をタマにむけ、セヒョやリウにむけ、ふっと息を吐きだし。かすかに訝しげにするも、瞬時、笑みのひろがり。

「また夢かとおもったけど、ホンマモンみたいやね。リウにいさんと、セヒョさんやったか」

 蒼白い顔には思いのほか活き活きと力が宿っていて。声もか細いながらも震えることなくしっかり通り、リウはほんのりとほっとしていると、

「夢ではようみてたんよ。寝こんだはるなぁ、なんやらどっかにさまよったはるみたいやなぁて。タマちゃんはえらい気もんでたけどな、大丈夫やていうててな。リウにいさんはとくべつなんやからて。寝たままで失礼やけど、起きあがるのもしんどなってな」

 トリは頭を下げるそぶりをしようとしたのか、かすかにツムリを動かす。それだけ話すのに、息切れをしていてリウは胸を痛めながら、首を左右にふってみせ、また会えてよかったと声をかけながらにじり寄る。

「とくべつかどうか分からないけど。吾も会いたいとおもっていたから・・・・」

 会えてよかったと言うつもりで喉が詰まってしまう。こみ上げてくるものがあって。何ゆえにここで泪が湧いてくるのか、せめて背を見せてからだろう、もう余命いくばくもないと判断したのだと思わせてしまうだろうに、とおのれを叱り言いきかせるも、あふれ出てくるものを止められずに鼻のわきを伝いおち。思わせるもなにも、実際に生命のともしびが細くちいさくなっているのを感じとり、ためにおのが素直な反応にあわて、あわてることにより隠す手が鈍ってしまったわけであり。それでいて鮮明に耀いてもいて、うたたこみ上げてくるもののあり、哀だけでなく、讃歎に近いものもあったもので。

「・・・・あれ、どうしたんだろう。うれしいからかな、ごめんね」

 リウは目もとに袖をあてて。それはとり繕ってではなく、うれしさもあったのは事実であり。

「ほんま、泣き虫やなぁ。つられてもうたやないの。泣き虫こ虫、はさんですてろて。て、まぁ、らしくてええやんなぁ」

 からかうように言うタマの声も、湿りくぐもっていて。はさんですてろ、はさんですてろと囃すツキも、ころころ笑い声をあげるハナとカゼも泣いているようす。

「泣いたり笑ったり・・・・にぎやかなこっちゃ。それが生きるっちゅうことやな」

 戸口に立って見ていたセヒョが、ぼそりと言い。そこには冷たさや嘲りはゆめさらなく、あたたかさの含まれるもので。

「セヒョさんいうたか、見おろしてないで、すわらはったらどないやろ。タマちゃん、おふたりさんに」

 トリはセヒョからタマに鼻さきを向けて頼み。タマは水をくみ、そそいだ茶碗をふたつもってきて、リウとセヒョへとわたす。ゆれるみなもが次第に凪いでゆき、玻璃のようにたいらかに張る。すずろにそのさまに目をあてていたリウは、なにかもの音するのに気がつき、意識がむく。それは聴覚でとらえるものではないことは分かっていて。これは、ワラを打つ音ではないだろうかと思ったとき、眼前にみどりの色が流れこみ、渦をまきながら広がりゆく。みどり、ひと色といっても、そのありようからしてとりどりで豊穣。木、草、葉、花べん、植物はもとより。虫、は虫類、両棲類の分かりやすくいろに出でたるものにとどまらず、空に土に風に水に日にけものに、もとより人に。火・風・地・水。その気を成すひとつの素となるものの、多様で複雑なるひと色。その凝縮されたひとしずくに、草深いちいさなムラがあり、ちいさな家があり、ちいさな家族があらわれ。わか葉のような夫婦が生活をいとなんでいて。柔和な目をした夫と、意思のつよそうな引きしまった唇をもった妻。若いふたりから、ものごとに対する誠実さ、大地に足をつけた堅実さ、厳しいなかでもよろこびを見いだしてゆくはなやぎが見てとれる。どこからか抜け出し、その地に根をおろそうとしていたため決して裕福とはいえず、それはひととの関わりもであるようだが、そんななかでも野花を愛で、ほほ笑みあうような、そんなささやかな。さりとて、あふれるような。

 わか葉から萌えいずる、生命。夫婦にとって生涯最も大切なものが、ふたつ誕生し。ふたり目のさい、産後の肥立ちがわるかったものの、その歓びには代えがたく、また、唇の締まり方からもわかるとおり強い意思で持ちなおした。ひとり目のわらべは脆弱で、すぐに熱をだしたりむずかることが多く、自分よりもそちらにつよく意識がむきより強くあらねばと奮起した、という部分もあったせいかもしれぬ。そんななかでも、健やかに育み、育まれて。ふたり目は健やかに手足をのばし。あたたかく、やわらかく、ゆっくりと編みあげられてゆく時のつらなり。ワラをしんなり扱いやすくするためによく叩く。そんな着実に積みあげられてゆくとし月。それが不意に、ひき裂かれてゆく。現れた、刃物を振り下ろす黒い影。黒装束にはふたつアオイの紋が染めつけられていて。四人いる。夫婦は、侵入者どもを見知っているらしい。どうやら、以前その輩とともにいたことがあり、そこから抜け出してきたもののようだ。侵入者どもは赤子ふたりをわたすよう言いわたす。当然夫婦は断る。妻は立ちふさがり、夫に赤子ふたりを連れ逃げのびさせようとするも斬りふせられる。そして赤子ふたりを抱えた夫は背後から。・・・・

 リウは気をもち直し、心づく。これはトリと初対面のおり、手にふれたときに見えてきた映像であり、どうやらトリの家族を襲った出来事であるらしいことに。前回より鮮明に見え、祭司長の手であることは間違いないように思われ。そして、シラギ山の砦を襲撃したのはどうやら祭司長の手ではないようだ、とも感じ。ここ最近のそれらと見なされるあらかたは、ほぼそう見せかけているだけではないか。ふたつ葉アオイに隠れているのは、と注視したとき、

「なんやらこの頃、ようヒロミのこと思いだしてな。もう生きてないやろおもうし、かくり世のええとこいて楽しんでたらそれでええねんけど。どやろな、ねばり強いいうか、テコでもうごかんとこあるから怨霊にでもなって復讐するなんてしてなければええんやけどな。はたせたとしても、じぶんが苦しむことになるだけやからな」

「そんなんありえんわ。トリちゃんのいもうとに限って、そんなんおぞましいのに。、なぁ、ツキちゃん、カゼちゃん」

 ハナが声高に言い、ほんまほんま、とツキとハナが唱和して。室のどこかに、カネタタキがいるらしい。てぃん、てぃん、てぃん、と澄んだ音を奏でている。喋り疲れたのか、トリの息が荒くなっていて、苦しげに唇がかすかに歪み。タマが声をかけ、上半身をすこし起こしてやって茶碗を口にあててやり、水をふくませてやると、また横たわらせると、

「・・・・ほんまになぁ。やすらかにいてくれたらええんやけどなぁ。リウにいさん、えらいひきとめてもうて。おカシラさんが気になるやろうに。タマちゃんが知ってるから案内してもろて」

 そういえばそうだ、タマが深刻そうな顔をしてこと葉を濁していたこともあって気になっていたものだったが。さりながら実際にそうであれば、こう穏やかに語り、ハナ、カゼ、ツキも表情や態度に出さなかったりするものだろうか。もっとも、わらべらとは言え、気づかったりできる者たちであるから、あえてそう装おっている可能性も考えられなくもないが。

「そんなことないよ。また会えてうれしかったし」

 リウは男わらべの肩に優しくふれて。てのひらに骨の感触。おのが胸にざわめき起こる動揺を抑えつけ、

「そうそう。まえ、よく唄っていた、ひろおひろお豆ひろお、というの。あれはトリちゃんのいたところで、よく歌われてたのかな」

 抑えこんでも伝わってしまったかもしれず、動揺をごまかすためにとっさにもち出した話題だったが、口にしてから、そういえば気になっていたことだったと思いだしもして。

「ああ、それなぁ。なんやらブキミなかんじやろ。ちゃうねん、だれがつくったんかは知らんけどな、うちらみたいなわらべらの間で広まっとるやつでな。うちらでもよう唄わへんし、ほかのわらべは知らんやろね」

 カゼが代わりに語り。ああ、そうなんだ、とリウは肯いてみせ。ということはつまり、あの唄をうたっている者であればおなじ境遇だと分かりあえる合こと葉ということにもなり。トリが念にのせて唄っていたのはもしかすると。・・・・

「また会いにくるしね」

 リウは別れのこと葉をかける。それはトリに対してだけでなく、ハナやカゼやツキにも。分かった、と同意するようにトリはにっと笑顔をしてみせ、

「おカシラさんに会うんやったら、もうひとあし早くこられていたらよかったんやけどなぁ」

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