第49話 とくればおなじ

「大丈夫?」

 リウは膝がぬかるみで汚れるのにもかまわず、セヒョの脇で膝をおとし、肩にふれる。セヒョは土下座するかっこうに近く、地面にひじをつけはしていたが意識はあり、倒れこみはしていない。う、ん。そう返事をしたのか、かるくうめきをもらしたのか、ともかく短く声を発し、頭をもたげ、

「・・・・なんやろ、こんなん、はじめてやぁ。入った、ホトケさん、いきなり抜けるて」

 リウに目をむけながらも、リウと認識していない目の色で乱れた息のなかひとりごちていたが、ようよう相手を認め、

「ああ、おまえ、か。・・・・て、なんでこんなん、とこにおるんや。濡れてまうし、泥まみれやんか。・・・ワザ、自然とけたりせぇへん、し。とける奴おらへん、はずやしぃ」

 そうでなくとも朦朧としてあるなか、未体験の理解をこえた出来事に混乱しているようすだったが、かといって混乱しきれるだけのゆとりすらなくて。もとよりリウにとっては皆目見当のつかぬこと、あずかり知らぬことという意識しかなく、ともかくも話を交わしていてよい状態でないだろうことはリウにも理解でき、

「わかったから(何もわかってはいないが)、とにかくなかに入ろう。立てる?」

 声かけをする。なだめるようであり、諭すようであり、励ますようであり、厚い肩を支えながら。セヒョは頭をゆらすように肯き、膝に力をいれるも、ほんのすこし浮いただけですぐにまた泥をはね。なんとか持ちあげられるだろうかとリウが思っていると、数人野郎共が小走りくる。セヒョが抱えられるのを見届け、リウがシュガの方へ駆け寄ってゆこうとしたとき、

「いまは、や、つに、ちかづか、んほうがええ」

 野郎共に抱えられぐったり気のぬけたさまのセヒョが、ふり絞るように言われ、足のとまる。いかなる意味であるのか問おうにも、答えられる様態ではなさそうでありそこを押して問おうという気にもなれずにいて。暫時迷いのなかに佇んでると、

「そうだね、いまは近寄らないほうがよさそうだよ。見なッ」

 いつの間にかモミジがそばに立っていて、手近にあったアセビの枝にさッと小刀を走らせ手にしたひと枝を投げつける。何気ない行為ではあったが、刈りとるさま、飛ばすさまには熟達した技を感じさせる。勢いよく飛ぶ先はシュガのいるところ。 ひとひろ越えて迫ったとき、瞬時に枝のいろがかわる。あたかも墨汁を充たした場所であるかのように、黒く染められ。水気が抜けきり、朽ちはて、塵と化し、くだけ流れおつる。降りそそぐ雨も、その一帯だけいろも形も速度もちがって見える。土のいろからして異なふうになっていて。野焼きしたかのように煤け。そこにある草花がことごとく枯れきり黒ずむ。黒ずんでいるのは草花のみならず。シュガを縛りつけてあるトチの木も然り。否、黒ずむどころか焼かれ炭化したかのごとき黒き様相。残骸となりし葉がバラバラと落ちている。

「あれは、これ(セヒョ)のしたことじゃあないよ。ヤツのなかにいるモノの仕業さ」

 シュガの内に巣くう魑魅魍魎は、消滅したわけではなく、鳴りをひそめただけらしい。引っ込んだ後も、残滓というのか残り香というのか、余波があって、それがまだつよく影響をおよぼすものらしい。

「あの化生のモノの群。あんなおぞましい群を入れてるとなると、もしかすると・・・・」

 モミジは運ばれてゆくセヒョを見守りながら、思案顔でぶつぶつつぶやく。リウははたで聞いてはいたものの、シュガから目を離さない。繩はどうなったのだろうか。うなだれた姿勢のまま動かず、そのうえにふりかかる黒い落ち葉たち。木自体、いつなんどき崩れるか知れぬ。近寄らないほうがよいと言われたながらも、さりとてシュガが自力で繩をぬけ、その一帯からぬけして来られものだろうか。そんなおりが来るのか、いつか。そのいつかが、訪れるときがはたしてあるのか。そう思ったとき、リウはためらうことなく駆けだそうとする。が、右手が何かに囚われ、向かってゆけず。モミジに右手くびを摑まれている。話を聞いただけで実際に見聞したことはないが、咎人にはめるという鉄の輪を連想させらるるほど硬くつよい。振りほどこうにも、振ることだけでも容易でなく。まごついている間に、もろ手を背後にまわされて決められ、動きのとれぬようにされている。モミジは厳つさのない、むしろ細身であり、言わでものこと女人でありながらも、拘束具をつけられたようにびくともしない。

「止めときな。おまえさんが行ったところで犬死に、共倒れするだけだよッ」

 吾が犬死にするのはいいとして、共倒れとは聞き捨てならぬ。まず助かる見込みがない、とでも。そして、みすみす見殺しにしろ、とでもいうのか。しかも、おそらく我がことを救おうとしてだろう、単身で馳せ来らせながら。厭だ。吾が殺めたのとかわらぬではないか。嫌だ。吾が殺めたのとかわらぬことを厭うのでは、決してない。いやなのだ、ひたすらに、かれの死することが。嫌。厭。イヤ。いや。絶対に。何があっても。離して。離して。離せ。

「離せッ」

 大洪水で氾濫し、堰が突き破れたように声が噴きだす。自身の声のもたらす振動か、全身に痺れがはしる。それが相手にも伝わったのか、もしくは大人しげな者が意想外に鋭く大きな声を出したため意表を突かれてか、手によるいましめが幾分緩む。機を逃さず振りほどき、ダッっと足を踏みだす。あッと驚いた声とともに今度は左手をとられそうになるも、濡れていたせいもあってか、指がかすめられるも捕まえられずにすむ。 背後に空気を短く発する音を聞く。かるい笑い声。老人のもの。そして誰にむけて、でもなさそうな閑かな低語。

「・・・・とくればおなじ谷川のみず、か」

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