第60話 火のなかで

「・・・・やづら、がぁ」

 言い直し、言を区切るヨネ。複数、何ものかがうら若い娘のもとへ来たったようだけれども、それらは何もので、何をしに。リウはわきを歩む老婆をそっと見やる。サワグルミ、クマシデ 、ウラジロガシ、ヤナギ。樹木の繁りが濃密になりゆき、木漏れ日わずかになりゆく。仰げばみどりの間隙が星のように点々と見え。星あかりがぽつりぽつりと地を照らす。照らされたところには、苔が多くなっていて。いずかたよりか、キョキョキョキョというのか、閑かな清らかな鳴き声がしてくる。空気だろうか、気というものか、大気も密度をまし、肌に感ぜられるまでになり。濃やかな緑蔭のなかに、雪。いや、雪のふる時季にあらず、そも降るでなく中空をただよう。花びらでも綿毛でもなく、さらにあえかなもの。胞子だろうか。ヒメノキシノブ、ノキシノブ、ホコリタケ、それらかそれらに類するものから放たれたる。胞子ともちがうようで、空気のゆらぎにそうことなく留まり、揺蕩い。ふれたかと思えばすり抜けゆき。

 水の気があらわれ、せせらぎが徐々に耳にしみはじめてきて。ヨネは結んでいた口を、またほどく。そのときになって、沈黙がつづいていたことにリウは気がつき、すこし驚く。よどみがありながらも途切れなく聞いていたような感覚があって。音声にはなってなかったが、その当時の思いだとか気色が流れこんで来ていたようで。つよく烈しい痛みの気配を、臨場感をもってリウは見ていた。岩場が見えてくる。

「やづらの内、まずタノスゴどいうヤロコ(男)があらわれだ」

 言い寄ってくるなかでもことに煩わしく厭わしくさえあったのが、タノスゴという男であった。タノスゴは村の衆のあらかたがそうであるように、畑作に従事していたもので。さりとて、村でも有数の土地を保有する家の三男坊で、それがため許されるだけのゆとりがあったせいもあってか、身をいれて働くでなく、しきりに病と称してはぷらりぷらりとほっつき歩き。ために村の男衆にしては色がしろく瘦せていて、おなご衆からの受けがよいようであって。もっともそれは、接するに気楽な身分ということもあずかって大であったろう。遊び相手としてはうってつけ、という意味で。別の見方をとれば、お手軽な遊び道具というほかには見做されることは少なかったということであり、要するに侮られていたわけだったが、タノスゴ自身軽薄で、それを渡りに舟としているようなところもあった。ために払われればべつのところに行くだけのハエのようなものだったが、なにゆえかヨネには執着していて。ヨネがだれにも靡かないため功名心にかられてか、仲間内で煽られでもしたものか。惚れて、ではないことははっきり判っている。

 ヨネは、と胸を突かれ、こうべをあげる。無意識で野菊を折りとってしまい、そのちいさな草花に謝っていたなか、不意に声をかけられて。見るとタノスゴ。媚びるようないやらしい笑顔をつくり。一瞥くれただけで、あからさまに厭う顔つきをし背けてみせると、

ーーなぁ、よがんべぇ

 とおもねるように言われ。何を良かろうと水をむけてくるのか。その謂がわからぬ、ではなく、そうできることがのみ込めず、のみ込みたくもない。もの言いも態度も、あいかわらずで、何が来たのかわかればもう一顧だにする気にはならぬ。なぁ、よがんべぇとくり返し、かがみ込んで背後から肩にふれてきて。なれなれしく触るでねぇと声を荒げ肩をゆすり勢いよく立ちあがり。突き飛ばされた格好になったタノスゴは尻もちをついて。刹那茫然とした顔をしていたが、白っぽいツラにみるみる間に血が満ちゆき、眉間に皺がはいり、目の色もかわり。

ーーこ、こんの、アマっこォ、舐めくさりやがっでぇ

 腰抜け男が飛びかかってきて。身を躱し腰をしたたかに蹴りあげ駆け去ろうとしたとき、どッと笑い声がわき。意表をつかれ脚がとまり、タノスゴを見るも、その喉から出たものではないらしい。顔面が充血で朱黒くそまり、憎悪にぬれた目で睨みつけ、唇を噛んでいて。ヨネはにわかに、覚る。失笑、嘲りのさんざめきであったことに。それも、複数の男衆のものであったことに。覚ったときには、後の祭りよ。

ーーはぁ腹よずれる。情げねぇ。とんだ腰抜げヤロコだなはァ

 草むらからまず這い出してきたのはシンゴロという男。タノスゴとよく連み、女人を誑しこんだり農作物を盗んでみたりする陰険な目をしたもので、目を細め薄い唇をゆがめ舌さきを見せている。姿を現したのはほかに二人いて、それらは年少といってもかまわないくらいの齢の、ニキビ面の。その幼げですらある二人には、怯えみたいなものがなくはなかったものの、三人が三人とも共通した色があり。脂ぎったぬめる色に、目をぎらつかせ、にたりにたりうすら笑いに似たものをうかべヨネを凝視して。自身の尻をはたき土ぼこりを払いながら立ちあがったタノスゴも、ヌラヌラと同様の色と化し。脂の塊。八本の触手をもつそれが襲いかかってくる。蹴りあげ、ひじを突きだし、爪を立て、歯を立てるも、太刀打ちできず。それでも抵抗することを諦めずに藻掻きまわるなかを、頭を殴られ首を殴られ胸を、腹を。いたるところ打擲され。なにかの弾ける音が聞こえたような気がされ。意識が消えた。・・・・・・

 ・・・・・あれはイカルだろうか。意識をとりもどすと、木霊するように響く鳴き声のなかにあった。馴染みのある葉ずれの音。土と草の香。ただ、そこには濁し汚す生臭い臭いも漂っていて。うたた寝してしまい、おぞましい夢でも見たのだろうかと思い。目を開けようにも瞼がおもく、薄くしか開かない。手脚も思うように動かず。まだ夢のなかにいるのだろうか。夢にしては、全身にはげしい熱と倦怠感が脈打ち脈打ちして。脈打ちにあわせ、下半身に鈍痛が間歇的におこる。何がどうなっているのか、ヨネは自分が目が醒めている状態であることに次第に気がついてゆき、それとともになぜ躰が動かせないのか混乱がはじまり。と、パチパチと爆ぜる音。焼ける匂いもする。いずこでか、野焼きでもしているのか、季節はずれだと思われはするものの。いや、いずこでかではなく、すぐ間近を。暗がりのなかで雷光がはしり、その瞬時の閃光によって見えなかった細部が鮮明にあらわれるように、自身の身体の状態、およびおかれた状況を理解し。散々に打ち据えられ、なぶり者にされた後、枯れ草をかぶせられ、火を放たれたのだ、と。

 真ッ先にきた思いは、タノスゴやシンゴロら四人の男衆への怒りや憎しみ、悔しさ、ではなく。衝き上げてきたものは、折りとってしまった野菊への申しわけなさであり。あの野菊へしたようなことを、仰山、気にもとめずにしてきたろうことに対しての慚愧の念であって。不思議と、肉親のこともまた、さまで切実には思うことはなく。火に焼かれながら、生きたいと願う。これは私のしてきたことの報いなのだろう。それはやむを得ないとして。ここで消滅するのではなく、償いたい、と願った。

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