第96話 わらべのこぶし

「まだこゥまい(幼い)さかい、酷なんやけどなァ。あんさんもやでェ」

 それまでスケが気にもとめないでいたように見えたリョウヤに対し、目をあてて言い。無心に菓子を食べ、茶をすすったりしていたリョウヤは突然のことに面食らい、茶碗に口をつけた格好で固まり。リウもスケに同感で。可能であればあの女親から離したほうが良いだろう。可能であれば、ではなく、絶対にそうすべきだろうとすら思え。さりとて、そうしたとしていなる身の振り方をさせたものか。今いる店に招じるのは考えられないし、シラギ山もはたして受けいれてくれるものか、仮に受けいれてくれたとしても肩身の狭い思いをすることは必定。何年も先に生まれて育った自分ですら選択の余地を見いだせずにいるなかで、いわんやがんぜないわらべにおいておや。案の定、茶碗をおき、卓上に視線をさまよわせていて。水戸やで引きとってくれるわけもなかろうに、なにゆえスケはそのような無慈悲な、無意味な問いをたてるのか。困惑、というより、うっすり怒りがこみ上げてくるのを感じたリウだったが、ふと、水戸やで引きとってくれることはないにしろ、オオダナであるからつての数多もつことは間違いなく、落ちつき処を世話してくれるのやもしれぬと思いつき。そういう腹づもりも何もなくて口にしたとしたら、度し難い無思慮であり非情さだが、そういった人間ではなかろうとリウは感じとっていて。会ってからまだ短い時間ではあったが、スケを信頼しはじめていたもので。確認をとらず、また、その猶予もなさそうでもあり、

「どうするこうすると聞かれても、答えられないのは、分かる気がする。きっと、ゆく道はひとつしかないと思ってるんだよね。でもね、見えていないだけで、ほんとはいろんな道があって、このスケさんも助けになってくれると思うし」

 リウはリョウヤにむかって語りかけながら、スケを見ると、スケがほほ笑みリウとリョウヤに肯いてみせ、リウはほっと胸をなで下ろしてまた目線を男わらべへもどし、

「リョウヤがどうしたいか、それだけだよ。正直な気持だけでいい、と思うよ」

 スケを信じながらも、自分に何とかできるわけではないため、力強く言いきることもかなわず。それでもともかく、口を早めて言い終えたとき、きざはしから降りてくる人らの姿。

「押すじゃないだよォー、落ちたら危ないずらー。タマのはだに傷ついてしまうだァーよォー」

「押すどころか触ってすらないがな。きーきーエテ公みたいに騒いでばかりないで、はよ行けッ」

「なんだとッ、この妙齢のヤマトナデシコつかまえてその言いぐさッ。てめえなんざ、大入道みたいなナリしやがってェー。てめぇの正体は、ふるイタチか、ふるムジナずらかァー」

「ミョウレイいうより、ボウレイちゃうかァ。つら打ちつけてめちゃくちゃになって干からびて化けて出てきてるんやろ」

 皆の、ではないがそこにある耳目のいくつかを集めこちらへ来るのは、ミワアキとセヒョとカクとの三人。スケはリウとリョウヤに素早く視線を走らせ。先ほど口にしたことを念おしする謂であろう、目くばせするようにして。そして何気ない素振りをして茶碗をもちすすり、近寄ってくる者らに面をむけ。あたかも、今までこれといって話もせずに喫茶していたというような風情で。リウの気持はとうに決まっていて。さりながら、リョウヤは。洟をたらし、ぎゅっと唇を引きしめるリョウヤ。そうそう融通無碍に考えることなどできなかろうと思う。無責任にか、あてがあってかスケが助けになるはずだと言いはしたものの、仮にそれを信じることができたとして、どのような境遇になるのか皆目見当もつかぬことであり。例え芳しくない環境であり先ゆきも明るいとはとても期待のかなわぬ不透明な、濁った現状であるにしろ、何かしら見えるわけであるから維持を選ぶのは無理からぬことで。そうなるのではないか、という予想と、思いきって飛び出して欲しいという願いをもち、卓上におかれたリョウヤの握りこぶしに触れる。びくッと小さく震え、弾かれたように目をむけられ、払い除けられるかと思ったがこぶしを移動させることのなく。屋外よりは幾分暑さのやわらいでいるとはいえ、人も多くさまで涼しいとは言いかねるなか、男わらべの小さな手はひんやり冷えていて。手汗にぬれて。微細な震えとともに、怯えや迷い怒りや哀しみ、それら湧きたつ感情を覆いつくすどんよりした諦めが伝わりくる。このまま手をこまねき、これまでのようにさせていてはならない、とひりひり染みるように思う。さりとて、いかようにすれば。いや、とにもかくにも引き離すことが先決か。

「ふんッ。あたしゃ頼まれたシゴトしただけだァーよォー。ちょいと一杯はんにゃとうでもいただきたいもんずらァー」

 ミワアキは口を尖らせふて腐れたもの言いをし、空いているスケのとなりの椅子にどすっと音を立てて腰を落とし、足を投げだし。女親が来た途端、リョウヤはリウの両手からさっと自分の手をぬき、膝の上にやり。

「細腕のか弱いかあちゃんがいびられてるとき、のんきに菓子むさぼったり茶くらったりしてただなァー。あんたのためにどんだけ苦労かさねてると思ってるだァーよォー。エンヤコラ、エンヤコラて汗みずたらしてェー。だれに似たんだかァー。おやのこのごろ子しらずずらなァー」

 それを言うなら、親の心子知らずだろう。このような放言をする者の胸のうち、思考回路など確かに子は知るよしもなかろうし、知る必要もなかろう。リウも遅ればせに手を前にもどし、茶碗を包みこむ。わか葉を映しだした色のみなもに、さざ波の立ち。映るのは陽光に照らされ透いたいろであり。葉と葉の合間から漏れいでた日がきらめき射すこともあろう。

「おもどり願えますか」

 木で鼻をくくったようなカクの声のかかり。それはミズクミの指示によるものだろう。主の意向をいかに遂行するか、それしかない響き。従わねばおそらく力づくで連れてゆかれることになるのだろう。そして、体面としては意見をもとめられはするのだろうが、なにを答えたところで吾に選択肢などないだろうことは火を見るより明らか。戻るよう言われたのは、二階にのみならず、水戸やに、でもあるのだろうから。しっかりしろ、しっかりしろ。他の人をどうにかしてやりたいと思っているものが、唯々諾々と流されてどうするのか。リウは包みこんだ器にぎゅっと力を込め、顔をあげてカクにむけ、

「おつかいの最中ここに来ることになりました。そう長居もしていられません。どうするかはいったんもどって考えたいとおもいます。そちらにお世話になるにしろ、あいさつはしてゆきたいですし」

 顎のはり、垂直の太い眉の下にある目。目をむき威嚇されたり、腕をつかまれ無理やり引っ立てられでもするのではないかと怯みながら発した言だったが、カクの角ばった顔面には意想外になんの変化の色も表れず。


・・・・見せましょ


うら戸を閉めて


闇にほのめく月の


ハア、ヨサコイヨサコイ

・・・・


「そうずらァー。シラギ山のおかしらにも相談したいずらなァー。いまなら、ひとりで穴ごもりしてるときだから、ちょうどいいだァーね」

 近くにあったスケの茶碗を無造作につかみ飲みほし、目を細めて言うミワアキ。はっとして厚化粧の大年増に目をむけ。シュガに会いにゆこうと決意していたため、はしなくも図星をさされた格好であり、また、いまの彼のいる状況を思い出されることにもなって。今夜が月のみちるとき。その前後一日をシュガは、シラギ山の奥にある洞穴で一人過ごすことになっていて。その間、誰であろうが立ち入り禁ぜられていて。二人きりで話せる機会にはなるが、はたしてそういう状態のときに訪れてかまわないものだろうか。そうはいっても、緊急を要すること、と思え。

「あんたなら、大丈夫じゃあないだかなァー」

 リウの逡巡を察したのか、ミワアキが紅のはげかけた口を広げてにたりにたりと軟体動物のようにうごかし。さらに後押しするかのように、

「たった三日間だァーけど、ひとりぼっちで寂しくしてるんかもしれねぇずらァー」

「すこしは口閉じておいたらどないや。ギャッギャッギャッギャッ、ゴイサギみたいに横から口挟んでからにィ」

 ミワアキを咎めたセヒョがリウのそばに立ち、それで良いのだなと確認を求め。リウは席から腰をあげたスケ、カクにも顔をむけて目の色をみせ、おのれのなかで確定したことだということを示す。カクはなにを思ったのか思わぬでか、目に見える反応のなく。

「わかった。それやったらオレが付きそうし。それなら心配あらへんやろ」

「さよかァ。ほな、そう伝えときますわァ」

 スケがセヒョに、ついでリウに了解したと浅く肯いてみせ、カクを促し二階へと上がってゆき。何となくリウはスケの遠ざかる背を目で追っていて。ここにいて欲しいような、寂しさの淡く湧き、そんな自分の反応に戸惑う部分のあり。ぐォッぐォッぐォッと喉をならし茶を呑みほし、干菓子をかみ砕き、カスをまき散らしながら、ゲップをし、卓上にひじをついて飲み食いする年増。それを呆然と、見るともなしに見ていたリウ。なにもミワアキがそういう無作法な真似をしていることに意表を突かれたわけでなく(ミワアキらしいと言えばミワアキらしいわけであり)、あまりにもあっさりとカクが引き下がってしまったことに、気負っていただけに肩すかしを喰らった格好でぼんやりしてしまっていた部分が大きく。年増がぶつぶつと独りごつ。

「へん、お高くとまりやがってェー。だからどうだっていうだァーよォー。おばかっちョー。情なしの、ケチンボォー」

 セヒョに肩に手をおかれ、

「もういった方がええんちゃうか。使いの途中やったんやろ」

 ああ、そうだった。それを断りの理由にしたわけであるし、戻るとなれば実際長居のしすぎであろう。薪はまだ足りるはずだが、調理の補助だとか風呂焚きもあることだし。山椒はきらしていて頼まれたわけではなく、今から贔屓にしている七五三やにいっていては帰りは火灯しころになりそうだからこのまま直帰するしかなさそうだ。

「・・・・くまっ青な天ががらがら落ちて来たってよォー。地面がばっくり割れてひっくり返ったってなァー。 世のなかのどんなことだって、どうってこたぁありゃしねェーずらァー。あたしゃのこの銭さえあればなァー」

 まだ年増は宙に目を躍らせ、独り語りをしていて、時おりひっひっひっと低く笑い声をもらし。どうやらとり繕って得のある者が近くにいないと判断し、ほおづえを突き恥も外聞もなくそうしているものらしく。リョウヤは先ほどからずっと卓上に目を落としていて。膝上に下ろしたこぶしは、多分、たなごころに爪を食いこませるようにしてぎゅっと握りしめていることだろう。まだ、小さな手。怒ったような、不機嫌そうな面つきをして。普段見るリョウヤの顔で、ふっと気のつき。それは耐えている表情なのではないか、と。いまも、今までも、ずっと。セヒョに言われ席から起ったものの、男わらべを置いてゆくことは気が咎め、いや、咎めどころでなく痛みを覚え。さりとて、うかつなことを言えば間近にいるミワアキに噛みつかれ、余計わらべを苦しめることになりかねず。思い悩みながらもセヒョと共に卓を離れはじめたとき、思いきって手をのばし、リョウヤの肩に指さきをあて、

「また、ね」

 そうつぶやき、立ち去り。リョウヤは顔をあげなかった。通じたものかどうか心もとなく、胸うちで何か無理やり引きはがされてゆくような痛みがおき、その裂け目から、来る途中でみたリョウヤの明るいようすが現れもして。また会って、いずこか別のところに行こうという、約束を思いに込めて発したものであったが。結局、自分のぶんの菓子をゆずることしかできず。


月が出た出た月が出たヨイヨイ


・・・・の上に出た


ようけいキセルをふかすから


さぞやお月さん煙たかろ サノヨイヨイ


 ほろ酔いで唄う者らのいる戸の内から、日盛りの外へと足を踏み出す。

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