第95話 御子

 スケから若き時分の母の話をされて、不意にひらめき現れてきたもののあり。それは一束のことの葉。女声の語りかけ。我こそが、と相争いすることはあくまでも人同士のすることであり神のあずかり知らぬこと。当然その勝敗によって神における優劣が決まることなどあり得ない。そもそも天長、天礼、天授はおのおの、おのおのなりに神なる存在に感応しやすく、それが人の世の助けになるための役割を担ったということにすぎず、それによって神の御子だとか天孫だとかいうのは、本道から完全にそれている。筋違いというものでしかない。神の御子だとか天孫だというのなら、人のすべてがそうであり、人のみならず。生きとし生けるもの、死せるもの、元から息のせぬもの、形なきもの、森羅万象。なべて御子なのであり、発現であるのだから。

 ことの葉とともに、中空に現れる白き花々の映像。満開のモクレンだろうか。優しげに指をのばし両のたなごころを合わせたような花のあまたあり。妙なる香のこぼれ落ち。いや、それらは花びらであり、手でもあるらしく。ひとつびとつが清らな合掌の。神とのえにしを形とせし。それが祈りというもの。・・・・


・・・・橋で

坊さんかんざし買うを見た

ハア、ヨサコイヨサコイ


・・・・見せましょ

うら戸を閉めて

闇にほのめく月の

ハア、ヨサコイヨサコイ


 酒を酌み交わし、箸で茶碗をうって拍子をとり歌っていた者らの呂律が回らなくなってきており。リョウヤがおそるおそるといった体でヤックァをひとくち囓って目を丸くすると、控え目ながら頬ばってゆき。見るともなしに見ていたリウは気をとり直し、これも食べて良いからと男わらべの方へ自身の前におかれた皿をおしやり、

「いまの話からすると、かっちゃ、いえ、かあさんは争いのなかにいて、争うことになることをしたくなくて、身重なのに飛びだしたということですが・・・・」

 平生であればほぼほぼ聞き役で、返事をするほか口を開くことのわずかなリウではあったが、ひらめき感ぜられたものによる作用でもあるのか、堰を切ったかのごとく、スケに語りかけ。そうはいっても慣れないせいだろう、まわりの話し声、歌声、もの音にかき消えてしまいそうなほどのか細い声で、語尾がかすれて薄れ、溶けてはいたものの。目睫の間にいても聞きとれるかどうかという音量ではあったが、スケは前のめりになり、真剣な目をして、それでいて励ますように笑みながら、耳を傾け肯いていて。

「かあさんは、かあさん自身がそういうものに巻き込まれたくないというだけでなくて、吾にもさせたくなかったから、だと思うんで。なので、水戸やさんには、ゆかないほうが・・・・」

「それは、ちゃうんやないかなぁ、て、わては思うゥ」

 そのスケの返しは、リウにとっては意想外で目をみはり。二階で他でもない、目の前にいるスケから、来ない方がよいと耳うちされてもいたこともあって。

「お嬢、あんたさんのかあさんがああしはったんは、わての考えでしかないけどォ、争うなだとか何かをするなという押しつけ、決定ではないんやないかなァ。こうしかやりようのない、てとこに置かれることをおかしい、思わはったんやないかなァ。もちろん争うことをおかしいとか嫌やと思わはってたのは間違いないけど、それをだれかに、自分のやや子に押しつけたりする人やない、思うゥ。なにをするにしろ、自分で選べない立場にはしたない、てことやったんやないか、て思う。自由に、選べるようさせたいィ、いうことやったんやないかなァ」

 ああ、そうかもしれない、と得心し。絞ったり縛ったりするのではなく、ほどきゆるやかに広げてゆくこと。すずろに、母らしいとすんなり受けいれられ腑に落ちて。ほんのり乳や甘い体臭をもつうら若き女人に、額とひたいを合わせるようにされて包まれる感触と映像との不意によぎり。慈しみにみちたまなざし。吾はいとけなく、腕のなかに抱えられていたようすで。確かにあったことのような気のつよくされる、実感をもち甦る感触。万緑をうつし、清らに流るせせらぎのような双眸。そこに映るたよりなく、幼きものの影。

「あ、やり込めるつもりやなかったんやでェ。堪忍え。わて自身、よお、あんさんには自分の考えてもんがないんか、てドヤされたもんやけどなァ」

 慌てたように言うスケ。何のことだろうか。リウは何気なく、目もとに指のさきをあて。視界がゆらぎ、まつげが湿りはじめていて、それを誤解されたらしいことに気のつき、いえと呟きこうべをかるく左右に振ってみせ。振る直前にもまた、ひとつの情景がかすめ。あの家の裏手にたっていた、丈のそう高くもない一本の木。深い紫いろの花弁の枝枝に咲きみだれ、はらはらと地を彩ると紫いろの濃縮した実をむすぶカミユイの木。生命を育み育まれして、まだあそこに在るのだろうか。

「あの。カミユイの木はなかなかないもんらしいですが、ここ(都)にはもう一本もないんですか」

 話しの流れに沿わぬ唐突な問いにスケはすこし面喰らいながらも、そうらしいわァと応じると、暫時視線を斜め上にあげ思案してから、

「あてらが把握している範囲ではなァ。いまは皆無になってもうたらしいけどォ、つい先まである両班の庭にあったらしくてなァ。そこは焼き討ちされたらしくて主もろとも・・・・。順番で言えば、焼かれたてことがあって、ようようわてらの知るところになってなァ」

 そこは恐らく、かつて奉公していた屋敷のことだろうとリウはぎくりとして相手の眼のいろに注意をむけ。相手の語りからは、なにか含むような気配も感じとれなくもなくて。

「正味、あてらはそこを捜していた矢先のことやったんやァ。巷には出回ってなかったけどォ、王族だとかさらに上の一部に流されているらしいという噂があってなァ。その樹どころやない、もうその技術は絶えたァて言われていた染めの糸らしいものやさかいに。技術いうたけどォ、手先のもんやないィ。修練つんでどうにかなるもんやないさかいなァ、あれだけは。あてらがほんまに捜していたんは、その染め手や。お嬢もえらい上手にしはったもんやァ」

 スケの目線が、カミユイの樹の実に染まった指さきにとまり。身元が知られているのだとリウは悟り。ゆえに、かくして招ぜられたのでもあろう。

「その、・・・・(母は)染めをされていたと言われましたが、ということは他にも(カミユイの樹が)ある、か、あったということですよね」

 湧いた疑問を何気なく口にすると、

「そやねェ。言わぬが花、いうこともあってなァ」

 笑顔ではぐらかされ、それは商い用のつくられた表情、いわば仮面であり、リウはそこから察せられるものがあり、重ねて問いはせず。焼かれるという恐れがあり、それ以前に、秘している素性、血統が露呈する糸口になってしまうことになりかねないのだから。何より現今はなしている場所が場所。およそ関心をもつ者などいなさそうで、談笑したりくだを巻いたりする人らばかりとはいえ、まわりに数多人のいるなかであって。

「ほんまめちゃくちゃしよるで、あの雲にのったやつらなァ」

「そなな大声あげて言うたらえらい目あうでェ」

「ふん、こななとこまで来やらせんわァ。来たかて雲にのったいうとるだけやしィ、仙人とかカラスかもしれへんやん」

「クメの仙人とかなァ。オナゴの足みて転げおち、てかかァ。それより、カラスて、雲にのるんかいなァ」

「知らんがなァ。まぁ、みんな思ってることとちゃうかァ。へんな占いでなんやらけったいなことしはるわ、それで暮らし楽になるならともかくしんどなるようなことばっかしよるやんなァ。そやからそいつらんとこに、なんやっけ、あれ、なんやら妙な声だすとかいう、ノエだかノラだかヌタだか」

「ヌエとかいうやつやろォ」

「それや、それ。ヌエなァ。そういうもんも出てきて、追いはらうこともようできひんやん。なんのためにおんねん。オハリコなり置いておいた方がよっぽどええんちゃうかな、オハリコやったらなんも余計なことせんやろしなァ。それに聞いたかァ・・・・」

 隣の卓についた二人の男が、席につくやいなや声を潜めるでなく忿懣やるかたなしといった具合に語りだし。担ぎ屋なのか、むき出しにした腕や脚にまで汗を光らせ熱気を放ち。思わず聞きいってしまっていたリウだったが意識をはずし、目の前の相手に焦点をもどし、二人の話から疑問に感じていたことのひとつを思いおこされて口に。先ほどスケの話にあった両班の屋敷の焼き討ちは、直に手を下したのは賊の一味らしく、そう指示した存在があるらしいが、それは何であるか知っているのか、との問い。スケにならい婉曲に、また伏せつつ言い、またそも口べたなこともあって、すんなりと謂は伝わらなかったが、二、三やりとりしてどうにか解されることのかない。

「・・・・そこのに限らず、牛車の件だとか、あのぼんさんもどきが言うてた件とか、他にももろもろ、けったいな八卦しはる人がさせたてはなしはあるわなァ」

 それはリウも聞いていて、知りたいのは、それにはたして信憑性があるのかどうかで。仮にそれが事実だとすれば、シュガらに両班の焼き討ちから牛車の皆殺しまでさせておいて、排除しようとしたということになるわけで。訝るようすを見てとってか、ただ話の中途であっただけなのか、

「そやけどォ、すべて同じいやつらの意思とするのは、おかしいィ思うけどなァ。おかしいィ言うんか、無理がある言うかなァ。わては、やでェ」

「もし別に、させていた人らがいたとすればそれは・・・・」

 核心を問うたとき、相手から目を逸らされ。答えられない、もしくは答え難いものであるのだろうかと思ったが、逸らされた視線はきざはしの方へむかっていて。人らの降りてくる気配。ほどなく足の現れ。目線がもどり、

「はなしの途中やけど、もう切り上げなあかんようやなァ。どないするか決まったんかなァ。さっきも言うたとおり、どっちがあかんとかええ言うことやなく、自分がええと思えるほうにしたらええねん。どっちか選ぶ、それだけやなく、いま、とか、まっ先になにをしたいんか、でなァ」

 はぐらかされたわけではないらしい。そして気づかされ。今吾が第一に知らなければならぬことは、黒幕についてではなく、吾の進退であることを。吾の望む、願う、欲する方向性を決断することであることなのだと。

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