第97話 山を走る

 ぼんさん ぼんさん どこ行くの


 わたしゃ田んぼへ 稲刈りに


 うちも一緒に連れしゃんせ


 おめさん来ると邪魔になる


 このかんかん坊主 くそ坊主


 うしろの正面だあれ


 やわらかくあたたかな波にいだかれ、揺蕩い。波のまにまにほの見ゆる彩り、聞こゆる唄声、はやし声。ときいろ、はなやなぎ、きはだいろ、はなだいろ。とりどりのけざやかでらうたし渦のまき。ゆるやかにひらひらと。手児名、おのこ、中心にひとりのわらべを置き、いとけないひと群れが手をつなぎ輪となって唄いながら円を描き。決して揃っているわけでも取りたてて巧みでもなけれども、さりとて清げに澄んだ声のつらなり美し。高価なもの新しいもののなく、洗いざらしの色あせたものばかりとはいえ、わらべらの身をつつむ単衣のいろ花やかに。眼底に、耳の奥に、残っていたものか今間近で遊びたわむれているかの如くにしるく感ぜられるも、そうであるはずもなく。耳朶を打つ地を搔く音と、身体を揺する動きに、意識の戻りゆき、それは今というときと物に捕らわれてゆきはめ込まれるということでもあり。腰に寄りそうやわらかな毛の固まり。水戸やの主によばれ、話を終えて後。山椒を頼まれていたことを忘れていたわけではなかったものの、いくら何でも長く外出しすぎていたとまっすぐ帰ることにした道すがら。わらべらの唄い遊ぶさまを見かけたもので。

ーーこのくそ坊主の、わたしゃいまから生臭さ変成男子どものとこにゆく。

 となりに並び足を進めていたセヒョはからから笑い声をたてておどけた調子で節をつけて言ったもので。ミズクミらといかな話が交わされたものか、セヒョと行動(道行)をともにするなりゆきと相成り。どうやら祭司長の手のものに狙われる恐れがあるかららしく、セヒョが付いてくれることとなったからこそリウの意見が通ったもののようで、そうでなければあのまま水戸やに引きとられる仕儀にいたっていたやもしれぬ、いや、間違いなくそうなっていたことだろう。スケがなんとかしようとしてくれたにしろ。二階でどのような会話がなされていたものか気になりはしたものの、内容が内容であるため往来でできるものでもなく問えずにいて。祭司長が捜している者がはたしてリウであるのかどうか、少なくとも人捜しのなかでリウが対象とされる恐れがあるということだろうが、それにしてもあまりにも不可能なことの繁りすぎて。たださし当たりつよく気のかかり案じられるのは、リョウヤの身の上で。なんとかできぬものかと思うも、まずは本人の気持ありきなわけで。それを口にすると、

ーー親はなくとも子は育つからなァ。はいはいでもよちよちでももうないねんから、もう一人歩き、は早いにしろ、てめぇの行く先はてめぇで選んで決めてええころやんなァ。それにしても・・・・

 それにしても?急に言が止まったため訝りセヒョの方をむくと、

ーーおのれの玉の緒切られるかもしれんていうときに。のんきなんか、お人よしすぎるんかな。バカがつくくらいの

 頭ひとつ半ほどの丈のリウの頭髪をかき混ぜるように撫ぜつけ、笠の下のセヒョは大口をあけて呵々大笑。頭をつかまれ力強く揺さぶられた具合となり、軽くめまいを覚えながら少々恨めしげに相手を見やり、はっとする。からかう表情ながら慈しみの宿る双眸に出会い。太き眉、大きな目、太き鼻筋、大きな口。造作は厳ついながらも、まだ年若なせいもあってか、いや主たるものは性根からきたるものなのだろう、明けっぴろげで穉気さえ感じさせる邪気のつゆさらない笑い顔。なりの巨大なわらべ、と閃き。彼がわらべであれば、吾はややこということになろうか。年齢差や体格差によるものではなく、内面の充実度からいえば。いや、生まれてさえいない状態か。

ーーそう案ずることない。居場所はすぐ突きとめられるから、話したる。塗り壁ババアに使われるだけしか行く先ではない、って示してな。それでどうするかは、後はてめぇ次第

 車両が小石にでも乗り上げたのか、強くひと揺れし、揺さぶり起こされでもしたかのようにリウは目を開き。そのときになって微睡んでいたことに気のついて。

「寝ててええんやで、まだかかるやろから」

 馬の綱をもったセヒョから言われ、うんとのみ応えるも、まさかそうも行くまいとこっそりと伸びをし、隣に坐りなおし。ニジは振動にも騒音も気にならぬのか荷台で丸くなり、かすかに寝息をたてていて。影と化した樹木の走り去る山道を、ひづめと車輪が蹴たて騒がし乱し。マツムシ、スズムシ、コオロギ、草葉の陰にすだく虫の音の、近寄るとはたと消え、通りすぎるとまた傷のふさがるように甦り。カワズの鳴く音、アオバズクの啼く声。ひんやりとまでは行かぬものの、日の落ち熱の下った涼気をおびた風に愛撫されていて。この日のうちに発つことと話は決まり、セヒョとともに龍女にもどり、そこの主であるノレンに暇乞いにゆき。セヒョからはオレが話してやろうか、もしくは同伴しようかと言われるも、確かに心細さだとか怯む心もちはありながらも自分で決めたことなのだからと腹をくくりセヒョを残して、一人むかい。速攻発ったほうがよいかもしれぬなとセヒョからも応じられてもいて、どうやら狙われる恐れがあるらしいとミズクミらから話されていたし、彼らのもとへは行かぬと断ったわけではなく返事を待ってもらっている状態であり。なかんずく、シュガに会いたかったからであって。あづま路の 道の果てなるひたち帯 かごとばかりも あいみてしがな。臆しながらではあったが思いきって言うと、なにを思われたものかノレンから、ああそうなんやァとあっさりと承諾を得られ。あまりにすんなりと行き、ほんとうに良いのかと逆に問いかえしてしまったほどで、そうやねぇと苛立つでなくかるく受け流されて。拍子抜けというのかキツネにつままれた思いで辞し、廊下をわたりながら、よほどのことでなければ好きなようにさせておけという指示でも出ていたのだろうか、と案ずる。吾が身を寄せるために、手間賃といったものか、金子を受けとっていたのではと今さらながらそこに気のまわりもして。戻るとセヒョの姿が見えなくなっていて。厨にゆき、ミカとコメジイと話をしていると、どうやら少し出てくると言いのこし出かけたものらしい。手持ちぶさたでもあり、ミカの炊事の手伝いをしていて一刻ほど経たとき、馬のいななきと共にもどりきて。小ぶりで粗末な荷馬車を調達し。気象の荒い若駒であったようで、ために格安で素早く借りることのかなったようで、それもうまくいなしてきて。セヒョのもどるが早々車上の人となり。探していたニジもいずこからともなく現れ荷台に飛び乗り。探しても見あたらず、水や飯は置いといてやるからとミカが受けあってくれてはいたものの心残りであったのだったが。火ともし頃を過ぎていて。売り子であるマツやアリヨと廊下で行きあったとき挨拶すると素っ気なく返され、それでも以前はツラをむけさえされなかったものだが、やはりリウに長く眼を留めておくことのなく。居合わせたセヒョに色めきたち、体躯をねっとり嘗め回すが如く目を細めシナをつくり凝視していたもので。セヒョは頓着することのなく、笑いながら会釈をし。店を後にしてから微苦笑しつつ、

ーー変成男子てより、人三化七やんなァ。屋号、龍女やなくシコメにかえたほうがええんちゃうか


・・・・、ひろお、豆ひろお


 鬼のこぬ間に豆ひろお


 やしき田んぼに光るもの


 なんじゃなんじゃろ


 虫か、ホタルか、ホタルの虫か


 綱を繰るセヒョのとなりにかけるも、またぞろうつらうつら船をこぎ出していた模様で。わらべ唄が身内に現れながれゆくのを聞きながら、目を開けて。一体、いつどこで聞いたもので、だれが歌っていたものだったか。ぼんやり考えていて思い当たり。砦のうちで。直に聞こえてきたものではなく、胸中に流れきたったもの。トリという男わらべの、声帯をとおさぬ唄声。わらべらに会うかどうかまだ分からぬにしろ、少なくとも居場所の近くへゆくわけだから、それを無意識下で思ってのものだろうか。睡りのなかで現れる映像やもの音は、たいてい条理のともなわぬものではあり、さまで気にもとめることでもなく、とめず。それにしても、と思う。なにゆえセヒョもまたシラギ山のシュガのもとに往くことをすんなりと認めたのものだろうか。一応聞きはしたものの、うん、まぁそうしたほうがええんちゃうかって思ったからな、それくらいにしか答えられず。直感的なものでだろうか、シュガに対し好感情はもっていないようではあったのだが。もっとも、好悪は関わりなかろうと気がつき、ふっと一つそれらしい解の閃き出でて。問いただしたいのではないだろうか、と。祭司長と繋がりがあるのか否かと。そもそも頭領であるモミジ直々にシラギ山に訪れ、乱暴なやり方ではあったがシュガを呼びつけたのも、その白黒つけるのが目的であったらしくもあって。そうであるのか訊くと、確かにそれもあると答えられ。モミジらの住み家を壊滅させた輩は、やはり祭司長の手によるものであるらしい痕跡があったのことで。ただし、どうも不可解なところがあるらしく。問い質し、シュガが真相を知らないまでも、何かしら鍵となるものを聞き出せるのではないか。それも確実にあるようではあったが、それだけではない何かしら伏せているものがあるような気のされ引っかかりの残り。うん、まぁそうしたほうがええんちゃうかって思ったからな。そう言ったときの口ぶりや、素振り。リウの肩の辺りや頭の辺り、そして輪郭をなぞるして視て、小首をかしげるように思案げな面つきで。そして関係するのかしないのか、

ーー式神ってのがあるんやんか、あ、あるんやけどな、オレは系統ちゃうからやらへんのやけど、オニというもんを使役するもんらしくてな、ただ、なんやらそういう他のもん使こてやるんやなく、自分のタマシイを切り分けてやるところ、方法もあるらしくてな。詳しいことよう知らんけど、えらい負担やろなとは思う。たとえばや、手足を切ってもまたくっつければ繫がるとしてな、かといってそら切り離すときは痛いやろし、離してる間も痛いやろし、痛くないにしろ不便やろうしな。不便いうか、欠けた分、脆く弱くなってるはずやし。多分それですまずに。・・・・やらんですむなら、やらんほうがええ思うねんな

 なぜにわかにその話が出たのか解せず。少々間をおいてだが、またかくなるものに似た部類の話をされ。

ーーコドクってのがあってな。これも特殊なもんで、そういうもんがあるて聞いたことあるだけで、教わらんかったし、やりたくもないもんやねんけどな。コドクて、蠱に毒て字あてるんよ。毒ある虫なり蛇なりひとつ壺んなかいれて、生き延びたもんを使って呪ったりなんだりするもんらしくてな。それはそれでけったくそ悪いもんやけど、なんでもそれを大がかりにした業があるらしくてな。イヌ神とかネコ鬼っていうんもかき混ぜたようなもんらしくて、イヌとかネコとか、それ以外にもシカとかエテとかクマとか、なんやら人もらしい、むごいやり方で殺して。恨み怒り哀しみ恐れの凝った念をまとめて、蠱毒とも重ねてひとつにして利用するってもんがあるらしくてな。その一等目的は、一人の人間にそれを閉じ込めることでな。閉じ込められたやつは、とんでもない力をもつことになるらしいわ。そらそやろな。で、結句つかわれるだけ。道具にされるだけやろけどな。呪具にな。本人はえらいしんどいことやろ。まぁ、聞いたはなしやし、そんなんほんまにあるんか分からんけどな。それで持ち堪えられるもんがおるとは、とても思われへんしなぁ・・・・

 想定できないと言いながらも、そのときの前方をむくセヒョの横顔は、引き締まった厳しいくらいの真剣な表情をしていて、想定しているらしいことが感ぜられ。それも具体的な対象を思い描いている気色で。ちらっと過る像を、リウはすかさず打ちけし。まさか。そんなことのあるはずが。想定しているであろうものについて、問うことのどうしてもかなわず。いや、意識をむけないようにしながら、疑いからも目を逸らす行為もさり気なく秘かに(自分に対してなのだが)紛れ込ませていたもので。

「・・・・なんやっけ、たしかスケさんやったか。あのしゅっとしたおっさんいたやん」

 リウはすぐに反応できずに間のあいて、ああと相づちを打ち。いまは微睡んでいたわけではないし、考えごとをしていたわけでもなく、もしろ余計なことを考えるまいと夜風に集中し、流れ去る樹木や星々に目をむけていたからで。

「なんやら、似てるわ、て思ったんやけどなぁ」

 似てるとは、だれにだろうか。なんの見当もつかず隣の巨漢をぽかんと見やると、

「おまえと、な」

 厳しく引きしめていた顔をゆるめたセヒョが、ほほ笑み、問いかけるような目を寄こし。まったくの意想外な(突拍子もないとも言い得るか)言に、さらにぼう然とし、二の句が継げず。追及されることのなく、されても困るだけであるのだが、さいわいセヒョは頓着なく双眼を進行方向にもどし。似ているところがあるのだろうか。肉づきがさまで厚くないところや、ほっそりとした顔だちなどの造作部分が、なのか。初対面にしては親しみを覚え、それはまずむこうから親しみをもってくれていた気配があったからであったような気のされるのだが。軽口であり、真剣にとらえるものでもないのだろうか。自分のなかで整理し片づけながら、上半身をよじり後ろをむいて、睡っているニジを撫で。ニジはすこしツムリをもたげ薄目をあけると、あくびをしてまたぞろツムリを落とし。ニジがどうしているのか確認した、という風に見える行動ではあり、そういうつもりがリウになかったわけでもなかったが、それよりなにより、やわらかく温かい毛並みに触れて気を紛らわせたり和みたいという要求がつよく、そしてそれは効果覿面であったらしく。胸のうちのさざめきが幾分凪いできていて。

 きィんと耳をつんざくような音というのか、鋭い痛みに頭蓋を貫かれ。抜けることなく響いている感じ。上半身の姿勢を直した途端のことで、頭部を両手で覆いうつむき堪える。うずくまりたいほどであったが、セヒョに気取られたくなくて。往くことは揺るがずにあり、心配させて遅らせるような真似はしたくなかったゆえに。おサワの磐が近くにあるはずだと心づいたとき、その苔むす磐の情景が現れてきて。磐に重なって見える女人の影が、何ごとかを訴えているらしく。うまい具合に言語化はできぬながら、この先は剣呑であると教えてくれているらしいことは分かり。以前、シラギ山の砦にもどるときにもあったもので、襲撃があったことを後に知ったものだが、あの折よりも強い訴えかけで。同時に切れ切れに聞こえてくるこの歌声はなんであるのか。


 うちのうゥらの・・木に


 雀が三羽とォまって


 ・・・雀のゆうことにゃ


 ゆうべござった・・・


 ・・・・をたてつめて


 すっぽりかっぽり 泣きしゃんす


 なにが不足で泣きしゃんす

 ・・・・・


 モリゾウの時折口ずさんでいたわらべ唄。もうそのモリゾウの唄を聞くことなどあり得ないこととなっていたのだが。とにもかくにも気をつけるにしくはなく。危殆なことが待ちかまえているらしいことをセヒョに告げようと、そろそろと手を下ろし、こうべを上げたとき、

「なんやろ。こら厄介なことになりそうやで」

 セヒョが行く手を睨みつけ。

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