第64話 解きはなたれぬものども

 不意をつかれ突き飛ばされたに近い衝撃をうけ、奇妙な音の出どころ辺りに目がむかう。ヨネから発生しているもの、らしい。おかしな動きをしていて。膝に手をあて、腰をかがめ頭を地に近くして。咳きこむ、いや、吐きだそうとしているのか。腹のあたりから上半身を波うたせ、

「ぐうおッ、ぐうおッ」

 喉から異様な音をもらしながら。たじろぎつつも、大丈夫かと声をかけ、手をかけしようとしたリウは、我が目を疑う。ヨネの口からマムシであったものらしいものが、どろどろと吐き出されていて。噛みくだかれた途中の。唾液だの胃液だのにまみれ、したたり。・・・・否、したたってはいない。ヨネの体液でもなさそうで。かつて毒蛇であったものは、落下してもいない。上っている。吐き出しているのではなく、呑みこんでいたので。牙が飛びだし、跳ねあがりしているのもかまわずに吸い上げてゆき。歯を立てずにまるのまま。ウワバミが、オロチに捕食されしさま。

 リウは暫時瞬きもできず硬直しながらも、不思議と恐れおののく感情はおこってこない。蝶が蜜を吸う、テントウムシがアブラムシを喰う、イヌがネズミを喰らう、クマがイヌを食する、ニンゲンが命あるさまざまなものを貪る。捕食者が大きくなるにつれ、惨たらしく見えてくるものだが、摂取するということにおいては、やっていることに大差なく。雲上人など特殊な例を除き。惨たらしいという枠づけ自体が、ニンゲンが設けたものにすぎず。あくまでも、生命をつなぐための食、ということに限定しての話にはなるが。

 さりながらヨネがマムシであったものを吸引するさまにリウが恐怖だの厭悪をおぼえなかったのは、生命維持のための行為だと見てとったから、ではなくて。明らかに別のものだと感じとれはしていて。であれば、今のように肯定的、まではゆかぬにしろ、拒絶感の湧かぬのは、なにごとであるのか。言わずもがな、容姿に似つかわしい蛮行であるから、という、軽薄であり酷薄な感想ではなくて。なぜそのようなことをするのか見当もつかぬものの、その有様から残忍さだの野蛮さが感じられず。ヨネは明らかに嘔吐を催しながら、微塵も歓びのなく、こらえながら呑みこんでいるのがよく分かり。巨体を伸縮させ、カワラケのような肌に脂汗を滲ませて。さりとて、止めることはできかね。あまりの光景に茫然自失、という気味もなくはなかったが、なかんずく圧倒されて。強烈な意思による行為であることが、皮膚を刺すように鮮明につたわってきたため、その気迫のまえでは気やすく声ひとつ立てられず。大丈夫、だとか、そんな無茶はよして、と言うのは、そのこと葉のみならず発意からして、あまりにも軽々しい。それは思いやりでなく、むしろ冒瀆にすらなるのではなかろうか。そこまで思え、袖手傍観するほかなく、その状況に堪え。サンキュウのように、何かしら読経を知っていたら、と思う。さすれば唱え、相手の役にはたたぬ気休めにしろ、幾分か自分の気ははれるだろうに、と。痛みの波の打ちよせるさま。おのれの胸のあたりに手をあて、布を絞るようにつかんでいたリウは、われ知らず口ずさむ。


・・・・・・の神


はこぶはアメとツチとのゆうとこさ


かっちゃのリルのふところさ


「ぐうおッ、ごぼッ」

 毒蛇を完全に身内におさめたヨネは、前かがみの姿勢のまま倒れ込み。体内で暴れるものを抑えこんででいるようにも見え、激痛をもち堪えようとしているようにも見え。腹部や胸部をおさえ、もだえ。縛りをとかれたかのように、リウは倒れ込んだヨネにむかい、そのうごめく背に触れて。と、リウは手をはじかれ、息をのみ、硬直する。刃物が飛び出し、全身の内部を斬り裂きながら馳せまわり。その痛みは物理的なものだけではなく、強烈な感情、思いでもあり。怒りとか憎しみとか悲しみもなくはなかったものの、主たるものはおのれの今おかれている状況の理解できぬ混乱。わけが分からぬなか、激痛だけが休みなくつづいていて。本来であればこときれているはずであるのに、ただただひたすらに痛みに囚われ、逃げる術もなく。

 リウは内面に荒れくるう暴風雨から意識をはなし、うずくまるヨネに焦点をあわせる。この苦痛と混乱は、ヨネが身内を蝕むものであり。マムシであったものを取りこみ、そのマムシであったものの抱えるそれらをも取りこみ。そしてそれを今はじめて、一度だけではなく、ずっとやり続けてきたことが、そぞろに感ぜられていて。なにゆえそのような真似をするのか。成れの果てである身、残像のようになりながらも存在していた身を消化し、消え去れなかった根である苦と乱れも引き取り、とりこむがためにか。それはヨネが今の姿になる前、玉の緒が絶えそうになったときに、手折った白菊をきっかけに願ったことでもあって。それもあってか、異形となりしも生をつないだわけであったが、さりとて並大抵な辛苦でなく、やらぬならやらぬでかまわぬことでもあるようではあったが。

「・・・・これでも、だいぶ、減っただ。このまま、だと、浮かばれるごど、ねぇがらな。何時までたっても」

 老婆はいくらか落ち着いてきたのか、地にもろ手をついて上半身をおこす。頭を下げたまま、荒い息づかいのなか話す。

「こんなとこさ、ぼんず(僧侶)だの、紙ふり(神主)だのまんずまんず来ねぇし、来だとして、なんも足しさなんね。・・・・・・だども、おらにやり切れるとも思わねがら」

 元は生物であった、いびつなさまになりながらも彷徨う存在となったこの群。人によって残害されたことは間違いなかったが、どうも尋常なやり方ではなく、また結果こうなったというのでなく、こうなるよう仕組まれた形跡がある。いや、このような状態が目的であったかどうかはともかく、その肉や皮や骨のみならず、霊魂を操作されてあるらしい気配を濃厚に匂わせ。あくまでもリウがそう感じただけのものに過ぎぬが、

「死んでも、解きはなたれねぇようにした奴、奴らがおるんだなや」

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