第63話 にごりの沼
「おっかながってねぇで、よく見でみで」
視点だとか胸のうちを読まれて、のものだろうか。ヨネはこちらを向いていたわけでも、後頭部に目があるわけでもなかろうに、背後にいてヨネの背だけを見ていたリウにまわりを見るよう再度促され。遠目にちらっと目にし、それが何であるのか理解できなかったが、いや、理解できなかったからか、怖気づきそむけていて。間近にきて、臭気に鼻をつかれ、まわりの空気を澱ませる異様な雰囲気に肌をさされ、生理的嫌悪感というのか深いところからおこる拒絶感もあり。その拒む感覚にはまた、薄々理解に結びつきはじめている、という気味もふくまれていて。足もとに何かが触れた感覚。そのただ中にいるのだ。もはや、そむけているわけにはゆかぬだろうと覚悟を決め。
首のないイヌがいた。胴に大きなな穴をもつクマ。腰から折れたイノシシ。目のないシカ。首と腕のとれたサル。羽根のない鷹。頭からふたつに裂かれた蛇。頭のつぶれた巨大なカワズ。中央あたりがちぎれそうになっている特大のムカデ。その他にも禽獣や虫が数多。むざんやな甲の下の。いずれもどこかしら欠損し、もしくは原形を留めぬまでに破損してあるものも少なくなく、生命をたもてる状態にあるものは皆無であるはずであったが、蠢いていて。どうやら肉をともなわぬものであるらしい。現在見せている損なわれた有り様が、末期の姿であったようで。ひとつびとつに目をむけてゆくうちに、肌の粟立ちや胸のうちのただやみくもに拒むものが、幾分か薄らいでゆき。嘔吐を催す厭悪は薄らがぬものの、この状態になったのはこれら自身の必要性なりで行われた結果ではないことが呑みこめてきて。厭悪のむかう先が誤っていることに気がついたのだった。悪むべきはこうしたさまにした、もしくはし向けた人間。然り、明らかに人為を感じる。実行した者は複数人だろうけれど、ひとつ目的のためにせられしこと。そのような気がされ。
破損せられた禽獣やら虫やらのなかで、いやにサルの姿が目につく。指が裂けていたり、頭がはじけていたり、脚がなかったり。そのさまはとりどりであったが、毛量のすくないものも散見され。サル、サル、サル。これらはなべてサル、なのだろうか、はたして。二本足で立ち。見なれたサルよりおおきく、躰つきも異なるように見受けられ。・・・・
「屈強なおのこも何人もいだようだなや」
確かに益荒男、だった者らしく。腕、もしくは脚、腰、残った箇所は硬い筋肉の隆起を見せ、いまはた同じく構えたり撃とうとしたりしていて。サルとのちがいがしるく見えるのはその容姿のみならず、その素振りや殺気もあって。このような状態になってしまった後もなお、闘おうとしているのは人のなれの果てばかり。つわものどもが夢の跡、とはゆかぬ模様で。なにゆえか、ふっとシュガの姿がよぎる。
「いちず、なんだが、あさましいんだが。・・・・ニンゲンってもんは、おっちんでしまってがらもはぁ、厄介なもんでがんす」
ヨネがうすいため息まじりにつぶやき。分厚いてのひらで、自分の頬のあたりをこする。それにしても、ここになぜこのようなモノが集まり、そも毀された容子になってしまったのかーーどういった人種に、なんのために。リウは次々と突きあげてくる疑問を整理できぬまま、思いついた順に口にすると、
「おらもよぐゥ分かねェども。今はねぇども、ここらに昔は神さままつってたらしくてな。こんな山奥、不便だし危ねぇがら里にうつしたみてえでな。まだ神さまののこり香みでぇのがあるのが、なんだが」
かつてあったのは祠だろうか、そのために引きつけるのか。その敷地、もしくは境内の境目には、まだ結界がきいているのか、取りいれながらも出られ難いようになってでもいて。働きとしては、ウグイなどにおける筌、でもあろうか。そんなことがあるものかどうか、判断のつけようがないものの。それよりも気になるのは、
「だれがやったがは、よぐ分がんね。だどもな・・・・」
ミズナラの葉もくすんで見える。鳥の声、虫の音、せせらぎやそよぎの、壁越しでくぐもって感ぜられるなかにいて、耳を澄ますようにヨネは目をつむり。なにを聴こうとしているのだろうか。肉体を失ったものどもの声か。すくなくもこの表層の世にあるものに対して、ではないように、リウには見うけられ。そのむかう先、ひろがりゆく向こうに、思いを馳せると、ざわつきざらついていた胸のうちが心なしかうっすらと凪いでゆき。現れているものに、捕らわれすぎているのではないか。そう感じたときにヨネの重いまぶたがあがり、
「ニンゲンは厄介なもんだなや。んだども、このやろこどもも、やっぱり同じだァ。あわれなもんだァ。まっこと、おっがねェのは、はァ・・・・・・」
まことに恐るべきは、という謂のことを口にしたad、結論は述べずに言いよどむ。知らずにか、知ってはいても言いにくいことであるのか。ともかくも、そこにあるモノらを、間接的にか直接的にか、この状態を生んだ連中を指していることは間違いないだろう。間違いないとして、もし知っているとしたら語り難いのはなぜなのだろうか。ヨネの立場で語り難い方面というものがあるものなのか。いや、ことさら意味なく区切ったものなのか。足もとにのたうち回る、無数の切れ目のいれられたアオダイショウを眉をひそめ見下ろしていたリウは、媼のつづくこと葉を待っていて。ふっとまたぞろシュガの映像が脳裏をかすめる。昏睡状態のまま、置いてきたことを案じてなのか。しかも傍にいる者は、正気を失った老人ひとり。たしかに案じる材料はなくはないものの、さまでそこには気のむくことのなく。思いうかぶのは、そうなる以前のようすであって。笛をかまえ、奏でる姿。幹に縛り上げられ、体内から大量にどす黒い有象無象のものを噴きださせていた姿。白河の清きながれから、にごりの沼に。有象無象のものは、さまざまな種類のかたちをとっていたが、色のみならず猛々しく戦闘的であることは一様で。と、そこで、はっと立ち止まる。修羅場のなか、じっくり観察したり見分けたりと、ひとつびとつに気をとめる余裕などつゆさらなかったが、ふり返ってみたとき、その禍々しい群のなかに、人らしきものがあったようにも思われて。人らしき影があったことに気をひかれ、その元にあった存在に思いをむけたとき、何かが見えてくるような気がされ。人の形象をしたもののみならず、その集団を構成するものらの、本来であったもの。もしくはその片われ。そこまで思いおよんだときに、断ち切られるように、
「ぐうおッ」
突然異様な音が立つ。
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