第8話 夢の白蛇
・・・・・・ゆららさららと降りたまえ
「きぇーッ」
インモラでもあらわれ、啼いたのだろうか。インモラとはリウの郷里につたわる、古寺にあらわれるという鳥のかたちをとったモノノケだった。附近に堂舎はみあたらなかったし、ひとの往来の繁くある昼日中に出ようとはおもえず、モノノケだとしてもべつのものだろうと動揺のなかでも静かに判断する。そのモノノケを実際に目撃したことも啼き声を耳にしたこともなかったものの。
川があり、川べりに葉をたらす柳の下に、ひとだかりがしている。奇声はそこから発生したもので、それを見物にたかっているものらしい。
なんだろう、いって見るか。興をひいたものらしく、シュガがきらきら光らせた目でそういい、リウをともないそこへいった。
柳の木の根元になにか台をおき、かけているおなごがいた。砂いろの頭巾と被服という装束で、もっとも初めからそのいろでなく元は白だったのだろうが風雪で染まったのだろう。手にもつ布を細かく切り束ねたものも茶がかった白で、そのみゆる手や頬も黒っぽく乾いていた。
「ああ、カムナキな」
とシュガがつぶやく。そして彼がちかくの者らをとらまえて問うに、よく当たると近ごろ聞こえのよい巫らしいとわかった。白蛇の神がついてるんだとか、いや白蛇の神に仕えているんだとか、ともかくもその白蛇の神をおろして、相対する者の困りごとに解をあたえるのだという。奇声は、身におろす際のかけ声のようなものらしい。
いまも、赤子を背負ったやつれた中年女になにごとか声をかけている。目をつむりしかめっ面をし、低い声で、ぞよと語尾につけ蝶々し喃々する。
「こんなん出ましたけどぉ」
カムナキはうってかわって高い声をだし、満面に笑みうかべ締めくくる。腕組みし鼻で笑っているシュガのわきで、なにとなく気をひかれてみていた。
リウの家では、ちいさい簡素な神棚ではあったが、そこにジュデの布で覆った小石がおいてあって、母も父もそれはそれは丁重にあつかっていたものだった。その石には神が宿るのだという。そしてそこに宿る神とは、白い大蛇のかたちを成す存在なのだという。リウも両親に倣い、朝晩額づき手をあわせていたもので、それが影響してかその当時、白蛇の夢をよくみたものだった。くちなわといっても、現実にある爬虫類のそれとはまた印象がちがう。純白のまばゆい光沢であるなかに、ホオズキの実のごときさ丹の目がふたつ。冷たさはなく、あたたかくやさしい。人知をこえたものを湛えていることをかんじさせた。・・・・・・・
その石は、夢で白蛇の神からいわれたーーといえるのか、いわれたような気がしたことに随い、布に包んだまま母の棺のなかに納めた。それから一切夢でみることがなくなり、すっかり忘れていたのだったが、カムナキのはなしを聞いて思いだしていたのだった。
同時に、なにとなく訝しくかんじもしていた。このひとのものは、はたして白蛇の神なのだろうか、と。すくなくとも家で額づいていた存在とは毛色がちがうようにかんじられる。もっとちいさく、黒ずんで・・・・・・リウはそうしようとおもったわけでなくじっと意識をあつめて視ていると、黒いミミズのようなものをかんじた。いや、尻尾だろうか、これは、ネズミのような。
あッ、と思わず声をもらしそうになりてのひらで口をおおう。心裏に、ドブネズミをおもわせる像がむすばれる。声にはならいものであったし、ひとごみのなかの喧噪。かつ、カンナキの真正面ではなく、頭巾で顔の隠れた位置にいたため、気づかれることなどないはずだった。そうであるはずなのだったが、がばっとすごい勢いで頭巾の顔がこちらをむいた。睨めまわすように探っていた目が、リウの目をとらえた。その乾きひびのはいった唇がかすかに震えひらいたかとおもうと、呆然とみかえしていたリウからすぐに顔をそむけ、何気ないように幣をもちなおした。その指は震え、面に怯えのいろがあることを注意深いひとがみれば気がついたろうが、幸いというのかそこまで彼女に注意をはらうものなどいなかった。本人自身、おのれの反応がよく理解できていなかったため、仮に問われ、正直にはなすしかない場面であったとしてもなんとも答えようがないものではあったが。ただ、ああいう者にふれてはならない、ということは、どこかで強くかんじはしていた。
「正しとて、問いみ問わずみ嬲るらん、か。難儀なことじゃな」
シュガは、気がついてかつかないでか、おのれの顎のあたりをこすりながらいい、リウを促した。毛づくろいをしていたニジも4本の脚を地面につけた。何となしに、またそのうち白蛇の神の夢をみる。リウはそんなかんじがしながら、川べりから離れた。
蘆が茂り、川面には鴨が数羽いた。川の景色はもうすこしみていたかったとぼんやりおもう。
うッ・・・・・・
リウは染みついた習性をすっかり失念したかのように顎を上にむけ、空を仰ぐような姿勢でそぞろにあるいていて、出しぬけに脇腹を打たれ、うめき声をもらしてしまう。
「ちょい、そいつをとらまえておくれ」
疳高く嶮しい女の怒声が上がった。
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