第9話 ニジとわらべ

・・・・・・・

身はさらさらさら さらさらさら 更に・・・・・・・


 うッ。リウは染みついた習性をすっかり失念したかのように上の空でそぞろにあるいていて、出しぬけに脇腹を打たれ、うめき声をもらす。

「ちょい、そいつをとらまえておくれッ」

 疳高く嶮しい女の怒声が上がる。打たれたところに手をやり目をむけると、なにか黒っぽいものがある。のけ反り反射的に引き剥がそうとして思いとどまる。触れたそれはあたたかかった。腰のあたりに必死でしがみついてくるちいさな手。刹那ではなにかわからかったが、わらべのようだった。

「ようとらまえてくれたな。こっち寄こしッ」

 太りじしの女が息をはずませて近寄ってくる。赭ら顔に、目をつり上がらせている。

「ねえさん、どないしたん」

 唇に笑みをつくり、シュガが割ってはいる。

「どないもこないも。うちとこから、おトトさん盗りよったん。はじめてやないねんで、なんども、なんども。うちとこだけやないし」

 はなしながら憤りがさらに湧いてきたものらしく、満面に赤みが増してくる。しがみつき、顔をおしつけ、小刻みに震えている子。わらべの背にふれているてのひらに、骨が直にかんじられる。震えとともに、命も直にかんじられる。このいとけない、可憐な生命をば断じて渡してはならぬ、とリウはおもう。

 リウはその子を女から見えないようしようと、子を抱えて向きをかえようとすると、引き渡されるとおもったのか足に力をいれ抵抗してくる。

「えらい難儀やなぁ。そら腹も立つな」

 シュガは同調するようにいい、

「しばくのもええやろけど、なんの得にもならんな。こいつはこっちでええようしとくから、ここはこれで納めてくれんか」

 シュガは財嚢をだし、そこから取りだしたものを女の手に握らせた。女は太い指をひらきそれを見、目をみひらき、シュガとそれを交互にみやる。驚きとともに訝るいろもある。

「無理に、とはいわん。それよりしばいた方がええっちゅうなら、それはそれでな」

 シュガは声を荒げず、顔色を嶮しくするわけでもなかった。が、白黒つけたしと迫る意気があった。気を吞まれたのかどうか、すくなくも気勢をそがれたようすの女は、とられまいとするかのように開いた指を握りしめ、

「しゃあないなぁ。・・・・・・もう、やらんようしっかりいうといてな」

「ねえさん、えらいすまんな。おおきに」

 シュガはかるく言うと、リウの肩にふれてその場から立ち去ろうとうながす。が、リウは身動きとれない。しがみついたわらべが足を踏ん張り巨大な漬け物石のようになっていた。

「もう大丈夫だよ」

 女がまだそばにいたためこっそりささやくも耳にはいらぬのか信用できぬのかうごこうとはしない。無理矢理持ちあげることはできなくもないだろうけれど、それはあたう限り避けたかった。たといどのような年齢、立場であろうとも、個人の尊厳は守られねばならぬもの。こと葉にすればそのようなことを、リウは考えるでなく、身に沁みたところから出る感覚からつよく思うのだ。

 よほど酷い目に遭ってきたのだろう。縋りついたものの、信用してよいものか判断がつかず、先の道ゆきが明るいものとはとてもおもえず足をうごかせないのだろう。すくなくも今は、なんの危害を加えられずにすんでいる。その今にしがみつき離れたくない、離れるのを恐れ竦んでしまう気持は、痛いほどよくわかる気もされて。

 シュガは黙って見守ってはいるがいつまでそうしてくれるかわからない。さて、どうしたものかと思案しかけたとき、ナーンとやわらかな鳴き声があがる。黒いやわらかな毛並みがわらべの足にこすりつけられる。数秒後、氷が溶けるように踏ん張っていた足から力がぬけ、抜けすぎて崩れおちるようにしゃがみ込み、ニジを胸に抱いた。ニジは嫌がるでなく、抱かれるままになっている。

 リウはちょっと驚いていた。ニジが鳴くことは滅多になかったし、自分の他のひとにすり寄ったり抱かせることが今まで一度もなかったから。とはいえ呑気に感心してる場合でもないので、歩かせるのは可哀想だから抱っこするか、軽そうではあるけれど自分がするのであれば背負う方が安全で確実だろうと判断しかがもうとしたとき、シュガから手で制される。

「われがおぶう。坊主、のれ」

 シュガが背をむけかがみ込む。広い背中だった。物理的にはそう広くもないのかもしれないが、リウにはとても大きくみえた。自分がいわれたのようにふらっとゆきそうになりながら気をとりなおし、わらべをそっと押しやる。今回は抵抗なく、ニジを抱いたまま、シュガの背に落ちつく。

「・・・・・・坊主やないしぃ」

 泣きべそをかきながらも、子はつよがっていう。

「ああ、そうだな。髪あるしな」

 シュガは、はははっと屈託なく笑う。

 リウは背負われた痩せこけ、垢じみた子をみ、この子はどうなるのだろうかとおもう。この子ばかりでなく、自身もどうなるのだろうか。さりながら、案じてはいない。この背についていけば大丈夫なのではないだろうかと、そんな気がされて。

 爽やかなそよ風が、おだやかに一行を包みこみ、ながれ去ってゆく。

 

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