第10話 シュガのいろ

 ・・・・・・

 遊ぶ子どもの声聞けば 我が身さへこそ揺がるれ


「おトトさん、どこやったん」

「そんなん知らんし」

 シュガが背負うたわらべに訊くも、目をこすり鼻をすすりながら相変わらず強情な調子で応える。調子のとおり強情をはってなのか、ほんとうになにもやっていないのか、ともかく実際それを手にも身のどこにももってはいなさそうではあった。もっとも、干したちいさい物であれば懐に隠しておけたろうし、腹に収まり、すでに血肉になっているのかもしれなかったが。

「山猿みたいなやっちゃな。いうても、エテももうすこし小ぎれいにしてるけどな」

「エテやないしぃ」

「あそこまで毛ないしな」

「しょうもな」

 後ろにいても、むかい風があるとわらべの異臭が鼻をつくくらいだから、密着したシュガはもろに嗅いでいる状態なのは間違いない。さりとてそう口にしながらも、その口ぶりにも態度にもそれを不快がる気配を微塵もみせない。それもあって、安心して子も憎まれ口を叩ける部分もあるのだろうか。大分おちついてきたかのようだった。役目がすんだとみなしたかのように、ニジは下に飛びおり、リウの足もとにきていた。

 先に泰山木があり、葉を繁らせている。雪をところどころ頂いたかのように、上のほうにしろい花が咲いている。樹にむかう男と、背負われた子と、うしろにひとり。あかるくおだやかな光景。それをどこかで見たような気が、リウにはされてならない。

 いつ、どこで見た情景だろうか。夢でみたものだろうか。それは夕刻だったようにおもう。朱がかった白銀いろの、いとやわらかな陽の光につつまれていて。先には欅の木にむかい。われは背負われる童だった、のではないか。背負ってくれていたのは父で、うしろから母が見守りあゆみ。

 家のそばに欅の木がたっていたことを覚えている。さりとて、背負われているのが自分だとしたら、母をふくめおのれらの背後からのさまを見られるわけがなく。畢竟、夢でみたものであったのか、もしくは思い出の変容したものであったのか。見え方としてはあり得ないにしろ、事実あった出来事にはちがいない、という確信めいたものはある。陽の、父の背の、母のまなざしの、微風の、それらのぬくもりがしるく甦ってくる。

 と、にわかにシュガは足をとめ、

「おいでなさったな」

 と独りごちながら腰をおとし、

「坊主、もうひとりで歩けるやろ」

 とわらべを下におろす。顔だけふり返ってリウをみ、

「この子連れて先いってくれるか」

 突然いわれ、先にゆけにしろいずこへと疑問におもう。さりながら同時に、この場所から遠ざかれるという意味だろうことをその目の色や気配からかんじとりもしていて、わらべの手をとる。わらべも何かしら察したらしく憎まれ口をたたくことなく素直に手をとられ、はだしで地面を踏んでゆく。

「その餓鬼おいてきな」

後ろから男声がした。低くつくろってはいるが、地声は高めで、どうやら若いらしい、とリウは手をひきながら、さらぬていであるきつづける。子もふり向きもしない。

「なんや聞こえへんのか」

 追ってくる声と跫音。ひとりではなさそうだ。

「・・・・・・餓鬼はうぬらじゃ」

 シュガの冷えた声がしたかとおもうと、つづいて地面に叩きつける音とともにうめき声、ざわめきがした。ふり向いたリウは、背面をとられ地に圧され双手の自由を奪われ、頸にかいなをかけられている若い野郎をみた。男の仲間らしい、似たような崩れた風体をした男どもふたりが、気を吞まれたように呆然としてみている。

「助けないんか。そうか。さすが人外のものらじゃ。そんならこいつを縊ったら直にうぬらもやってやる。待っとれ」

 シュガは組みふせ相手の頸にかけていた腕に力を入れ、上半身を反らせる。みしみし骨の轢る音が聞こえてくるようだ。野郎のこうべは赤黒く染まってきて、口からは叫びとも呻きともつかぬ声があぶくのような唾とともに流れ出している。

 リウは立ちどまる。わらべに手を引っぱられるも、身動きできない。目を離せなかった。夢でみた彼とおなじ表情をしていた。怒りだとか憎しみだとかはなく、愉しんだり嘲弄するいろもない。興奮のない、ただただ静かで、何ものも認めていないような冷えた目のいろ。さりながらも、そこにほのかに、哀しみがかんじられもする。

 放っておけば言のとおりにしてしまう、とリウは直感した。そして、そうさせたくない、とおもう。咄嗟に、

 「よして」

 といいながら駆けだそうとする。が、わらべから思いもよらぬ強い力で引きとめられ、声もそう大きなものが出ない。それでもシュガには伝わったらしく、目線があがり、リウと目があう。無色な眸が暫時ゆらぎ、ある表情が瞬間的に閃く。その表情をなにかと、なづけるのであれば、それは“苦”だった。すくなくもリウはそうとらえた。

 シュガは瞬時に顔色を消し、相手の頸からかいなを外し、はなれた。野郎はくの字になり激しく咳き込んでいる。

「なにぼさっと見てる。早う連れて去れ。また面みせてみろ。つぎは間違いなくもろとも黄泉におくってやる」

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