第118話 サイカイ
モウマンタイ ナンマイダ
生まれ死ぬるのあいだにも
連れだつものも なかりけり
たったひとりで生まれ死に
たどる道こそ あるいみ安気
モウマンタイ ナンマイダ
ながいながいと おもいしも
ただ放屁の あいだなり
くさい月日も すぐきえる
四の五のいうても しょうもなや
ツヅレサセ、月鈴子、チンチロ、朝鈴、ウマオイ、鉦叩、キリギリス等々のにぎやかな虫の澄んだ輪唱がはたりとやんだなか、人家のまばらで樹木と草木の繁くあるこの辺りに、取りのこされたようにアオバズクの啼く声だけが月夜に間歇的に鈍く響いていて。草木も睡るという刻限あたりであろうか、啼く声はあったもののそれが静寂の重み、厚みを際だたせているようにも感ぜられる。然り、押し殺したような静けさで、古池の底のどろようなまとわりつく粘りのある闇で。日が落ちるとだいぶ涼しくなり、そう湿り気もつよくはなかったわけであるから、どうやら天然におこりし事象ではなかったものらしい。ゆるい寒天状の大気がうごく。微風にも満たぬため、葉や草をそよと揺らすことすらかなわぬ。それはやはり、抑えこみ、圧迫したような気色の濃密に立ちこめ。物音ひとつ立てなかったが、裏を返せば物音ひとつ立たぬように息を潜めている気配が濃くあった、ということでもあり。
猛禽類の間をおいて啼きつづけるなか、意を決したとでもいうようにがさがさと草を踏み、土を踏みしめる音のわき。ムジナか野犬か、肉食獣の群れが隠伏し、周辺のようすを窺いでもしていたものだろうか。そして環境が都合よく整ったと見做し、ようよう獲物狩猟へと身をもたげたものか。鋭い牙をぬばねばした唾液で濡らし、爪で切り裂きかみ砕き、鮮血や湯気の立つ肉塊を貪る渇望に、双眼をぬらぬらと光らせながら。だッと猛獣どもがおなじ方向へと走りだし、生臭い風の立つ。猛獣は四つ足にあらず、ふたつ足が四疋。燈の消え、輪郭のみとなり門の閉ざされし屋敷へと馳せゆく八つの足。塀周りの四方へと散り、手に手になにかを投げいれてゆく。
おち星だろうか。青白い光を放つものが、つぎつぎと尾をひいて流れ落ちてゆく。流星を見たことはあるものの、かくもいくつもいくつも立て続けに落下してゆくさまは見たことも聞いたこともない。しかもそれは大きく弾け耀うけざやかなもので、引きよせるものがあるとでもいうのか屋敷のうちに集中していて。おち星は凶事の前ぶれだとも言われる。天変地異かなにか不吉なことがおこるという知らせであるのか。そう思わせる、四人の投げいれてゆく行為が終わると、おのおのの前にある塀だとか戸に液体を浴びせかけていて、と、不意に灯りが生まれ。瞬く間にそれは広がり、伸びあがり。四人は眺めるでなく、またぞろひとつところに集まり、いずこかへ駆け去ってゆく。後にする背が照らしだされ、それらの足もとに影がのび。みな一様に黒装束に身をつつみ、装束に染めつけられたちいさい三つ葉葵の紋がひらめく。ニレやカエデの幹だとかススキのすがたも浮かびあがらせて。屋敷の塀が音を立てて燃え上がりゆき。ぱちぱち爆ぜていたものがごうごうと外側を派手に焼きだしていて、仮にそこに居あわせたとして直ぐには気がつかなかったろうが、内側からも煙が上がり、ちろちろと蛇の口からのぞく舌の如くに赤や黄に彩られ。徐々に内部からあらわれる黒煙が増し、蛇の舌は巨大に立ちのぼりはじめ。
モウマンタイ ナンマイダ
はなの命は みじかくて
ひらひらひとらの あさ知恵よ
ひとたび無常の風ふけば
花とあさ知恵 散りはてぬ
りゅう女はホトケになりにける
たといりゅうには ならぬとも
五障の雲こそ あつくとも
ホトケの慈悲は くまなくてらし
極寒に晒され裂けた皮膚から流れだし、流れだした刹那凍りつく血の液。その色のものが煮立てられた如くにうねり噴き上げて、穹窿を焦がすように炙り。附近は日盛りのときを思わせるほどに明るく、黒洞々たる闇などどこにもない。コノハズクの啼く声も絶え、燃え上がる音、崩れおつる物音ばかり。なかには人らがいないのか、気づかずに煙に巻かれ焼かれでもしてしまったのか、なんの人声も湧くことなく、人家のすくなく深更であるためかヤジウマもなく、決して胸穏やかに眺めていられない惨たらしいものではあったが、私情をきり離しひとつの情景として映したとき、芽が萌え、葉をのばし幹を太らせ花を咲かせ散らし実を結び落ち、成長しきった樹の老いて枯れゆくさまと一様であるように静観されなくもなくて。老い、のみならず雷にうたれたり野火で焼けはてることもあり、そういう自然現象であったり、かがり火にむかっているような気のされもなくて。かがり火にしてはあまりに規模が大きすぎはするものの。そして失われしもの、生命も比較にならぬほど膨大ではあろうし、人らの犯せしおこないによるものではあったが、それもた鳥瞰すれば変化する一過程でしかなく、焱自体には焼き炭化させ照らすということの他、聖も邪もなく純一に踊るだけであり。静謐ななかで、ただただ粛々と。うねり跳ねるさまはきらきらしくさえ感ぜられて。そう感じる底には、無に帰するということ、本来無一物という真理が湛えられてあるからだろうか。
モウマンタイ ナンマイダ
オン・アミリタ・テイセイ・カラ・ウン
身内までゆらめき赤々と染めあげられてゆくような心地。日の暮れゆくころの赤丹に浸る光景がにじみ出るように想起させられもして。大きいものも小さいものも、ツヤツヤと新鮮なものも腐ったり萎んだりしものも、豪華なもやのも貧相なものも、偉いと敬われるものも賤しいと見さげられるものも、なべて隔てなく照らし包みこむ。リウは都に来させられ両班の屋敷に下働きとしてはいり、洗いものだとか厨しごとで馳せまわり、そして染めものをやるようになりする最中に浴びた夕陽のいろに、すり傷に染みこむようなひりひりした疼痛を覚えたもので。風物も人も人のありようも異なる土地に連れだされ放りだされ馴染みのないものばかりにとり囲まれて、寂しさと心細さしかなかったものだったが、赤丹の光に包みこまれたときに、なれ親しんでいたものとようよう再会できたような気のされて。母と父のもとにいた時分に目にしていたそれと。ふたりが亡くなったとき、そして売られきたそのときまで、なんだか夢を見ているような麻痺したような感覚に陥っていて、言われたことをやるため手足をうごかし、小突かれたり打たれたり組みしかれたときに痛みはもとより感じていたものの他人ごとのように、遠くから鈍く響きくる鐘の音を聞くような状態でいたもので。そんななか初めて射しこんできた夕陽のいろにあたったとき、音をたて亀裂が生じ、あれよあれよという間にヒビが延びひろがり瓦解してゆき。外側でおきたことではなく。気がつくと、頬が濡れていて。ふたりが亡くなってから、ようやっと溢れいでた涙。溜まりに溜まっていた熱い泉がかたい地をやぶり、一気に迸って来たるが如くに。溜まっていた分、ひとたび堰を切ると止めどもなく滾々と噴きだし、立っていられないほどにもなって。しゃがみ込み、しばらくーーといっても三刻もたたぬうちのことであったろうがーー思うように身動きできぬ状態となり怒鳴られたりあざけられたり、足で小突かれたりしたものだったが。哀しみ、喪失感の表出であったが、不思議と(不思議でなく妥当であろうか)、悦びに満たされていて。感情を吐きだすことがかなったという詰まっていたものが抜けた軽み、それは見方を変えればそれなりにではあっても決着、整理がついたということであるが、どうやら他にも深部分にひろがるわけもあったらしく。むしろそちらの方が主要であるらしい。その気配は感じながらも、リウは自覚し得ないでいたものではあったが。仮に自覚し得ていたものであっても、理解というものにするのは、畢竟、言語化するのはいとど難し、それは感覚的なものであったゆえ。やわらかき橙の光が懐かしき風景や感触をよみがえらせてーーよみがえったものは正常な感覚も、であり、当然、寂しさ、切なさ、哀しみ、悔しさもあったのだったがーー、という思いだすための媒体としてのみあるわけでなく、その光自体に懐かしいぬくもりを覚え。覚え、というより、思いだしたとか、気がついたという方が近いのだろうか。見ず知らずの土地で、人にも水にもなにも馴染めないでいたものだったが、それをきっかけに共通のものを見いだしてゆけるようにもなってゆき。日や星や月はかわらず。土も水もくうきも風も草木も、質は異なれど生まれ育ったところのものと変わりないもので、繫がっているもので。人らも色あいが多少異なるばかりであり。そして、カミユイの木に気がつくことのかない、ニジとも出会い。そうだ、ニジはうまく逃げおおせたろうか。人間よりよほど鼻がきき、俊敏であり、りこうでもあるから平気だろうと思われるが。・・・・
モウマンタイ ナンマイダ
ながいながいと おもいしも
ただ放屁の あいだなり
くさい月日も すぐきえる
四の五のいうても しょうもなや
モウマンタイ ナンマイダ
はなの命は みじかくて
ひらひらひとらの あさ知恵よ
ひとたび無常の風ふけば
花とあさ知恵 ・・・・
「・・・・ニジはどうしたのかな」
もの案じしていたことが口を突いて出て。はっとしたものの、独りごつつぶやきでしかなく、表からは太鼓たたいて笛ふいて唄をうたって踊りさわぐ噪音がしていたから聞きとめる者などいまいとリウは高をくくっていたものだったが、
「案ずることはなかろうよ。わてらより鋭いもんやし、ましてやあれやったら・・・・」
目を閉じていたコヅキが言い。床の間を背にして坐していて、おトモ、ミズクミの順で、次にリウが端坐し、キライ、スケとカク、セヒョは青スダレのかかる戸のそばに膝を立て腰をおろしていて。コヅキの屋敷が昨夜焼かれたという話がスケから報告され、なんでもその附近にいて立ち去った怪しい者どもがいて、どうも祭司長の手のものらしいと調べを語り。つづけてキライが、昨日の日中、イルカと称ばれる女人だとか、姿を見せなかったその仲間と相対したこと、目的だとか正体は分からぬものの、好意的な立場にいる者どもではないようだ、と述べ。イルカもまた祭司長の手であるらしい、とも附言し。祭司長、ないし天長は、我らを天授であったものと知っていた、もしくは知ったということだろうか。そして始末しにものか、それ以前の段階で、怪しみ探りにいれてきたところであるのか。認識したかどうかはともかくも、少なくとも危険視し葬り去ろうとして火をつけたものなのか。あそこが水戸やの別墅であることはすぐに知れることであり、だとすればここにも手がおよぶのだろうか。いかに捉え、いかに手をうってゆくか。話し合いがおこなわれていて、そんななか禿頭の翁はほとんど口を開かず目を閉じていて。昨日イルカとの邂逅の直後、コヅキの鶴のひと声で水戸やの本宅に移ることに決まり、慌ただしく調度品なども持ちだされて。床下に潜りこみでもしているのか、外にいるのか、ニジを見つけられなかったリウは、探しまわりながら、危険がおよぶことになるようだから屋敷内にはいないようにして、と声をかけ、念じていたものだったが。コヅキが目をつむり黙思していて、ゆったり間をあけていてリウとはひとり分離れていたことから、リウは意表をつかれたわけで、なんなら隣にいるミズクミにすら聞こえてなくて、急に口を開いたコヅキの言に訝る表情を見せていたくらいであり。おトモのコヅキにむけた目が、何ごとか察したのか当てられて、愕いている最中で、かつ口べたであることから、
「・・・・ニジが、平気かと心配してたので」
と、知らぬ人にとっては要領を得ぬことしか口にできず。ニジ、と聞き、おトモもミズクミも表情に出さぬようにしながら絶句したいろの表れ。その反応にリウはさらに目を見はることとなり言をつなげられなかったが、そういえばコヅキやキライも似たようすであったことを思いおこし、なんでも稀なる神使の名であるかららしいと気のついたとき、
「ああ、それはリウさまが可愛がったはるネコで、都にきたときに出会い、そう名づけはったそうですよ」
そうですな、というようにキライに笑顔をむけられ、ええ、とリウは肯いてみせ。伽羅、白檀、沈香、龍脳等々を調合したものらしいお香の煙が、室内の四隅におかれたヒスイの香炉からうっすりと流れのぼり。板の間にはキキョウにトリカブトをそえて活けられてあり、背後を掛け軸が彩り。矩形状の枠内におさめられたものは、空いろの背景のなかに巨木のそびえ立つ図で。枝や根が境界を突き破ってゆきそうな勢いが見るものに迫りくる。いや、収まりきらないだけで確実に存在するものであり、地中に膨大に張り巡らされてあるもの。晩秋からそれ以降であるのか、葉のなく枝枝から蒼穹の淡いいろが覗き。天空にかかる網、もしくは、稲妻のように見えなくもなく。然り、猛りたつ忿怒が感じられなくもなく、さりながら同時に、差しのべ抱こうとする慈悲のたたえられているようにも感ぜられて。見たことのないはずの樹ではあったが、見覚えのあるような懐かしいような感覚もあり。カミユイの樹であるらしいと判断できるのみであったのだが、何ゆえにゆかしくおぼゆるのであろうか。見、そして触れたこともあるような気もされてならず。いつ、いずこで。これもまたコヅキが描いたものであろうから、機会を見つけて訊いてみようと思う。
りゅう女はホトケになりにける
たといりゅうには ならぬとも
五障の雲こそ あつくとも
ホトケの慈悲は くまなくてらし
モウマンタイ ナンマイダ
オン・アミリタ・テイセイ・カラ・ウン
「・・・・ほんまやかましな」
ミズクミがぼそっとこぼす。確かにそうともとれる陽気なさまであり、つまり陽気でにぎにぎしところが気に障るということなのであろう。いまのこの会合の状況に相応しくないという意味合いもあって。サンキュウさん、とセヒョは苦笑して言い、
「なんやったら、踊りやめるよういうてきましょうか」
と腰をあげようとすると、ええてええて、とミズクミが片手をかるく振ってみせ。おトモが口もとを片手で隠し笑い声をたて、
「あれはあれで、おもてで、ああいうふうにやっとってもろた方が、都合ええかもしれへんしなぁ。はなしに加わらず、ああしていてる、しかも練りあるくでなく留まってやったはるのも、なんかしら考えあってのこと、かもしらんし。まぁ、やかましいことはやかましいけどなぁ」
然り、会合にくわわるよう求められた僧形の老人は、いったん席につくも、柄ではないとすぐに外に飛びだしてゆき、唄い踊りはじめていたものだったのだけれども、それでいて移動するでなくいたもので。臨席させることを求めたのはコヅキであり、セヒョが見つけて連れてきたものだったが。
「ただまぁ、なんでああいったおひとを、くわえはったんか、よう分からへんけどなぁ」
おトモがつづけて言うと、
「ほうか、おまえさんにも分からへんのんやなぁ」
コヅキが静かに双眼をひらき、妹や甥を眺めやってから、
「知らんかったんかな。あんひとはなぁ、ヒコウ山のまえの大僧正やわ」
「それやったらいまの十枚目のまえのあの・・・・」
ミズクミの表情に、かすかに興奮のいろが射す。
「そやねぇ、例の、追いおとされた・・・・なぁ。なんでも、長さん方(天長、天礼)によばれたらしいわ。ヒコウ山がいたはるのになぁ。それで自分らが追いおとしたもんを。あんひとは、ああやってうまい具合にはぐらかして逃げたらしいわぁ」
リウは息をのむ。表面的には嘆声をあげる者のなく、ざわめくでなく、さまで顔色をかえる者のなさそうななかにあって。どこぞの大僧正であったと聞いてはいたものの、まさかまさかの国家鎮護の最大寺院ヒコウ山の、だとは。シラギ山で騒動が勃発している最中、用事ができて結末を見とどけることなく降りたと本人が口にしていたわけも判明し。さりながら何ゆえに招集をかけられたのか。
「さぁ、なんでやろねぇ。こんせつのけったいな流れの一端なんやろうなぁ。あんひとはあんひとで、なんかしら覚ったはるけど、いわへんかったやんか。ほうけたふりしはって。法力もたいしたもんやけど、えらいりこうなひとや。まだ言う時期やない、ということなんやないやろかなぁ」
そう言うと、コヅキは頬の皺をかすかに深めて笑い、口を閉じ。サンキュウに合わせて唄い踊るもの、はやし立てるもの、笛をふくもの、小太鼓をたたくもの、合いの手を入れるもの、人が繁くあつまり盛り上がっているもの音が流れこんでいる。
モウマンタイ ナンマイダ
生まれ死ぬるのあいだにも
連れだつものも なかりけり
たったひとりで生まれ死に
たどる道こそ あるいみ安気
モウマンタイ ナンマイダ
ながいながいと おもいしも
ただ放屁の あいだなり
くさい月日も すぐきえる
四の五のいうても しょうもなや
モウマンタイ ナンマイダ
はなの命は みじかくて
ひらひらひとらの あさ知恵よ
ひとたび無常の風ふけば
花とあさ知恵 散りはてぬ
りゅう女はホトケになりにける
たといりゅうには ならぬとも
五障の雲こそ あつくとも
ホトケの慈悲は くまなくてらし
モウマンタイ ナンマイダ
オン・アミリタ・テイセイ・カラ・ウン
「・・・・あそこが焼かれたんは、おおかたイルカいうもんの関わりやろうから、なんかしらはなし聞けるとええんやけどなぁ」
沈黙を破るミズクミ。コヅキが禿頭を傾けて、
「すまんの、わての不徳のいたすところや。本性さらしてもうたから、もうそうそうシッポつかませへんようするやろからなぁ」
ミズクミは慌てたように、
「いやいや、責めていうたわけやないし、あたまを上げてください。わてやったら、とんでもない失態やらかしたおもいます。家焼かれたくらいですませられたんは、さすがですわ」
「さすがか、かすがか、知らんけどなぁ、かすかに油断があったんかもしらんなぁて。油断たいてき火がぼうぼうや」
コヅキが宙をにらみながら呟くのへ、
「ちゃうおもうわ。そら、引っとらえへんわ、あれだけ数奇をこらしたもん焼かれてまうのはおもろないけどなぁ。あやつらの出ばなはくじいたことなるやろ。あやつらの狙いもとげられへんかったわけやし。イルカいうもんも、兄さまを甘うみてたんやろなぁ。ほんまうちらやったら、とりかえしつかななってたかも、なってたかも、やなく、なってたやろねぇ」
媼が兄の翁へいたわるようにほほ笑みをむけ、リウの方へも目をむけて。目をむけられたリウはその意味がくめずに戸惑いながらも、いまの話に自分がふくまれているらしいということはおぼろげながら感じ。もしやすると、ミズクミが自分であればと言った「失態」、おトモが自分であればと言った「とりかえしもつかない」こととは、吾のことを指しているのだろうか、とも。
「はなしは聞いていて、イルカいうもんが単なるちいさい手駒やないやろうとは踏んで、しかけておいたんやけどなぁ。いや、あれほどとはなぁ」
と、ヒョウタンの頭の顎を撫ですさりながら。
モウマンタイ ナンマイダ
ながいながいと おもいしも
ただ放屁の あいだなり
くさい月日も すぐきえる
四の五のいうても しょうもなや
・・・・ ナンマイダ
はなの命は みじかくて
ひらひらひとらの あさ知恵よ
ひとたび無常の風ふけば
花とあさ知恵 散りはてぬ
コヅキの言をキライが引きとり、イルカという女人について今のところ分かっていることを報告す。リウにとって初耳で、壮年者の語りののっけから呆気にとられることとなり。当初から単なるコモノではないと当たりをつけていたとのこと。リウが水戸やに訪れた直前から意識が朦朧としてきて倒れふしたのは、あのものに強い穢れをあてられたからだろう。それはつまり呪ということであり。通常であれば即死してもおかしくない強烈なもので、蠱毒とおなじ製法でつくり出された呪具から抽出されたものではないか、とのこと。二度目にあのものを目撃した帰りに、シキガミであろう、禍禍しい蛇のなりをしたものを放たれていて、セヒョが密かに斬りすてていたのだという。天長、および祭司長の手によるもの、ということについて疑わしいことも申しそえ。血筋の子らを攫っては目を潰し一族の霊力を保とうとする祭司長。裏を返せば、そうせざるを得ないほど能力の衰退が免れない窮余の状態にあるということであり、天長の病を癒すことのかなわず、ヌエの跳梁をゆるし、町の風紀を正せぬほどになっている。イルカほどのものを使えるようであれば、現今の惨憺たるさまではないのではないか。イルカが故意に自身の力を隠しているのでなければ、だが、それはまずなかろう。それなりの技をつかうには、それなりの技を伝授するものがなくてはかなわぬもので、それはひどく限られるわけであるから。そして昨夜の放火から見て、祭司長の手による犯行と見られていたことごとにも疑問がうまれてくることとなり。
「おそらくは・・・・」
キライは言い切らずに終え。首謀者のことを差しているものらしいが、なぜ口にしないのだろうか。確証がないから、ということかもしれぬが、どうもそれだけではない気配もあり。そしてそれは、誰であると推察されているものであるらしく。リウには見当もつかぬものの、他のものたちはおのおの察する対象があるのか、不可解そうな面つきをしているもののひとりとしてなく。そうリウには見えるだけであるのか。昨日のようすから、イルカという女人は、仕えるもののために、もあるのかもしれぬが、それ以上に己がため、自発的にやっているという気味が強そうではあって。そして推論ではあるが、死んでいたかもしれないことをされ、昨日もまたぞろ打ちとめられたり不本意な目に遭わされていたかもしれなかったが、さりながら、そう酷い人、悪意に染まった人にはとうていリウには見えず。どうしてそう見えるのか、そのわけも吾ながら分からなかったのだけれども。ともかくも、話しをしてみたい。思いを聞いてやらなくてはならぬのではないか。
モウマンタイ ナンマイダ
オン・アミリタ・テイセイ・カラ・ウン
「・・・・ヒコウ山のハイサイさんでしたか、イサカイさんでしたか。そうそう、サイカイさん、サイカイさん。その方がいれば、(祭司長の)力が弱まってきているとしても、(天長も祭司長も)そう心配することはないとおもうんですが。ヒコウ山のえらいお坊さんともなれば、それだけのものをもっているのでしょうし」
おずおずと、リウは疑問のひとつを口にすると、隣りにいるミズクミが引きとり、
「そこやねぇ。由来、そのためにおる方たちやんなぁ。それがよう務めをはたしてへん。はたせへんのんか。そして、前大僧正であったおひとを呼んだいうことは」
もしかしたら、とリウは察し、さりながら口にすることあたわずにいると、
「背いたんやろねぇ」
コヅキが微苦笑してずばりと言い。裏切り。国家のため、換言すれば天長と祭司長のために存在する組織の長が、まさか。まさか、と思いつつ、疑いはさまでなく。そう思いなせば、さまざまのことに筋がとおってくるわけであり。と、いうことはつまり。・・・・リウにもようよう暗にほのめかし話されていることが掴めてきて。それでゆけば、イルカの仕えているものとは、あの方、ということになるのであろうか。そこでふっとシュガが浮かび、シュガのしてきたこと(させられてきたこと、と言うべきなのか)もまた、その方のためであるのかもしれない。シラギ山での解散も関わりがあるのだろうか。はたしてどのように決着したものか、いまだ決着していないものかはっきりした状況は分からなかったのだが。たとい何にせよ、どういう立場であるにしろ、吾にとってのシュガという存在は不変であり。ひとりの人でしかない。
・・・・ ならぬとも
五障の雲こそ あつくとも
ホトケの慈悲は くまなく・・・・
それが正しいものであるのか誤りであるのか、よい結果をもたらすものであるのかそうでないのか、迷いがないといえば嘘になるが、シュガと話したいと思う。なにか重要なものを掴んでいるはずだから、ではなく、ただただ、会いたかったからであり。そしてその心もちを、自身に対し、ごまかさずに認め。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます