第44話 ゆめの世にまた

「ようけ降りよる・・・・」

 セヒョはリウに目をむけたまま視線ははずし、ひとりごつようにつぶやく。ここにないものを見、聞きしている。リウは相手の目のいろを眺め、そう察する。そして、何ごとか話しはじめようとしていることをも。そぞろに逡巡が働いているようにも感ぜられる。それはいずこから語ろうか、どこまで語ろうか、どのように語ろうか。そういった方法に対するもの、それもなくはなかろうけれども、そも語ること自体にためらいのある気配。

「降りすぎは降りすぎであれやけど、降らなすぎるのは、ほんま、ものごっつうむごいことでなぁ」

 セヒョはそう言うと、ぽつりぽつりと話しはじめる。語ること、語られること、そこへの思いが絡み、摩擦ともなり、ぼそりぼそりと、ときには断絶という沈黙のときも併せもちながら。・・・・

 都からほど近いところに、村落があった。とはいえ壮健な大人の足でも二日はかかる距離に、ではあったが。畑作はもとより、養蚕を盛んとし、その絹糸は珍重され、宮中から愛顧をたまわるほどであった。ために集落としては潤っているほうではありながらも、いかんせん水のとぼしい域だった。適度に降ってくれれば問題はなかったものの、ひでりが続いた日にはみな水の工面に苦慮しておった。そうかと言って、北の僻地のように饑饉となり餓死者の続出する饑餓道といったありさまにまでになったことはついぞなく。すこし足を伸ばせば山野があるわけではあり。さりとて、いつ何時饑饉となるやも知れぬ。なかんずく平時から煩雑であり労力のかかること甚だしく、なんとかならぬものかと頭を悩ます者が多かった。

 村長が知恵を出し、川から水をひき、池をつくろうではないかということになり、村民一同意見を一致させた。村人の一部(身よりのない自らの働きだけでは調物のまかなえぬ者等)だとか、近辺の安い施しで使える者を利用し、完成させた。が、雨がつよく降ると、堤が決壊した。作成した者らを使い、さらに高く作るもまたぞろ大雨で崩れる。手をぬいてやっているのではないかと村民は度に罵詈を浴びせていたものだったが、三度くり返した後、そうではないかもしれぬとの臆測が流れはじめる。何ごとかあるのではないか。神託をおろす存在のもとへ伺いにいったところ、 スイジンの祟りだと告げられた。カミの怒りを鎮め、堤をもたせるためには必ず要するものがある、と宣託をくだされる。

 それは、人柱だった。誰にするかとなったとき、当たり前のように、村人は極力選択肢には入れないように。同じく使っている近隣の者たちは、迷うことなく対象となる。そのなかから択び上げるのが妥当かと、暗黙のうちに了解されてゆく流れ。堤の作り手、そのうちで、最も非力で用を足さず、欠けても作業に支障をきたさない者が、口の端にのぼりはじめ。子のない寡婦、にまとまりはじめていた。仕事のためにかり出されただけあって欠くことのできぬ人材ばかりであったし、仮にそれをべつにしてもその人らは団結がつよく人数がすくなくないため報復を怖れて、という部分が少なからずあったが、そんななかにあっても、かすかな綻びのような存在ではあった。

 そんな折、村民にとって悦ばしきことがおきた。鎮守さんが、そうはいっても危うさのなくはない策にでる村人を憐れみ、お恵みくださったのだと言いかわされたものだそうな。いや、神託をおろす存在のところのものが、祈願してくれて、カミに聞き届けられたのではという者もあった。いずれにしろ、望ましいことには違いない。村の住民にとって後顧の憂いなき最善の策。折よく訪れた者があった。壮年である行者一人。男児をひとり連れ。

 行者である男は、その旨を伝えられ、うろたえることなく受け入れた。児はその対象とはせぬことと約し。小柄で痩身ではあったが、鋼をいれたように背筋のまっすぐのびた、目、声、所作に力をかんじさせた。男児は五・六歳だろうか、こどもらしい稚い顔はしていたものの、その年頃にしてはおおきくがっしりしたししづきをしていて、炭の上をころげまろびつしたように真っ黒に日にやけていた。男児が理解でき得るのかどうか、男は諄々とおのが身におこることを説明し、児の身の振り方を説く。行者輩に事情、児の行く末をまかすという内容の文も託し。そしてすぐに発つようにいったが、男わらべは聞かなかった。そして男も、重ねて無理強いすることはなく。最期の日の前日まで共にいることを選んだ。

 その行者である男の胸のうちは知らぬ。逃げようとしたり、怯える気色は、間近にいたわらべには微塵も感じさせなかった。平生どおり、端然たる姿勢で、印をくみ、祝詞だの経だのあげていた。

 ことの前々日の宵。夜が明けしだい児が村から発つ、というその日の宵のこと。寡黙であった男はなにかこと葉を遺そうとしていたものか、こと葉にならぬものを遺そうとしていたのもか、それとも常とかわらず共に寝入ろうとしていたものか、今となっては分からず、いや、分かる分からぬというものが成り立たぬ状態と相成った。

 床をのべ、ふたりが横になろうとしたそのとき、がたりと戸が鳴った。ことさら大きな音ではない。家鳴りの類だとか、風だろう程度で男わらべは特に気にかけることなく背を落とそうとしたそのとき、肩に男の細い、さりながら強い腕をまわされ起こされる。・・・・

「かりの世に、また旅寝して草まくら。ゆめの世にまたゆめをみるかな」

 セヒョが、にわかに語りを区切り、みそひと文字を閑かに唱える。語ることに疲れた、とか、倦いた、ということでもないらしい。いずこを見るでもない目をしている。これといって表情のない、ぼんやりおぼろな様子のなかに、児であった彼の姿を見た。怯えたり怖がるいとまもなく、声をあげる余裕もなく、為すすべもなく立ちすくんでいる。あぐらをかき、膝の近くにおいた手がつよく握りしめられてある。リウはすずろにセヒョのこぶしに手をあてる。こぶしが微かに震え、セヒョの目の焦点がリウにもどる。語りをつづけるよう促すつもり、ではないし、無理に語ることはないと宥むるつもりでもなく。リウ自身、これだと鮮明に伝えたいもののあるわけではなく、茫然自失している児にふれ、そして今のセヒョにふれ、ひとりでいるのではないことを知らせたいがためにしたような気のされる。ひとりではない。ここに、吾がいる、と。

 伝わったものかどうか、セヒョは刹那、くしゃッと泣きそうに顔色をくずし、さりながらすぐにまとまり、どこか淋しげに笑った。自嘲のふくまれてあるような微笑。

「かりの世に、ていうのは、行者のおっちゃんが、ときどき口にしていた歌でな。なんか、覚えてもうた」

 そう言うと、深い呼吸をひとつすると、語りを再開す。

 ・・・・がたりと戸が鳴った。ことさら大きな音ではない。家鳴りの類だとか、風だろう程度に男わらべはことさら気にかけることなく背を落とそうとしたそのとき、肩に男の細い、さりながら強い腕をまわされ起こされる。そして口を手で被われ、耳に口を近づける。うろたえず聞きなさい、と男は言った。別れのときがもう来たようだ。村の衆が今すぐ押し入ってくる。わしが怖じ気づいて逃亡されてはことだと恐れてのことなのかもしれぬ、よく分からぬが。そんなそぶりをわしはした覚えがないが。もしかすると、そなたも人柱にしようとしてのことかもしれぬ。いずれにせよ、そなたにも危害を加えられることは避けられぬだろう。今からわしは自ら戸を開くゆえ、開いたら間髪いれず外へ駆けてゆくのだぞ。間髪いれずに、だ。決して振り返ってはならぬ。捕まってはならぬ、逃げきるのだ。生きるのだ、必ず。これが最期の教え、いや、わしの願いだ。どうか最期の願いをかなえてほしい。そう素早くささやくと、行者は男児を連れ、戸の前に立つ。戸を勢いよく開けはなち、みなでどうなされた、と大音声を上げながら児をそっと外に突きとばす。押し開けようとしていた戸がとみに開き、そして雷鳴の如くとどろく声。雷光に打たれたように棒立ちになった村民の前、あいだをセヒョは駆け抜けていった。懐には男から託された文をもち。

「無事、行者輩のもとに着き、しばらくそこにいた。そのなかで、自然、行もつんだ。ただ、それもつまらなくなってな。おっちゃんがあの後どうなったのか。はん殺しにされたり足腰立たなくされたんか、なんにせよ人柱にされたんは間違いないやろうけどぉ。おっちゃんは人一倍熱心に行を積んでいたひとらしいねん。人のため、というのが、行者にしては珍しく強いひとでな。そんな人が、なんであんな目にあわなあかんのかわからへんねんな。行者輩のなかにいて、おっちゃんが特別、他の連中に言わせれば、けったいなやつって言うんがつくづくわかってきてな。おもんないて思ったわ。行者なんてな。行自体は、べつにしてな。で、離れたんよ」

 セヒョが口を閉じる。それから、放浪し、なにかしら縁があってモミジの下につくことになったのか、とリウが推察していると、

「おっちゃんは、多分、おいのオトンではないみたいやねんけど、それは血でな。まぁ関係性だのなんだのはどうでもよくて、かけがいのない存在やった、ほんまに。身よりのないおいを引き取り、育ててくれたんがおっちゃんや。そのおっちゃんの息の根をとめたんが、あの村の連中。要するに楽したいがため、それだけのためなんなぁ。しかも、人柱になってやるって言っているのに信用せず、逃げないよう押し入ろうとするカス共。カス共に、人柱が必要やと入れ知恵したんが、臓卜師や。祭司長の手下な。そんな非道なやつの手先やってるみたいやからなぁ。シラギ山の鬼は。鬼やない、イヌやなぁ。道理のわからないイヌはしつけたらなあかんわ。しつけられないようなら、なぁ。野放しにしとったらあかんやんなぁ」

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