第45話 ふたつの口、四つの手

 焰の立つ。青、白、朱、三種のゆらめきが立ちのぼる。交わることなく。

 天然のそれ、身近に垣間見、利用するそれではないことが、いずこともなく観ぜられる。焰であり、ゆらめきであり、立ちのぼるものであることに違いはないのだが、ホムラの形をした別種のもの、と言った方が適切だろうか。ぬっとり粘りがあり、融通無碍なうごきをとらぬ感じ。濁りがあり、ことに朱には黒みがはいっている。そしてそれらは人を思わせる形を成すことがあり、また、その中心に人の像が明滅することもある。

 三種の特異な焰が見えるなか、地虫の鳴くが如き音が、途切れることなくつかえることなく縷々と続く。ノウマク・・・マンダバザラダン・センダ・マカロシャダ・・・タヤ・・・・。物象、音声。それら自体について、何であるのか、リウには皆目見当もつかないものの、それらを成してあるものについては馴染みのある感触。見、聞きし、触れたことのあるもの。いつかどこかでとか近ごろという曖昧な覚えでなく、そこまで間が空いてもいない。そして、現今目睫の間にあり。

 --なんも見ることない、眠っておったらええ。起きたときには全部すんでるやろう。そう言われ、大きくぶ厚いてのひらで、顔の前を撫ぜられ。額から顎にぬける前に、まぶたが落ちゆき、睡りの内へと沈みゆく。沈みゆかされたようにも、思えなくもなく。そのてのひら、そのてのひらから放たれてある熱だとか何かしらの波、おだやかな声。基となるセヒョという存在。

 水のうつ音、はじける音。雨がやまずにいて、かつ睡りのなかにいて目を閉じてある状態ではあったが、ここに来ることになったときから日がかわり、黎明を迎えてあることをそぞろに感ぜられる。それにしても、となにとなく違和感をおぼえはじめている。

「来たな。三十六童子の索にかかりおった」

 セヒョのほくそ笑む声がする。さりながらリウの睡眠を妨げぬためにだろう、ひそめささめくもので。手と手のすれる音や布のすれる音がする。セヒョからなにか風のようなものが放たれたものがあるのをリウは感じる。風のようなもの、といっても、肌に感じるものでなく気配といったらよいか。

 日輪が降りたった、そう思わせるが如き光の玉が、地の上を疾駆する。その玉に、あまたの人型のものが張りついてゆく。ひとつびとつ決してちいさいものではないのだが、玉の大きさに比すれば極小であるのか、どうも玉に触れると縮まるようにも見える。硝子の表面についたかすかな羽虫程度でしかない。

「まだ気づいておらんようやな。単にものともせぬだけか。八大童子の索もかけたるわ。オン・ビシ・シ・・・カラ・シバリ・ソワカ」

 ・・・・ビシビシ・カラカラ・シバリ・・・・。光の玉に八つのひもが飛び絡まる。さりとてその動きがゆるむわけでもなく、ただただ飾りつけとしてある物のようになってしまっている。突き進む玉。その玉にも、なにか馴染みのあるような気のされて。意識の眼をこらしてゆくと、それが人の形をしているものだと見えてくる。束ねぬ肩ほどまである黒髪。駿馬のたてがみを思わせる。決して大柄ではなく、腕や脚が太くはなかったが、強靱なバネがあることは容易に見てとれる。爛々たる強い光を宿す眸子。無表情であったが、一見静であるようでいて静ではない。動が極まり静止しているような感じ。コマが高速度で回転しひとつところに止まってみえるが如く。

 シュガだ、と認め識る。たまゆら、胸が疼くとともに、戸の隙間から朝日が射し込むように意識が覚醒してゆく。それとともに違和感が鮮明になってくる。見えてあるものが、はたしてどういうことであるのか掴めぬ。夢ではないようであったが、願い望むものが作り上げし像なのか、とも迷う。それにしてはセヒョの素振りーーあくまでも気配で感じるそれであるがーーに呼応する姿のように見うけられる。もっとも、肉体の上ではシュガに羽虫程度のものだとか紐がからみついていることはない。内に向けられたものらしい。

 セヒョの誦すること、もまた。その文言がなんであるのか微塵も分からぬながら、そこはさまで気にならず。気になるのは、セヒョの放つ声のみであるのだが、ひとりから放たれてある声が、幾人かと唱和しているように聞こえてくるところ。単身である人が、同時に複数重なり合う声をだす。そのようなことが可能であるものかどうか、実際にそれが成されてある。そしてそれによって、どうやら織り成す力といったようなものの効力が高まっている気色があった。

 なかんずく、起きることのできぬ状態。うつつの今に覚え醒め、室内のようす、そばにいるセヒョの言動、それらを耳や皮膚でしっかり感じとれていたのだったが、躰が思うようにうごけず。まぶたを開けることができず、起きあがることもかなわぬ。睡りの泥ーーとりもち状のそこに沈められ、捕らえられている感じ。一体にどうしてしまったというのだろうか、吾は、吾の肉は。こちらに向かってきてくれているらしい様子であるのに。はめようと、仕組まれているらしいのであるのに。なんとか目を開けられぬか、起き上がれぬか、リウは懸命に思いを集める。するとちいさい点ではあったが、風穴のような隙間に気がつく。肉体でいえば、眉間。額の中央あたりにそれはある。そこに標準を定め、意思を集めあててゆく。まず、指先の感覚が甦る。流れるように手、手首、腕まで感覚がもどる。両腕を持ちあげようと動かすと、

「どないしたんやろ。縛が自然とけることはないはずやねんけどなぁ。かかりが甘かったんかな」

 セヒョがそうひとりごちながらも、オン・ビシビシ・カラカラ・シバリ・ソワカと誦す声はやまず。どうなっているのだろう、よほど特殊なのど(声帯)をもっているのだろうかと訝しんでいると、腕から指先にかけて取りもどした感覚がふっとぬけ落ちる。聴覚、触覚もついで消え去る。意識がふたたび沈みこまされ、囚われてゆく。さりながら、意識を失ったわけではなく、たもち、けざやかに明るみひろがってゆく。沈みこまされてあること、囚われてあることの如実に認識できていて。単なる賊の一員、ではなさそうだ。育て手である男が修験道を行じる者で、その者が属する行者のもとで育ったのだそうな。

 その業、でもあるのか。五蘊を成す肉の体を機能さすることあたわず。肉のうちにありながら、その肉との交信を断たれている状況。逆にそこから、心と身は必ずしも一致してあるものではないと気づかされもする。動かそうと足掻き、そして無駄であるとさとり、身体機能をはたらかせることを放棄することを決する。すると、徐々に視界がひらけてくる。目というものをつかわず。トリ、ハナ、カゼ、ツキ、四人を思いだし、わらべたちの見え方というものをその話や佇まいから思い描き、模してみて。

 水のなかから外を眺めているような、定め難きゆらめく景色。セヒョは白装束を身にまとって坐し、右手に独鈷、左手に繩をもっている。真言を唱える口は、どういうことなのか、被さるように他の口が唱えている。あたかも、二重になっているような。そして、もろ手のほかに、手があって印を組んでいる。手が四組あるのだったが、どうやら、ふたつ目の口とおなじく、一組は、ししむらを持つものではないらしい。

「八大童子の索を受けてまで馳せていられるのはさすが、というか。間近にもなったことやしぃ、どら、決着つけようかぁ」

 床に手つけるでなく、バネがのびるようにすっと立ちあがる。口ぶりこそ暢気であったが、気迫が漲っている。そうでなくとも大柄であるのが、二倍三倍に大きく見える。山を思わせるほどに。そう言いそうしながらも、一方の口ではオン・ビシビシ・カラカラ・・・・と誦しつづけ、一方の手は印を組みつづけ。

「すぐ済むやろぉ。ゆっくり寝とったらええ」

 セヒョはリウに笑顔をむけ、戸にむかう。リウが見聞できていることには気がついていない気色。

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