第46話 焰のツルギ
山が動くかのような、異様に巨大に見えるセヒョの背中。三つの焰が重なり合って内に収まり。それでいて轟音を立てつつ踏みしめ踏みしめしてゆくでもなく、あたかもミズスマシが水面を走るかの如く、滑るようにかろやかに進んでゆく。ゆるりと歩んでいるようでいながら、駆けるような速度でもあり。
ふんッとセヒョが鼻を鳴らした。戸から出、庇のしたをわたり、本堂正面へと向かう。まわりには杉や松など樹木が林立し、一昨日からの雨に浸されてある。堂から比較的近い場所にたつトチの木のそばに、黒い獣が立っていた。小ぶりな熊か、オオカミか。濡れそぼりながらも毛は逆立つようで、へたってはいない。
「お初だが、噂に聞くのとちゃうなぁ、みすぼらしいやんか。まぁイヌころにふさわしい成りなんかなぁ、シラギ山の鬼さんよぉ」
嘲弄するように言いはなったセヒョであったが、その目にも構えにも油断は微塵もうかがえない。片眼をすがめ、狙い定めるように凝視する。身じろぎもしない黒ずんだケダモノ。怒りも憎しみも焦りも、なんの表情もないなか、眼光のみを炯々とさせ。
セヒョが地へと踏みだす。階をつかわず、飛びおりた格好ではあったが、やはり騒がしくはなく、ひらりと降りたったといった風情。一糸乱れることのなく。ふたつの口は、オン・ビシビシ・カラカラ・シバリ・ソワカと誦しつづけ。そのままシュガに無造作に歩みよってゆく。シュガはシュガで、相手の出方を計りかねてか、もしくは間合いを計っていたものか、瞬きひとつせず視ている。
一尋ほどの間に迫った。と、そのとき、シュガが跳ねあがり拳を飛ばす。休む間をおかず足を繰りだす。セヒョは素早い連打を繩をもった腕で受け、かわし、じりじりと相手との間合いに踏み込みゆき、反対に押し返してゆく。ことごとく打撃を急所からかわされ、ふり下ろされる独鈷をよけつつ後ずさるかたちになっていたシュガは、とうとう片手で突きとばされトチの木の幹に背があたる。オン・ビシビシ・カラカラ・シバリ・ソワカ。
「三十六童子、八大童子の索を受けながらここまで動けるのはたいしたもんやなぁ。並のやつやったらまだまだ軽くひねり上げることできよるやろけどなぁ」
並のやつならなぁ、とセヒョはまた片眼をすがめる。と、双眼もまた、べつに一組あることに気がつく。通常より鈍くなっていたシュガの身のさばき。それであっても並外れた速さで的確に急所を狙い定めてはいたものだったが、四つの眼により完全に見切られていたものらしい。また、同じく急所を逸らせていたとて、よほど訓練を積んだものであっても、がッがツと音をたて湯気の立つその撃つ蹴るに耐えうるだけの身体機能を有するものはそうそういないだろうに、セヒョは片腕でやすやすといなしている。実践で鍛えた、ということは無論あろうけれど、かいなのうちにも焰が満ち、その作用でもある様子。その手から、繩が飛び、中空を走る。追いつめられたシュガに向かって。繩自体に意思があるかのように、真っ直ぐにのび、シュガの胸を突くとへばりつき、擦りつきながら勢いよく胸の上を這い、幹へと回り、また胸の前に来、を繰りかえしあっという間に縛り上げてゆき、締めあげてゆく。大蛇が捕らえた獲物に巻きつき締め殺すが如く。
「ナウマク・・・バタターギャティビヤク・サラバボッケイ・・・サラバタ・タラタ・センダ・マカロシャダ・ケン・・・・ギャキ・サラバビギ・・・ウン・タラタ・カンマン」
ナウマク・サラ・・ターギャティ・・ク・サラバボッ・・ビヤク・サラバタ・タラタ・センダ・・・・シャダ・ケン・ギャキギャキ・・・・ビギナン・ウン・タ・・・カンマン。和する声の調子は猛々しさのない、むしろ穏やかであるくらいの落ちついたものではありながらも、調子とはうらはらに燃え上がるような力強さを生みだしている。シュガを縛り上げている繩が、文言に呼応しているのか、朱にそまり大蛇の腹のように脈打つ。シュガは繩から逃れようともがき、とはいえさまで躰をうごかせずにあるなか、叫びともちがう、雄叫びをあげ。いや、雄叫びでもない、咆哮か。
「天魔外道皆仏性、四魔三障成道来、魔界仏界同如理、一相平等無差別」
セヒョの四つの手が独鈷をつかむ。独鈷が、鈍く光りだす。青、白、朱、めまぐるしく交互に。そして片側が鈍いいろで点滅しながらのび、突き出してくる。シュガは断ち切ったようにぴたりと吼えるのをやめ、口を閉じ、三色が絡まりながら伸びあがり、形づくられてゆくのに眼を据えている。その身動きとれぬ躰から、黒い蒸気のようなものが上がりはじめる。焼かれて煙が出はじめたものか。そして独鈷が、焰をまとうツルギと化したとき、シュガを纏いだした黒煙が濃く厚く噴き出し、セヒョへと向かいゆく。さまざまな形状をとりつつ。猛禽類、毒蛇、毒虫、イヌ、熊、イノシシ、刃物をもつニンゲン。有象無象、魑魅魍魎の影といったらよいものか。
「天魔外道皆仏性、四魔三障成道来、魔界仏界同如理、一相平等無差別」
セヒョは怯むでなく、ツルギを構え、じりじりと間合いを詰めてゆく。・・・・・・
このままでは、ならぬ。茫然と、ただ茫然自失して眺めていたリウは、打たれたように我にかえる。何がどうならぬのか、何に対してならぬのか、つゆさら掴めぬものの、確信のように直感し。
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