第47話 蠢くもの
起きなければ、とリウは意識を集める。霧中とも、暗中ともたがう。いずれでもある、とはかろうじて言えるだろうか。模索どころか深い濃厚な泥に沈みこみ囚われているような状態で、指一本ぴくりとも動かせず、一寸先どころか、一寸前から闇ばかり。なにも見えず、うごかない(うごかせない)ためか、どこにおのが肉体があり、どのような状態になっていて、はたして今まではどうやって働かせていたものか途方にくれ。そも意識が肉体のなかにあるのか、肉体に作用できうる経路がつながっているものか、どうか、ゆめさら手ごたえのなく。手ごたえはないものの、つながりはしているーー切れてはいないという確信めいた信念はあり。信念というか、切望であろうか。そうであってもらわなくては困るのだ。そんな炙られるような焦る心もちで、己がししむらのあるという前提に立ち、そこに意識を集めて隅々までのばしてゆく。それは現に在るものに血を通わす、という言い方もできたが、再生ではなく、新たに作り成すーー創造していると言ったほうがより適切なのかもしれぬ。
全身のある、と信ずるところへ隈なく意識という気をゆきわたらせ漲らせゆく。ゆきわたる感触、その気配というのか、それがすずろに感ぜられなくもなかったのだが、どこか要にあたる部分を遮断されていて起動できぬような気がされてならぬ。栓をされているような。一点のちいさな木片ひとつさえ抜けれさえすれば一気に回路がつながりそうではありながらも、弾きとばすだけの怒りだとか憎しみだとか、向かってゆこうという荒ぶる気はわきそうにもない。だれに、何のためにか、ひたすらに、なんとかしなければという案じる思い、なるたけ早くというせっぱ詰まった急く気もちしかない。それが闘争心より弱いものかどうか計りかねる部分はあったが。
ふッと白い光が閃く。以前も似たような状況になったことを思い出す。あの際は強い忿怒をおぼるなか意識が混濁してゆき、呼びおこされ導きもどされた格好。白蛇と白狐によって。この度も、助けによって四肢を取りもどせるかもしれぬ、いや、できる。かたく信じ(信じられ)、つよくその姿を念じ、訴えかける。どうか、また、お力をお貸しください。どうか、どうか。
どれくらいたったろうか。漆黒ひと色の空間に、なにか現れてくる。砂塵をふくんだ風。喩えるならそうなろうか。細かな粒子、ひと粒ひと粒に光をおび。光の粒子はまとまってゆき、まとまってゆくに従い光を増しながらかたちを成してゆく。白い大蛇と無数の白狐たち。ナンテンの実の如き朱の白蛇の目に見つめられる。
ーー元からそなたのタマは身から離れてはおらぬ。そう思わされているだけのこと。身を覚め醒めさせることまではできる。されど最後の一点はそなた自身の力で取り除かねばならぬ。他より、人の手によりなされたものなれば。
そのような謂にあたるものを伝えられる。こと葉ではない。思いをそのままあたえられた、といったところだろうか。声だとかこと葉という媒介を経ずに渡されしもの。わかりました、お願いします。そう返すやいなや、白蛇も白狐たちも砂に描かれた線、それが吹き散らかされたように粒子と化し、渦巻き向かってくる。砂嵐に包まれもまれされているうちに、包まれもまれしているものがあること、すなわち自身の身体の感覚に気がつきゆく。すこしずつすこしずつ、手脚の重みを取りもどしゆき。
雨だれの落ちる室内、ということを知覚し、瞬間縛りつけられているのだろうかと思う。身体が異様に重く感ぜられたからだったが、身動きがとれぬわけではなく、それは馴染みのある、身体のもつ重量感であることに直に気がつく。ほっとするのも束の間、まぶたが開かぬ。指で開こうとしても、上まぶたと下まぶたが貼りつきでもしたかのように、開けることがかなわぬ。
トチの木に縛りあげられたシュガ。身内から大量に噴きだす黒煙。それによってその姿を覆いつくし、見えなくなるまでの濃く、厚い。そのどす黒いものは明らかに気体ではなく。気体というより液体に近いだろうか、屍肉の重なりあい年月を経て溶けだし溜まった沼の底のような臭気を放ちながら。それが虫や獣や人、なにとも判別つかぬもの、それら有象無象のかたちを成し、向かいくるセヒョに爪や牙、刃をむき出し、襲いかかろうとしている。セヒョは怯むことなく、焰のツルギを握り、じりじり間合いを詰める。・・・・
そんな場面が閃光が走り去るように見えた。いま現在の状況だと直感する。間に合ったと安堵する一方で、その間もほどなく絶える。活かすも、無下にするのも自分次第。そんな思いが胸に迫ってきていて、目が開かない程度でぐずぐずしているわけにはゆかぬと起き上がる。気が急いて、トリ、ハナ、カゼ、ツキ、四人のわらべらの視る方法を模そうにもままならぬ。こうしている間にも手遅れになるかもしれぬと、起きあがり、記憶を頼りに進みはじめる。水を受けていた器をひとつ蹴り、まかし転がしてしまったものの、手探り足探りでどうにか戸を見つけだし、渡り廊下へ出られ。人声がし、沸きたつような異様な音ーー音ともちがう気配といったようなものを感じとる。壁をつたい、ともかくもその方へ辿りむかってゆけばよい。
「ナウマク・・・バタターギャティビヤク・サラバボッケイ・・・・サラバタ・タラタ・・・ダ・マカロシャダ・ケン・ギャキギャキ・サラバ・・・ナン・ウン・タラタ・カンマン」
「天魔外道皆仏性、四魔三障成道来、魔界仏界同如理、一相平等無差別」
セヒョの同時に発するふたつの音声。燃えるような気迫がこもりながらも、冷たいくらいに静かに刻みつけ、彫りつけするが如く。正確に、着々と。シュガから噴き出す暗黒の歯牙のおよぶ範疇へと足を踏み入れようとしている。そんな光景がぱっと現れる。いまだまぶたは、開けられずにいて。時間がない、という切迫した気もちにかられ、やみくもに歩を早める。と、何かにぶつかった。壁の出っぱり等ではないらしい。うわッと声があがり、
「どないしたん、血相変えてぇ。・・・・しかも目ぇつむってからに」
面くらっついる声の主は、どうやらサンキュウと称されてある坊主崩れの老爺らしい。
「朝ぼらけから、えらいやかましいな、て見にきたんやけど」
地獄に仏、渡りに船、といったところだろうか。溺れる者は、という気味もなくはなさそうではあるが。リウはサンキュウの袈裟にすがりつき、ふたりのいる処へ連れていってくれるよう頼みこむ。満足に説明ひとつできなかったが、勢いに気圧されたのか、何かしら感じとりしたものか、それ以上問いを重ねられることなく手をひかれる。足を速めて。
「なんやこれ」
足をとめたサンキュウが、掠れたつぶやき声をあげる。伽藍の屋根の下には、ほかに幾人かの気配がある。やはりサンキュウと同じく騒ぎを聞きつけたのだろうか。
「ああ、そちも来たのだな」
すこししゃがれたモミジの声。
「あれは十になるかならぬかで、修験道のオサを凌駕したそうだよ。なんだっけかねぇ、何とかという武闘派の一団にいたこともあると聞いたこともあって、それが伊達や酔狂でないことは、その腕前を見てきたから分かっていたつもりだけど。鬼神もかくやとおそられたシラギ山の、をまさかここまで追いつめるとはねぇ。それにしても、アタシには見えないが、見えないまでもまざまざと感じられる禍々しい気。そちなら見えるかな・・・・って、なんだい目を閉じっぱなしじゃあないか」
モミジを始めとする観覧者にかまっている寸暇さえ惜しく、元僧侶の袖を強くひっぱり、下におりるようしきりに促す。
「どうしたんだい、笠ひとつつけず、裸足じゃあないか」
女頭領の声を背に、リウはサンキュウに連れられ階をおり、地面に足をつける。水を湛えた土の感触。ふたりの存在。それらにまつわる声やもの音、蠢くものの気配。蠢くものは膨れあがり、充ち満ちている。尖ったものが、ひと触れしただけでも弾け飛んでしまうばかりに充満している。ひと度、内容物が飛びだしてしまったら、取りかえしのつかぬことになる。いつッ、小石でも踏んだのだろうか、足うらに痛みがはしり声をもらしてしまうが、かまっていられぬ。サンキュウの衣から手を離す。ふたりがいるらしい方をむき、
「やめて」
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