第19話 ナズナ鳴る
ナズナの群生のそばに差しかかる。タマはひと掴みむしり取る。ひと茎にいくつもついた三味線のバチに似たちいさい実。その茎につながる部分つまみ、根のあった方へとそうっとひっぱり、ひとつびとつとれない程度にはがしてゆく。歩きながら。すべてたれ下がり繋がった状態にすると、でんでん太鼓のようにふって、音を鳴らす。
影が濃くなってきた。ホトトギスの、もの哀しいくらいに響く啼き声がするなか、草や小石を踏む跫音のなかに、かそけき、それでいてけざやかな草の実と実とのあたる音。しゃらッ、しゃらッと、すずやかに。ちいさな鈴のあつまりがゆれ奏でるのを連想させる静かな音のつらなりが、胸のうちにおきた棘をなだめおさめてゆくように感じられる。
リウは不意にタマから左手を引くようにつかまれ、ナズナををにぎらされる。ん?!、戯れだろうかと顔をみると、なにか伝えようとする目と会い、とまどう。タマはこと葉としては、何事をも発しない。そのようすに対するとまどいもなくはなかったものの、それは比較的うすい。とまどいは、うす暗くなってきたなかでも冴え冴えとみえる青みがかったしろのある目がなにを言おうとしているのか読めなかったから、ではなく、読めたからだった。
いや、それは。ためらい胸のうちで断ろうとするも、つかまれた手をぐいと押される。ええから、早う、とうながされるように。
「そろそろ着く・・・・」
前を歩いていたシュガが首だけふり向き言いかけたところへ、リウは一本右手にもちかえた草をおずおずと差し出す。リウにとってはそれだけで精いっぱいーーどころかすでに限界をこえる行為であったため、相手の顔をみることすらあたわず。仮にみることがかなっていたとて、よほど目を凝らさなければ察することはできなかったことだろう。うす闇のなか、微細な変化であっては。
玉響、シュガはこと葉につまる。不意うちで、意想外のことだったから。もっとも、そうしたリウとて機をはかってのことではないし、押しやられてといった体で、自分にとっても意想外ではあったのだが。ただし、押しかえすこともできたわけだしわたさぬ選択もとれたわけであるから、不本意にやらされた行為、とは言いきれなかった。
シュガはほんのり口元に笑みをうかべ、
「・・・・・・有り難う」
と受けとった。リウはかわらず目をあげられないでいたものの、その声が笑みによってなされてあることを聴きとる。ほっとし、そしてわき出でくる感情。そんな自分の反応に、いささかうろたえる。受けとってもらえてよかった、というよろこび。それが涙がにじみ出て来そうなほどに、甘やかに胸をふるわせる。なにゆえそのような感情がわくのか理解できなかったから。視点をかえれば、経験したことのないものであったから。思案の外であったのだ。
一本の何気ない草を、大事そうにつまみもつシュガ。それを目にすると、一カ所を締めつけらでもしたかのような名状しがたい疼みが胸中におこり、はじかれたように目線をはずす。外したからといって、治まるものでもなかったのだが。
タマは空手になっている。リウの手にもつナズナの実と、シュガの手にもつナズナの実が、揺らすまでもなく静かに涼やかに鳴る。共鳴するが如く。
どこからともなく人声が聞こえてくる。杉やイチイの樹間をぬけると、見わたす限り丈高く積み上げられた丸太んぼうの山があらわれる。丸材の山とみえたものは、壁。節くれだつ外皮をそのままに、太い幹を幾重も幾重も組み合わせ重ねあわせ築き上げた防塞だった。
「着いたぞ」
シュガはそういうなり、ひゅういッとひとつ口笛をふく。ふっと人声がたえる。間をおいて、防塞の内側からも、ひゅういッとひとつ口笛があがった。幾度となくそのやりとりをしながら、シュガはふたりと一匹を切れ込みがある明らかに見た目のことなる箇所のまえに導いてゆく。出入りする口にあたる部分であるようだった。さりながら開けるための取っ手だのへこみだのは、いずこにも見あたらない。人声がもどり、わらべらの笑いやはなすのも聞こえる。
「ほんなら、開けんでー」
老人のものらしきかけ声がする。地面を蹴たて土ぼこりをかきおこしながら、丸太を束ねた重装な戸が軋み立ててあがりゆく。空間が開いてゆくにしたがい、漏れだしてくる灯りやら、ひとの織りなす営みのかもす臭いやらがつよまってゆく。
リウは足がすくんでしまう。都にきてからの日々が、脳裏に、手足によみがえってくる。あれよりもよきものが待ちうけているのか、悪きものが待ちうけているものか、いずれにしても見定め難いこれからを目睫の間にして。
と、はっと心づき、かたわらに頭をむける。小柄なわらべと、黒猫がいる。こころなしかタマの顔はこわばり青ざめ、肩に力がはいっているように見える。そうだ、自分がしっかりしなくては、とおもう。リウはナズナを左手にもちかえ、右手でタマの左手を包むようにつかむ。大丈夫だからね、という思いをこめてきゅっと握ると、つたわったのか、わかったとでも言うかのように、握りかえしてくる。ちいさな、可憐な手で。
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