第20話 花風月

 地面を蹴たて土ぼこりをかきおこしながら、軋み立ててあがりゆく、丸太を束ねた重装な戸。空間がひろがりゆくにしたがい、どッと漏れだしながれくる。灯りやら、ひとの織りなす営みのかもす臭いやら音声やらが、濃ゆくなる。

 リウはタマの手をにぎり、にぎり返される。そのちいさな手は冷えていた。自分の手も冷えていることだろうけれど、すこしでもあたたかく、あたためてあげられていればよいな、とリウは願う。怯んでいる場合ではない。

 かがり火がある。ほむらを背景にし、ひとが幾人か立っているのが見えてくる。そのうちで、やけに忙しなく脚を動かしているものがいることに注意がむく。

 戸がほぼ上がり、ひとの往来に支障がないくらいにまで開いた、そのとき、

「タタりじゃー」

 白髪をおどろに乱した老婆が、しわがれ声でわめきながら踊りだしてきた。朽葉色の衣は、尼僧が身につけるものに似ているが、手には錫杖だの数珠はなく、笹竹を片手にし振りまわしている。

「きえーッ」

 しわがれている割りには疳高い奇声をあげる。喝のつもりだろうか。やせた歯茎にのこされた、幾本かの黄ばんだ歯がのぞく。飛びだし、笹竹を振りあげながらわめき散らしてはいたが、だれにむかってというわけでもなく、外からきた三人と一匹の背後のほうに、白濁した瞳をさまよわせている。だれかが、なにかがいるのだろうか、と呆然としていたリウは振りかえる。タマもつられて振りかえるも、影となりつつあるイチイやクヌギの木立があるだけで、ひとだとか人ならざるものの姿だとか気配は、認められなかった。

「ああ、わかった、わかった。タタりじゃな。もう宵であるし、内にいような」 シュガは老婆の肩を抱えるようにして向きをかえさせ、うちに引きいれつつ、リウとタマに敷地にはいるよう目で促す。みな中に収まると、両端にいた体格のよい老人が綱を引く。戸が落ちて閉じ、ずんと音を立てて地面に喰いいり沈み込んだ。

「わかってやってはるやろ」

「ふりして驚かせてるっていうん?」

「ほんまに毎度毎度やしなぁ」

 女わらべらの、笑いさざめきはなす声。何の気なしにそちらに顔をむけたリウは、息をのむ。不意打ちに平手をくらったときのような衝撃。つないだタマの手からも慄然としている状態がつたわってくる。そばに立つトチの木の下に、幹に背をつけしゃがみ込み、こちらに向かい、談笑する女の子が三人いた。年のころは六つか七つくらいだろうか、ともにおなじくらいの背丈で、おかっぱ頭にし、着ているものも似かよっている。それだけであれば、特段ひと目を惹くものはなかったのだったが。

「ハナ、カゼ、ツキ、かわらず元気そうでなによりじゃ」

 へぇおおきにーと三人娘は口々にいい、

「おかしらさんも、元気そうでなによりやわぁ」

「まただれぞ拾ってきたん」

「ツキちゃん、カゼちゃん、当ててみぃひん?」

 そうにぎやかにさえずる子らには共通する部分があった。年齢や背恰好のみならず。三人とも、視力を失っていることを瞭然とさせていた。

 リウはふる里でも、都にきてからも、視力を失ったひとと接したことがないわけではなかった。家に訪う老人のなかに幾人かいたし、屋敷では按摩するために招かれている人をみたこともあり。ただ、その人らと、女わらべらの状態は明らかに異なる。初めて目にするさま。

 三人が三人とも、目の位置する箇所に、刀傷があったのだ。血のにじむ、こと新しいものではなく、完全に皮膚と化した痕。真っすぐ引かれたように。いや、ようにではなく、真っすぐ刃を引いてつけた傷ということは明白だった。だれが、なんのために、こんなことを。こうしなければならぬやむなき事情があったのだろうか。事情があったことは間違いないとして、それははたして、この子らのためであったのだろうか。

「そやねぇ。ふたりやね」

「そんなんだれにでも分かるわぁ。ひとりは、うちらより一個、二個年上の、ねえさんやねぇ」

「もうひとりは、おかしらさんとおなじくらいの年かなぁ。うーん・・・・」

「ねえさん、いや、にいさん」

「にいさんかなぁ」

「ねえさんやないかなぁ。ツキちゃんどないおもう?」

「なんとのう、にいさんの気するわ。ほかに何か気配しいひん、カゼちゃん、ハナちゃん」

「けはいなぁ。獣もつれてきたんかなぁ。待ってな・・・・」

 意識を集中するためにだろう、ふっと鳴りやむように黙りこんだ三人は、突然、キャッといっせいにちいさく叫びをもらしおたがいにしがみつく。

「なに?鵺でもつれてきたん」

 ハナがシュガの方へ鼻先をむけて問う。

「鵺もなにも、ただの黒猫やで。それはともかく、いつもながらたいしたものだな」

 と笑んで声をかけるシュガ。そのわきにいたリウは気をとり直し、片手でニジを抱きあげ、タマと手をつないだまま女の子らのちかくに連れ、近寄る。しゃがみ込んで挨拶をかけてから、ニジにふれてみるよう話しかける。

「噛んだり引っかいたりしないおとなしい子だから」

「ほんまなん?」

 ハナ、カゼ、ツキがおっかなびっくり手をのばし、そろそろとニジに指をあててゆく。

「ほんまやなぁ。ちいさい猫さんや」

「さっきかんじたんなんだったんやろ。えらい大きゅうて、恐ろしげやったんやけど」

「なんやら別のもんみようとしてたんかなぁ」

「トリちゃんやったら間違わへんかったやろけど、うちらはそこまではなぁ」

 ニジは身をこすりつけていったため、三人の子らはきゃらきゃら笑い歓声をあげる。

「こそばゆいわぁ」

 あどけない、無邪気な笑顔。ちいさな胸におのおの、さまざまな思いを抱えているにしても。一体、だれがなんのために。なんの根拠もないが、だれかが何らかの目的のためにーーそれがどんな目的であるのか見当もつかないがーーやった愚行だとリウはかんじる。子らのためでは決してなく、ひとりびとりの生命などちり芥としかおもわないような輩の、あくまでも私利私欲による行為。衝撃がゆるんでくるにつれ、沸々とわきおこってくるものがある。

 が、波立ちが表にうかび、あふれ出てこぬようぐっと意識的に堰きとめる。形状認識のためだろう、子らにこうべを、指さきで触れられていたこともあって。渦巻くものが表面に出してしまえば、傷つけてしまうことになりそうであったから。子らは鋭敏にかんじとる力をもっているようだから、なおのこと。

 タマもふれられていた。抗うでなく、おとなしく。ふれ、ふれられながら、名のりあい、

「目がみえんでも、人なりなんなりわかったりするん?」

 タマは屈託なく問うと、

「知ろうとおもえばなんとなく」

「ひとって湯気みたいなん出してるんよ。生きていればな。ひとに限らずやけどなぁ」

「湯気みたいなんに手のばして、あ、ほんまの手やなく、手みたいなんでな、いまこうやってさわってどんな形かわかるみたいに、なんかわかるんよ。だいたいやけどな、うちらは」

「タマちゃんべっぴんさんやなとか」

「しょうもな」

 とタマが言うとハナ、カゼ、ツキは吹き出し、タマも一緒に笑いだした。

「すごいな、カムナキみたいやんなぁ」

 タマのこと葉に、

「ふん、あんなんほぼほぼイカサマや」

 ひとりが吐き出すようにいう。

「またなぁ、ツキちゃん十八番の毒吐きや。ツキちゃんのせいでうちらまでイケズにみられて、かなんわ」

「なぁ、ハナちゃん。うちらははんなりおしとやかなのになぁ」

「おしとやかなぁ、ムカデ踏みつぶすおひとがなぁ。えらいおしとやかなもんやなぁ」

 とめどなく話し笑いさざめきする女わらべらをみていて、リウにも三人の見わけがぼんやりとではあったがつくようになってくる。口数が多いのがハナで心もち大柄。真っ先に笑いだすのがカゼで、心もち細い。はっきりしたもの言いのツキは丸顔だった。見わけがついてくるとともに、引っかかりをかんじてもくる。もうひとり、親しい子がいるような口吻だが、その子はどうしたのだろうか、と。

 鮮明になってきたかがり火が、トチの幹と女わらべらをゆらめき照らしだしている。

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