第67話 妙翅鳥
「どごまで、そっただこと分がってしてたんだが。こいづらが、死んでなお、好きなように出来ねぇで、助けてけでェて集まって来ただ。そんなかには、生きて
。なんでか、生かされて、呼ばれるみでえにここさ来だやづも、知ってる限りで一匹おってな」
ヨネの話すその一匹とは、なんであるのか。リウには判断がつかなかったものの、ヨネのはなすところだとかここの状況を思い併せたとき、少なくとも生から遠く、死に近い状況であったろうことは疑いえなく。生きながらえたことがはたして幸いであったものかどうか。思いを巡らせていたリウは、ヨネが地に、そして膝に手をあて起ちあがろうとしているのを横目に見て。手を貸そうか、しかしとためらっていると、ぐうッと老婆はうめき声をもらし、土にへたり込み。そのまま倒れ込んでしまいそうでもあり、咄嗟に腰をかがめヨネの背にふれ支えようとし。触れてしまってから、しまったと気がつくも、先ほど拒まれたのは触られたくなくてではなく、気づかわれてだと思い直し、よしんば厭われていたとて関係ないではないかと刹那の力のゆるみを引きしめて。背後から抱えるようにして。
かつて生をもち、失いながら蠢くものどもの立てるもの音ーー鼓膜を震わせることのない気配が繁く充ち満ちるなか。鼻腔内を刺激するでもなく、立ちこめる汚臭。鳥肌立つ嫌悪感や空えづきは治まっていて。慣れ、もあるのかもしれぬが、なかんずく、今ある状態になった事情をなにとなく知れたことが大きいだろうか。好きこのんでこうなったわけではなく、いや、どんな存在だろうと望んでこうなるものなどまずなかろう。無理矢理にそう強いられ、つまり惨たらしく仆され、その仆された渦中、そしてこと切れる最中に据えおかれてあるので。その醜悪な見た目だとか臭いは、それらの痛み、叫び、救いを求める表れなのだと理解でき。それらからどうして、平気で目を背け、閉めだすことができようか。状況がかわったのではなく、リウ自身の気の持ちようがかわっただけであって。それはヨネに対してでもあり。自分より遥かに巨体で膂力もあり、殺傷能力の高い異形な老婆に、可憐な乙女の姿が見えていて。乙女は、息絶え絶えな様子で、
「おらは、はァもう長ぐね」
「そんな・・・・」
ことはないだろうと反射的に否定しようとし、てのひらから腕にかかる彼女の重みが増し、増しながらもそこから伝わるつよさ、熱がみるみるうちに抜けてゆくのをそぞろに感じ、気休めさえ言えず、詰まってしまうと、
「生きで。・・・・なんでか、・・・・生かされて、呼ばれるみでえに、ここさ、来だ、珍しい一匹で、おらは。・・・・もう充分、生きだ。なんでか、分がらねがった。・・・・死なながったのも、ここさ来るごどになったのも、な。こいづら見て、偶々けつまずいで呑みこんでしまった時、苦しく吐き出そうとしたもんだども、腹さ入ったやづは消えてくのが、分がった。・・・・で、覚った。こいづらをかっちゃの元さ、返してやるために、かっちゃのリル様におらは、生かされ、ここさ呼ばれたんだと・・・・」
ヨネが力を振り絞るように語り。声がさらに低くなり、小さくなり、途切れ途切れ、速度も落ちてゆき。もう上半身を起こし保つ力もなくなってきたらしく、リウに半身の重みがどッとかかってくる。
「これ、以上、生きでてェと、いうのは、ねぇんだど、も。だ、どもな。・・・・こ、いづらが、まだまだいる、じゃ。それだ、けが、申し、わけ、ねでな」
もう息を漏らすような声でしかなく。リウは支えきれなくなり、さりとて急に離しては地面に叩きつける格好になるため、ヨネの背と頭に腕をかけ、あたう限りゆっくりと降ろしてゆき。ヨネのちいさな目が、まぶたが下がり、ますます小さくなって、焦点が合わなくなっていて。
「そんなこと、心配しなくていい。吾がなんとかするから」
なにを思うでなく、リウは衝動的に口走り、ヨネの肩にふれる。
「な、んとか、するて・・・・」
ヨネの体にぽつぽつと水滴が落ちて。
「な、して、泣い、てるだァ。ワラシ、みてに。こ、ん、な婆さん、相手、に」
ヨネはそろそろとゆっくり手をあげ、鋭いかぎ爪の生えた巨大で乾いた掌をリウの頭にのせ。表情は分かり難いが、微笑んでいるようで、
「ええ子だ、なや。わ、るい、やづばかりじゃ、ねんだな。おめ、はん、なら、・・・・やれるかもしんね。カ、ミ、ユイの子。リル様、ば、祀る、い、ちぞ、く」
そう言い終わったとき、ヨネの手がぼたりと落ち、目から光が消え。リウは、呆然としてヨネの土の仮面のような顔を見つめていた。生気が抜け、人型に固めた土でしかなくなり。呆然としながらも、心もちは乱れず、凪ぎ、澄んでいて。遠くに聞こえていたせせらぎが間近になり、草木のそよぎ、鳥や虫の音、羽虫のはばたき、草を食む音、草葉の香、水と土の匂い、ぬくもり、あたたかさ、冷たさ、かたさ、なめらかさ。森羅万象にあるものが押しよせてきて、さりとて押しながされるでも圧倒されるでもなく、自らもそのうちのひとつとして、和を奏で。
ーーかれは吾であり、吾はかれである。我がうちになきものなし。
こと葉にすればそのような思い、さてそれは思いなのだろうか、少なくともリウ個人の思いとは異なる思いが、閃き、開きゆき。然り、リウの自意識ははたらいてなく。ヨネの肩から手をはなし、地に両手をあてて、どこを見るともなしに、裏を返せばすべてを見ながら、静かに、ゆったり深く呼吸を繰りかえす。紫に染まった指から波紋が拡がるように。生あるもの、生なきもの、なべて根のようなものがあり、繋がっていて。その根は、生あるものと生なきものでは発する光の勢いに違いがありはしたし、その別のなかでも多少の差異はありはしたものの、血管の如く繋がっていることにはかわりなく。リウの呼吸にあわせるように、万物に張り巡らされた毛細血管の明滅がおこり。
ーー土に帰すものは土に帰し、風に帰すものは風に帰せ。水、日も、あるぞ。我がもとに帰せよ。
いずこよりか、こと葉に変換すればそのような謂の響きがおこり、鳴りわたり、散り散りひろがり。さりとてそれは、張った薄い膜を震わせることのなく、はね返ることのない、音ともつかぬ精妙な響き。リウのてのひらから血液があふれ出し、地に染みてひろがっていて。動かしていなかったようだが動かしていたのか、鋭利な小石があったところに手を突いてしまっていたものか。いや、血液だとか汗、体液ではなさそうで。紫に染まった指さきから、染み出してゆく肉眼では見えぬ色。紫の色素を水にくぐらせとけゆく濃淡のある彩り。紫から、そのもとと成りし、赤と青が、濃淡をもって表れ、そしてまた混じり合いむらさきとなり、変転きわまりなく。乱調であり諧調でもある色の流動が、万物をつなぐ毛細血管の隅々まで走りゆき、もどりゆきリウの内にも満たしゆき。循環するなかで、蠢くいていたものどもの動きが次第に緩慢になってゆき、動きが止まると砂で作った物が払われたように穏やかに砕け、散りゆく。成りのちいさいものからつぎつぎと塵と化してゆき、クマであったものが消え去り。
そして、土のむくろとなったヨネだけが、浮かび上がる。いつの間にか、この辺りにまで、雪片のような、雪片よりこまかくかそけし粒々が現れて出でていて。降り、舞い上がり、ゆるやかに揺蕩い、ふれることもありながら、貼りつくことのなく。どうやらリウやヨネのそばに集まってきているようで、淡くおだやかながら、吹雪の如く密度が増し。・・・・・・
と、粒々も鳥や虫の音もそよぎもせせらぎも、時おりこぼれ落ち反射しする陽の光も、凝結す。玉響の間のこと。不意に天がひらく。ふたりのある上にあたる部分の葉が除けられて紺碧の空が顕れ、黄金にまばゆいものが姿を見せ。妙翅鳥であるか、鳥の形を成したもので、玲瓏たる声で啼く。その啼き声が反響するなか、ヨネの遺骸に亀裂がはいってゆく、どッと砕けて、崩れ。散りひろがる破片。なにをも見ず、聞かず、言わず、思わず、ただ目を開き、地に手をついてヨネに向かっていたリウに降りかかる。
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