第13話 囚われし火

 ーー・・・の神、名は阿明、・・・の神、名は祝良。・・・の神、名は巨乗、・・・の神、名は禺強、四かいの大神、・・・を退け・・・・・・

 ーー朱雀、玄武、白虎、匂陣、南斗、北斗、三台、玉女、青龍・・・・・・・

 ーー・・・・・・ほのけ、みずのけ・・・・・・奇しき三津のひかりを・・・・・・しき光、天の火気、地の火気、振るべゆらゆらと、ひとふたみよ

 ーーあめのをき、つちのをき、あめのひれ、つちのひれ、あめのおむすび、つちのめむすび、ひのめおのさきみたま、つきの おめ の さきみたま・・・・・・


 寂寞たる闇のなか、誦する音がわいている。あたかも天地の開闢より劫末まで続くというリルの地鳴りの如く。よどみなく、途切れることなく、途絶えることなく。

 深更であったが室には燈ひとつない。灯りといえば四方のあかりとりから滲み出る揺らめくものだけであり、くわえて香の煙が立ちこめていて、内部の様子は肉眼では見定め難い。四隅それぞれに何か塊が配置してあるのがかろうじて判別できるのみ。それは布で覆われている。布越しに誦する音が発せられていた。

 布で覆われた塊すらおぼろな輪郭でしかみえないなか、幾重もの光線が幽かに明滅しつつ馳せゆく。それは糸だった。光沢のある材質なのだろうか、糸自体が発光しているようにみえなくもない。

 室の中心部になにか像が据え置かれてあり、そこから糸が走り出る。それは四隅に配置された布の中身に繋がり、たゆむことなくキンと張っていた。

 と、燐光が視界を過る。煙の充ち満ちた暗室に立つ物音は四方よりとよもす声ばかり、と思いきや、どうもそれだけではないらしい。耳を澄まし、目をこらす。かそけきもの音。仄かな点滅。張りめぐらせた糸のからめられた籠がひとつ、みえてくる。幼児ひとりはいることが可能なくらいのそれのなかで、なにか蠢くものがある。明かりとりからの弱光の届かぬ場所にあったため本来であれば籠の形状をかろうじて認識できるかどうか、それすら覚束ないだろうなかであったが、柵だとか縛りつけた糸が浮かびあがっている。

 内に囚われているものの身から、光が発せられていたからだった。篝火だろうか、と瞬く間におもわせられたが、それであれば覆いとされるものも糸も燃えていないのは道理にあわない。そして形状も鳥をおもわせる成りをなし、羽ばたくような仕種をした。羽根を広げようとした際、朱や黄の火をおもわせる光を発する。

 その常ならぬ鳥の如きものは、それまでは鳴りをひそめていたもので、なにかに感応し突如発動しはじめた気色。四隅の者らに動揺があったのか、音声にこころなしか乱れがあらわれる。連動したように糸の張りに些少なゆるみがおこり、糸の輝きが薄まる。

 いきおい、鳥の如きものの翼が大きさを増し、焰のようにいろを増す。籠を、糸を焼きつくさんとするかのごとき勢い。室内の隅々まで照らし出す。中心に据えられた像から引いたけざやかな紫いろの糸をつかむ四人は、目の部分だけの出た、手すら出さぬ衣に包まれている。衣は各々いろがちがい、青、朱、白、黒。年若いらしい青の周章が顕著で、目を見開きいまにも糸を落としそうな様子だった。

「・・・ッ」

 一等年かさらしい黒がなにか語を強く発す。しわがれたそれはこと葉ではなく、吐き出した息のようでもあり、気をのまれていた青が糸をもち直す。おのおのがつよく短く息を吐きながら、衣のなかで指をうごかしている。紫いろの糸がまたぞろ刃物のごとく鋭く張りつめた。程なく焰が鎮静させられゆく。

 小さくなり、ふっと滅す。煙の充ちた闇にもどり、誦する音ももどる。さりとて、四人の平静がもどりきっていないのは何処となはしに感ぜられる。綻びができてしまったのだ。いったんできてしまった綻びは、繕ってもまた生じるだろう。裂けゆく起点、軌道が生じてしまったわけだから。

 なんとかして逃がしてやれないものだろうか。眺めていたリウは思案する。容易にはゆかなそうではあったが。

 それにしても、あの糸は、と意識をあつめてゆくと、べつの方向に走る糸をかんじる。これはある意味もっと弱く、むしろ実体のなさそうな、それでいてより強固に縛りつけるもののように感ぜられる。

 こうべを向けると、日の暮れかけた山の端に出る。赤茶けた風景。晩陽のいろ、ではない。その辺り一面草木が枯れはて、土がむき出しになっている。そのむき出しになった土は土で、自然ではないこの世ならざるものに侵されているかのようにみえた。

 洞穴があった。何処にまでつづくのか黒洞々たる闇を湛え。そばにふたつの人影があった。

 大人と小人。大人は四・五十、ことによるともっと若いのかもしれぬが年齢とはすでに繋がりを絶ったような風貌をもつ。獣の爪牙にかかったのか、顔面の右側の目にあたる部分から耳にあたる部分まで肉がごっそり欠け落ち、聴覚はどうだかわからぬがそちら側の眼は完全に失っている。手脚は健在であり衣服に被われているため見えはしなかったものの、傷痕が限りなくあるだろうことは想像に難くなく、むき出しになった前に組まれた太い腕にはえぐれた疵痕がいくつもあった。

 小人は、五・六歳だろうか。腕と脚の出る衣の、男のわらべ。伸び放題の髪から爪先まで、垢と土で黒ずんだなか、眸子は玲瓏たる輝きを放つ。片手に小刀を抱え、まなじりを決し、唇をひきむすんでいる。まだ稚く痩身ながら、どっしり大地を踏みしめている。見覚えがあるような気が、リウにはされた。おもいを巡らせようとしたとき、

「さぁ、行きなされ」

 男が言った。片端が引きつれているためか、唇はわずかにしかうごかない。腕組みをしたまま、わらべを見るでもなく、穴のほうに顔を向けたまま。

 わらべもただ穴のほうを向き、こくと肯き、下唇を噛む。小刀をつかむ手に力がはいった。ちいさいながら力強さはかんじられ、必死に抑えつけようと試みてはいるようだったが、脚に震えがおきていた。

 穴の闇は、単なる濃い影ではなかった。粘度のある集積であり、なんの物音もしなかったが、蠢き瘴気を放ちしているようで、リウは吐き気を催す。何があるのか見定め難いものの、入ってならぬ場所であることは間違いない。なぜこんな処に入れようとするのか、入ろうとするのか。

 いけない、いけない。リウは少年をひき止めたかった。が、みえるだけで声を発せないし触れることもかなわず。

 どこからともなく誦する音がわいている。これはそばでなされているものではなく、また、肉体のもつ聴覚でとらえ得るものでもなさそうで、実際、ふたりには聞こえてはいないらしい。

ーーおおもとのめおふたはしらのかみ、ほのけ、みずのけ・・・・・のかくりよ・・・・・・のかくりよ・・・・・のかくりよ・・・・・のかくりよに行きかう、三つの魂大き小さきうぶたまのかみのおきてを・・・・・・まもりさたし、うぐもりはなれ・・・・・・

 わらべは抑えきれぬ震えのなかでも、決然と闇に足を踏みいれる。

 行ってはいけない、とリウは懸命に叫ぼうとする。必死で少年を抱き止め、引きはなそうとする。が、闇に拒絶されたかのようにはじかれる。何度も何度も試みたが、あたかも見えざる壁があるかの如くはいってゆくことがかなわぬ。洞穴に吞みゆくさまをただただ手をこまねいてみている他、術がない。

 見殺しにしているのと、寸分なにもたがわぬではないか。自分の一部を切り裂かれゆくような衝撃。見えざる壁にしがみつき、拳を打ちつけ打ちつけ、声にならないと分かりながらも、声を絞り出そうとせずにはいられない。つよく、つよく念ずる。

ーーどうか、どうか、生きていて。いつか、必ず救い出してあげるから。それまで、どうか・・・・・・

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