第104話 カシワの葉
掛け軸の前の花が、キキョウからアヤメへとかわり。おトモが手づから活けたもので。活けられたばかりのそれは、朝まだきまでに降っていて小雨のまぶされていたものか、清らな粒子をおび、燐光を放つように微細にふるえるように花弁や葉のかがようていたもので。いや、表面を被っていた水の粒のためでは、少なくともそれだけでは、なさそうであり、表面の水気がうせた後も光をふくんであるようにリウには見てとれていて。そういえば昨日あったキキョウにもまた、なんの気なしに見ていたもので、またゆっくり見ている余裕もなくあったものだったけれども、思いかえしてみればそんな中でも光彩をはなち特別な存在感をもっていたように思いだされ。形よく、摘みたてらしく生気で張りきっていたものの、さりとて他のものとことさら異となるようなところのある花のなりでもなく。庭に成るものを折りとりてきたものであるらしい。日の昇りかけてまだ涼味のあるころの、青スダレがあがり見える庭には、爛漫と宙を彩る、キョウチクトウ、サルスベリ、ザクロの花々。地には絢爛たるアヤメ、カキツバタ、松葉ボタン、百日草。石垣をはう青蔦。小雨であるのか、朝露であるのか、うっすりと濡れて。スダレのおろされたころでも、スダレ越しや風でなびき垣間見える、日で炙られたそれら健やかな草花にもなお、反射だとか物理的な耀きかたでなしに、地の気を漲らせ発揮しているとでもいうような昂然とした気。そういったものを一木一草が発しているように、リウには見え、感ぜられ。烈しく舞う黒アゲハも、行き交うミツバチやクマンバチも、ちいさななりに生命力を充ち満ちたものを身内に持っているように思われて、それらの息吹きが薫りとともに漂いきて、身の内に沁みとおりくる。リウは不思議なものに胸打たれたように、昨日運ばれ寝かされたときから惚けたように眺め過ごし。寝床にあって。
かるい暑気あたりくらいであろうと思っていたものだったが、ミズクミが室内に現れたときも起きだせずにいて決まりのわるい思いをし。かるくはなかったのか、別のなにか不調であったものか、上半身をおこすことがやっとで、起ちあがるとつよい眩暈で歩くことに困難を覚え、休んでゆく誘いを拒める状態になく、やむなく厄介になる仕儀に至り。配慮があってか、案じていたように進退を決める話題は押して出されることのなく、おトモが時おり来たり、食膳をあげ下げする者のきて、セヒョが顔を見せる他は、訪うもののなく、ただただひたすら目を外へむけつづけていて。無聊のつれづれに、ととれる格好ではあったが、眺めいること、それがあたかも躍動感ある行動であるかのように、全身すみずみまで往きわたるものを体感し。乱れもせず、早まりもせぬ、確かな脈動とともに。庭の草木の世話も、おトモが率先しやっているものらしく、水やりや剪定しているところをたびたび目にし。楊梅いろの姿の移動するさまに、すずろに懐かしさの湧く。在りし日の母の、農作業を思いおこされて。方や心の慰安であり趣味、方や口に糊するための業であり身体を養い保つためのもの。植物を生かし育むという点、ふたりが血縁関係であること、の他は共通するところはなさそうではあったが。いや、それで充分であるのかもしれぬ。姿かたち、扱うもの、その用途等表皮ではなく、関わりかた、向きあいかた、内なるものの姿勢、働きかけこそが両者に通ずる、と感ぜられるものだから。リウは自身の感覚の来たった理由を考察することのなく、そうする気力もなくて、ただただ懐かしさを覚え、ひたるのみではあるものの。既にモヤがかかったように朧になった母の畑しごとのさまと、その叔母である人の庭にあるさまが、二重写しになって見え。おトモのいるいないとに関わらず、そこにいずとも、庭園の草木にけざやかに残る痕跡。彼女らの手にかけたものは、生気が溢れんばかりに充ちゆき、光彩をはなち出す。肉眼では捉え得ぬあえかなものであったが。ただし、働きかけるだとか、自らのものを分けあたえるだとか、自らの力を作用させる、というものでは決してないようであって、引き出してゆくもの、力添え、であるらしい。本来そのものが持つ能力、そのものが根づくところの豊穣なる気を呼びおこす、他力。引きこみ、受ける器をなす業といえようか。印象や雰囲気のみならず、そういう働きからも、おトモと母が血縁関係にあること、そして自分もまた、となだらかにのみ込め、腑に落ちてゆく。
スダレ越しに庭を眺めていて、ふと気のつくと、左袖にとまっていたテントウムシ。赤と黒の甲羅のつややかな小粒。そっと手のひらに乗せ、膝立ちで縁側まで這うようにして出てーー具合が優れず立ち上がれないほどのため、というわけでなく。確かに立ちあがるのは辛くはあったが、単純に高低さをつけないほうが虫を驚かせずによいかと思っただけで。さりとて腰を落として進むのは平常に歩いてゆくより苦であるためでーー、じっと身動きひとつしない彩りゆたかな小さな玉に息を吹きかけ。テントウムシは羽根をひろげ、日盛りのなかへ飛び去ってゆく。セミ時雨の降りしきるなかへ、と。ゆきと同じく這うようにして寝床にもどり。それだけの往復であるのに烈しく照りつける日光にあてられたせいか、まぶしさのせいか、体調のせいであるのか、それらが組み合わさってか、息切れするような感覚になってしまい、たどり着いた姿勢でうつ伏せにへたりこむように横たわり。目をつむると、テントウムシが飛び去りゆく景色が再現されていて。日のなかに溶けゆき消える細かな玉。それは以前も、光沢だとかかたちは違えど、等しいもののあったことが閃くように甦ってきて。いまと異なり、ふっくりふくよかで小さな手の、まだ紫いろに染まらぬ指さきの、ひとつまみの清らな貝殻のような爪の指に、不意にとまったコガネムシ。動きまわる黄金いろの虫を、驚くでなくいとけない眸子はとらえいて。じきに飛びゆき青葉闇にきらめきながら分けいってゆき、潜りこむまでをも。その時分にはまだ背負われたり、背負われていないときはすぐに駆けつけられるところに母、もしくは父がいたものだったが、ふっくりふくよかであった手ののびて細くなりはじめ指さきの整いはじめたころに、父が病に倒れ、母が看病しつつひとり野良しごとをすることになって、離れて暮らすこととなり。ふり返りいま思えば、うつしてはならぬとの已むない対処であったのだろう、リウは他の家にあずけられることとなり。ほとんど往き来のなかったためどういう間柄の家庭であるのか当時もいまも分からないものの、大方、父方の親戚筋にあたる者らであったことだろう。子沢山で、くたびれた見た目ながらも頑健でしたたかな目をした壮年の男と女、小狡い目をした老年の男と女がいて。祖父母と両親に顔つきのよく似たそこのわらべ共は意地悪く、つねったりけったり、飯をかすめとったりしてきたものだが、そこの大人共は見て見ぬふりをし、邪険にあつかい。大人が邪険にあつかうからこそ、子らもそうしてかまわない、むしろ良いことだと調子づくわけでもあり。厄介者を抱えこまされたものだと、態度にもこと葉にも出されたもので。泣いて家に帰ろうとしたものだったが、母に頑として拒まれ、いくら言っても肯んじえぬと平手を打たれて突きとばされ。衝撃で、それは肉体により精神に対しより応えたものだが、致し方のない。得心のゆかぬながらも母の目に涙が光っているのを認め、幼な心なりに自分を思ってのことと覚り、とぼとぼとドロ沼のように異臭をはなつところーーそれは肉体の嗅覚に、ではなく感覚的な臭いであったが、実際に臭くはありーーにもどり。寂しさはいうまでもなく、乱暴にあつかわれ小さくなっていることも辛かったが、なにより苦しかったのは母についての陰口で。声を潜めるでなく、団欒の場で、よそ者が誑しこみやがってこのていたらくだ、だとか、怪しげな術つかっていたからおかしいおかしいと思っていたんだよ、ということを北の地の濁った訛りで悪し様に言い。心を突かれ、打たれされているような心地がした。それでも、すこしの辛抱でもどれるものと耐えていたものだったが、父を亡くし、ほどなく母も亡くし。耐えて張っていたものが切れ落ち、ロウソクの火が風でふき消されるように、身のうちの思いも考も消え、停止し。そのまま言われるがままに身売りされて。・・・・飛び去ったコガネムシの映像をとともに、当時のそれらを思いおこせたとき、ようよう動きだす、浮かびあがりくる、堰きとめられていたことどもの結界が破れ。轟音を立てる激流。そのときにあったはずの痛み悲しみ苦しさ辛さも、噴きだして。当時の小さな胸では受けとめきれなかったものごとを、それと知り(本能なのか、なにかの存在によるものなのか)据え置かれ、今その分を精算させられているものだろうか。深く斬りつけられ殴打されるような激痛に、リウは胸もとをつかみ、藻搔いて声を殺し叫ぶ。烈しく突き上げてくるもので、目からも鼻からも口からも流れでるどころでなく、吹き上げ、あふれ。声を殺すため顔面を蒲団に押しつけていたものの、濡らし汚ししてしまうから止さないとと理性のはたらかなくもなかったものの、それも濁流のなかにあっては木の葉のごとく、抵抗する間もなく瞬時に押しながされて呑みこまれ。
幸いだれも来るもののなく、もしかしたら戸の前まできて躊躇い踵をかえしたのを気づかずにーー実際にあったとして気づけずにいたことだろうーーいただけであったのかもしれぬが。何によって堰きとめていたものか分明ではないものの、解除され堰をきられたということは、もう受けとめられるだけのものができあがったと見積もられたからでもあろう。抵抗のかなわぬ衝動、発作のような荒々しい波が、徐々に穏やかになり、ゆるやかになってゆき。リウはうつ伏せから左肩をあげて、横たわったまま腕をまくらにし、掛け軸のほうに向かい。さりとて、何を見ようと思ったわけでもなくて、声を押し殺す必要のない状態にまでおさまり、そうなってみると濡れた布に顔をあてていることが快くなかったから、というくらいのわけでのことで。水縹、というより、より近いものでいえば後に薄水いろとよばれるようになる色の蒼穹を背景に、鴨の羽いろから深藍いろまでとりどりに彩られた深々とした緑の山が裾をひろげる、四角い枠のなかの深山の情景。いずこの景色を描いたものであるのか。懐かしいような気のされるけれども、馴染んだあの北の辺土のどこかではないように思われるし、それより西の地の、このあたりにあるとしても、今のところお目にかかることのないものであって。もしかすると、いずこか特定の場面ではないのかもしれぬ、とも思う。筆をとった人の胸のうちにある心象風景で、その心象に同調し和するものが吾がうちにある、ということなのかもしれない。どのような人の作で、どのような意で描いたものであるのか、聞いてみようか、聞いてみたいと思う。もし会えるのであれば、その人に会ってもみたく。絵のまえのアヤメの花びらや葉の、かすかに震え。日はまだ強かったものの、青スダレをほんの少しゆらし、通す風にはほんのり涼のあって。白檀や沈香や伽羅らの配合されたあわやかな薫香のまじるそよ風に撫ぜられ、なだめられるようにリウは微睡む。痞えを吐きだし、胸がかるくなってもいて。静かに深く、吸い吐くこと。さりながら、すべてが吐きだせたものか、どうか。
撫ぜてくるそれは、はたして大気の流れであるのだろうか。それにしては質感のあり。あたたかみのある、かさかさ乾いた感触。水しごとと畑しごとで荒れ、厚くなった、それでいて大きくはない(幼きみぎりには大きく感じたものだったが)たなごころ。膝に頭をのせていて。
・・・・・・
かっちゃのリルのふところさ
ひとつにすべってツチならす
・・・・・・
唄声がし、静かに語りかけてくる声の降りしきる。それをかけられているのは、かつてのあどけない自分ではなく、今現時点の自分であり。目を閉じたまま、違和感なく聴きいっていて。ほんとうに、あの店にもどるという選択でよいのか、と母から問われ。良いもわるいもある人と約したことであるし、ここに留まればなし崩しに跡継ぎに祭り上げられて、自分の意思に関わらず政争の具にされる可能性があるのではないか。それを避けるために、母は出たのではなかったのか。
ーーわたしの場合は・・・・確かにそれが主なる理由ではあるけれど。それはわたしの場合、わたしの意志であって、あなたがそれに縛られることはないわけで。わたしの選択がはたしてよかったものかどうかは、分からないし。まず他の人やことや先を考えず、あなたがどうしたいか、どうなりたいかだけでしょう。わたしとは違うのだし。道はひとつではないはず。そして案ずるより生むがやすしでもあってね。いま思えば、出奔しなくとも他にやりようがあったろうとわたし自身、思いもするしね。ただ、後悔はしていないけれどね。出ていなければ、あなたを授かっていなかったかもしれないし。
いろいろなものを取りはらって、素直な気持にたち返り、考えてみようと思う。そういう謂で、肯いてみせ。分かった、と了承されたようで肩の辺りをかるく叩かれ、
ーー・・・・ごめんね。ちゃんと伝えられてなかったことがある。ようやく、伝えられる。わたしや父さんが亡くなったこと。リウには、なんの責任もないし、泣けなかったこと、忘れてゆくことも、全く気にすることないんだからね。リウはなにも悪くない。だれかを悪いとしなければならないとしたら、わたしなんだからね
リウは硬直し、すぐに首を左右にふって否定し。自らに最も根深く突き刺さっていたものを、初めて見すえることとなり。母さんはなにも悪くない。吾が悪いのだ。良い子でなかったから。生まれてきたから。
ーー良い子だし、自慢の子だし、わたしと父さんの宝だよ。どれだけ助けられたことか。・・・・でも、そうおもってしまったんだよね。何かしら落としどころがなければ、ちいさな胸ではやりきれなかったろうし、かといってそれも重すぎて、戸をたてて感じまいとしていたんだよね。仕方ないことだし、必要なことだったと思う。でも、いまなら、それは事実ではないと受け入れられるはずだし、わたしは、そうして欲しい
リウはむせび泣きながら、幾度も幾度も肯いていると、
ーーわるい人も、わるいこともなかったし、ないのだと思う。同時に、わるいと対になる、よい、ということも。本来ね。嫌だとかうれしいだとか、人のおもいがあるだけで。自分がどうしたいか、なにを大切にしたいか、それだけで、まわりは気にせず決めたらいい。その先は、自分がどうしてゆくか、だけだし、必要とあらば導きもあるし。あなたには導きがつよくあるようだし。かといって、そのとおりにしなければならないということもなく、ときにそれに抗ってもかまわないだろうしね。愚かであっても。人は、愚かなものであり、愚かであることを生きるためにある部分も、たしかにあるし。自分が、リウがどうしたいか、それだけ・・・・
深く根深く喰いこんでいたものが抜けてゆく、いや、溶けてきえてゆくのを感じる。消えた後にできたものは空洞ではなく、あたたかく優しい顫動。悔いは、おのを支えたもつ杭となりしか。母の膝に頭をのせ、完全に凪いだ呼吸。母と、そして父であった人の、母が言うように灯火になれていたとしたら。そうだったと言われたことを、受け入れ呑み込んでゆく。そうあって欲しいという願いだとか、そんなことないのではないかと疑う自らの葛藤をも含めて。宝ものと、二人とも吾をそう見做してくれていたことは、偽りなき真。父さん。思いもかけずくちびるからこぼれ落ちた呼びかけに、ぴくりと震えこうべを一瞬上げかけて止し。ずいぶんと久方ぶりに父を呼び、求めたことに心づく。血のつながっていないことを知り、短絡的に隔てをおかれていたのだろうと思ってしまったものだったが、明らかに誤りだったと理解できていて。そこには、彼のいなくなったこと(亡くなったこと)の理由づけ、自分がいけないから好かれず捨てられたのだという自己評価も作用していたものであったことをも。狭溢で稚拙な思いこみ。とり出し手のひらにのせれば、一瞥でおかしいと判断できることではあったが、恐れて触れずに抱えこんでいたもので。父から、いっぺんでも冷たかったり荒々しくあたられたことがあったろうか。むしろ大切に大切に、掌中の珠のように包まれていた記憶しかない。そうだ、そうだなと、かたまりを解きほぐされた今、見まわし思いおこしてゆくことのかなう。広々と、深々と。腕に抱えあげられたこと、肩車をしてもらったこと。カシワの葉のような大きな手。土や草の香に、ミソのような体臭の入り混じった父の匂い。素朴であたたかい声と、こと葉。こうべを置いているのは、母の膝にではなく、父の膝であったのか。カシワの葉のような大きな手が、肩にふれ、かるく揺らしてくる。起こそうとしてくるのだろうか、もう少し寝ていたいのだけれど。こんなところで睡っていたら風邪をひく、ということか。抱えあげ運ぶには、吾は大きくなりすぎたのだろうか。軽々持てそうなものだが、とちらりと掠める男性のすがた。傷つきながらも、つねに内に燃えさかるものを宿した人。吾の、鼓動。
揺すぶられつづけ。労るようにやわらかくではあるものの、目を醒ますまで止むことはなかろうと半睡のうちでも判ずることのできていて。同時に、違和感も覚えだしてもいて。触れうごかす感触が労るというより、遠慮がちであり、あの父の厚く逞しい手でもないような。そしてこの呼びかけてくる声。では、誰が。そも、今いずこに居るものだったか。浮かび上がるように現状をとらえはじめ、現状に捕らえられはじめたとき、
「・・・・リウさん。起きとおくれやす。濡れたとこにそうしていたらからだに毒やし」
驚かせまいと気づかってのことだろう、訴える声は抑えられたもので。その声や手の動作に、何かかすかに含まれているもの、潜んであるものがあり、沁みわたりくるように感ぜられるのは、なにゆえであろうか。親しいような、何か。
「父さん・・・・」
つぶやきながら、目をひらき。途端、肩にあてられていた手がぴくりと固まり止まり、息をのむ気配。吾ながらなぜそう口に出したものか、直前まで父のことを思っていたせいか(夢に見ていた、というべきか)、現ととり違えてしまったものだろうか。文字通り、寝言。もしくは寝ぼけての、意味のない文句であるか。そう思えることではあったが、相手ーーそのときには、それがスケであることに気づけていてーーの反応にそう単純に片づけられなさそうなものをどこかで感じとってもいて、疑念のわき。さりながらさまで強くでもなく、促され助けられながら躰を起こし、寝具や寝間着を換えてもらっていて。それよりも蒲団を濡らすわ汚すわしたことが申しわけなく、居たたまれず、謝るなどして他に気をとられる余裕などゆめさらなく。スケは苛立ったり厭な顔ひとつせず、気にすることやないですと気さくに目じりに皺をつくり。それが、作ったものではなく、心からのものであるように自然で。心なしか嬉しげですらあり。双眸が平生より濡れて見えたのは、気のせいであろうか。もの言いといい、向けてくる眼差しといい、心底からあふれてくる気づかいであるように思われてならず、それは吾が総領に成り得る者であるせいであろうか。そういう畏まるようなようすには見えず、親しみ慈しみが感ぜられてならぬのだが。誰に対しても隔てのない心づかいをできる人であるのかもしれない。淋しげな影のうっすりさすことのある細面。セヒョから言われたことをふっと思い出し。そうだろうか、と思う。セミ時雨のなか、いずかたよりか、かそけき鈴の音がして。またぞろ横たえられ、聞いてみようかと口を開こうとしたとき、
「総領が、おはなしになりたいことがあるそうです」
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