第70話 砦の方へ

 このまま任せてしまったままで、はたしてよいものだろうか。濃淡を生む、その疑問をもち続けているなか、ただそう思うばかりで木の葉の繁りが薄れ、蒼穹がひらき見えるようにもなって、木漏れ日に、そしたて直射日光に、炙られるときができてきていて。結局そのまま口にすることなく、ヨネの家屋に到着す。なかは洞穴にはいったように暗く、乾いた草や土の香りの漂う。ショウブの乾燥したものが吊されたりしている梁の下に、何かかたまりの落ちていて。獣だろうか。クマや鹿、イノシシの屍体、とは違うようで。どうやら人らしい。あお向けになり横たわっていたのは、老人。サンキュウが微動だにせずにあって。リウは息をのみ数歩近づいたとき、ううッとサンキュウは声をもらし首をうごかし。咳こみはじめ、リウが間近にきたときには上半身を起こしていて、

「なんじゃ、ここは」

 と腫れぼったくなった目をこすりながら辺りを見回し、リウやその背後にいるシュガの方を見て。息の根がとまってなかったことにリウはほっとしながら、少し腰をかがめ、ここまであなたが駒を繰り(繰られか)、ここまで(結果として)連れてきてくれたということまで話すと、ああと手をひとつ打ちあわせ、

「そやった、そやったなぁ。わしはくたびれて寝てもうたんやなぁ。で、あのけったいなでかい婆さまはどないしたんやろぉ」

 ふたりに目を向けあたりを見回し、またひとつ咳をすると、

「クマでも狩りにいったんかいなぁ」

 リウはなんと応えたらよいものか、逡巡し。見聞したことを話すしかなく、見聞したからこそ確かではあるのだけれど、それはおのれにとって確かなことなだけで、赤の他人にとって確たることとして伝わり、受けとってもらえるものなのか。受けとってもらえることは困難だろうと思えてならず。自分が見、聞きしたことがはたして実際にあったことなのか、もしそこに別の者が居合わせたとして、同じものを見、聞きしたものか自信がもてず。さりながら、見聞した心象を過たずけざやかに伝達できるのであれば、得心してもらえそうであったが、口べたではあり、とうてい不可能なことではあって。

「いや、もう、あの者はもう来ない。行ったっきりだ」

 そうシュガが応え。淡々と自明の理、といった具合にさらりと。ああ、そうか、と判ったのか、言ったそばから自分の言ったことさえ忘れたのか、気にとめぬだけか、サンキュウはかるく肯くとそれ以上追求するでもなく鼻のあたりを擦りだし。えッとリウは呆気にとられて。サンキュウの反応もだったが、サンキュウの場合は恍惚とした人であるからまだしも諒解できるとして、シュガはどこまで知って言っているのだろうか、と。ヨネとリウのやりとりをほとんど目撃していなかったはずで、リウは彼になにも話していなかったのだったが。説明のしようのないことではあったから、ほっとしながらも、反面、不満に近い割りきれなさも覚え。さりとて無論それを口にすることはできず、そういう自身におきた感情にいささか驚きさえし、戸惑いを覚えてもいて。一体、なにが分かる、というつもりなのか。こと葉にすればそういう、反抗の気に似て。さりながらリウはそのわき起こる気を自身のなかに明確に意識するまではゆかずにーー無意識に近いところで打ち消してーー、囲炉裏端の方へ向き。かすかに焰が、ひっそりとちらついていて。燠火もろともしっかり消火して発たなければ、と思いつく。もうヨネはもどる必要などないところへ、ゆけたわけなのだから。


 うちのうゥらの梅の木に

 雀が三羽とォまって

 なかの雀のゆうことにゃ

 ゆうべござった花嫁御

 六枚屏風をたてつめて

 すっぽりかっぽり 泣きしゃんす

 なにが不足で泣きしゃんす

 なんの不足もなけれども

 わしのおととの先松が・・・・・・


 駒の曳く荷台に揺られ、流れゆく木立を眺めながらリウはささやくように口ずさむ。特段なにかを思って、でもないし、考えて、でもなく、不意に口をついて出てきた感じで。まだ近くにいたベンマルに荷台を繋げ、この度はシュガが手綱を握ることとなり。サンキュウとふたり後ろに乗り運ばれてゆくなか。ふっと気が緩んだのだろうか、安心して、とも言い得ようが、その最中に、唇からしたたるように現れたものであり。さりながら、唄っていることを知られるのは決まりがわるく、とまでは自覚しえていて、声をひそめて。車輪だとか、ひづめ、台自体も軋みやかましい音を立てているため、ふたりの耳にはいることはないと踏んでしていたものだったが、

「なんや、どっかで聞き憶えある唄やなぁ」

 アシャアシャ・ムニムニだの、クマクマキリキリだのと進行方向をむいてしきりに誦していたサンキュウの首がむけられ言われたことに、と胸を突かれ口を閉じ。別段悪いことをしていたわけでもないとは思いながらも決まりがわるく、おそるおそる顔をむけていると、

「モリゾウがよく唄っているやつじゃな。本人はこっそりで、聞かれてないつもりらしいが。どうやら出生の地の唄らしいが。・・・・爺さまは、この唄を知っておるのか」

 ベンマルを繰りながら前方を向きつつ、シュガが言う。騒音のなか、前をむいたままでありながら、よく声が徹り。さすがにシュガの耳にはいるまでとは予想していなかったため、リウは二の句のつけずにいて。

「いずこ、やったかなぁ。う、うん、雲州やったやろか」

「雲州か、そうかもしれぬな」

 リウは何も言えないでいたが、翁と若人は気にするでなく話していて、シュガは何か思いあたる点があるようでもあって。揶揄われるでなく話題が行きすぎたため、リウはほっとして、また流れ去る草や石や樹や雲に目をもどす。リウはその存在をすっかり失念してしまっていたが、髪には挿されたフデリンドウがまだあって、揺れていて。

 このまま、ただただ運ばれ任せた状態でいて、はたしてよいものだろうか。にじみ出るように、またぞろ疑問が湧いてきていて。さりとて代わりに手綱をさばくことなどできないため、今はこうして乗っているしかないわけではあることは理解しつつも、なお。どうなのだろう。どうしてこんなことを自分は思ってしまうのだろうか、と走り去る木々を見たり紫に染まったゆびさきを見たりしていて、ふっと胸中に赤い閃光が馳せて。鋼のいろも抜け、黒煙がなびく。なんの映像であるのかリウは判断できぬものの、鼓動が早まって。胸を押さえて、シュガやサンキュウの方へと姿勢をむけると、その途端、焦げ臭さを感じとり。サンキュウとシュガは何も言わぬが、それぞれに意識を集めている顔になっていて。ベンマルがことに、異変に気がついているらしい。何ごとであるか。この先にある、シュガの砦の方に。

「ああッ」

 リウは思わず声をもらしてしまう。

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