第8話 夜の優等生
抑圧された優等生が、二面性を持つ。
今までにありすぎて、食傷するぐらいのネタである。
ただ勇者世界という、そんな甘えたことを許さない社会に生きていた桜盛としては、正直エレナに対する関心は薄らいでいた。
夜の街は危険だ、などという紳士的な考えから、エレナを追ったわけではない。
もっと純粋に、現代日本の夜の危険度を、客観的に見たかったのだ。
いざとなればどうとでも出来る自分自身ではなく、肉体的には脆弱な女であるエレナに対してどう働くのか。
好奇心と言うよりは、少しだけシリアスな感情であったろう。
種の絶滅を賭けて戦った、あの世界での30年の日々。
戦中を送った老人が、最近の若い者の世界を見てみたい、そんな感触に近いであろうか。
さて困ったのが、夜の街に溶け込むことである。
桜盛はこんなこともあろうかと、アイテムボックスの中に私服を一式持ってきてはいる。
だが化粧をばっちり決めたエレナは、ただでさえ彫りが深く大人びた顔立ちをしている。
比べて桜盛は年相応の15歳であり、警察に見つかれば補導されること間違いなし。
明らかに20歳以上に見えるあの姿への変身には、実は問題もある。
途中の年齢は選べないのだ。
(まあ広い東京、あの女刑事さんに会うことはないか)
ただ監視カメラなどには、映ってしまうのは避けられないだろう。
またこういう夜の店には、それぞれドレスコードのようなものが存在するらしいとも聞いている。
一応変身後の体に合わせて、ジャージを買った桜盛である。
さらにいざという時のジャケットなども、買う予定であった。
ただ190cmの筋骨隆々としたあの大人桜盛に、普通の店で合うスーツなどはない。
なのでまた後にするか、と思っていたのがまずかったか。
いや、クラブなどにスーツなどで入れるのかは、それもそれでどうなのだろうか、とも思ったが。
場に合わせた服装でないと、目立つことはこの上ない。
まあ最終的にはカメラのない場所から、透明化と転移を使って駅のトイレにでも移動。
そして少年桜盛に戻れば、どんな追跡も撒くことは出来ると思うのだが。
(クラブハウスなら、高級レストランとは、また違ったもんがあるだろ)
桜盛はとりあえず、高級そうなスカーフを買って、それで髪をまとめる。
それから黒いマスクを付けて、顔立ちもある程度隠した。
警察の内部で自分の情報が、どれだけ共有されているのか。
換金に行った時にある程度、カメラに映っているのは間違いない。
ちなみに桜盛は、昨今の監視カメラなどからの、人物鑑定を甘く見ている。
これも質問権を使えば分かることなのだが、緊急ではないと判断して使っていない。
あまりに強すぎるというのも、かえって悪いことなのだろう。
190cmの筋骨隆々とした大男が、入店してくるのを拒める店員が何人いるか。
おそらくクラシカルな店であれば、それでも毅然と応対する者はいただろう。
だが夜のナイトクラブなどに、そんな根性を持った人間がいるかは疑問だ。
そもそも桜盛の、ジャージに黒マスクというのは、ある程度夜の街にも相応しいものだろう。
入り口の受付にも特に止められることもなく、桜盛は店内に入る。
そしてカウンターに来ると、慣れた感じで注文をする。
「ここは何が飲めるんだ?」
「ソフトドリンクもありますし、基本的にはカクテルとかの類ですね」
別に普通にしているだけだが、世界を救った勇者の威圧感はある。
なので店員の対応も及び腰であった。
「ソーダ水あるか?」
「ミネラルウォーターなら」
「それでいいや」
一杯700円というのは、ちょっと高いかなと思う桜盛。
だが今、そのアイテムボックスの中には、600万円以上の現金が入っているのだ。
大きな音楽がかかった店内では、様々な男女が踊っている。
別に踊るでもなく、なんとなくたゆたっている者もいる。
また座席に座って、何やら話し込んでいる者も、
「なあ、ここは何の場所なんだ?」
「え、普通にナイトクラブですけど」
今さらそれを聞くのか、そもそも知らない場所にやって来たのか。
そうは思っても強そうな人間には、言わないのが賢い人間である。
「日本のこういうノリの場所は初めてなんだが、どういう客層なんだ?」
エレナのような上流層は、そもそもこんなところに来るきっかけがないと思うのだが。
店員は戸惑ったようであるが、特に口ごもることもない。
「うちはまあ、普通の店だと思いますよ。基本的には若い連中が多いですけど、お偉いさんが若者と一緒に来たりもするし。こっそり芸能人が来たりもしますけど……まあ例外ですね」
「お高い遊び場じゃないってことか?」
「それはそうですね。ただうちは場所を提供しているだけなんで、片隅でギャンブルしてたりするのがいても、おかしくはないです」
やっていてもうちの責任ではないよ、ということだろうか。
エレナがどこにいるのかは、現在も把握している。
ボックス席の片隅に座って、飲み物を目の前にしながらも、ぼんやりとスマートフォンをいじっている。
夜の街、夜の店。
それに合ったような格好をしていても、孤立した感じを見せる。
どこに行っても一人。いや、少なくとも学校では、大勢の人間に囲まれている。
今も主に男に囲まれてはいるが、気を許してはいない。
やはり美貌や人間的迫力が、ある程度は彼女を守っているのか。
「あのボックスの子、よく来るのか?」
またカウンターの男に問いかけて、さっと万札をチップに出し、情報収集をする桜盛であった。
昼の世界では自分を偽り、夜の世界では他者を拒絶する。
もっとも今日は、日頃つるんでいる友人もいない。
本当の意味では一人になれないし、なったとしたら誰とも交流出来ない。
思春期ゆえの、社会との不和。
そう、簡単に言ってしまえば、エレナは単に思春期の病にかかっているだけなのだ。
ただ両親が共に、ほとんど家を留守にしているというのは、彼女にとっては不幸であるのかもしれない。
そしてそのくせ、こうやって外で安全に遊べるだけの金があるのも、むしろ不幸を積み重ねているのかもしれない。
もしも遊ぶのに必要な金さえなければ、彼女は自分を売るなどの金策はしなかっただろう。
その程度の計算は出来るぐらい、彼女は打算的であった。
もっとも自分の美貌に関しては、まだ理解しきれていなかったようだが。
そんな彼女に、またも声をかけてきた男が一人。
「やあ」
視線を向けて、その巨大な体躯には驚いた。
「少し聞きたいことがある」
桜盛はそう言って、相手の同意など必要なく、エレナの隣に座ったのである。
普段は他に数人、集まってこの店に来ているのだと、桜盛は聞いた。
このナイトクラブは比較的、夜の世界の居場所としては、安全な方ではあるらしい。
ただ普通に、片隅では薬が売買されていたり、売春交渉がされていたりもする。
だが基本的には、安全な店なのだ。
安全とは?
確かに桜盛のように、勇者世界の酒場を知っていれば、すぐにキレて刃物を振り回す人間がたくさんいるほどは、危険ではないだろう。
またチンピラ程度はいるが、ヤクザが積極的に出入りする店でもない。
チンピラがヤクザの手先であったりすることはあるかもしれないが。
「鈴城エレナ」
自分の本名をいきなり呼ばれて、エレナは表情を強張らせる。
「君はどうして、夜をこうやって過ごすんだ?」
説教くさい男が来たのかと、わずかに身構える。
だがその男がまとった気配は、かなり危険なものだと分かる。
空間を大きく占める肉体は、とんでもない圧迫感がある。
だがそれでもエレナは、冷静に考えることが出来る。
政治家の家の娘というのは、そういうものであるらしい。
「私を知ってるの?」
「ああ、有名人だからね。ただ他の人はなかなか気づかないと思うよ」
ほどよく距離を空けて、桜盛は隣に座った。そしてカップの飲み物を掲げる。
「飲む?」
「他人から勧められたものは飲食しないの」
冷たく拒絶されたが、桜盛としてはむしろその方が安心する。
これであっさりと飲んでいたりしたら、それに何を混ぜられているか分かったものではない。
金持ちの娘が、夜遊びをする。
ならばどうなろうと自業自得だと、桜盛は考える。
身を守るために、危うきに近寄らないのは、護身としては当たり前の心がけだ。
ただ普段の彼女は、数人の友人と一緒ではあるとのこと。
慣れたと思って、一人で出歩いているのか。
それがまさに命を失うことになるのは、勇者世界の出来事であった。
日本だとまだ、女子高生が一人で夜遊びしても、それなりに安全だと言えるのだろう。
「両親が揃っていて、豊かな教育を受ける財力もあり、しかも将来何かをするコネクションもあるという、君はそういう人間だな?」
「だとしたら、何か文句でも?」
キツい視線を向けてくるが、それにすらもまだ気品があった。
もっとも気品や気高さや、さらには傲慢とさえ思える威厳は、さすがに勇者世界の貴族などには及ばない。
桜盛は、異世界を経験しただけではない。
既に大人として、同じく大人と相対したのだ。
なので彼の立場から、エレナを評価するのはあまりに格差がある。
「文句じゃない。ただどう考えているのかな、と興味を抱いただけだ。俺は15歳の時からつい最近まで、ちょっと遠い環境で育ったんでね」
また嘘ではないが結果的に嘘になることを、桜盛は言った。
「昨日まで笑い合っていた人間が、次の日には死体になる。そんな経験が日常茶飯事の空間だった。まああんたも色々と溜まっているのかもしれないが、そこから抜け出すために必要なことは、こんなことにいることじゃないと思うけどね」
「分かってるわよ。そんなにいつも羽目を外したりしないわ」
「それならいいんだけどな」
桜盛の言葉によって、エレナがややひるんだのは確かであったろう。
生きてきた世界が、まさに隔絶しているのは本当なのだし。
ただ、桜盛は分かっていない。
彼は自分が、45歳までは生きたという実感を持っている。
たしかに時間的には、それは間違いではないのだろう。
しかし彼は、普通の45年を生きた人間が持つ、ある経験に欠けている。
それは衰え、というものであった。
勇者世界においても、人間の45歳というのは、肉体の全盛期を過ぎている。
だからこそあちらの前線では、桜盛の隣に立つのは、初期からの仲間ではなくなっていったのだ。
ごく希少な例外は存在するが。
さて、これで桜盛はエレナへの興味をほぼ失った。
なので立ち上がったのだが、改めてその長身に、エレナはびくりと反応した。
脅すようにいった、紛争地域の経験談を、本気にしてしまったのだろうか。
実際のところ桜盛の動きは、普通の人間の動きとは、それぞれ違っている。
なので警戒するのは、おかしなことでもないのだが。
「じゃあな」
去っていく桜盛の背中を見送り、エレナは自分の喉がカラカラになっているのに気づいた。
穏やかな声音であったが、それでも何か恐怖を感じさせる男であった。
これで話が終われば平和であった。
だがさらに何かが起こらなければ面白くない。
桜盛としては面白くなくても、それはそれで良かったのだが。
せっかくだから、ヤバいブツでも売ってないかなと、しばらく店内をうろついた桜盛である。
その間にも一応、エレナをマークした魔法は発動したままである。
しばらくして彼女が、店の階段を上に上がっていくのに気がついた。
二階に何かあるのかと思ったら、力を失ってしまったように、両脇を二人の男に支えられている。
(なんだ? 眠ってる? 酒でも飲んだか?)
だがエレナはこんな場所にいながらも、夜に染まりきることは出来ないような少女であったと思う。
ただ明らかに、まともに体が動かせないようではある。
気絶したのか眠っているのか、あるいは薬物か。
他人からの飲み物は受け取らないエレナであったが、その気になれば見えないうちに混ぜることも出来るのかもしれない。
そして薬物は、この店でも取引がされている可能性はある。
勇者世界の常識で考えるなら、共犯者は店の人間だ。
いくらエレナが自分で注文しても、渡されるカップに入れるのは店の人間。
ちょっと悪いことを考えれば、即効性の薬品を混ぜるなど、簡単なことだろう。
(店の人間までは疑わないか)
それに普段は、他の人間も連れて、この店に来ていると言っていたはずだ。
あんな美人がたった一人で、こんな店に来る。
前から邪念を持っていた人間がいれば、そういう手段も取るだろう。
(う~ん、助けるべきだよなあ)
自業自得と言うには、相手の悪意が大きすぎると思う。
ただ実は本当に、単に自分で間違って酒を飲んだ、とかであれば。
わざわざ上に連れて行くのは、休ませてやるためなのか、という可能性がわずかに存在する。
いや、もちろんそんな可能性は、ほとんどないとは思うのだ。
こんな短い間に、意識を失うか朦朧とした状態になっている。
ただいざ踏み込んで違いましたでは、ちょっと格好がつかないではないか。
なので桜盛も、階段を上っていった。
二人の男はエレナを、一室に連れ込んだようである。
桜盛の鋭敏な嗅覚は、部屋から漂う臭いに気づく。
前にも嗅いだことのあるこれは、娼館から帰ってきた仲間が、よくつけていたものだ。
この部屋はそもそも、そういった行為のために用意されたものであろうか。
それでもまだ、ただ寝かせるだけかもしれないと、桜盛はとことん慎重であった。
室内を窺うために、透視の魔法を使う。
ちなみにこのいくらでも悪用できる魔法を、桜盛は女性に対して使ったことはない。
いやもちろん、必要なので使ったことはあるが。
童貞勇者は紳士であったのだ。
朦朧とした意識の中で、何かが自分の服の上を、淫らに這い回っているのが分かった。
特にそれは胸を撫でて、エレナの敏感な部分を探るようにつつく。
誰かに普段は触れられない、プライベートなゾーン。
嫌悪感が湧き上がるが、体はなかなか動かない。
「や……め……」
「お、い~感じで意識はあるじゃん」
「無反応はそれはそれでいいけどな」
「いや、やっぱ最初は反応がほしいだろ」
男たちの言葉からは、エレナへの下卑た欲望を感じさせる。
何があったのか。
思考にも曇りがあって、冷静な判断が出来ない。
ただ確かに感じるのは、差し迫った危機感だ。
男たちの手が、エレナの服のボタンを外していく。
それを妨げようとした力の入らない手は、他の男によって拘束された。
「縛っちまうか?」
「それより撮影の準備しろよ」
当たり前のようにスムーズに、おぞましい行為の準備がされていく。
ようやくここでエレナは、本物の恐怖に襲われる。
一般家庭とは違う、恵まれた環境に生まれたのだと言われる。
ただその生活は、プレッシャーもまた大きなものであった。
精神的に大人びざるをえなかった少女。
だがあからさまな下卑た悪意に晒されるのは、これが初めてだった。
「だ……れ……」
(助けて!)
強い叫びなど、出るはずもない。
だが、声は届いた。
「見捨てるのも寝覚めが悪いしな」
部屋の中にいたのは、男二人とエレナの三人だけのはずだった。
そしてちゃんと、鍵はかけていたはずだった。
なのにドアを開けて、あっさりと男が入り口に立っている。
「誰だ!」
そんなの誰でもいいだろう、と桜盛は考えて、事態の終息へと動きだした。
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